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居場所

床にまっすぐ続く赤い絨毯。

壁際に立てかけられた赴きある絵、そして意匠に満ちた陶器。

ただの廊下だというのに手のかけ方が違う。


表の見目は、家全体の家格を示す。

クラーラはほんの少し見とれて、美しい景色に酔った。

庭園の豪華さに引けを取らない内装だ。

このハルトリー伯爵家の主人にぴったりな、精密で静寂に包まれた、されど埃臭さを感じさせない洗練された雰囲気がある。


道すがら、ジュストが尋ねた。


「どうですか、レナート様は?」


「とても素直で、汚れのない方のような印象を受けました。どんな方がいらっしゃるかと緊張していましたが、とんだ杞憂でございましたわ」


「ははっ……辺境から出ない初心な方ですからね。あまりからかわないでやってください」


ジュストは安心した様子で笑う。

まるで自分の子の話をするように、慈愛に満ちた笑み。

クラーラはそんな彼の横顔を見て思う。


「ジュスト様はレナート様と仲がよろしいのですか?」


「ええ、レナート様が幼少のころからの付き合いで。ハルトリー伯爵家に使用人は指で数えるほどしかおりませんから、みな仲良しです。クラーラ様とロゼッタ様も親密な関係に見えましたが」


「こちらも同じく、ロゼッタとは昔からのなじみです」


「なるほど。ロゼッタ様とはお部屋を隣にいたしましたので、何か不自由があれば隣室へお声がけください」


「あら、お気遣いいただきありがとうございます」


まだハルトリー伯爵家に馴染めていないクラーラからすれば、同じ家から来たロゼッタが近いのは安心できる。

奉公人に使われる……とはよく言ったもので、リナルディ伯爵家にいた当時クラーラは多くの使用人を管理していた。

使用人の管理を怠る家族に代わって。

だが、ここではその苦労はなさそうだ。


まもなくクラーラの部屋に着くと思われるが、ふと気にかかったことがある。


「ジュスト様。そういえば、どうしてレナート様は嘘がつけないのでしょうか? 何かしらの黒魔術の代償ではあると思われますが、いったいどのような魔術を?」


「申し訳ございません。その質問にはお答えできかねます。ただ……レナート様にお聞きしてはいかがでしょう? どちらにせよ、あの方は嘘がつけませんので」


――卑怯な言い方だ。

いじわるだ。

だって、もしもその『理由』が後ろ暗い事情であれば……レナートにはつらい状況を自白させることになってしまう。

クラーラとてそれは本懐ではない。


人に嘘はつきものだ。

紅茶の砂糖くらい、ケーキのクリームくらい、ドレスの宝石くらい……なくてはならないアクセントだ。

誰にも隠し事のひとつやふたつある。


肝要なのは見せ方だ。

嘘は良くも悪くも表出できる。

その選択肢がないレナートを、クラーラは心底不憫に思った。

そんなデメリットを背負って社交界で生きていけるか。

無理だ。確実に。


「……お待たせしました。こちらがクラーラ様のお部屋になります。左手に見えるお部屋がロゼッタ様のものです」


「ええ、案内ありがとうございます。この後はどうしたらいいのでしょう?」


「ご自由に。夕刻にはレナート様とご一緒に夕食を囲みましょう」


「わかりました。身だしなみを整えたり、荷物の整理をしたりして過ごしますわ」


「はい。食堂や浴場など、ご自由にお使いくださいませ。何かお困りごとがあれば私どもまで。それでは、失礼いたします」


ジュストはきっちりと一礼して去って行く。

彼を見送り、真っ先にクラーラは部屋に飛び込んだ。


「……!」


なんて素敵なお部屋。

廊下よりも柔らかなカーペット、絢爛豪華なシャンデリア。

輝きを放つ鏡面台に、完備されたティーセット。

まるで王室のようだ。


いくらお金の余った辺境伯とは言っても、この待遇は不相応。

少し無理をしているのではないか――とクラーラは心配してしまう。

それとも何か。

自分が伯爵家で冷遇されすぎていただけなのだろうか。

他の伯爵令嬢の部屋など見たことがないので、比較できない。


悪い待遇よりも良い待遇。

