3-32. 個人練習
時空術の授業後、個人練習でも『現代主要魔法便覧』に書かれた魔法を順番におさらいしていく。
それなりに何度も練習してきたので使い慣れてはいないものの、たくさんある魔法の半分ほどは使えるようになってきている感じだ。状況に合わせて即座に最適なものを選べるようになって初めて、本当の意味で使えるようになったと言えるんだけど、魔法の数が多すぎて、とてもじゃないけどそこまでは辿り着けていない。
何より幻影術がまったく使いこなせそうにない。呪術はそれなりに使えそうなのだけれど、幻影術は駄目だ。幻影魔法そのものは簡単に発動できるのだけれど、見せたいものを心に思い描く、そこが全然うまく出来ないのだ。
例えば幻影術のサオリ先生がやっていたように他人に化ける、自分の幻影を出して分身したように見せかける、相手の家族や大切な人を出して心を惑わせる、そのためには人間を写実的に形にしなければならないのだけれど、それが非常に難しいのだ。
相手の心を支配して幻影を見せる方法だと、相手の心が勝手に補完してくれるのでそこまでこだわらなくてもいいそうだけれど、魔力に色や形を与える方法だと現実と違うものは簡単に見分けがついてしまう。
色や形だけでも激しく困難なのに、そこに本物らしい動きを加えるとなると、もうどうにもならない。少しでも雑念が入るとそれが形になってしまうのも、難しさに拍車をかけているのだ。
俺が幻影魔法を使うと、常時行っている魔力循環ごっこの心象風景が必ず出てきてしまうので、まずはそれを隠すことに力を注ぐところから始める必要がある。その上で分身を作り、そして分身を動かす。それを戦闘中にやろうというのだから、その難易度の高さも想像できるだろう。
うん、わかった。これ無理だ。
何も焦る必要はないのにちょっと急ぎ過ぎた。ゆっくり確実にモノにしていこう。少し休憩をとってお弁当を食べることにする。
いきなり分身しようなんて難しすぎたんだ。最初にやるべきことは、幻影術を常時使って『何も見せない』こと。それに加えて難しい形じゃなくて単純な丸い玉で良いので、それを自由に飛び回らせることだ。
何も見せないだけなのに実際にやってみると難しく、非常に高い集中力が必要だ。そこに追加で丸い玉を浮かべようとすると、どうしてもどこかが破綻してしまう。
ならば最初は見せないだけ、これだけに絞って慣れていこう。
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それとほぼ同じ時間帯、仲間たちは貸し切りの武技練習場に集まって、手をつないで相互魔力循環の練習をしていた。
表面魔力を自由に操る奥義を手に入れる鍵は魔力制御にある、それは全員の意見の一致するところでもある。そして魔力制御を効率よく鍛えるには、お互いが手を取り合って相互に魔力循環を行うことが不可欠なのだ。
実際問題として、マコトはそれを実践することで、今では二人で手をつないで超加速を駆使して空を走り回ることが出来るようになっている。それに魔力をしっかり鍛えているアキコとハルコもまた、表面魔力の奥義に目覚めているのだ。
もしもこのまま放っておくと、奥義を得た四人にどんどん引き離され、ついには追いつけなくなってしまう。それは確かだけれど、レベルは十分に上がっているし、ここで抜けても何も問題ないはずだ。
それなのに、いったいこの焦燥感はどこから来るのだろう。なぜこんなに強い切迫感があるのだろう。
「ああ、もうこれ、痛いし厳しすぎる!」
「ちょっと魔力を流されるだけでピリピリするよね。」
「魔力を鍛えるための魔力が無いという……」
先を走っているマコトとアキコ、ハルコにわざわざ時間を取って貰い、交代で相互魔力循環を行っているのだけれど、そんな簡単には上達するはずもない。
「やっぱりエイタも引き込まないと厳しいわね。」
「でも、それって鬼ごっこのアレを受けるってことだよね? あんなの受けてたら死んじゃうよ?」
マコトはエイタにはもっと穏やかな魔力循環が出来ることを知っているが、それを口に出すことはない。超加速なしだと一人一時間で合計八時間の作業になってしまい、エイタはそれ以外に何もできなくなってしまうのだ。超加速の魔力循環が出来ること、それがエイタの挙げた条件だ。
「アレって確かにすごく痛いけど、アレの後だと魔力の流れがかなり良くなるんだよね。」
「悔しいけどその通りだ。」
「ああいう一撃を受けるのも良い手かも知れないのね、気は進まないけど。」
