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(4)

 髪の毛一つ残さずきれいに吞み込んでから、ペウゲインはげっぷをした。

 ここは楽園だ。素性調査もおこなわれることなく入学が許されるとは、正直思わなかった。もし門前でばれれば、その場にいる新入生たちをすべて食いつくす気構えで赴いたというのに。

 先日のよく肥えた半魚は、腹は満たされたがあまりうまくなかった。

 今日の獲物は悪くない。このくらいの肉付きのものを狙えばよさそうだ。

 どうせなら見目もよいほうがいい。本来は堪能できるはずの悲鳴を響かせるわけにいかないので、せめて目で楽しみたい。

 あとは――総母だ。匂いたつリンゴの香りに、体がうずいてたまらない。しかしあの総母は一人になることがない。

 他にいないのか。魅惑的な『始まりの母(オムニス・マーテル)』は。

 姿が変わってしまう前に、食らって食らって食らいまくり、最後は伴侶を連れて去る幸せな未来に、ペウゲインは酔いしれた。



 昼休憩の時間、オストレアは待ち合わせ場所へ急いだ。歩行にはだんだん慣れてきたものの、やはり走るのは難しい。駆け出そうとするとよろめくかつまずいてしまうのだ。

 何気なく中央校舎のほうを見やれば、陽光の差し込み具合がとても美しい花壇に囲まれた場所で、ジェローシアが豪奢な白椅子に腰かけていた。彼女を前にせっせとペンを動かしているのは女生徒のようなかわいらしい顔立ちの生徒だが、たしか取り巻きにいたので男子生徒だろう。白色のふんわりくるくる丸まった髪は半羊(オウィス)族によく見られる特徴だ。

「やっぱり今年もフリュールが描くのね」

「そりゃあそうでしょ。去年最優秀賞を取ったんだから」

 周囲のひそひそ話には幾分棘が感じられた。容姿も才能も優れている男子生徒が、総母であることをひけらかしているジェローシアに付き従っているのが気に入らないようだ。彼の雰囲気からして自分から積極的に女の子を誘うようには見えないので、ジェローシアに強引に連れ回されているのではと疑う声もある。

 オストレアも、取り巻きの中ではフリュールが一番弱く、また他の取り巻きからも見下されている気がした。ここ数日目にしただけでも、ジェローシアの理不尽な言葉に翻弄され、下僕のように使われているのはフリュールだ。

 それでも取り巻きから降ろされないのは、フリュールの描く絵がジェローシアの虚栄心を満たすからだろう。彼女は本当に目立つのが好きらしい。

 まもなくオストレアは、中央校舎側に設置された長椅子に座っているカシェとファルベを見つけた。二人も気づいて手を振る。

 最初に依頼されたとき、カシェは断っていた。課題の内容にとまどい、「もっと華やかな外見の人にしたほうがいいよ」と遠慮したのだ。しかし他に知り合いのいないファルベは必死に頼み込み、カシェも渋々承知した。ただ、一人でじっとしているのは恥ずかしいのでオストレアもそばにいてほしいと、今度はオストレアがカシェにすがりつかれた。二人が話している間にファルベがカシェを写生する形で話がまとまり、今日がその初日というわけだ。

「お待たせ」とカシェの隣に座ったものの、別に自分がいなくても大丈夫なのではないかとオストレアは思った。遠目に見た二人はずいぶん仲良くしゃべっていたから。

 ではさっそくとファルベがペンを取り、カシェの顔つきがやや緊張したものに変わる。「カシェ、自然体でね」と注文をつけるファルベに「無理だよ」とカシェが言い返したので、オストレアは吹き出した。

「あれ? カシェ、手をどうしたの?」

 袖からのぞいている包帯を指さしたオストレアに、カシェが「訓練中にちょっと失敗しちゃって、応急手当してもらったんだ。後でちゃんと治療室に行くから」と答えた。今日から自分の武器で練習を始めたのだが、バルバルス・オースの幻影にかみつかれたのだと聞き、オストレアは驚いた。

