第36話「言葉を置いてきた子」
夢の中、教室の隅で一人の少女が文字を綴っていた。
白い紙に、鉛筆の走る音だけが響いている。
「……これで、いい。きっと、誰かが見つけてくれる。」
小さな声で呟いて、少女は手紙を畳み、机の引き出しにそっとしまった。
それが、彼女の“最後の授業”だった。
「加瀬くん、放課後、少し来てくれない?」
図書室の返却カウンターで声をかけてきたのは、文芸部の川島澄佳先輩だった。
三年生で、物静かだけれど話すと優しい、ちょっと不思議な雰囲気の人だ。
「相談、というか……探し物の手伝い。変な話になるかもしれないけど。」
放課後、図書室の奥で彼女は机の引き出しを指差した。
「ここに、昔の手紙があったはずなの。十年前、この学校にいた誰かが書いたもの。でも……誰も知らないって。」
「それ、夢に出てきたりしました?」
俺の問いに、彼女は静かに頷いた。
「引き出しの中の紙。鉛筆の文字。誰にも届かなかった言葉。……私、それを思い出して、涙が出たの。」
十年前、この部屋で誰かが何かを残そうとした。
それは“前世の記憶”であり、まだ誰にも拾われていない未練でもある。
次の日の朝。
俺はまた夢を見た。
同じ教室。同じ少女。
彼女は、消え入りそうな声で言った。
「ここに……わたしの全部があるの。誰か……お願い。」
放課後、再び図書室へ向かい、俺と澄佳先輩は一緒に棚の裏や机の隙間を探した。
「この机……。」
ふと、脚の裏に薄く張られた封筒を見つけた。黄ばんだ封筒に、うっすらとした鉛筆の字。
『ことばが残れば、私はまだここにいる。』
手紙には、それだけが書かれていた。
澄佳先輩が、ゆっくりと目を閉じた。
「……思い出した。私、あの子の友達だった。昔の、もっと前の話。毎日一緒に図書室にいて、でも、あの子は卒業間際に病気で……手紙だけ残していったのに、私……見つけてあげられなかった。」
記憶が、時間の深部から浮かび上がる。
それは、彼女が“誰か”だった頃に交わした約束。
澄佳先輩の目に涙が滲んだ。
「ありがとう、加瀬くん。私、やっと……返事が書ける。」
彼女は、自分のノートを開き、鉛筆で数行を綴る。
『あなたの言葉、ちゃんと届いたよ。今でも大切な友達です。』
そして、その紙を手紙と一緒に封筒へ戻した。
図書室の夕暮れ。
引き出しにしまわれた二通の手紙は、静かにその場所に眠ることを許された。
澄佳先輩は、微笑みながら言った。
「私、もう書ける気がする。今を、物語にしてみたい。」
加瀬透、高校生。
今日、俺の仕事はひとりの少女の未練を、音にして、終わらせることだった。
そしてその音は、たしかに“今”を照らしていた。
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