3-31. 人気の理由
午前中の座学が終わりみんなで食堂に行くと、昨日よりもさらに生徒の人数が減っていた。
「どうしたんだろう、何かあったっけ?」
「足切りが迫っているから、全力で追い込みかけてるのかな?」
規定レベルに到達したかどうかの期限が迫っている。
お尻に火がついているから、授業を欠席して朝から晩までダンジョンに籠り始めたわけか。授業を休んで集中するなら、最初の張り紙の時からやれば良かったんじゃないのかな。ギリギリになってから休むなんて、本人は必死なんだろうけど、ねぇ。
そうなる前にちゃんとやっとけって話でしかないし、なんとも酷い話だ。
「明日までだと思ってたけど、来週の月曜日の朝まで猶予が出来たのが大きいのかな。」
「停学も来週までってショウ先生が言ってたね。」
少しだけ延長することで『学園側も最大限配慮してくれた』と錯覚させて、退学していく生徒たちの不満を散らす作戦だろうか。
「獲物放置で停学になった人もいるのかも。」
「追い込みしてるのに、停学は最悪だね。」
ダンジョンで狩った妖獣は外に持ち出さないといけない。正当な理由もなく獲物を放置したのが見つかれば停学処分だ。しかしこのところ、レベル上げに必死になるあまり、そのまま捨てていく例が散見されるらしい。絶対に放置しないようにと、担任のショウ先生から注意喚起があったのだ。
あの時は仕方が無かったからにせよ、俺たちもヤギーやウマーでやらかしているので、あまり他人のことは言えないんだよね。
ダンジョン内に獲物を放置しても、なぜか十日もすればきれいに消えてなくなってしまう。それならばなぜ獲物を回収しなければならないかというと、死骸を餌とする妖獣が集まってくるからだ。
数匹であれば問題なく倒せる妖獣であっても、十数匹、いやそれ以上に集まってくると大きな脅威になるし、死傷者も出かねない。
野外で妖獣ではない普通の獣を狩った場合、血抜きの後ですぐに内臓を抜いて処分するという。内臓の中には消化中の食物や便などが詰まっているため、非常に腐敗しやすく、そのまま放置すると肉や皮まで腐ってしまうそうだ。
おそらく魔力を持っているためだろう、妖獣の場合は内臓であってもすぐには腐敗しない。そのため血抜きをした後は内臓を抜くことなく持ち出して、ダンジョン外で解体することになっている。これも内臓をダンジョンの中に捨てることで、他の妖獣が寄って来ることを防ぐためだ。
野外であれば穴を掘って埋める、または燃やすことでなんとかなるだろう。しかしダンジョンの中ではそうはいかない。穴を掘ろうにもほとんどの場所が硬い岩だし、深い穴倉の中で大きな火を使うなんて自殺行為としか言えない。
捕まえたら終わり、倒したら終わり、もしもそうだったらどれだけ楽なことか。
ダンジョンで狩った獲物は持って出るしかないのだ。
授業にも出てきたが、その昔、獲物を持ち帰るのが嫌で、火の魔法を使って死骸を焼き尽くそうとしたグループがあったらしいが、そのグループの者は全員、死骸の燃えカスの横で眠るようにして死んでいたそうだ。
火の魔法といい、水の魔法といい、呪術は役に立ちそうに見えて、ダンジョンではほとんど何の役にも立たないんだよね。それなのに、なんであんなに人気があるんだろう。
午後の時空術の授業では、アヤノ先生相手に本に記載されているすべての呪文と魔法の再現練習、そして覚えていなかった魔法を再度見せて貰うことになった。
呪術はなにしろ魔法の数が多い。覚えきれていなかった魔法のほとんど全てが呪術だ。火の魔法、土の魔法、水の魔法、風の魔法と、魔法の種類が多いことも原因だけれどそれだけじゃなく、少しの違いで別の呪文、別の魔法になっている気がする。
たとえば神聖術の場合、やけどでも切り傷でも、どんな怪我を治すなら同じ呪文の同じ回復魔法で、ただ心で思い浮かべる内容が違うだけだ。それに対して呪術の場合、広がる火と焼き尽くす火、爆発する火は、全て違う呪文で違う魔法になってしまう。
神聖術の場合、思い浮かべるべき内容が複雑で多岐にわたるため、そこが難しいのだけれど、呪術では思い浮かべるべき内容は単純だ。その代わりに魔法が非常に多いうえ、それぞれの呪文が長くて複雑なのだ。
俺は最初に神聖術を知ったからそう思うのかも知れないが、本来ならば心で思い浮かべるべきところを、呪術では呪文で肩代わりしているような印象を受ける。
まあ、その分だけ呪術は簡単に発動するので、身に着けやすいのだろう。まだしっかり呪文を覚えていない俺ですら、すでにいくつかの魔法を呪文で発動することに成功しているくらいだ。
「もともと呪術は本に書かれた呪文を詠んで使うものだから、お祈りから始まった神聖術とは大きく違うわね。」
誰もが魔法を使えるようにと編み出されたのが呪術。だから呪文を正しく唱えることで、正しく魔法が発動することが重要視されている。病気や大怪我をした大切な人たちに、早く良くなってほしいと願う気持ちから始まったのが神聖術。だから呪文よりも心が大切にされるそうだ。
「呪術ってダンジョンで役に立たないのに、なんで人気があるんでしょうね。」
折角なので思っていたことを聞いてみることにした。
「確かにダンジョンでは役に立たないわね。」
田畑を水で潤すとか、土手を盛って火で固めて河川の氾濫を防ぐとか、将来すごく役に立つ魔法であることは間違いない。だけど今、ダンジョンでレベルを上げなければいけない時に優先する必要があるかと言われれば、それは違う気がするのだ。
戦争になれば話はまた違ってくるが、そのために選択しているようにも思えない。
「私が学園生の時もそうだったし、特に理由はないんじゃない? 魔法の練習にはなるから別に良いと思うけど。」
アヤノ先生にもわからないのか。
「あとは、魔法騎士の魔法とは呪術、騎士とは剣術、とかなんとか適当なことを言っていた昔の老害の影響ね。」
ああ、そういえば初代剣聖がなんかそんなことを言ったっていう昔話があった。その時代、神聖術は奇跡であって魔法扱いされていなかったとか、そんなこともどこかで聞いた気がする。
「妖獣と戦うなら、剣より槍か薙刀の方が強いんじゃないかと思いますよね。」
「そうなんだけど、持ち運ぶのが不便なのよね。」
「槍と弓の仲間もそう言ってますね。だけど使いもしない剣を持ち歩くのはもっと面倒だって。」
そうか~。初代剣聖のせいだったか。それは気づかなかった。
「でも、流れはきっと変わるわよ。いえ、もう変わり始めているわね。」
「呪術は人気が無くなる、ってことですか?」
先生は笑いながら頷いた。
「ええ。呪術無しで神聖術と時空術、五人じゃなくて十人グループ、剣と槍は半数づつ、それに弓が一人。それがこれからの基本になっていくわ。」
ええええ~っ、それって俺たちのグループのこと!?
「五人だと狩場の移動だけで荷物がいっぱいになってしまうし、何かの事故に巻き込まれた時に危ないってことで、十人グループが流行し始めているわよ? 時空術も受講者が一気に増えたしね。」
選択科目を時空術に変更したのは、うちのグループの男連中だけじゃなかったようだ。
「おかげで無駄に忙しくなっちゃって大変なのよ?」
いや、それは俺じゃなくて学園に言ってください。