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狗狼丸-KUROMARU-  作者: T.ezu
4/16

四ノ巻 慈母

「小太郎!早く、こん中に入りな!」

――おっかあ

「おっ父たちは大丈夫だ。だから絶対に出てくるんじゃないぞ」

――おっとう

「吾を楽しませよ、人間」

「その子は!その子だけはお許しを」

――小次郎!

「爆ぜよ!」

――うわあああああああ!


「うわあああああああ・・・・あっ」

 小太郎は己の絶叫で目を覚ました。母が、弟が、父が死に、最後に小太郎自身も

爆発に包まれる。あの日以来毎晩小太郎の夢に出る光景であった。

 小太郎は布団の中を見る。案の定、小水が下半身を濡らしていた。それがまたあの日の出来事を想起させた。喉元までこみ上げてきた酸味を小太郎は飲み下した。

「大事ないか?」

 小太郎は布団から顔を出した。いつの間にか来ていた銀が見下ろしていた。

「・・・ごめんなさい」

「構うな。着替えを用意してやろう」

 銀が手を叩くと奥から釣り目の女が現れた。野狐を思わせるその女はテキパキと小太郎を着替えさせ、布団を抱えて戻っていった。

 寝小便はとうに治ったはずであった。だが、このやかたに来てから小太郎が清浄なまま朝を迎えた日はない。それが情けなく、小太郎の目の奥が熱くなる。しかし泣くのはもっと情けない。小太郎は銀に見えぬよう涙を拭った。

 幼くとも男だな。銀は感心していた。だが、銀自身がこのまま小太郎の世話を続けたところで、この幼子の心の傷を癒すことはできないだろう。

 やはり、餅は餅屋か。銀はしゃがんで小太郎と目線を合わせた。

「小太郎、今日は山登りだ。しっかり朝餉あさげを食うておけ」


 都の南西、荒神山あらがみやま、銀の目指す場所はその中腹にあった。それ以上のことを知らされぬまま、小太郎は牛車の中で揺られていた。典型的な山道にもかかわらず、車輪が滑ることもなく進めていることを最初は不思議に思った。しかし、それも必定。小太郎と銀を乗せた牛車には車輪がなかった。蜘蛛を思わせる八本の脚が牛車の側面から生え、牽引する牛もなしに悪路を突き進んでいたのである。

 気味が悪いや。小太郎は心の中で呟いた。それは牛車だけでなくそれを操る銀自身のことも指していた。善き人ではあるのだろう。なにせ魔人から小太郎の命を救った恩人である。しかし、魔人に匹敵する強大な力は恐ろしくもあった。

 そんな小太郎の思いを知ってか知らずか、銀はただ道の先だけを見つめていた。


「着いたぞ」

 前を向いたまま銀が言った。小太郎が正面に向き直ると、木造の門がそびえていた。

「ここは・・・?」

翡鹿寺ひろくじだ」

 思わず漏れた呟きに銀が答えた。


 曰く、平城の時代に外つ国より渡来した高僧が建立した寺であるという。御仏みほとけの教えを広めるべく、霊験あらたかな地を求め高僧は荒神山を訪れた。

 樹々の間を抜け、高僧は草原に辿り着いた。そこにはかわせみのような新緑の毛を持つ巨大な雄鹿が鎮座していた。群れの鹿達を従えるその姿に、僧は一国を治める王の如き威容を感じたという。

 異物を排除せんと立ち上がる鹿の王に高僧は滔滔と語りかけた。それは懇願でも命乞いでもなく、経典きょうてんであった。常人が見れば気でも狂ったかと揶揄したであろう。しかし、高僧の眼に迷いはなかった。

 巨鹿は高僧を見据えたまま微動だにしなかった。日が暮れ、高僧が遂にその口を閉じた時、巨鹿はゆっくりとその頭を垂れた。

 かくして、高僧は荒神山に寺を構えるに至った。そして僧はこの国で己の第一の弟子となった者にちなんでこの寺を『翡鹿寺』と名づけたという。



「本当なんですか、その話」

「さてな」

 訝しげな目つきの小太郎に銀は言った。魔人という超常的存在が跳梁跋扈する世である。いかに不可思議なことでも有り得ないと断ずることはできぬであろう。しかし、いささか出来過ぎた話であるのも確かであった。

