第22話「兄さんに会いたい」
放課後、昇降口で靴を履いていると、制服の袖を引かれた。
「……あの、加瀬先輩、ですよね?」
振り返ると、見慣れない一年生の女の子が立っていた。
小柄で、セミロングの髪を結びもせずに垂らしている。おどおどした目が、俺をまっすぐ見上げていた。
「うん、そうだけど……君は?」
「三浦 紅葉っていいます。少しだけ、相談があって……。」
彼女の声は震えていた。
でもその奥に、何かを“確かめたい”という強い意志を感じた。
話を聞いたのは、図書室の隅だった。
「最近、夢を見るんです。昔の時代の夢で……。」
そこまではよくある話だ。
「戦争みたいなとこで、私はずっと誰かを待ってるんです。兄さんが、戦場から帰ってくるのを。」
俺は息を呑んだ。
「兄さんは、最後まで戻らなくて……それでも、私は信じてた。いつか帰ってくるって。でも……。」
「でも?」
「ある日、夢の中で誰かが言ったんです。『彼はもう、帰らない』って。」
紅葉の目には、涙が浮かんでいた。
「それでも私、信じたい。兄さんが、今どこかにいるって。」
彼女の“未練”は、信じることをやめられない心だ。
俺は頷いた。
「その夢、もっと詳しく教えてくれる?」
紅葉の語る夢は、何度も繰り返されていた。
冷たい雨の降る夜。軍服姿の兄が笑って言う。
『すぐ戻るよ、心配するな。』
けれどその言葉は二度と現実にならなかった。
夢の中で、彼女は家の縁側に座って、毎日帰りを待ち続けていたという。
「目が覚めると、涙が出てて……変ですよね。戦争も、兄さんも、現実じゃないのに。」
「変じゃないよ。魂って、そう簡単には忘れないから。」
その夜、俺の夢の中に現れたのは、白い軍服を着た青年だった。
彼は荒野に膝をつき、片手で胸を押さえていた。
「妹を……紅葉を、頼む。」
彼は血に染まった手で、懐から小さな手紙を取り出した。
「これを、渡してほしい。俺は、もう戻れないから。」
その手紙には、にじんだインクで書かれた名前――“紅葉”の文字があった。
夢が覚めたとき、俺の枕元には、白い封筒が置かれていた。
現実にはあり得ない。けれど、それは確かに存在していた。
翌朝、俺は紅葉にその封筒を渡した。
「これは、君の兄さんから預かった。」
「兄さん……?」
彼女は震える手で封を切った。
中から現れたのは、くすんだ写真と、一枚の便箋。
『紅葉へ。お前のことを最後まで守れなくてごめん。
でも、俺は最後までお前を想ってた。
今度生まれ変わったら、ちゃんと隣にいるよ。今度こそ、ずっと。』
紅葉は手紙を抱きしめて、声を押し殺すように泣いた。
「ありがとう……兄さん……っ。」
俺はそっと、図書室のカーテンを閉じた。
彼女の涙は、きっと前世からのものだった。
その日以来、彼女は少しだけ明るくなった。
図書室では静かに本を読み、時折、誰かに笑顔を見せるようになった。
すれ違いざまに、彼女は俺にだけ、小さな声で呟いた。
「加瀬先輩……ありがとうございました。」
兄を待ち続けた少女は、ようやく一歩を踏み出した。
加瀬透、高校生。
今日もまた、誰かの“未練”を繋いだ。
それは、夢から始まった、ほんの小さな再会だった。




