第18話「彼は、まだ思い出さない」
夢の中、彼女は立っていた。
顔は見えない。けれど、白く淡い光をまとったような存在感で、どこか "人" とは思えなかった。
「あなたは、やさしいね。」
その声だけが、響いた。
それだけで、目が覚めた。
「お前、ほんとに変だよな。」
放課後、購買帰りのレイナが俺の後ろに立っていた。口にメロンパンを頬張りながら、少し拗ねた声を出す。
「なんでお前は、あんなに他人の夢を見られるんだ? しかも、全員の“未練”を的確に当てるし。」
「たまたまだろ。」
「そんなわけあるか。……私の夢を見たときだって、前世の最後の一瞬まで、ぴったり当てた。」
俺は苦笑するしかなかった。実際、俺にもよく分かっていない。ただ、“視える”のだ。誰かの過去が、感情が、未練が。まるでそれが俺の記憶であるかのように、鮮明に――。
だが。
「お前、自分の前世って夢に出てこないのか?」
「出ないよ。なんか真っ白な空間に、誰かが立ってるだけ。」
「……どんな顔?」
「顔が、見えないんだ。」
レイナは何かを言いかけたが、メロンパンをもう一口齧って、言葉を飲み込んだ。
「お前、ずるいな。」
「は?」
「私たちばっかり前世と向き合って、お前はそのまま“他人の物語”だけ背負ってる。……そういうとこ、ずるい。」
それは、怒りでも悲しみでもなくて――どこか、寂しげな声音だった。
「レイナ。」
「なに?」
「俺が見てる夢、たぶん……全部が“他人の物語”じゃない気がするんだ。」
「……どういうこと?」
「時々、混ざるんだよ。“自分がそこにいた気がする”って感覚。でも、証拠はない。全部、気のせいかもしれない。」
「気のせいじゃないと思う。少なくとも、私はそう思わない。」
その言葉に、俺は少しだけ救われた気がした。
その夜、また夢を見た。
白い空間。少女が立っている。
今日は、少しだけ近くまで行けた。輪郭が、ほんのわずかに見えた。
髪は長く、白銀の光をたたえ、目はまるで星のようだった。
「あなたが、選んだのよ。人間になりたいって。」
少女の声が、確かに聞こえた。
「私は、止められなかった。けど、ほんとうに……それでよかったの?」
その言葉に、胸の奥が痛んだ。
けれど、目覚めたときには、その痛みすら、どこか遠くに感じていた。
俺はベッドの中で呟く。
「……俺が、選んだ?」
翌日、真白がいつものように俺の机にやってきた。
「また、変な夢?」
「うん。相変わらず、意味不明。」
「いいな、加瀬くんは。自分のこと以外は全部わかるくせに、自分だけ謎のままで。」
「皮肉?」
「ううん。羨ましいって言ったの。」
その瞳が、じっと俺を見つめていた。
「ねえ加瀬くん、もし自分が“自分じゃなかった”って分かったら、どうする?」
「……それでも、俺は俺だと思いたい。」
それが、今の俺にできる、精一杯の答えだった。
加瀬透、高校生。
誰かの未練を視て、誰かの心を拾い上げる“ただの使い走り”のつもりだった。
けれど、その中に、いつのまにか“自分”の影が混ざりはじめている。
……俺の物語は、まだ、始まっていない。
でも、たぶん。
その扉は、もうすぐ、音を立てて開く気がする。
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