「気になるなら聞いてみたらどうだ」

 誰に?と問うことはせず、小太郎は銀の視線を追った。牛車から降りた彼らの下に向かってくる黒い人影があった。

 ややあって、その正体が小太郎にもわかった。法衣に身を包んだ女が2人と向き合っていた。

「銀様、お久しゅうございます」

 尼僧は深々とお辞儀をして言った。頷く銀の表情は固かった。小太郎が初めて見る銀の緊張した姿であった。

「そちらの子が?」

 尼僧は小太郎の方を見て首を傾げた。ああ、と銀が答える。尼僧はその場でしゃがんで小太郎と目線を合わせた。

「初めまして。私はゆかりと言います。あなたは?」

「小太郎、です」

 良いお名前ですね。そう言って微笑むと、ゆかりは銀に顔を向けた。

「では、参りましょうか」


 ゆかりは2人を境内の一番奥、講堂へ案内した。

「皆!銀様がいらっしゃいましたよ」

 ゆかりが講堂に向かって言うと、ガラリと障子が開いた。およそ10の幼き顔が並んでいた。

 銀様だ!銀様だ!幼子たちは口々に言って講堂から飛び出してきた。銀はフッと口元を緩めた。

「かか様、この子は?」

 子らの中でも一際背の高い少女がゆかりに尋ねる。

「銀様が連れてこられた子です。小太郎というそうですよ」

 ゆかりは柔和な笑みを浮かべて言った。

「へー、お前小太郎っていうのか」

 最も年嵩としかさの少年がゆかりと少女の間に割って入ってきた。名を長二ちょうじというこの少年は翡鹿寺に住む子らの対照的な存在であった。

「お前、蹴鞠わかるか?」

 小太郎は首をすぼめて頷いた。長二は歯を見せて笑うと、子らに向かって叫んだ。

「お前ら!蹴鞠だ、鞠持ってこい!」

 子らは講堂の奥から色とりどりの鞠を持ち寄り、庭へ飛び出した。ポカンと口を開けてそれを見る小太郎の前に、小さな手が差し出された。

「行くぞ、小太郎!」

 小太郎はまず長二の顔を見上げ、次いで銀を見た。銀は小太郎を真っすぐ見つめ、頷いた。小太郎はおずおずと振り返ると、長二の手を握った。


 銀は講堂の縁側に腰かけた。遠くでは小太郎が懸命になって鞠を蹴り上げていた。

「中々上手いではないか」

「そうですねぇ。銀様もご一緒されては?」

 独り言のつもりであった呟きに反応され、銀はばつの悪そうな顔になった。知らぬ間にゆかりが奥から戻ってきていた。

「やめておこう。子供の相手は苦手でな」

「子供が好きなのに?全く、素直じゃないお方」

 揶揄うような笑みを浮かべると、ゆかりは銀に茶を差し出した。ますます高まる気恥ずかしさを誤魔化すように、銀は茶をすすった。

「そうだ、忘れぬうちに渡しておこう」

 銀は懐から金子を取り出した。

「まあ、こんなに?」

「ああ、また厄介になる子が増えるだろうからな」

 ゆかりは静かに首を振った。

「お気になさらず。仏に仕える者として当然のことでございます」

 銀は心にチクリと指すような痛みを感じた。それに気づいているのか否かゆかりは言葉を続けた。

「せめて何かお礼をしたいのですけど・・・・」

 ならば、と銀は答える。

「私の両親の十三回忌を頼んでもよいか」

 ゆかりはハッと手を口に当てた。

「あら・・・そんな頃合いでございましたね」

 銀は深く頷いた。彼の父が魔人の刃に斃れてより、そして銀とゆかりが出会ってより12年が経過していた。


 十二年前、魔道が開き無数の魔人が都に押し寄せた。当然銀の父、兼満も陰陽師としてその迎撃に当たった。きっと帰る、という父の言葉を銀は無邪気に信じた。だが、それが今生の別れとなった。

