(6)
今週中に8話まで投稿することにしました。そこから7月中はまた執筆に専念し、8月に9話からアップしようと思います。
芸術科の寮を出たオストレアは、カシェたちを捜すか図書館に行くか迷って左手へ踏み出したところで、誰かにぶつかった。小さな悲鳴とともに尻をついたのは女生徒だった。
「あっ、ごめんなさい」
打った鼻をさすりながら周囲に散った紙を拾おうとして、オストレアはかたまった。思わず相手の顔を見る。
暗赤色の長い髪に明るい灰黄色の瞳の女生徒は、タキュスが描かれた紙を慌てて回収している。
間違いない。中央校舎の陰でタキュスに話しかけていた芸術科の半馬だ。
そのとき、新たな足音が聞こえてきた。
「逃げるなよ、トレーネ。別にバルバルス・オースみたいに丸呑みしようってわけじゃないんだから」
現れたのは、くすんだ黄赤色の髪の男子生徒だった。赤いベストを着ているので戦闘科だ。
「タキュスには黙っててやるからさ。なあ?」
いやらしく嘘くさい笑みを顔にはり付けて迫ってきた男子生徒に、女生徒が紙の束を胸にかかえて縮こまる。男子生徒の目がつとオストレアに向いた。
「誰かと思ったら、カエルラ・マールムに入った一年生か」
卑しい品定めをするかのような灰青緑色の瞳に、オストレアはぞくりとした。
「遠目に見たらサルディーネに少し似ているが、あいつより断然かわいいな」
近づいてくる男子生徒に、オストレアは後ずさった。女生徒が逃げた気持ちがわかる。視線をあわせるだけで不思議なほど不快感が募り、オストレアは歯がみした。
「俺はゲファール。半馬族だ。今年プルプラ・マールムの班長になった。うちの班の噂、いろいろ耳にしてるんだろう?」
カエルラ・マールムの連中は俺たちをよく思っていないからと、ゲファールは苦々しげに吐き捨てた。
「でもあのときはああするしかなかった。誰だって同じ行動をとったはずだ」
そもそも、救援要請を出すほど苦しんでいるほうが後駆を用意するのは無理があるというゲファールの意見は、まったく賛同できないわけではなかったが、皆が問題にしているのはその点だけではない。
「……ニグレードー・マールムに対して、謝罪も感謝もなかったと聞きました」
「動揺していたんだ。俺たちも班長と副班長がやられたのに、一方的に非難されれば腹も立つ。それとも俺たちには、仲間を失った悲しみや恐怖をどこかにもっていくことさえ許されないのか?」
オストレアは黙った。ゲファールの言い分に過去を重ね、心が揺らぐ。長年やり場のない感情に苦悩してきたオストレアの葛藤を見抜いたかのように、ゲファールが口角を上げた。
「君はまだ入学したばかりだから公平に判断できるみたいだな。俺たちにはそういう生徒が必要なんだ。どうか俺たちを助けてくれないか?」
顔を寄せてくる相手に、オストレアは我に返った。
「俺の背に乗せてやる。タキュスより俺のほうがずっと優しいぞ」
おそらく無意識なのだろう、見下した言葉づかいで誘うゲファールに、拒絶の気持ちが再燃した。
「――やっ……」
のびてきた手を払いのけると逆に引っ張られた。必死に抵抗したが、ゲファールはむしろ興奮気味にますます抱きすくめてくる。
トレーネは青ざめたまま傍観している。自力で抜け出さなければならない状況にあせり、オストレアがとっさに攻撃の唱法を口にしかけたとき、ゲファールの背後から駆けてきた半馬が彼の腕をつかみひねった。
「いっ……」
「そいつを迎え入れたいなら、カエルラの班長に話を通せ」
解放されたオストレアがぱっとタキュスの後ろに回るのを待って、タキュスがゲファールの手を放す。相当強くにぎったのか、ゲファールの腕には手形が赤く残っていた。
「くそっ、偉そうに」
痛みにうめきながらゲファールがタキュスをにらみつける。
「その子の能力が高いと戦闘科長は知ってたんだろう。なんでカエルラやルボルばかりいい目を見るんだよ? お前ら、裏でやましいことでもしてるんじゃないのか!?」
ゲファールのわめきにタキュスがまなじりをつり上げた。
「下衆が」
「想像力が豊かだねえ。それとも、自分たちがそういうことを積極的にしてるのか」
タキュスが吐き捨てた言葉を、別の声が引き継いだ。悠然と歩いてくるのはエグルだ。
