次の婚約者様には意中のお相手がいるらしい〜白い結婚でいいなら? 私に妥協しろと?〜
お読み下さりありがとうございます。
この作品は、タイトルが破局に繋がる要素があるので念の為→すれ違いのラブストーリーです。
★誤字脱字報告。ありがとうございました。
m(ꈍᴗꈍ)m♡* ※9/12 加筆しました。
心の中の砂時計をひっくり返す。
今度の婚約者様との時を刻み始めた砂は、サラサラとゆっくり落ち始めた。
我が家の応接間で、対面のソファーから私を覗き込む新たに婚約を結んだ相手は、小さな頃に一緒に遊んだ兄の友人だ。そして、私の初恋の相手でもある。
彼は真面目な人だと思う。
だからといって、好きな女性の責任を取って私と婚約するとは――。
王宮では、いつも王女殿下の後ろを付いて歩く彼の姿を目にしている。そう、いつも頬を染め柔らかな笑顔を殿下に向けているのを私は知っている。
「白い結婚でいいなら……」
彼の言葉は、考えれば答えはすぐに出た。
――白い結婚でいいなら……結婚する?
この人は、多分一生
王女様を愛するつもりなのだわ
責任感が強いとしても、いくらなんでもこれはない。――私の気持ちはどうでもいいのね。
重い気持ちに息を吐き出すと、私はゆっくり瞼を閉じる。
彼との時を刻む砂時計の砂は、サラサラと落ち始めたはずなのに、そのか弱い音は早々に聞こえなくなっていた。
◇◇
私はセロシア。フィラルク伯爵家の長女である私は、王宮で王子妃殿下の侍女をしている。艶のある長い藤色の髪が自慢でアーモンド型の茶色の瞳はちょっと吊り目がちだが、侍女仲間からはキリッとした顔立ちが羨ましいと言われる。
そして今、私はとんでもない状況に陥っている。
我が家フィラルク伯爵家に王女殿下がやってきたのだ。
優雅にお茶を嗜む殿下を前に、私は緊張が隠せない。なぜならば、殿下はお忍びで王宮を出てきたために、直ぐに帰るということで私は部屋着のままで殿下の前にいるからだ。
どうしてこんなことになったのか?
それは昨日、王子妃殿下に頼まれた言伝を王子殿下の侍従の下へと伝えに行った帰りのこと。王子妃殿下のいる離宮へ戻るために回廊を通ると、何かがぶつかってきたのだ。そして、突然の強い衝撃に私の視界が真っ暗になった。
あとから聞いた話によると、王女殿下が護衛達とふざけていたところに私が現れたらしい。王女殿下の護衛が私にぶつかった拍子に私は飛ばされる様にして柱にぶつかり倒れたのだと聞かされた。
「セロシア様。突然邸まで押し掛けてしまってごめんなさい。今日はお休みしていると聞いたので、フィラルク伯爵家までお顔を見に来てしまいました」
金色のウエーブ掛かった髪を三つ編みにし碧い瞳を潤わせながら私の顔を覗く王女殿下は、動物に喩えるとリスのよう。彼女は庇護欲を唆るとても可愛らしい方だ。
「今日は、もともと休みの日だったのです。心配をお掛けして申し訳ございませんでした」
「そうでしたか。でも、怪我をされたと聞きましたわ。痛い想いをさせてしまってごめんなさい」
次に、王女殿下の後ろに立っている護衛の1人が謝罪の言葉を告げる。
がっしりとした体格の彼が私にぶつかったらしい。彼を相手に飛ばされて、左手首を打撲しただけで済んだのが奇跡のようだ。
「今日は、セロシア様の貴重なお姿を拝見できて嬉しいです」
「貴重な姿?でしょうか」
「えぇ。侍女服ではないだけで、セロシア様の印象が別人のようで。いつも、キリッとしていらっしゃるでしょう。可愛らしい色の装いに、髪を下ろしただけで全く印象が変わるのですね」
部屋着で褒められるなんて恥ずかしい。
王女殿下の後ろにいる二人の護衛の方にも見られてしまい。羞恥で死にそうだ。
帰り際に「次は、お祝いね!」そう明るく殿下に言われ私は首を傾げる。
お祝いとは? 何のことだろうか? 全く意味が分からなかったが聞き返すことなど出来るはずもなく、殿下を笑顔で見送った。
☆☆
次の日の夕食の席。
後ろ姿の見慣れない人物に首を傾げる。
――誰だろう? そこは私の席の隣なのに。
来客ならば仕方が無い。
今日は違う場所に座るしかないわね。
倒れた拍子に左手を怪我した事で手を上手く使えないのに、慣れない場所に座るだなんて不便だわ。
そう思っていると、レベル兄様が私を見てクスクス笑っている。
給仕に兄様の隣に席を作るように話をすれば、父様にいつもの席に座るように言われる。
――なぜ? 来客の隣に?
