17. 緊急事態
※ 残酷と思われる表現があります。
練習場の中には何かが焼け焦げた匂いがあたりに漂っている。それにこれは、血の匂い?
「ああくそ、なんてことだ!」
「おい、大丈夫か! 声は出せるか?」
「俺、治癒師を呼んでくる……って、おい、そこの白ローブ! 治癒師か!」
白ローブ、って、俺のこと? 俺はまだ習い始めたばかりで……って、あ、そうか、さっき中級にあがったんだった。
初日も初日にいきなり救急とは、なんという……。
激しく緊張するけれど、救急の現場自体は初めてじゃない。道場で怪我人がでたときの母さんの対応を何度も見ているのだ。軽く深呼吸して息を整える。うん、やれる。
「一回生ホソカワ・エイタ、初級免許持ちです。怪我人の数は?」
「三回のナルミ・ソウイチ、怪我人は二人だ。」
「ソウイチ先輩、事故の状況を説明してください。そちらの先輩は怪我人に案内してください。二人の怪我を確認します。」
救急の時の母さんの顔を思い出しながら、必要な情報を聞き出す。いつも母さんがやっているように「誰かお願いします」ではなく、しっかり相手を決めてその人にお願いする。
あとなんだ、いつもどうしていた? 混乱しちゃだめだ、落ち着け、俺。
怪我人は男子の先輩と女子の先輩だった。ぱっと見じゃどちらが重症なのかわからないな。ローブどころかその下の制服まで焼け焦げている。かなりの重症かもしれない。
「呪術の同じクラスの仲間で魔法の練習をしていたんだ。いつも失敗したりなんかしないのに、カズマとミサキが二人同時に呪文に失敗して、なんでこんなことに……、魔法で水かけても消えないし……」
状況の説明を聞き流しながら、怪我の具合を見る。
「お兄さん、声は聞こえますか? お返事できますか? できないなら俺の手を叩いてくださいね。」
男子の先輩の手元を軽く叩きながら問いかける。
「聞こえてる、声も、出る、」
「大丈夫ですよ、血止めに少し回復魔法かけますね。」
状況を要約すると、火の玉の魔法と土の塊の魔法が目の前でぶつかって爆発して、その爆発に二人が巻き込まれた、服が燃えていたので水魔法で火を消した、そんな感じだな。
火の玉でやけど、土の塊が当たって怪我、土の欠片が体の中に残っている可能性あり、ってところか。
男子の先輩はひとまず置いて、女子の先輩の怪我を確認する。
「お姉さん、聞こえますか? お返事できますか? できないなら俺の手を叩いてくださいね。」
同じように女子の先輩にも問いかける。
「……う…………、うぅ……、」
彼女はうめき声しか出せないようだ。意識がもうろうとしているかもしれない。声が聞こえているかどうかもわからないな。このお姉さんの方が重症、間違っているかもしれないけど、そう決めて行動する。
「お姉さんから治療しますね、大丈夫ですからね。安心してくださいね。」
男子の先輩と同様に、血止めに軽い回復魔法をかける。
「傷口を確認しますね。」
傷口を確認するために、燃えたローブや制服は脱がさないといけないのだけれど、消火のためだろう、水でびしょびしょに濡れているので非常に脱がしにくい。
どうしようかと悩んだが、さっき購買で短剣を買ったのを思い出した。どうせ焼けてボロボロなんだと心を決めて、燃えたローブや制服の上着やブラウスを切り裂き、脱がせていく。
同い年のマコちゃんたちとは比べ物にならないほど豊かなものが目に飛び込んでくる。だけどそれに気をとられてもいい状況じゃない。
これはかなり酷いぞ。一瞬悩んだものの『これは純粋に治療』と心を決めて下着も取り除く。症状をしっかり目視し、場所によっては手も使いながら、怪我の確認を続ける。
「かなりやけどしてますね。大丈夫ですからね、ちゃんと治りますからね。」
顔にやけど、右腕と肩、胸元、お腹の上ぐらいまでやけどの傷が見える。髪の毛も燃えたようなので、頭もやけどしているだろう。スカートや靴下にも小さい焦げ跡はあるが、おそらく大きな怪我はないだろう。
「土の欠片が刺さってますので、取り除きますね。」
木刀が裂けて突き刺さったとき、母さんが怪我を治す前にそのトゲを先に処理していたのを思い出し、土の欠片を先に浄化することにする。水から泥を取り除いた浄化魔法だ。土の欠片なら問題なく取り除けるはずだ。
彼女の全身を浄化した後、回復魔法をかける。彼女に触れた手にも俺の回復魔法が流れてくる。あれ、魔法が何かちょっと変化している?