強い魔力を流せば魔力は流れやすくなる。その状態で魔力循環を行えば、普通よりも魔力は成長しやすくなるのだ。
「もっと強いのにしてって、エーたんに頼んでみようか?」
「待てっ! それは待ってくれっ!」
そんなことをされては足腰が立たなくなって、この練習場で一夜を明かすことになってしまうじゃないか。
「それなら全員じゃなくて、半分づつにすればいけるかな?」
「いやいやいや、それも遠慮しますよ?」
あの魔力循環は効果が高いかも知れない。そして一瞬のことかも知れないが、この世のものとは思えないような苦痛なのだ。それがさらに強くなるなど、想像するだけでも恐ろしい。
「遠慮なんていらないよ、仲間同士じゃないかっ!」
その時、練習場に声が響き渡った。
みんなが一斉にその声の方向に顔を向ける。その視線の先には、空からゆっくりと何者かが降りて来る姿があった。
全員の顔に緊張が走る。
恐怖の大王だ。恐怖の大王が降りてきたのだ。
「げっ! エイタっ?」
「威力は十倍くらいで良いかな? それとも百倍くらい?」
練習場が阿鼻叫喚の地獄に変わる。
「お願い、お願い、助けてっ!」
「イヤーッ、やめてぇ。」
……………………。
…………。
切りの良いところで個人練習を終えて空からみんなの様子を見てみると、何やら丁度良いことに俺の魔力循環を求めている。そう思って降りてきたのだけれど、どうやら勘違いだったかも知れない。
「マコちゃんは百倍以上を耐えたんだけどねぇ。みんな根性が足りないんじゃない?」
「え? うそ? 百倍?」
「それって本当に人間かよ!」
なんと失礼な。
やる気がないなら無理する必要もないかと思ったのだけど、ボルボが一人、前に進み出てきた。彼の表情を見る限り、かなり気合が入っているようだ。
「マコトは百倍か……。ならば俺は千倍に挑戦するっ!」
その意気や良し!
まあ、マコちゃんの百倍以上っていうのは威力じゃなくて時間長だったけどね。
「ボルボ、やめとけ、死ぬ気か!」
周囲がうるさいなぁ。死ぬことはないと思うよ? 多分。保証は出来ないけど。
俺はにこやかな表情を出来るだけ崩さないようにして、ボルボに近寄り、その両肩を掴むようにして両手を置いた。
「緊張しなくていい。力を抜いて。流れる魔力に逆らおうとせず身を任せるんだ。」
「うむ、分かった。頼む。」
「任せろ。」
ボルボは俺を真正面から見据えるようにして立っている。直立不動の構えだ。
俺はそんなボルボの左肩から右肩に向けて、できるだけ全身を巡るように魔力を流し込む。まずは鬼ごっこの時の半分くらいの強さで行くか。
「うぐっ……ぐっ…………。」
「ただ受けるだけじゃ駄目だ、自分でも魔力循環だ!」
「うぬぬ…………。」
ボルボがしっかり耐えているのを見て俺は超加速状態に入り、五倍、十倍と、どんどん魔力の威力を上げていく。ボルボはそれでも耐えている。
まだまだ行けそうだ、二十倍、三十倍……、五十倍……、そして百倍へ。さすがに自力での魔力循環は止まっているが、ボルボはまったく叫び声を上げることなく、こちらを見据えたまま、直立不動の姿勢でしっかりと耐えている。
「やるな、ボルボ。これで百倍だ。それじゃ千倍まで上げるぞ?」
声を掛けては見たが、ボルボには返事をする余裕もないようだ。この様子だとあまり長くは持たないかも知れない。俺は少しペースを上げて、それまでよりも素早く三百倍、五百倍、そして千倍へと魔力循環の威力を上げた。
「よし、これが千倍だ。」
千倍の威力だと言うのに、ボルボは表情一つ変えずに耐えきった。素晴らしい、なんという気合と根性だ。
「これで終わりだ、よく頑張ったな!」
俺は魔力循環を止めて両手を肩から話すと、彼の肩をポンっと叩いた。
ズドンッ!
「なっ?」
ボルボは直立して固まったまま受け身も取らずに、大きな音を立てて仰向けに倒れてしまった。
目を開けたまま気絶していたのか?
<キャッキャッキャッ! ざこだ~。>
俺はすぐさま目を開けたままのボルボの横でしゃがみこんで回復魔法をかけた。うん、ちゃんと生きている。息はしているし、脈も正常だ。
振り返ってみんなの方を見ると、仲間たちもボルボと同じように目を大きく見開いたまま固まっている。
「次、誰が挑戦する?」
俺がにこっと笑いかけた途端に硬直が一斉に溶け、みんなは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「や、やめろ、やめてくれ~。」
彼らの阿鼻叫喚の地獄はまだまだ続く。