そう思うが、言われた通り自分の席に着く。
軽く会釈をして引かれた椅子へと腰を下ろすが、今見た顔は? 確認しようと、チラリと視線を動かせば、葡萄色の瞳と視線が重なる。
横目で私を見ている彼は……兄の友人であるシャーリック様だ。
なぜこの人がここに?
どうして後ろ姿で気が付かなかったのだろうか。このゆるふわな薄茶色と金色が混ざった髪は珍しいのに。
それに、昨日は王女殿下の護衛に彼は居なかった。仕事は、お休みだったのかしら?
「シャーリック。見知っていると思うが改めて紹介しよう。娘のセロシアだ。……セロシアも、シャーリック・ディルス公爵令息のことは覚えているな」
3つ年上の兄と彼が学院に入学するまでは、よく遊んでいたことを思い出す。
学院に入学して間もなく、二人は騎士団に入団した。その頃、私に婚約者が出来たんだ。と、言ってもその人とは婚約を解消したから元婚約者になるが。
「――セロシア、今日からシャーリックがお前の婚約者だ。半年後に結婚式を挙げるまでの間、彼は家の邸から王宮へ通うことになった。詳しくは、後でシャーリックから聞くといいだろう」
……婚約者? 家の邸から通う?
「こ、婚約者って……父様、私は婚約破棄したばかりです。それに、もう婚約はしなくてもいいと……婚約はしたくないと言いました……よね」
「言ったが。しかし、シャーリックだぞ。元々は彼と婚約するはずだったし、セロシアも大好きだっただろう? 彼なら何の問題もないじゃないか」
そんな……問題あるでしょう。
大好きだったとか、小さな頃の話をされてもね。婚約するはずだった? そんなの知らないし?
なぜ急に、こんなことになったのだろう。
それに、結婚前から一緒の邸で暮らせって? どうしてそんな事になってるの?
頭がついていかないわ。
味の分からない食事を終えると、二人で話をするように父様から言われシャーリック様と応接間へ向かうことに。
やってきたはいいが、何を話せばいいのやら。
「シア……突然驚かせたね」
「はい。驚きました。でも、大丈夫です。明日、父様と話をしますので婚約のことは忘れて下さい。申し訳ございませんでした」
「ちょっと待って。婚約は取り消さないし、俺はシアと結婚する」
私が困っているとシャーリック様は眉尻を下げ俯いて言葉を続ける。
「白い結婚でいいなら……」
そう言って、頬を染めた。
あぁ、またこの顔だわ。王女殿下の護衛中でのその表情。婚約者となる女性の前で、王女殿下のことを考えるなんて……。
――白い結婚でいいなら……結婚する?