「まあ、もし戦闘科長が贔屓してくれているのだとしたら、単純に働き方の差だと思うよ? あの人、カエルラやルボルをめちゃくちゃこき使ってるから」
「そんなに?」
驚くオストレアに、「それはもう。オストレアも覚悟しといて」とエグルがにっこりする。班員がぶっ倒れるまで連戦させられるからと。
戦闘科長オペラツィオーネとは入学初日以来会っていない。ひんやりとした美貌に笑みを浮かべて任務指令書を積み上げていく姿を思い描き、オストレアはおののいた。
「プルプラ・マールムもこれからの頑張りしだいでは、活躍に見合った人材を優先的に回してもらえるだろう。班長の腕の見せどころだな」
嫌味と受け取ったらしく、ゲファールは舌打ちして背を向けた。
「あー、そうそう、やましいことをしている奴ならそこにもいるぞ」
腹いせとばかりにトレーネに薄笑いを投げ、ゲファールが去る。大事そうに紙の束を抱きしめていたトレーネがびくりと肩をはね上げるのを見て勘づいたのか、タキュスは金色の双眸を細めた。
「描いたものを全部処分しろ。俺は承諾した覚えはない」
「ご……ごめんなさい」
か細い声であやまり、トレーネは涙目で駆け出した。
勝手に描いたのはよくなかったかもしれないが、もう少し柔らかい言い方はできないのかと、逃げた彼女に同情していたオストレアに、「けがはないかい?」とエグルが尋ねた。
大丈夫と答えたオストレアを、タキュスがふり向いた。
「あいつは一緒じゃないのか?」
「あいつ?」
「あの芸術科の半鼢族だ」
二人でどこかへ行ったとモラに聞いたんだが、まさか寮の部屋に行ったのかと問い詰められ、オストレアは困惑した。
「ブジャルドなら、部屋で色をあわせて……そこで別れたけど」
「色あわせ? それだけか?」
タキュスは眉をひそめた。
「あいつと会うときはカシェも連れて行け。二人だけになるな」
「どうして?」
「あいつは気に入らない」
せっかくできた友達を否定され、オストレアはかっとなった。
「自分の好き嫌いを私に押し付けないでよ」
オストレアの反発に、タキュスが目をみはった。
「誰と仲良くしようが私の自由でしょ。あなたがブジャルドを嫌いでも、私は好きなの。大事な友達なんだから、口をはさまないで」
怒りかあきれか、金色の瞳が揺らいだ。それでも負けずににらみあっていると、タキュスがふいと顔をそむけた。
そのまま遠ざかるタキュスをもやつきながら見送ったオストレアは、助けてもらったお礼を忘れていたことに気づいた。
「エグル兄さん、助けてくれてありがとう。その……タキュスにも伝えてもらえる?」
うかがうように視線をやったオストレアに、エグルが微笑した。
「腹が立ってもそういうことはきちんとしようとするあたり、さすが俺たちの妹だ。でも自分で言ったほうがいい」
優しく頭をなでられ、やっぱりとオストレアは沈んだ。エグルは何でも手を貸してくれそうに見えて、意外と甘やかさないところがある。
「それにタキュスの直感はむげにしないで、忠告は頭に入れておくことを勧めるよ」
実はソンリッサもブジャルドに対しては微妙な反応をしているとエグルに教えられ、オストレアは動揺した。
「ブジャルドは悪い人ってこと?」
勘のいい半馬族がそろって不信感をいだいているなら、親しくならないほうがいいのだろうか。
「本当に危険なら、絶対に近づくなととめそうだけど。とりあえずはタキュスの言うとおり、二人きりにならないようにして様子見かな」
特にタキュスが嫌がった人物はどれだけ第一印象がよくても、後になって「ああ、こういうことか」となる場合が多いのだという。
タキュスはブジャルドに何を感じたのだろう。
昼休憩が終わる時間になったのでエグルと戦闘科舎へ向かいながら、オストレアはそのことが頭から離れなかった。
それからの十日間ほど、オストレアはブジャルドと顔をあわせることがなかった。ファルベも含め、芸術科の生徒はほとんど自室にこもって絵の制作に取り組んでいるという。
オストレアとカシェも少しでも実力をつけるべく訓練に励み、いよいよ初戦闘への参加当日を迎えた。
