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(7)

「――いやあああっ!」

 オストレアは頭をかかえてしゃがみ込んだ。目をぎゅっとつぶっても、見てしまった光景は消えない。

「オストレア!」

 走り寄ってきたモラに肩を揺さぶられる。オストレアはその手をはじいて縮こまった。

「落ち着いて、オストレア」

 苦しい。怖い。友達が次々に呑まれていったあの日の惨状がよみがえり、オストレアは惑乱した。

「オストレア……!」

 バルバルス・オースはとまらない。また一人、友達が消えた。そして――。

「お母さんっ」

 自分たちを必死に集落へ追い立てていた母を、背後からバルバルス・オースが押し倒した。

「やめて、誰か助けて! お母さんがっ」

 遠ざかる。巨大な蛇に、母が引きずられていく。

「狙いが変わったわ! タキュス、タオヘン、モラとオストレアを守って!」

 残酷な記憶にソンリッサの指示が重なる。

「何だよ、すげえ力をもった総母の子だって聞いてたのに、全然役に立たねえじゃん」

「レッジェロ!」

 嫌味を言うレッジェロを叱っているのは、ラクスか。

「ちょっ……何が起きてるの?」

 上空から遠くを眺めていたウラーカのつぶやきに、バルバルス・オースの追撃を逃れた子供たちのもとへたどり着いたシュタルクが呼びかけた。

「どうした、ウラーカ!?」

「集落のバルバルス・オースが、こっちに――」

「来るぞ! 多い!」とエグルが叫ぶ。

 たくさん、と知ってオストレアはおびえるあまり吐き気を催した。

 息ができない。歌えない。

 もう嫌だ。逃げたい。こんなところにいたくない。

 母も友達も、みんなみんな――パンッと頬をはたかれ、過去と現実の境からオストレアは覚醒した。

「しっかりして、オストレア! あなたはもう何もできない幼子じゃない。戦えるの!」

 目をみはったオストレアの前で、襲いくるバルバルス・オースの首をタキュスがはねた。

「これ以上子供たちを死なせない。私たちには救う力がある」

 涙にゆがむ視界の中で、今度はタオヘンがバルバルス・オースに鉤爪を振るう。

「またそっちよ!」

 ソンリッサの警告とともに突っ込んできたバルバルス・オースは、上から投げられたエグルの槍に頭を貫かれた。 

「一人で抱えなくていいの、オストレア。あなたには私がいる。みんながいるから」

 自分をたたいたモラが両頬を優しくはさむ。見つめ合ったオストレアは唇を震わせ、きゅっと結んだ。

 仲間――自分には今、ともに立ち向かってくれる人たちがいる。

 あのときとは違う。逃げても逃げても終わらない、あの恐ろしかった時間とは違うのだ。

「いける?」

 問いかけに、こくりとうなずく。オストレアはモラの手を借りてよろよろと立ち上がった。 

「後退!」

 集落の方向からバルバルス・オースが続々と這ってくるのを見て、生き残った子供たちを誘導しつつソンリッサとシュタルクが声を張り上げる。最前線にいたカシェとイレイズ、マスィーフたちも下がり、全員が一か所にかたまった。

「何かいつもと様子が違わないか?」

 シュタルクが怪訝な表情を浮かべる。獲物が減れば今度は互いを食いあうはずなのに、バルバルス・オースは先を争うようにしてこちらを目指している。

「もしかして、だけど」

 絶命したバルバルス・オースから槍を引き抜いたエグルが、オストレアを一瞥した。

「かわいい妹の悲鳴が相当魅力的だったんじゃないかと」

 全員から注目され、オストレアはこわばった。思わず耳飾りをさわり、二つそろっているのを確かめる。

「何だそれ。バルバルス・オースに招集をかけたのかよ」

 レッジェロが鼻で嗤う。 

「かえって都合がいいわ。ここで一掃してやりましょう」とソンリッサが新たな矢をつかむ。

「オストレア、まずは単体攻撃でやってみる?」

 慣らしを提案してくれたモラに、オストレアはかぶりを振った。

「範囲唱法でモラ姉さんにあわせるわ」

 まだ鼓動は速かったが、オストレアは胸の前でこぶしをにぎった。

「そう」と微笑み、モラはソンリッサを見やった。

「『波折(なお)りの歌』を使うわ。効果を確認させて」

「了解。みんな、臨戦の態勢で待機」

 ソンリッサの言葉に、カエルラ・マールムとルボル・マールムの班員すべてが武器を構える。

 範囲唱法は訓練でどれも成功させていたが、実戦で初めて歌うオストレアに配慮して、モラは一番親和性の高い水を選んでくれたらしい。

 大丈夫。短い呼吸を深く繰り返して、オストレアはモラと視線を交えた。

「全力でいくわよ」

 特別巨大なものはいないが集団で突進してくるバルバルス・オースに子供たちがおびえて泣き騒ぐ中、モラの呼びかけとともにオストレアは歌を放った。

 最初にモラが生み出した水をオストレアが一気に広げる。二人を中心に描かれた声の波紋はすぐさま鋭利な白波に形を変え、周辺のバルバルス・オースをなぎ払った。

 一度では死ななかったものも立て続けに押し寄せる水の刃になすすべなく切り刻まれていく。むしろ即死であったほうが幸せかと思えるほど、執拗な責め苦を受けたバルバルス・オースはのたうち回り、肉片と化していった。