この人は、多分一生
王女様を愛するつもりなのだわ
それに、白い結婚でいいなら? この人は何を言っているのかしら? あぁ、きっと、私の婚約がダメになったから、このあとで新しい婚約者が見つからないだろうと思っているのだろう。だから私に白い結婚で妥協しろと? いくらなんでもこれはない。友人の妹相手だというのに。
あぁ、そうか。王女殿下に言われたからか。
先日、婚約を解消したばかりの私とすぐに婚約をするなど。
婚約解消の噂は皆知っているはず。婚約を解消した理由も知れ回っているだろうに。
王女殿下の護衛中の騎士様が私にぶつかって怪我をしたことで、責任の肩代わりかなんかだろう。
「責任を取るつもりならば……お気になさらずに」
「いや、責任とかではない……俺が、貴女と婚姻したいと申し出た」
このままなら、意見も何も平行線ね。
王女殿下から言われれば何でも言うこと聞くなんて、脳内お花畑で羨ましいわ。
白い結婚ならいいってことは、2年後に離婚する考えね。
どうせ結婚する気もなかったし、2年後に離婚したとしてバツが付いたところで何も変わらない。一人目は婚約破棄で、二人目は離婚か。
「分かりました。では、私からも条件をつけますね。最低限の接触のみ受け入れます。催しでのエスコートとダンスで宜しいですね。それと、寝室は別に用意して下さい。最後になりますが、恋愛についてはお互いに介入しないこと。以上です」
「なんだ? その条件は?」
「シャーリック様が私を見下して結婚を決めたのでしょう? ですから、条件をつけたのですわ。それに、貴方には好条件でしょう」
「は? 好条件? なんだそれは? これでは、結婚とは言わないだろう」
「それならば、今回はご縁がなかったと言う事で……。私は部屋へ帰らせていただきますわ」
馬鹿にするのも大概にして欲しい。
2年間、お飾りの妻にするだけでなく、妻として普通の婚姻生活を送らせるつもりだったとは。
――すごく苛立つわ。
考えるだけ無駄なようね
次の日の朝、私はシャーリック様が家に住み始めたことをすっかり忘れて朝食を食べにダイニングの扉を開いた。
――あっ
「おはようございます」
笑顔でレベル兄様と話している彼は、またもや私の隣の席に座っているではないか。
隣に腰を下ろすのを悩みながらも、なんだか悔しい気持ちになる。
ここは私の家、私の席、どうして私が気不味い思いをしなくちゃならないの。
そう自分自身に言い聞かせ、いつもの席に腰を下ろす。
「昨夜は、よく眠れたか? リックとは応接間でどんな話をしたんだい?」
本人を目の前にして、聞いてくる?
あぁ、うちの家族はいつもこんな感じだったわ。
と、いうことは、
レベル兄様の中では、すでに彼は義兄弟ってことか。ならば、私も。
「結婚についての話をいたしましたわ」
「早いなー。結婚まで半年もあるのに?」
グラスを片手に瞳をキラキラさせて話を聞き出す兄様に、私も笑顔で対応する。
「ふふっ。半年なんて直ぐです。なので、結婚するに当たり、早々にお互いの条件を話し合っただけですわ」
「はぁー? 条件? どんな条件なんだ?」
グラスを置くと眉間にシワを寄せ食いついてくる兄に、ニヤリ顔で答える。
「シャーリック様から、白い結婚を求められたので、私からは最低限の接触だけにして欲しいとお伝えしました。あっ、それと、恋愛は自由ですので、介入しないことですわ」
「ちょ、ちょっと待て! リック、どうしてこんなことになったんだ?」
ペラペラと話す私を睨むような視線で見ていたシャーリック様は、シルバーをカチャリと置くと私の手首を掴んだ。
「シア、今夜もう一度話をしよう。君は誤解している」
「誤解? いいえ、しておりません。何を誤解していると? 白い結婚と言いましたわよね。大丈夫です、聞き間違えておりませんわ。出来れば、結婚してから2年後以降の暮らしを考えて色々と用意をして下さると助かります」
2年目以降とは離婚後だ。さすがに彼も気が付いたのだろう。手首を掴む手の力が弱まった。
その隙に、掴まれた手を払い除けると私はダイニングから出た。
よく見れば、手首が薄ら赤くなっている。私の視界がぼやけてきたのは手首が痛いからだ。どうして、こんなに痛いのだろう。
☆☆
「リック。どうしてシアは、ああなった?