「幻影なのにけがをしたの?」

「僕が実戦に近い状態でやりたいって先生にお願いしたんだ」

 それでも本物のバルバルス・オースよりは弱い設定になっているらしい。

 カシェは習得が早いとタオヘンは言っていたが、一年生の今の時期にする演習としてはきついのではないだろうか。

 心配が顔に出たようで、カシェがきりりとした笑みを浮かべた。

「初戦闘はオストレアと一緒に出たいんだ。だからこれくらいはこなさないと」

「……カシェってけっこう負けず嫌い?」

「うん。僕だけ留守番は嫌だからね」

 冗談まじりだが、カシェはきっと本気だ。訓練でも命を落としかねない厳しさに、ファルベもこわばっている。

 表面はとても静かで落ち着いているのに、この貪欲なまでの向上心はやはり戦闘科向きかもしれない。適性検査はそんなところまで見抜いてしまうのだろうか。

「袖をめくってくれる?」

 オストレアは包帯を取るように言った。いぶかしげにしつつカシェが素直に従う。現れたひどい傷口にファルベは息をのみ、オストレアも唇をかんだ。

 オストレアは一つ深呼吸をし、『癒しの歌』を歌った。すぐそばにいるので声を張り上げる必要はなく、小声で旋律をつむぐ。

 やわらかな中音の響きを受けて、ざっくりと縦に裂けていた傷がふさがっていく。あせらず丁寧に、オストレアは治療を進めた。

 完全に元通りになったところで、腕を曲げのばして確認したカシェが目をみはった。

「きれいに治ってる」

「すごいわ、オストレア!」

 ファルベも尊敬のまなざしをオストレアにそそぐ。

「これが歌力か。初めて見たよ……っていう人は僕たちだけじゃないみたいだね」

 カシェの言葉に周囲を見回し、オストレアはうろたえた。かなり控えめにしたものの、歌力のこもった歌は予想以上に響いていたようで、生徒たちの視線が恐ろしいほど集まっている。

「エグル先輩が言ったとおりだ。オストレアの声って本当に吸引力があるね」

「何か癖になりそう。オストレア、他の歌も聴かせてくれない?」

 カシェとファルベが瞳をきらめかせてオストレアに催促したとき、黒眼鏡をかけた男子生徒が近づいてきた。茶褐色の髪の彼は黄色いベストを着用している。どことなく既視感があるなと記憶を探ったオストレアに、男子生徒は告げた。

「こんにちは。入学の受付で君の後ろにいたんだけど、覚えてる?」

 あっ、とオストレアは手を打った。適性検査を受ける前ににこりと笑い合った相手だ。

「僕の名はブジャルド。芸術科に入ったんだ」

 差し出された右手をオストレアもにぎり返した。

「私はオストレア。あのときは大騒ぎしちゃってごめんなさい」

「全然。かわいくて面白い子だなって気になってたから、また会えて嬉しいよ。オストレア、ぜひ君を描かせてもらえないかな」

 オストレアは目をしばたたいた。

「もしかして、輝いている異性? 無理、無理っ」

 両のてのひらを相手に向けてぶんぶん振るオストレアに、「どうして? 君はすごく魅力的なんだよ。みんな狙ってる」とブジャルドが後方を見やった。

 黄色いベストを着た大勢の男子生徒が、先を争うようにしてこちらを目指してきている。どうやら歌が芸術科の生徒を引きつけてしまったらしい。

「どうか僕に任せてくれ」

 君を他の人に取られたくないと、勘違いを招きそうな情熱を向けてくるブジャルドに、オストレアは迷った。しかしまったく面識のない人たちに追い回されるよりはと覚悟を決め、了承した。

「交渉成立だね。ありがとう。絶対にいいものにするよ」

 もう一度握手をすると、ブジャルドがオストレアを獲得したと察したのか、彼らは残念そうにきびすを返してまた散っていった。

「ファルベだったね。君は彼を描くんだろう?」

 ブジャルドの質問にファルベが首肯する。そしてある程度できあがるまで、昼休憩は四人で集まる約束をした。

 さっそくとブジャルドとファルベがそれぞれオストレアとカシェの姿を紙に写していく。

「オストレア、自然体だよ」

 先程自分が指摘されたことを言うカシェに、オストレアは渋面した。

「できないわ――あ、ごめん。表情を変えないほうがいい?」

「大丈夫。むしろいろんな君を見せて」

「ブジャルド、それ口説いてるみたい」とファルベが突っ込む。同感だとオストレアも頬を赤らめた。

 カシェと雑談しながら進行具合をちらちら見ていたオストレアは、ブジャルドの作業がかなり早いことに気づいた。しかも自分だとはっきりわかるほどの出来栄えだ。それを何枚も描いているのだからすごいと感心して今度はファルベのほうに視線を向け、オストレアは目を丸くした。

「あれ? ファルベがいない」

「いるよ。集中しすぎて消えたみたいだ」

 カシェが解説する。

「こんなに頻繁に姿が見えなくなったら、先生が困らない?」

 本当に出席しているのか、途中でこっそり抜け出していないかなど、生徒の行動がわかりにくいのではないだろうか。

「芸術科は半避役(カマエレオーン)族の教師が多いから心配ないと思う」と手を動かしながらブジャルドが答える。なるほどと思っていると、ようやくファルベがじわりと現れた。しかし新しい紙で再開したとたん、また体色変化を始める。その様子がおかしくてオストレアは発笑した。