 攻撃の波は戻ってはこず、そのまま遠くへ流れ消えていく。ところどころに散らばった目玉や牙、鱗などの残骸がかろうじてバルバルス・オースの存在を示すのみとなった状況に、誰もが動けず、呆然とした。

「……すごいな」

 ようやく一番にぽつりと言葉を吐いたのは、シュタルクだった。

「あれだけの数を一度で、か」

 信じられないとばかりにマスィーフも頭を振る。

「オストレア!」

 成功に安堵してふらついたオストレアに、モラが慌てて支えに入る。その場にへたり込んだオストレアは弱々しく笑った。

「……腰が抜けちゃった」

「何だそれ。あんなびっくりするものを見せつけた奴の言うことかよ」

 吹き出したタオヘンの手は震えていた。興奮が抑えきれないというタオヘンに、「本当に見事だったね」とエグルも同調する。ラクスが肩をすくめて苦笑した。

「言い訳をするつもりはないけど、この破壊力はオストレアにしか出せないからね」

 通常、範囲唱法は単体攻撃を周囲に引きのばすぶん、一撃の威力が低下する。しかしオストレアの歌力は減少したものを補強しているようだとラクスは見解を述べた。決して自分たちが今まで手を抜いていたわけではないと。

「エグル、集落の様子を確認して。タオヘンは異音に注意」

 やってきたソンリッサが次の指示を出し、オストレアににこりとした。

「すばらしい歌声だったわ。それからカシェ、あなたも新人の域を超えた活躍よ」

 ねぎらうソンリッサに、近くへ寄ってきたカシェも顔をほころばせる。

「被害は甚大だが、バルバルス・オースを引きつけたおかげで生存者がいる」

 一度上空へ飛んだエグルの報告に、「では俺たちが一足先に向かおう」とシュタルクが応じた。

「まだバルバルス・オースが潜んでいる可能性があるから、みんな慎重にね」

 注意をうながすソンリッサの脇からタキュスが現れたので、オストレアはもたもたしながらも頑張ってのぼった。どうにかまたがってふうと一息ついたとき、レッジェロが舌打ちした。

「本当に鈍臭いな。見てていらいらする。こうやって乗るんだよ」

 いきなり後ろ側で手をついてレッジェロがひょいっと飛び乗る。振動と、レッジェロの頭が背中にぶつかってきたことに驚き、オストレアは体勢を崩して転落した。

「はっ、タキュスに乗るにはまだ早い――」

 嘲笑したレッジェロはタキュスに振り落とされた。人の姿になったタキュスがオストレアを抱き起こす。

「大丈夫か!?」

「オストレア、けがは?」

 モラもそばへ来る。

 自分で動こうとしたとたん、肩から腰にかけて激痛が走り、オストレアはうめいた。すぐさまモラが『癒しの歌』を唱えたので、痛みがひいていく。浅くしかできなかった呼吸がやっと楽になり、オストレアは「ありがとう、モラ姉さん。もう平気」と答えて最後に長大息をついた。

「レッジェロ、この馬鹿! こいつはお前みたいに身軽に動けないんだから、ふざけてちょっかいをかけるなっ」

 タキュスの怒鳴り声と同時に、シュタルクがレッジェロを蹴倒した。

「お前は、俺の話をまったく聞いていなかったようだな」

 深紅色の眸子に剣呑な光を浮かべ、シュタルクがレッジェロを見下ろす。

「カエルラ・マールムは安心して連携できる貴重な共闘班だ。そこに加わった新入生は俺たちにとっても大事な後輩だと思えと、何度も説いたはずだが」

 すごみのある声に、空気がピリッと張り詰める。

「お、俺……」 

「いつまでもタキュスに甘えて、見苦しい嫉妬を後輩にぶつけるな」

 蒼白しているレッジェロの胸を踏む脚に力を込め、シュタルクは「すまない。後でよく叱っておく」とオストレアに頭を下げて、班員を率いて先に出発した。

 オストレアは「乗れ」と言ってしゃがんだタキュスの背におぶさり、レッジェロをかえりみた。

 再び半馬の姿になったタキュスはレッジェロを無視している。他の仲間たちも、倒れたままのレッジェロに誰も言葉をかけなかった。

 カエルラ・マールムも移動を開始したところで、ようやくのろのろとレッジェロが上体を起こすのが見えた。一応ついてくる意志がありそうな様子にオストレアはほっとしたが、レッジェロはうつむいているので表情まではわからない。