白い結婚だなんて、なんでそんなことになってんだ? それに、2年後? 二人は離婚前提で結婚すると言うのか? 俺は一言もお前から聞いていなかったが、どういうことだ?」
椅子から立ち上がったレベルが眉間にシワを寄せ、シアの後ろ姿を見送った後で振り返って俺を睨む。
「昨夜、久しぶりに二人きりになったことで緊張してしまい『白い結婚でいいなら、それを貴女が望むなら、それでもいいから結婚して欲しい』と、伝えようとしたんだ。彼女には、好きな男性がいるのは見ていて知っていたからな。でも、縋るようで良くないと途中で思い『白い結婚でいいなら……』までしか言葉にならなかった」
「お前、最悪だな。シアが可哀想だ」
その後で、責任とかではなく俺がシアと婚姻したいと告げたのだが、時すでに遅しだ。
「分かってる。シアにしてみれば、婚約破棄したばかりで心が弱っている。そんなときに付け込み、俺は彼女を誰にも渡したくない一心で早急に婚約を申し出た……罰だな」
そうだ。どうして俺は自分の気持ちを伝えなかったのか。
シアは婚約破棄をしたばかりで、本当の内容も俺はレベルから聞いて知っていたのに。
それに、シアには好きな奴がいるのを知っていて、取られる前にと焦って直ぐに伯爵様に打診したのだ。
そう、彼女に好きな奴がいるから、断わられたくなくて……俺は言えなかった。臆病者だ。
「違う。シアが可哀想だと言ったのは……いや、自分で考えろ。教えてやらん」
「すまん。きちんと誤解を解くから。でないと……シアが他の男に……」
「はぁー。シアは、そんな意味で言ったんじゃないと思うぞ。もう少し、視野を広げた方がいい」
レベルに呆れられても仕方が無い。
でも、俺はもうシアを他の男に渡したくない。だから、婚姻前から伯爵家に住まわせて貰えるようにレベルにも協力してもらい、伯爵様に無理を通した。
確かに、彼女の事になると俺は周りが見えなくなる。
――視野を広げろ……か……
彼女から、昔のように大好きだと言ってもらいたい。そして俺からも、ずっと大好きだったと想いを伝えたい。
☆☆
「フィラルク嬢? 怪我をしてるのか? 私が持つよ。ほら、貸して!」
「ありがとうございます。ガダル様」
持っている書類の束をひょいと私の右腕から取ってくれたのは、王子殿下の侍従であるガダル様だ。マイヤー侯爵家の長男である彼は、第三騎士団の団長だ。
いつも優しい彼は、柔らかな微笑みを向けてくる。彼の細かい気配りは侍女達の間では大人気だ。
「ん? 今日は、何か元気がないな? 何かあったの? 相談に乗るぞ」
「元気ないですかね。大丈夫です。いつも気に掛けて下さってありがとうございます」
「そうだ。今日は良い物を持っているんだった」
ポケットに手を入れて取り出したピンク色の小袋を渡される。
「はい。開けてごらん」
「あら、可愛い!」
カラフルなドラジェだ。
「女の子は、甘い物を食べると元気になるよね。侍女の皆でどうぞ」
「皆、喜びます!ご馳走様です」
この雰囲気、肩の力が抜けるのよね。ふんわりする感じ……彼は癒しだわ。
「ふふっ」
「なんだい? 今、笑うとこだった?」
「いいえ。癒されるなー。と、思って」
「皆、そう言うけど。俺ってアニマルセラピーって感じなのかな?」
「アニマル? なるほど。ガダル様を動物に喩えるとしたら、わんコ系ですね」
「あら? セロシア様。先日は、突然お邪魔してごめんなさい。何やら、楽しそうですわね」
ガダル様と笑い合っていると、王女殿下に声を掛けられる。
その後ろには、無表情のシャーリック様が立っている。彼が視界に入ると、何となくこの場に居づらい。
「では、私はここで失礼します」
「あっ、待って」
そう言って、この場から離れようとする私の肩を掴んだのはガダル様だ。
『これは、フィラルク嬢だけのドラジェだよ。皆で食べると、君の分が無くなるかも知れないからね』
『ふふっ。ありがとうございます』
小声でそう言われ、私はその場から素早く移動する。
何故か今日は、王女殿下と彼が一緒にいるところを見たくないし、王女殿下に頬を染めている彼を見たくない。
……でも、どうしたのだろう。今見た彼の顔は無表情で顔面蒼白だったような気が――。
侍女頭に呼ばれると、昼食のあとで王子妃殿下が王子殿下と庭園にて昼のひとときを過ごされると言われる。
直ぐ様、王子妃殿下の侍女3人で厨房に菓子とお茶のセットを取りに行く。
その際、王女殿下の侍女と廊下ですれ違う。
ペコリと頭を下げて通り過ぎようとすると。
「セロシア様。先程は大変でしたね。気を落とさないで下さいね」
………? 何のことだろうか?