もう一度回復魔法をかける。やはり彼女を通って俺に戻ってきた回復魔法の魔力は、俺がかけた回復魔法の魔力と何かが違っている。
試しに浄化魔法をもう一度かけてみる。何か少しだけ違いがある気がする。もう一度かけてみる。違いがなくなった、かな? さらにもう一度かけてみると、まったく違いがわからなくなっていた。
もしかしたらこの違いは、回復や浄化が働いたときに起きることなのかもしれない。もしもそうなら、違いがわからなくなるまで回復すれば、かなりしっかり治っているのではないだろうか。俺には圧倒的に経験が足りないのだから、役に立ちそうなものは全部使っておくべきだな。
俺は彼女に触れながら、上半身から下半身に、全身にくまなく回復魔法を変化がなくなるまでかけていく。ふう、これでなんとかなったかな。
「もう大丈夫ですよ。」
そう声をかけて視線を上に戻すと、豊かな胸を両腕で隠しながら、俺をジト目で見ているお姉さんの姿があった。
「いや、これは、その、」
かなり慌てて、そうだ、俺のローブを彼女に、と思いつき、白ローブを脱ごうとした俺の目の前に、ローブを差し出してくる太い腕が。
そちらに目をやると、自分のローブを脱いでこちらに背中を向け、そのままローブを差し出している先輩の姿があった。他の男子の先輩たちも全員こちらに背中を向けている。
軽く礼を言いつつローブを受け取ると、彼女から目を背けるようにしながらそれを手渡して立ち上がった。完全に忘れそうになっていたけど、まだもう一人怪我人がいるのだ。
二人目の怪我人は怪我がそれほど重くなかったこと、男性だったこともあって、緊張もせず、問題なく治療を終えることができた。
「ぶふ~っ、疲れたぁ。」
終わると同時に地面に尻をつけてへたりこんでしまった。
「お疲れ様、ありがとう、助かった。」
「抜群のタイミングの巡回診察だったよな。」
巡回診察って、ああ、そういうことか。白ローブで使用中の練習場に入るってことは、怪我人がいれば治療しますよ、って意味になるのか。手を振ってくれる人が多かったのも、ご苦労様って意味だったのかも。
「その腕で一回生で初級? よっぽど子供の時から鍛えられているのか?」
「いや、まだ免許もらったばかりの初心者ですよ。」
まださっき習い始めたばかりだから!
「それにしては落ち着いた対応だったよな。」
「母親が治癒師で救急現場に立ち会うことも多かったので、見様見真似です。」
「治癒師の一族か、それなら納得だ。」
一族っていうほどじゃないです。
「あ、初級の治療ですので、あとで一応しっかりした先生にも見てもらってください。」
「了解した。」
「特にお姉さん、スカートまで焼け焦げてましたし、下半身もやけどしてました。一応回復魔法はかけましたけど、怪我の状態は見てませんので。」
しまった、これじゃ治療したくないみたいに聞こえる?
「あ、必要なら、今からでも下半身もちゃんと見て治療しますけど!」
「それは遠慮しとくわ。パンツまでむしり取られたらたまらないもの。」
いや、パンツまでは、まて、状況によってはあるのか!?
「ほんと、胸の先の方まで触ってきた時はどうしてやろうかと思ったわよ?」
え? え? それは?
「冗談だってば。治してくれてありがとうね。」
そういうとお姉さんは笑って俺のあたまを数回はたいた。
「あ~あ、制服買いなおさないとなぁ。しばらく金欠になるぜ。」
「私も。胸廻りがきつくなって新調したばかりだったのに、参っちゃう。」
咄嗟の対応だったけど、無事になんとかなったようだ。