 対面したときから何となく敵意のようなものを感じていたが、やはりレッジェロは自分のことが気に入らなかったのだ。

 きっと、これまでかまってくれていたタキュスに乗れなくなったから。

 レッジェロにとって、自分はタキュスとの間に割り込んだ邪魔者なのだ。

「あいつのことは放っておけ」

 オストレアの心の揺れを察したのかのように、タキュスが言った。

「戦闘に出た際、半馬族(おれたち)が最優先で乗せるのは同じ班で組んでいる半魚族だ」

 乗せると決めた以上、お前を邪険に扱うまねはしないと、無愛想ながらきっぱり断言するタキュスに、先日アファブレに言われたことをオストレアは思い出した。

 半馬族は責任感が強いのだろうか。

 だからレッジェロもなついたのかもしれない。どれだけ怒っても、そっけなくても、なんだかんだでタキュスは助けてくれると信じていたのだ。

 それなのに一人残されて、レッジェロは今傷ついているに違いない。

 誰からもかえりみられないのはつらい。とぼとぼと寂しく歩く姿を想って背後を見やり、オストレアはいぶかった。

「タキュス、レッジェロ先輩が来てないわ」

「一人ですねてるんじゃないか?」

 そのうちこそっと追いついてくるだろうというタキュスに、オストレアは迎えに行こうと誘った。

「少しは反省させたほうがいいと思うが」

 かまうとすぐ調子に乗るぞとタキュスが渋る。

「でも、気になるの。一人で考える時間はメソス・スコラに戻ってからでも取れるわ」

「まったく……人が好過ぎるぞ」

 一番被害を被ったのはお前だろうがとため息をつき、タキュスがきびすを返す。付き合ってくれるあたりタキュスもたいがいお人好しではないかと、オストレアはふふっと小さく笑った。

 来た道を引き返していた二人は、やがて聞こえてきた声にはっとした。誰かが抵抗しているような必死の叫びにタキュスの脚が速まる。

 まもなく前方に見えたものに、オストレアは悲鳴を吸い込んだ。

 レッジェロが頭からバルバルス・オースに食われかけていた。もう体の半分近くが吞まれつつある。

「先に吐き出させないとだめだな」

 今行けば、バルバルス・オースが反撃するために急いでレッジェロを呑み込んでしまうとタキュスが舌打ちする。もし腹に入ってもすぐに切り刻めば消化される前に助けられるが、戦う間にうっかりレッジェロのいるあたりを斬らないともかぎらない。

「バルバルス・オースの気を引けばいいのね?」

 私がやるから降ろしてと、オストレアは尻をずらした。

「どうやって?」

 タキュスが少し前脚を浮かして体を傾けたので、そのまま後ろへ滑り降りる。

 一人で前へ踏み出したオストレアに、バルバルス・オースが反応した。目があい、ぞくりと総毛立ったが、オストレアは勇気を振り絞った。ぎこちないながら微笑み、柔らかく甘やかな高音寄りの声で相手を誘う歌をつむぎはじめる。

 決して視線をそらさず、すべてを投げ打ってこちらへ来てと旋律で訴えるオストレアに、凝然としていたバルバルス・オースがゆらりと動いた。

 すでに膝までくわえ込んでいたレッジェロを吐き捨て、バルバルス・オースが這ってくる。大きさは大人の男性二人分くらいだし胴回りもそれほど太くないので、おそらくまだ若いほうだ。恐怖に足が震えたが、オストレアは懸命に歌った。

 狂気に満ちた瞳に欲情が浮かぶ。バルバルス・オースが長い舌でオストレアの胸元にあるはずのものを探ろうとしたとき、静かに横から忍び寄ったタキュスが剣を振り下ろした。

 血が飛んできそうで、オストレアは顔をそむけた。視線を外せば効果はなくなる。しかしバルバルス・オースはすでに息絶えていた。

 首が地面を転がる音に嫌悪が募る。正面でくずおれた化物の死体を見ないようにして、オストレアは後ずさった。

「レッジェロ先輩?」

 ほうけたさまで座り込んでいるレッジェロに声をかけると、唇をわななかせ、レッジェロが泣きだした。

「先輩、大丈夫ですか?」

 タキュスが周囲を警戒する中、けがをしているなら『癒しの歌』をと言って近づいたオストレアに、レッジェロは抱きついた。

「ごめん! 俺、本当……ごめん」

 一歳年上のはずなのに、泣きじゃくるレッジェロは幼い子供のようだ。

 気持ちがぐちゃぐちゃで、でも置いていかれるのは嫌だから後を追っていたところ、不意に斜め後方からバルバルス・オースが飛びかかってきたのだという。

 自分が襲われていることに誰も気づかない。仲間に見放され、このまま一人で死んでいくのかと絶望したとき、オストレアとタキュスが現れたのだ。

 居場所を奪われたみたいで悔しかったと、レッジェロは吐露した。だからつい意地悪をしてしまったと。

「半魚族だけが乗れるなんてずるいって思って……俺だってタキュスに乗りたいのに、オストレア専用だってシュタルクに言われて」

 いつかはこういう日がくるかもしれないとわかっていたが、いざそのときになると不満をぶつけずにいられなかった。途切れ途切れに答えるレッジェロの背中を、オストレアはなでた。

「そうですよね。急に変わるなんて難しいです」

 ごめんなさいとオストレアがあやまると、レッジェロはかぶりを振った。

「悪いのは俺だから」

 ごめんと謝罪してから、助けてくれてありがとうとレッジェロは涙声で言った。

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