「先程とは? 気を落とすようなことって、何かありましたっけ?」
聞き返してみれば、彼女達に逆に尋ねられる。
「あ、あの。ソレイング卿と婚約されたと王女殿下からお聞きしましたが……先ほど、ソレイング卿が大怪我をされたのです」
ソレイング卿とは、シャーリック様だ。
彼は公爵家の次男だった為に、公爵家の持つソレイング伯爵位を賜った。
「シャーリック様が……大怪我?……ですか?」
「は、はい。今、医務室で眠っているみたいですが」
「ちょっと!セロシア、もう婚約が決まったの? 聞いてないわよ! それよりも、早く医務室に行きなさい。午後からセロシアは休みにしておくわ」
「で、でも……」
「でも、じゃないわよ!早く行きなさい」
先輩侍女にそう言われ、医務室へと向かう。
……どうしよう。彼が大怪我だなんて。何があったのかしら。さっき、やっぱり具合が悪かったのかも。
医務室の扉の前で足を止めると、私は扉を開くことが出来ずにいた。
だって、よく考えてみれば……私に報せが来なかったのだ。たまたま怪我をしたと聞いただけだった。……医務室に来る必要はなかった。そう、私は必要なかったのだ。
「戻ろう……」
仕事に戻ろうと、踵を返したところで後ろに誰か立っていたらしい「キャッ」ぶつかった瞬間倒れそうになるところだった。
「イタタタ……」
「ガ、ガダル様?……その姿は? どうされたのですか?」
包帯を巻き、骨折したかのように首から布で腕を吊るした彼の姿に驚く。
ガダル様は柔らかく微笑むと、医務室隣前のベンチへと私を誘った。
「実は、君の婚約者殿とちょっと口論になってしまってね。この有り様だ。……彼は強いね」
「口論で、怪我はしませんよ」
怪我をしていない方の手で、顔を覆って
「ふむ、確かに」などと笑い飛ばす。
「ソレイング卿と、婚約早々上手くいっていないのかい? 無理には聞かないよ。ただ、そうなら相談してほしいなーと、思ってさ」
「……上手くいっていないのではなくて。上手くいくはずがない関係なのです」
「そうか。婚約関係は、色々あるもんな。今回、どうして俺と彼が口論になったのか、フィラルク嬢には教えておくよ」
☆☆
シアが婚約を解消した?
王宮内に、その噂は広がっていた。まだ、2日しか経っていないのに俺の耳に聞こえてきたそれは、彼女が婚約者に捨てられたという内容だった。
直ぐに王城内にある騎士団の訓練場へ向かい、練習中のレベルを呼び出す。
話を聞けば、実際の原因は婚約者だった男の浮気だ。平民の女性を妊娠させていたのだ。
表向きは婚約解消としているが、実は婚約を男の有責で破棄しているとレベルが告げた。
では、なぜ?
シアは捨てられたことになっているのか?
レベルは悔しそうに言った。
「セロシアが望んだ」と。
そんなに、シアはその男を好きだったのかと問うと、レベルは首を左右に振る。
では、なぜ?
シアが悪い噂を被っているんだ?