「いいね、オストレア。すごく素敵だよ」

「もう、ブジャルド!」

 恥ずかしいからやめてと抗議したが、その間にブジャルドはオストレアの笑顔をさらさらとものすごい速さで描いていく。

「ブジャルドってモテそうだね」

 エグルにも負けないほど甘い言葉を連発するブジャルドにオストレアが半分あきれ半分からかうと、初めてブジャルドの手がとまった。

「……僕はモテないよ」

 黒眼鏡のせいで表情が読みにくいが、なぜかひやりとした。

「僕は口下手だから」 

 ブジャルドがにんまりする。一瞬漂った冷たい空気が霧散し、オストレアはカシェたちとともに「嘘だあ」と言い返して皆で笑った。そこからはすっかり砕け、午後の授業が始まる直前まで四人でしゃべりながら過ごした。

 続きはまた明日と別れ、カシェと連れ立って戦闘科舎へ急いだオストレアは、反対側の小道からタキュスがやってくるのを見た。タキュスも二人に気づいたようだが、黙って先に戦闘科舎へ入っていく。

「あの方向って、療養の泉くらいしかないよね」

 カシェが首を傾ける。療養の泉はおもに古傷が痛む場合に浸かりに行くところで、憩いの噴水池と違って水が温かいと聞いている。

 過去にバルバルス・オースとの戦いでけがをしたのだろうか。集落を早く出たがっていたというモラの話を思い出し、オストレアは気になった。

 タキュスを目で追っていると、武器を手にしたコルヴォが入れ違いに戦闘科舎から現れた。隣には半馬の男子生徒がいる。

「やあ」とコルヴォが笑顔で片手を挙げる。オストレアとカシェも「こんにちは」と挨拶した。

「今年うちの班に入った一年生のアファブレだ」

 集落にいた頃から自警団に加わって鍛えていたそうだというコルヴォの紹介に、アファブレが「よろしく」と破顔する。赤錆色の髪に灰黄緑色の瞳の彼はコルヴォが推薦したとおり、タキュスよりずっとほがらかな印象だった。

「入学の受付でタキュスさんに連れていかれるのを見たよ。なかなか豪快な誘い方だったね」

 苦笑したアファブレはオストレアを凝視した。

「君なら大歓迎なんだけど、さすがにタキュスさんと争うのは分が悪すぎるな」

 あの人、すごく強くて格好いいからとアファブレが肩をすくめる。聞けば半馬の合同訓練で、タキュスはルボル・マールムの班長シュタルクと並んで一、二を争うほどの実力者だという。

「そうなんだ……じゃあ、もし戦闘中にタキュスに置き去りにされたらお世話になるかも」

 オストレアの返事にアファブレは笑った。

「たぶんそんなことは起きないよ。俺たちは背中に乗せる半魚族を見捨てない」

 それだけは最初にきっちり指導されるらしい。だからこそ責任をもって連れていく相手を選ぶんだと言うアファブレに、へえーとオストレアは目をみはった。

「まあ、中には移り気でいいかげんな奴もいるだろうが、少なくともタキュスは大丈夫だ。あんなに選り好みしてるんだから、一度決めれば最後まで面倒を見るだろう。ああでも、オストレアのほうが嫌になればいつでもこっちに来てくれよな」

 半魚族は半馬族を見限っても問題ないからとコルヴォがにやりとする。

「心強いです」と微笑んでから、「見回りですか?」とオストレアは尋ねた。

「ああ、このところメソス・スコラ内で行方不明になっている生徒が数名いるんだ。君たちも気をつけて」

 毎年入学者の中に他の種族の外見をもつ半蛇(オピース)族が紛れ込んでいて、欲を抑え切れずに事件を起こすという。彼らは半人を食えば食うほど人の姿を維持できなくなるので最終的には正体がばれるが、できれば被害が拡大する前に捕まえたいのだと。

「入学の受付で見分けがつかないんですか?」

 バルバルス・オースになる存在がこっそり侵入していると知り、オストレアはぞっとした。

「残念ながら、半蛇族も『始まりの母』が生んだ種族だからな。メソス・スコラはこの世界で生まれた者は平等に受け入れる」

 はじくのは、入学前にバルバルス・オースに変わり果てた化物だけだとコルヴォは語り、アファブレとともに去っていった。

「ファルベたちにも忠告したほうがいいよね」

 自分たちとは違って戦うすべをもたない友人を心配したオストレアに、「そうだね」とカシェもうなずく。そしていざというときのため、もっと鍛錬を積まなければと二人とも改めて気を引きしめた。

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