新入生がいるため、今回はメソス・スコラの周辺を見回る計画だったが、出発直前に変更になった。ここから比較的近い場所にある半狐族の集落から救援要請の煙が上がったのだ。
カエルラ・マールムの印である青いリンゴが刺繍された腕章をつけ、オストレアはモラとともに二つの班が集合する戦闘科舎前に行った。他の六人はすでに来ており、班全員がそろったところで、共闘するルボル・マールムの班員もやってきた。
赤いリンゴの腕章をつけた彼らと対面し、オストレアは緊張した。そばにいるカシェも直立している。
「紹介するわ。今年カエルラ・マールムに加わった半魚族のオストレアと、半避役族のカシェよ」
ソンリッサの言葉にあわせて一歩前へ出て、オストレアとカシェは「よろしくお願いします」と一礼した。
「よろしく。二人の噂はすでに耳にしている。活躍を期待しているぞ」
ルボル・マールムの班長シュタルクが凛々しい笑みで応じる。錆色の髪に深紅色の瞳の彼は、以前タキュスが砕けた表情で接していた半馬だった。
「私はウラーカ。半鳥族の四年生で副班長よ」
金茶色の短めの髪に薄茶色の瞳の女生徒は男勝りな雰囲気をしている。続けて、鞭を丸めて腰に装着している少女と赤い眼鏡をかけた少女が名乗った。
「半避役族のイレイズ、三年生です」
「半鼢族で三年生のフォセです」
くすんだ黄緑色の髪にれんが色の瞳のイレイズは落ち着いた容貌で、赤い眼鏡をかけた薄茶色の髪のフォセは口元に陽気さが表れている。
穴を掘るのに体力を消耗するせいか、他種族より空腹になりやすい半鼢族は非常食を携帯していると聞いたことがあるが、確かにフォセは赤い袋を腰にぶら下げていた。ちなみにタオヘンは今日、青い袋を持っている。
次に進み出たのは四人の男子生徒だった。
「僕はラクス。半魚族の三年生だ。よろしく」
「同じく三年生のレントゥス。半犬族です」
ラクスは唯一面識がある生徒で、黒髪に濃黄色の瞳のレントゥスは長剣を装備している。ほがらかなラクスとは真逆でレントゥスは無口そうな感じだった。
「はい! 俺はレッジェロ。半猿族の二年生です!」
いかにもお調子者ふうなレッジェロが手を挙げる。母と同じ半猿族と知って興味をもったオストレアは彼と目があい、とまどった。暗黄緑色の双眸は好奇心の中にかすかな棘をちらつかせていたのだ。
「俺はソリド。半熊族の二年生で、マスィーフ兄さんの弟です。よろしく」
最後に茶褐色の髪に暗緑色の瞳の少年が自己紹介をする。顔合わせがすみ、二つの班はさっそく行動を開始した。
偵察を兼ねて、先にイレイズとカシェが発つ。半避役族も半魚族ほどではないにしても足が遅く、その代わりに短い距離の瞬間移動を繰り返して進む能力があるという。前夜に聞いたときオストレアは驚きうらやましがったが、疲れるとできなくなるので、たぶん帰りは誰かに乗せてもらうことになるとカシェは苦笑していた。
半鼢族の二人も土中に姿を消すのを眺めていたオストレアは、タキュスに呼ばれた。今日のタキュスは剣を二本所持している。
「俺の手に足をかけて乗れ」
少し体を傾けたタキュスがてのひらを上に向ける。いちいち人の姿になって背負っていては戦闘中の移動で遅れをとるので、さっと乗り降りできるように慣れろと言われ、確かにとオストレアは生唾を飲み込んだ。
気合を入れ、いざと左足を置いたが、馬体は高くてうまく上がれない。力むあまり顔を真っ赤にしながらどうにかこうにかよじのぼったものの、ずいぶん時間がかかってしまった。
見ると皆の視線が集中している。みっともないまたがり方をがっつり観察されていたと知り、オストレアはますます赤面した。
「格好悪ぃ」
ぷっとレッジェロが吹き出す。明らかに馬鹿にした口調にオストレアは傷ついた。同時に、やはり小さな敵意を感じて首をかしげる。
自分は彼に何かしただろうか。一人だけ態度が違うレッジェロにへこみかけたオストレアに、タキュスが言った。
「ちゃんと捕まっておかないと落ちるぞ」
「う、うん」
そっとタキュスに抱き着くと、引き締まったかたい感触がした。半馬族はたいてい素肌の上にベストを着ている。ソンリッサでさえベストの下は胸当てだけだ。
入学時はそれどころではなかったから気づかなかった。マスィーフより細身でも、タキュスはかなりたくましい体つきだったのだ。