レベルは呆れ顔で言った。
「セロシアが金に換えた」と。
「悪い。意味が分からん。分かるように説明してくれ」
侯爵家の跡取りである元婚約者の家から、フィラルク伯爵家へと多額の慰謝料と共に、この婚約が侯爵令息有責の破棄となったことの口止め料が支払われる。
だが、
口止め料を請求したのはシアだという。
侯爵家では、醜聞を広げたくなかったのだろう。シアの請求にすぐに首を縦に振った。
では、なぜシアが口止め料を請求したのかというと。
「好きな人と結婚出来ないのであれば、私は将来はこのまま結婚しなくてもいいの。だからと言って、好きな人がいる訳でもないわ。そう考えると、私にはお金が必要なのよ。貴族の娘が平民となったところで、働く能力は皆無でしょう。死ぬまで、慎ましく生きて行けるだけのお金が欲しかったの」
……らしい。
「さすが、シアだと思ったよ。想像の上を行くって感じがな。でも、両親がな。シアの考えに付いていけなくて、塞ぎ込んでる。……まぁ、シアも無理しているところもあるんだろうが」
「シアは、婚約者の事が好きだったのか」
「いいや。100%それはないな。シアは一緒に居るのが嫌で、侍女になったんだ。結婚するまでは、奴との顔合わせも催しのエスコートも王宮の仕事を理由に断る事が出来るし。元々、奴の女癖が良くないとシアも分かっていたからな。……シアは多分、他に好きな奴がいる。見てれば何となく分かるよ」
「そうか。……なぁ、レベル。俺がシアの次の婚約者に立候補してもいいか? 打診の書面を夕方には持って行く」
「おぉ。義弟になってくれるのか? 嬉しいな。リックなら、シアも喜ぶだろう」
「先触れも出さずに、急な話で申し訳ありません」
「あぁ。シャーリック、君なら構わないよ。レベルから聞いたが……。シアでいいのかい?」
「シアがいいんです。他を考えたことはありません」
「ありがとう。シアは、じゃじゃ馬だぞ」
「分かってます。絶対に幸せにする自信があります。それと、必ず振り向かせてみせます。俺の隣で笑って一生過ごさせるつもりです」
「……そのセリフ。父親じゃなくて本人に言ってやってくれ。俺が照れてしまうだろう」
その後で、シアの噂による周辺を懸念すると共に、離れていた間の空白の時間を埋めることに考慮してもらい、邸に住むことを無理矢理承諾してもらった。
「では、書類を揃えて3日後にまた来ます。婚姻までの間お世話になります、宜しくお願いします」
そうして、俺はフィラルク伯爵邸に住むことになった。
……が、シアが俺と視線を合わせようとしない。食事あとでの応接間では、どうしたということだろう。彼女からは苛立ちの声が発せられている。
次の日の朝食の席で、今にも泣き出しそうな顔をしながら笑う彼女。
彼女が居なくなった席で、レベルに問いただされる。
焦らず、これからの彼女との時間を作って行こう。そう思った。
今日から、シアと一緒に王宮へと馬車で向かいたかったが、それを告げることは出来なかった。
王女殿下に冷やかされたが、今日の朝からの落ち込みに彼女の言葉を聞く気がしない。気が沈んでいるからといって、護衛の仕事がおろそかにならぬように気を引き締め直す。
すると、目の前で、シアが柔らかく微笑んでいる光景が……。ギリリと歯を食いしばり、震える拳を抑える。
やはり、シアはあの男が好きなのだろう。
シアとあの男が一緒に会話をしている光景は何度か見たことがある。シアは、いつもふんわりした優しい笑顔で楽しそうに会話を弾ませている。
……分かっていたことだ。
……分かっていたことだが。
俺には向けられることのないシアの笑顔が、あの男に向けられていることに怒りが溢れる。
王女殿下は「悟られないよう我慢しなさい」と言った後で、二人に話し掛けた。
シアの去り際、奴がシアの肩に触れるとヒソヒソと彼女の耳元で囁く。
そして、彼女は頬を染めながらこの場から去っていった。
「あぁ、申し訳なかったね。そういえば、彼は彼女の新しい婚約者様だったかな」
鼻を鳴らしそう言った後で、俺をニヤリと見る。そして、今まで仲良く会話を弾ませていたところを邪魔されたとあざけり笑う。その、人を馬鹿にしたような物言いが、やけに癪に障る。
王女殿下が窘めるが、全く聞こえていないかのように嗤いを止めない。
「私に触れられて、彼女は何とも言わなかったね。ハハッ」
俺のことをシアの婚約者だと言った後でこの物の言い方は、あり得ないだろう。
――挑発してきたのは、奴だ。
自分の愚行を棚に上げ、シアが痴態していたとでも言うかのような言い方に、俺はブチギレると同時に思考が停止した。
