第19話「あなたが、わたしの王子さま」
文化祭前の放課後、家庭科室に甘い香りが漂っていた。
朱音とひよりのふたりは、再びアップルパイ作りに取り組んでいた。
「バターはこれくらい? ねえ、ひよりちゃん、混ぜるのってどっち回しがいいの?」
「どっちでもいいけど……それ、粉入れる前に聞くの?」
「えっ!? そ、そうだった!? ごめん、またやらかしたー!」
ひよりは呆れたように笑って、朱音の手元をそっと直した。
かつて、前世で王子だった少女と、その侍女だった少女。
今は、同じ教室の“女子同士”。
それでも、ふたりの距離は少しずつ、近づいていた。
「私ね、あの夢を見た後、ずっと考えてたの。」
混ぜながら、朱音がぽつりと呟いた。
「王子だった“私”は、あの子に渡したかったんだと思うの。ただのパイじゃなくて……ちゃんと気持ちを。」
「うん、わかるよ。私も……夢の中で、あなたが振り返ってくれたらって、ずっと思ってた。」
ひよりは笑う。その目は少し潤んでいた。
「でも、今の私は“あなたの侍女”じゃないから。……気持ちも、ちゃんと対等に伝えたい。」
「うん。私も、今の私として、ひよりちゃんに言いたい。」
「え?」
「好きだよ。今でも。昔も。たぶん、最初にパイを食べたあの時から。」
ひよりの目が見開かれる。
「私、女の子だよ……?」
「うん、知ってる。」
朱音は照れたように、でも真っ直ぐな笑顔を向けた。
「でも、あの時の気持ちは嘘じゃなかった。今だって、変わらない。むしろ……やっと言えた。」
ひよりは俯き、震える声で答えた。
「……私も、嬉しい。ずっと……言えなくて、ごめん。」
ふたりの間に沈黙が落ちる。
オーブンのタイマーが鳴って、それを破った。
焼き上がったアップルパイは、前よりも少しだけ焦げていたけど、それもまたふたりらしい仕上がりだった。
帰り道、俺はグラウンド沿いを歩きながら、空を見上げた。
朱音とひより。
女の子同士になってしまった前世の“王子”と“侍女”。
でも、今のふたりは、ちゃんと向き合い、言葉を交わし、前よりずっと近くなっていた。
「未練ってのは、たぶん“終わらせる”ためじゃなくて、“始め直す”ためにあるんだな」
加瀬透、高校生。
今日もまた、前世と今を繋ぐ物語を見届けた。
ふたりの笑顔と、甘いアップルパイの匂いが、俺の記憶に残った。
感想、レビュー、ブクマ、評価、待ってます!