「うわー、オストレア照れてる。そうだよなあ、タキュスに自分から『大好きー』ってしがみつくなんて、普通ははしたなくてできないよな」
にやにやするレッジェロに、オストレアは慌てた。
「大好きなんて言ってないわ」
「レッジェロ、黙れ」
タキュスもレッジェロをにらむ。
「単なる移動手段だ。変なからかいをするな」
「えー? そのわりには今まで女の子を乗せなかったじゃないか」
レッジェロが口をとがらせる。
「うるさいわよ、レッジェロ。置いていかれたいの?」
注意したのは副班長のウラーカだった。不満げながらもレッジェロが少し距離をとり、ようやく出発となった。
「緊急事態の場合は担ぎ上げる。乱暴でも文句を言うなよ」
完全に足手まといになりそうな予感に、オストレアも素直に「はい」と返事をした。タオヘンとフォセは地中から目的地へ進んでいるらしい。バルバルス・オースは地面に潜んでいることもあるので、二人が穴を掘っていけば早期発見にもつながる。
また頭上高く飛ぶのはエグルとウラーカだ。俯瞰により地上を駆ける残りの班員たちの周辺確認が可能になるため、その存在はありがたかった。
タキュスの走り方は入学初日より丁寧だった。もしかしたら不慣れな自分にかなり配慮しているのではと気づき、オストレアはきゅっと唇を結んだ。
「この間は助けてくれてありがとう」
即答はなかった。内心ではまだ怒っているのかもしれないと思っていたら、タキュスがぼそりと応じた。
「戦闘科は半魚族の役割が大きいから、どこも欲しがっているんだ。もし強引に引き込まれそうになっても、班長を通せと突っぱねろ」
たとえオストレア自身が希望しても、基本的には所属する班の班長が許可しないかぎり移籍できないという。それを聞いてオストレアは安心した。ソンリッサは自分の意向を無視して放出するようなまねはきっとしない。
「……タキュスはブジャルドのどこが気に入らないの?」
ついでに知りたかったことを尋ねると、タキュスはまたしばらく沈黙した。
「お前が何の引っかかりもなく付き合えるなら、俺が口出しすることじゃない」
やはり根に持っているようだ。自分の直感に絶対的な自信があるのに逆らわれて、気分を害しているのだ。
「故郷では仲良くしてくれたのはモラ姉さんくらいだったから、できれば友達は疑いたくないの」
「……お前、問題児だったのか?」
タキュスの声音に驚きの色が混ざる。初めて自分の勘が外れたのかと動揺しているようだ。
「失礼ね。あなたほどひどくないわ」
「その発言は失礼とは言わないのか」
今度は小さく笑う気配がした。
「総母はよそ者だもの。しかもバルバルス・オースに捕まって、その子供を増やしているかもしれないのよ」
嫌われて当然だわ、とオストレアはつぶやいた。
憩いの噴水池から逃げ出したのも、自分のことが悪いほうに噂されていたからだ。事件が起きても態度を変えなかったのは、モラとモラの家族だけだった。総母だった母と、母を失った自分にあたたかく接してくれたのは――。
「モラが心配していた。憩いの噴水池に連れていったのはまずかったと」
母について、タキュスがあえて追及しないようにしているのが感じられ、オストレアの鼻先がうずいた。好き嫌いが激しくて無愛想なのに、妙なところで気づかいができるのだなと。
「頼んだのは私だから、モラ姉さんは悪くないわ」
おかげで今後の行動に注意を払うことができそうで、かえってよかった。ここでも友達はできにくいかもしれないのは残念だけれど。
そのとき、悲鳴が聞こえてきた。まだ少し遠いが、子供のようだ。
「半狐族の集落から子供が数人脱出してこちらへ向かっている。バルバルス・オースが来るぞ!」
空からエグルの警告が届く。
「降りる準備をしろ」
タキュスの指示にオストレアは緊張した。ここからはタキュスは前線で戦うため、行動は別々になる。
まもなく小道を走ってくる複数の足音と這い迫る大きな音、そして鞭を振るう音が響いた。
カシェとイレイズが戦闘に入っている。少しばかり雑に背から降ろされたオストレアの眼前で、エグルとウラーカも参戦する中、大型の蛇に追われていた子供が転び――ばくりと食われた。