プツッと、何かが切れた。
「セロシアに触るな!」
気がつくと、俺は地面に押さえつけられていて身動きを取ることが出来なくなっていた。
頭の上から聞こえる会話に俺は全身の力が抜けた。
「王女殿下。申し訳ありませんが、今の出来事は無かったことにしていただけると助かります。それと、彼と話がしたいのでお借りしても宜しいでしょうか」
「分かりました。ガダル、ソレイング卿を宜しくお願い致しますわ。話が終わったら二人共、治療室に行くように、ソレイング卿はそのまま帰るように」
足音が遠退くと、抑えつけられていた体が自由になった。
「ソレイング卿。君、強いね。多分、俺の腕一本やられたな。ボキッと言ったから」
「……申し訳ありませんでした」
「君の鎖骨も折れちゃってるよ? 大丈夫?」
「はい。大丈夫です。職務中に本当に申し訳ありませんでした」
医務室へと行き二人で治療をし終えると、誰も居なくなった医務室でガダル殿と話をした。
「先ほどは、揶揄った俺が悪かった。ごめんね。君、強そうだったから久しぶりに血が滾っちゃって。お詫びにフィラルク嬢の情報を教えるよ」
冗談だと言い、満面の笑みで俺の鎖骨が折れていない方の肩を叩く。
「シアの? 情報?」
「うん。そうだよ。だって、君達はまだ婚約したばかりだろう? 侍女達から聞いた話しか分からないけどね。君が、彼女に惚れ込んでるのは先ほど我が身を削って良く分かったけれど。君は彼女を分かっていないってことも分かったよ」
「はぁ」
シアが婚約者に捨てられたという婚約解消となった噂話に、王子妃殿下の侍女達だけは首を捻っていたらしい。
彼女達が言うには、捨てられたのではなく、捨てたのだろうという内容だった。
そのあとすぐに、噂話の真実を知ることになったらしい。
王子妃殿下がシアに問い質していたところに、王子殿下とガダル殿が居合わせてしまったのだと気不味そうな表情を浮かべる。
その為か、彼はシアを目で追うようになったと言う。
シアの視線の先、シアの表情を見ているうちに色々と分かったこともあったのだとか。
そして、俺に会ったことで、いつもお世話になっている彼女と侍女達の為に一肌脱いだのだと、ガダル殿は眉を下げて微笑んだ。
「彼女の想い人は、自分が好かれていると思っていないんだ。彼女もまた、想い人から好かれていないと思っているみたいだね」
「……。シアは……両想い……だったのか。それって、ガダル様もシアの事が好きってことですか?」
「俺? 俺はフィラルク嬢のこと大好きだよ。侍女の皆が大好きさ。でも、愛しているのは奥さんだけだからね」
「……結婚されていたのですか?」
「ハハハ。子供も4人いるよ」
そういえば、ガダル殿と会話をするのは初めてだった。たまに、シアと彼が話をしているところは、見かけていたが。金髪に碧い瞳。なぜ気が付かなかったのだろう。
――第三騎士団ガダル・マイヤー団長。
マイヤー侯爵家の次期当主となる彼は、先の戦争で負傷したことにより、療養中は王子殿下の護衛騎士として過ごしていると聞いたことがある。今は、長い髪を右肩上で一つに束ねているが、以前は短髪だったことで全く気が付かなかった。
鎮痛剤を飲まされ眠気が襲ってきたことで、一眠りして帰るかと医務室のベッドに横になる。
――シアの好きな人は……
ガダル殿でないなら一体誰なんだ?
シアは、好条件だろう? と言いながらも、俺と結婚しないとは言っていないし、嫌いだとも言われていない。
シアは、責任を取るつもりならば……と言った。そのあと、俺が白い結婚でいいならと、……そして、レベルは最悪だと言い、シアが可哀想だと言った。最低ではなくて最悪だと言ったんだ。
あぁ、そうだ。
俺は、誤解を解くからと言ったが、そうじゃ無かったのだ。
もし、彼女から白い結婚でいいなら、なんて俺が言われたら……。
俺はシアを傷つけた。
本当だな。最悪だ。
☆☆
ガダル様との会話を終えると、彼の怪我の様子を確認しに医務室の扉を開く。
顔を覗き込むと、シャーリック様の顔は少し瞼が腫れただけのようで薬が効いているのかスヤスヤと眠る姿に安堵する。
鎖骨が折れているとガダル様は言っていたが。
見れば腕にも、お腹にも痣が出来ている。初めて見る彼の筋肉質な体は痛々しい。
「私が、ガダル様を好きな訳ないじゃない。何、勘違いして喧嘩してんのよ。ボロボロじゃない」
涙が止まらない。
どうして、こんなになるまで殴り合ったのか? どうして、王女様は止めて下さらなかったのか? どうして、私がガダル様を好きだと勘違いして殴りかかったのか?
