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第13話「筆は止まったままでも」

夢の中、老人が一枚のキャンバスの前でうずくまっていた。


絵の具は混ざり、筆は乾き、キャンバスは真っ白のまま。

周囲には賞状やメダルが飾られていたけれど、彼はそれを背にして呟いた。


「私は……一番描きたかったものを、最後まで描けなかった。」


目が覚めたとき、俺――加瀬透は、枕元に落ちた鉛筆の芯を見つけた。


折れていた。まるで、夢の中の彼の筆のように。




「最近、描けないんです。どうしても、キャンバスの前で手が止まる。」


そう言ったのは、美術部の2年生、広瀬ひろせ ゆう


スラッとした長身で、物静か。繊細な眼差しを持つ青年だった。


「高校入ってからずっと描いてきたんですけど、……“自分が描きたいもの”が見えなくなってしまって。」


彼が見せてくれたスケッチブックには、丁寧で正確なデッサンが並んでいた。


だけど――“魂”が、なかった。


「それ、夢で言ってたよ。“技術は残った。けど、魂だけが、筆から逃げたままだった”って。」


「……夢?」


「俺、変な夢を見るんだ。“前世”とか、“終わらなかった気持ち”とか。」


広瀬はふっと笑った。


「……不思議ですね。でも、なんか分かる気がします。」


「夢の中のおじいさんが、最後に描こうとしてたもの、たぶん“人”だったと思う。」


「“人”……?」


「誰かの笑顔か、誰かの背中か、光の中にいる“誰か”。ずっとそれを探して、描けなかったんだ。」


広瀬はその言葉に、はっとしたように顔を上げた。


「それ……もしかして、僕の祖母かもしれません。」


「え?」


「絵を描き始めたきっかけ、祖母なんです。小さい頃、僕が最初に描いたのも、祖母の笑ってる顔で……。でも、最後に祖母の写真を描こうとして、描けなかった。」


そうだったのか。


“前世の画家”の未練とは、“技術の集大成”ではなく、“最初に心を動かされた存在”――


それを再び描きたかった、ただそれだけだったんだ。




「なら、描こうよ。今の君で、描きたかったその笑顔を。」


「……でも、怖いんです。また逃げられるのが。」


「逃げたら追えばいい。何度だって。」


放課後の美術室で、広瀬は静かに筆を握った。


少しずつ色を重ね、迷いながらも線を引いていく。


何日もかけて仕上げたその絵は――


満開の花の前で、笑っている老女の肖像だった。


光の中に立つような、柔らかくて、静かな一枚。


それを見た瞬間、夢が終わった。


白いキャンバスが、満ちていく映像が、脳裏に焼き付いた。




「ありがとうございます、加瀬くん。描けました。ようやく。」


「……誰に見せるの?」


「展示会に出します。そして、祖母の仏前に。」


その笑顔は、絵とそっくりだった。


加瀬透、高校生。


今回は“描けなかった最後の一枚”を、誰かの手に取り戻してもらう仕事だった。


でもきっと――この絵は、前世の自分にも届いている。

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