 『上河の変』については表向き陰陽師や僧といった呪術師が魔人を撃退したことで決着したことになっている。しかし、上皇をはじめとする一部の人々はそれが偽りであることを知っていた。

 動乱が去り、戦場に立つ影はただ一つであった。その者は狗狼丸と名乗った。その後12年に渡って都を恐怖のどん底に陥れる魔人の初陣であった。

 狗狼丸は人間も魔人も区別なく全てを喰らった。兼満もまた例外ではなかった。銀の父は骨の一欠けらすら残さずこの世を去った。

 深い悲しみが銀の心を襲った。しかし、悲しみに暮れてばかりもいられなかった。彼以上に心を病んだ者がいたのだ。銀の母・葛子くずこである。最愛の夫を喪った葛子はみるみるうちに衰弱していった。銀は少年ながらに母の心を守らんと尽力した。だがしかし、当の本人に生きる意思がなくては如何ともしがたい。三月みつきも経たぬうちに女は夫の下へ旅立つこととなった。

 最早涙は枯れ果てた。銀の心にあったのは魔人への滾る怒りばかりであった。皮肉なことに、この怒りが銀の呪術師としての才を開花させた。都とその近辺に出現した魔人を銀はひたすらに狩り続けた。有力な呪術師は大半が『上河の変』によって人界を去っており、銀の邪魔をする者は誰一人としていなかった。

 当時が銀の暗黒期であったことは間違いない。だが、ただひたすらに戦いに明け暮れた日々が彼の呪術師としての才を開花させた。銀は力を得、そして酔い痴れた。『慧の魔人』と称される吽鞍行ぐあんこうを苛烈な拷問にかけ、あらゆる魔人の真名を聞き出したのもこの頃である。親友である維親にすら真実は告げていない。魔人の真名が書かれた古の書などという如何にも都合の良い品をでっちあげてでも隠そうとしていた。

 しかし、たとえ行為者である銀の心がいかに荒んでいようと、魔人を調伏することは結果として人を救うことになる。故に銀はますます魔人との戦いに没頭した、人々の感謝を錦の御旗として。

 その日、銀は魔人の気配を感じて取って荒神山に赴いた。鋏のついた四本の腕を持つ亞昆あこんという名の魔人がそこにいた。銀の杖術とも対等に渡り合う強敵であったが、銀は敢えて亞昆の鋏の前に身を投げ出し、真意を測りかねた魔人の動きが寸の間止まった隙をつき、撃破した。敗北を認めた魔人を、しかし銀はそう易々と魔界に還すつもりはなかった。四本の腕を引きちぎり、達磨のようになった亞昆を破邪の結界に閉じ込め、身を焦がす苦しみに悶える魔人の姿を満足げな表情を作って見つめた。両親が死んでから幾度となく繰り返してきた光景であった。

「お止めなさい!」

 だが、魔人と彼の間に割って入る女が現れた。女は法衣の下から数珠を取り出し、衰弱しきった亞昆を魔界へと送還した。銀はフンと鼻を鳴らした。

「僧とは難儀なものだな。魔人すら救わねばならぬとは」

 銀は退屈そうに言った。だが、女は確固たる決意を秘めた表情で首を振った。

「私が救ったのはあなたです」

 銀は怪訝な顔で女を見た。女は足を踏み出し、銀との距離を詰めた。銀は無意識のうちに後ずさりしていた。

「何故、泣いているのですか?」

 銀は咄嗟に己の眼に触れた。しかし一滴の涙も感じられない。

「そなたは何を言っている」

 銀は最早敵意に満ちた視線を送っていた。だが、女は怯まずにさらに近寄ってくる。

「怒りの底には苦しみが、苦しみの底には悲しみが」

 女はスッと銀の頬に手を当てた。先ほどまでとは異なり、慈愛に満ちた表情であった。

「とても、辛かったのですね」 

 今度は触れずとも判る、銀の頬を一筋の涙が伝った。銀は女の胸に顔を埋めて泣いた。喪った母の温もりを感じていた。


 当時のことを思い出すと今でも顔が熱くなる。あの後暫くの間、銀はゆかりに亡き母の面影を感じて無邪気に慕っていた。しかし、今はゆかりと母は全く似ていないと悟っている。それはつまり、己が抱く感情の正体を正確に把握してしまったということであり、却ってゆかりと面と向かって話しづらくなってしまった。

