Quest8 不退転
そこには俺たちが最も恐れた姿があった。俺はその名を呟く。
「狗狼丸・・・」
最強の魔人を前にして、稔如はそれでも恐れることはない。
「愚かな!魔人と化して多少身体能力が向上したところで、この破邪の剣を手にした以上は寧ろいいカモじゃ!」
兼盛、いや、狗狼丸は静かに言った。
「数刻前の自我を失った私であればそうであったろう。だが、心・技・体全てを備えた今の私に同じ言葉吐けるか、試してみるがいい」
言うなり、狗狼丸は音もなく稔如の真正面に迫った。稔如はすぐさま刃を振るい、それを、狗狼丸が受け止めた。
「なんと・・・」
「かつて高僧であった頃のそなたならいざ知らず、心まで魔人と化して今となってはその剣の力を完全に引き出すことはできん」
はじめて稔如の余裕が崩れた。冷や汗をかきつつ狗狼丸を見る。だが、そこでシューシューと水が蒸発するような音を聞きつけ、再びほくそ笑んだ。
「やはり」
見ると、狗狼丸の刀が、破邪五輪剣との接触面から融解し始めていた。
「阿弥陀衆に感謝せねばな」
稔如は意地悪く言った。しかし、狗狼丸の目に宿る闘志は衰えることを知らない。
「たとえ今その力が私に牙を向いたとしても、かように優れた呪具を生み出した我が弟子を私は誇りに思う」
一閃。
「今度は私があの者たちの忠義に報いる番だ!」
狗狼丸は吼えた。刃と刃がぶつかり合い、火花が散った。目にも止まらぬスピードで二人は相手を打ち滅ぼさんと力の限りを尽くした。
永遠に続くかと思えた剣戟にも終わりの時が来た。果たしてどちらが仕掛けたのか解らない。確かなのは、二人の武器が宙を舞っているということだ。稔如と狗狼丸はほとんど同じタイミングで飛び上がった。先に己が武器を取り戻した方が勝つ。そう思った。
だが、狗狼丸は自身の刀ではなく破邪五輪剣を掴み、強烈な突きを繰り出した。虹色の光が稔如を貫いた。いや、ただ貫いただけじゃない。何かを引きずり出し、地面に叩き伏せた。
狗狼丸は空中で稔如、いや香子の体を抱きとめ、着陸した。次の瞬間、狗狼丸は呻き声をあげて剣を取り落した。その手はまるで大やけどを負ったかのようにボロボロになっていた。
「魔人の身で破邪の力を行使した反動だ」
あくまで冷静に彼は言った。
「それよりもアレから目を離すな」
アレ?と俺が言うと、狗狼丸は少し離れた地面に倒れた者、先ほど虹色の光が香子の体から引きずり出した者を指さした。
法衣を着た老人、そう、稔如だ。
「稔如殿」
狗狼丸は稔如に近づきながら言った。
「そなたは魔道を開き、人間をこの世から消し去るといったが、それは無理だ。魔人は人間という玩具をみすみす失うようなことはせぬ」
諭すような口調だった。
「それが誤りなのだ。魔人たちも悠久の時に疲弊しきっている」
稔如は切れ切れに言った。なんて弱弱しいんだろうか。まるっきりただの老人だ。
「人が消え、然る後に魔人もまた消える。それが、それだけが救済なのだ」
滅茶苦茶言いやがる。俺は今にも掴みかかりたい気持ちでいっぱいだった。しかし、狗狼丸はただ静かに稔如を見つめていた。だがその時だった。
カーッカッカッカ。グォッフォッフォッフォ。
不気味な笑いがこだまする。まさかまだ何か隠してやがったかと稔如を見るが、どうやら奴にとっても想定外の何からしい。
「亞昆、茶舟、一体何用ぞ」
稔如が魔人たちの名を呼んだ。
「いかんいカん。堪ヱきれなんだ」
木枯らしを思わせる冷たい子が響く。
「ここにいるならば援護せよ。狗狼丸さえ滅ぼせば我らの悲願が成就するのだ。」
カーッカッカッカ!
先ほどより一際大きい笑い声だった。
「笑っている場合ではない!人間を滅ぼすという本懐を遂げる、千載一遇の機会なのだぞ!」
「稔如よ、もウよい」
熱く語りかける稔如といは対照的に、魔人の声はどこまでも冷ややかだった。稔如の額から滝のような汗が流れる。
「その男ノ申す通リだ」
首を振るばかりの稔如に代わって、狗狼丸が魔人に問うた。
「人を滅ぼす気などさらさらない。そう申すか」
「然リ」
「この男を騙していたのだな」
グォッフォッフォッフォ、という笑い声が肯定の意として返ってきた。
「なぜ!なぜ左様なことを!」
稔如はほとんど泣きそうな面持ちで叫んだ。魔人は心底楽しそうな声で言った。
「かつテ高僧と呼バれた貴様なら理解っておロう。我ラ魔人にとッて至上の快楽、それは」
「人間を、弄ぶこと・・・」
魔人たちの高笑いが山中に響き渡る。稔如はまるで木乃伊のように動かなくなってしまった。千年間ひたすらに無駄な努力をさせられていたことを思えば、精神が壊れても無理はない。
「次ハ貴様だ、狗狼丸」
狗狼丸は天を仰いだ。
「千年前の借リ、今ここで返させテもらおう」
空を暗雲が覆う。いや、暗雲に見えたそれが蠢いている。
「まさか、あれ全部魔人・・・?」
俺は呟く。それに応えるように暗雲が渦を巻き、そして地上へ一筋の奔流となって下ってきた。稔如へと流れ込み、そして!
「我は万骸、今ここに千年の雪辱を果たさん」
そびえる木々すら超える巨躯が、俺たちを見下ろしていた。