「シャーリック様には私のことなんか、関係ないじゃない。それなのに――」
「……関係ないわけ無いだろう。シア、君が好きだ。ずっと好きだった。今度こそ誰にも渡したくなくて急いで婚約を伯爵様に申し込んだんだ。だから、関係ないなんて言うな。シアを俺が幸せにするから」
寝ているはずの彼の瞼がパチリと開く。
「……えっ?……シャーリッ……今、起きて……? 私のこと? 王女殿下じゃなくて?」
「んなわけあるか。何で王女殿下が出てくるんだ?」
「だって、いつも彼女の後ろで頬を赤らめているじゃない?」
「はぁ? シアが近くにいるときは、いつも揶揄われるからだろう? 何勘違いしてんだよ」
「だって、白い結婚でいいならってシャーリックが言ったんじゃない」
「続きが恥ずかしくて言えなかったんだ。それをシアが望むなら、それでもいいから結婚してほしいと、伝えようとしたんだ。悪かったよ。俺は誤解を解くことばかりを考えていて、謝るのが遅くなってしまったが……このことでシアを傷つけてしまった。ごめん」
彼が瞼を閉じると、彼の手を優しく握る。
すると、彼の瞳が大きく開かれた。
私は、少し首を傾げると子供の頃のように茶目っ気を浮かべた表情を作る。
「シャーリックは、白い結婚でいいの?」
「……よ、良くない。子供をたくさん作る」
「シャーリックは、私だけ?」
「シアだけだ。……昔のように大好きだと言ってもらえるように、必ず幸せにするから俺と結婚してほしい」
以前、私の一人目の婚約者が決まったときに、大好きだったシャーリックへの恋に蓋をした。
諦めたと、そう思っていた。
でも、違った。
彼からのプロポーズの言葉が
嬉しくてたまらない。
「うん。ずっと貴方と一緒にいたい。ずっとシャーリックが、大好きだった」
「……まさか。俺たちって、両想いだったのか?」
「……そうみたいね」
その後、シャーリックの鎖骨が完治するまで仕事を休むことになり、彼は伯爵邸へ戻って行った。
ガダル様も、腕が完治するまで自宅にて毎日子供達と遊んでいるということだ。
そして、怪我の休み中にシャーリックは、何度かガダル様のお宅へ遊びに行ったらしい。子供達と遊んだのを切っ掛けに、自分も早く子供が欲しいと言い出した。
私はというと、結婚前に侍女を辞めることにした。ソレイング伯爵となって、まだ1年目の彼を支えて行こうと思う。その為、今後は伯爵夫人となるための勉強の日々が待っている。
――結婚してから2年後。
「ふぅー。歩くのも疲れるようになるなんて夢にも思わなかったわ」
ソレイング伯爵家の邸には広い庭園がある。一面に張ってある芝生。
ここは、子供が走って遊べる場所が必要だとシャーリックが言い、わざわざ作り直した庭だ。しかし、まだ子供は1人も生まれていない。
今は、私の散歩に使用しているだけだが、庭の周辺にたくさんベンチが置かれるようになった。臨月が近づきお腹が重くなったために、散歩中に疲れてしまうからだ。
シャーリックの仕事が休みの日に日曜大工だと言って椅子が一脚ずつ増えていく為、どうせならテーブルも作って欲しいと言ってみた。
初めて彼が作ったテーブルは、見た目と違ってしっかりしている。
次の休みに、このテーブルで一緒にお茶を飲む約束をした。
そして今、私は彼と一緒にお茶の用意をしている。
「シア。ティーポットにハーブを入れたよ。お湯を入れてもいいか?」
「ちょっと、待って。……はい。いいわよ」
ポットにお湯が注がれたところで、私は砂時計をひっくり返す。
「砂が落ちきるまで待ってね」
「あぁ、小さな幸せを待つ時間だ」
子供の頃に初めてリックから貰ったプレゼントは、今でも二人の幸せを待つ時間を刻んでくれている。
ほら、サラサラとゆっくり砂が落ち始めた。
全ての砂が落ちたとき小さな幸せがやってくる。
彼は気づいているだろうか。
二人で砂の動きを見ている時間も幸せな時を刻んでいるということを。
サラサラとゆっくり砂が下に落ち続ける。
心の中の砂時計は彼との幸せの時間をずっと刻み続けていくだろう。
誤字脱字がありましたら
申し訳ございません。
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