「銀様?どうかされましたか」

 今のゆかりの声が銀を思索の世界から呼び戻す。

「いや、大したことではない」

「もしかして、お疲れなのでは?近頃魔人の数が増えていると聞いておりますし」

 ゆかりは銀を気遣いつつも不安げに子らを見た。銀は努めて明るい声を出した。

「心配するな。この寺の結界は盤石だ」

 事実、銀にとっては渾身の一作とも言える出来である。銀自身の屋敷を守るものよりも、それどころか大っぴらには言えないが都を守るものよりも強力な結界を構築していた。

「ええ、勿論信じておりますよ」

 ゆかりは微笑みを浮かべた。それに、と銀は声を潜めて言った。

「いざとなれば私の真名を」

 ゆかりは表情を引き締めて頷いた。本人を除けば現世で三人しかいない銀の真名を知る者、そのうちの一人がゆかりであった。

 その刹那、何者かの気配を感じて銀は振り返った。

何奴なにやつ!姿を見せよ!」

 魔人ではない。しかし、ゆかりや子らに害をなす者であれば排除しなければならない。そう思い、銀が身構えていると見覚えのある髭面が物陰から現れた。

「維親、何をしている」

「ははは、参ったのう」

 総身からドッと力が抜けるのを銀は感じた。取り敢えず敵ではない、しかし何故ここにいるのかは問い質さなくてはならない。銀は維親に詰め寄った。

「何をしに・・・いや、寧ろなぜここがわかった?」

「うむ、宮中で噂になっておったのだ」

 噂?と聞き返し銀は眉を顰めた。

「中将が荒神山に足繫く通っている、女人にょにんでも囲っているのではないかという噂だ。まさかと思ったが友の思い人とあらば興味が湧いてな」

 垣間見でもしようと思ったのだ、そう言い切る前に銀が遮った。

「下らぬことを言うな!」

 だが、慌てたような口調が却って維親に確信を与えてしまった。そうかそうか、と笑みを浮かべる維親であったが、内心では銀に同情していた。相手が仏門に入っていてはよしんば思いが通じ合っていようと如何ともしがたい。それでも人によっては無理を押し通す者もいるだろうが、真面目な銀にできる所業ではない。だが、それでも通常は正妻を娶った上でこのように思い人の下へ通うものである。余程彼の女人に入れ込んでおるのだな、と維親は思う。銀の年齢で妻を娶らないのは常々疑問であったが、その裏にこれほど強い思いがあったとは予想だにしていなかった。

「全く、面白き男よ」

 銀は一層眉を潜めた。維親が口を開く前に、ゆかりが銀を呼んだ。

「銀様、お話が」

 銀と維親はゆかりの下に向かった。なんだ、と問う前に銀はゆかりの隣にいる小太郎に気づく。

「小太郎」

 そう言って銀はしゃがんだ。

「楽しかったか?」

 小太郎は頷いた。

「ここは、そなたの家になるか?」

  小太郎は何度も頷く。そうか、と銀は言って小太郎の頭を撫でた。そしてゆかりを見上げて言った。

「ゆかり殿、よろしく頼む」

「ええ、勿論」

 笑みを浮かべるゆかりに、長二が呼びかけた。

「かか様ー、お腹空いたー」

「はいはい、では昼餉にしましょう。銀様もいかがですか」

 ああ、と銀は頷く。

「ええと、きっと維親様ですよね。いかがでしょう、ご一緒なさりませんか」

「う、うむ。かたじけない」

 ゆかりと、そして子らと連れだって歩く銀の後姿を維親は見つめた。先ほどまで抱いていた同情心は消えていた。そうか、これがお前さんの家族なのだな。

「維親、何をしている」

 おう、すまぬな。維親はそう答え、友の下へ向かった。


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