冷めた紅茶より熱い紅茶。


「……私は冷めた紅茶の方が好みだけれど」


実は猫舌だった。

熱い紅茶を出されてしまったらどうしよう。

そんなどうでもいいことを考えながら……。



いったい何に使うものか。

キングサイズのベッドにダイブした。


ふわっと全身を包み込む快感。

天の上、雲の中にいるような心地で。


「……ハッ!」


一瞬、意識が飛んだ。

いけない、いけないと頭をぶんぶんと振る。

嫁いで初日、はしたない様相を見せたくはない。

淑女のマナーを遵守しなければ。


「お休みですか、お嬢様?」


ふと声がして振り向く。

開けたままの扉の向こうから、ロゼッタが覗いていた。


「いえ、なんでもないわ。寝てないし、ベッドにダイブなんてしてないわ。本当の本当に」


「はい、すごく気持ちよさそうな顔は見なかったことにしておきます。それで、いかがいたしましょうか?」


「まずは黒魔術の道具を整理して……あっ! レナート様に黒魔術用の工房を作ってもいいか、聞くのを忘れていたわ。あとで聞きましょう。道具の整理は後回しね」


「そうですね。お嬢様、埃を落としますか?」


「ええ。お風呂にも入りたいわ……」


クラーラが呟くと、ロゼッタはすぐに動き出す。

まずは衣装棚を開いた。

相変わらず当意即妙な侍女。


「……! これはすごい! 最高級のドレスが揃っていますよ! お嬢様のサイズに合うかどうかわかりませんが、複数のサイズが用意されているようです」


「なんて気が回るのかしら……ハルトリー家の使用人は本当に優秀なのね。あ、もちろんロゼッタもリナルディ家の使用人も優秀ってことは理解しているわよ?」


「はいはい、わかっています。こちらのサイズがよさそうですね。やはりクラーラ様のことですから、淡い青色のドレスがお好みでしょうか」


「さすが専属侍女ね。派手なのは好みじゃないわ」


ちょうどいいサイズの青色のドレスを手に取る。

決して派手な装飾はないが、落ち着きのある色合いと優美な雰囲気がおしゃれ。

そもそも黒魔術の研究をしている時間が多く、ドレスを着る機会などあまりなかったが……どうしても着なければならない日には淡い色のものを好む。


「着替えはそれで。夕食までにお風呂に入りたいところね。ただ……ハルトリー家の間取りがわからないから、お風呂の場所もわからないわね」


「ふふふ……安心してください、お嬢様! すでにハルトリー家の間取りは勉強済みです! お嬢様がレナート様とお話されている間に、頭に叩き込んでおきました」


「頼もしい。それじゃ、案内をお願い」


「こちらです」


少し抜けているところもあるロゼッタだが、こういうときは頼もしい。

二人は廊下に出て西側へと歩いて行く。


……静かだ。

コツコツと、二人の足音だけが響く。

使用人とすれ違うことはない。


ジュスト曰く、この屋敷は使用人の数がかなり少ないのだとか。

裏を返せば各使用人が優秀であり、家を回せているということ。

個人的にはクラーラは静寂に満ちた空間が好きだった。

穏やかで、時間の流れが緩やかで。


「……あら? ここは右だったはず……」


「ロゼッタ?」


「あ、いえなんでもありません。迷ってるとかそういうわけじゃなくて、ちょっと屋敷の中を遠回りして歩こうと思っただけで」


「黙ってついていくわ。まあ、多少の散歩はしてもいいかもね」


要するにロゼッタは迷っているのであるが、突っ込むのも野暮というもの。

来たばかりの屋敷で迷っても別に咎めはしない。

クラーラは特に焦ることもなくロゼッタに続いた。


 ◇◇◇◇


湯船に花を浮かべる。

いくつかある香花のうち、クラーラは白鷺花という花を選び取った。

純白の花弁を持つ、リラックス作用のある花だ。

この真白を見ているとレナートの姿が脳裏によぎる。


白鷺花は縁をつなぐ伝承を持つ。

よく童歌でも恋人をつなぐ目印とされ、縁起のよい花とも言われる。

湯船の中で身体を動かすと、水流に乗って花が流れてゆく。


はたして行き着く先はどこになるのだろう。

クラーラとレナートの行き着く先は――


「……ここが最後の居場所になるわ」


クラーラには帰る場所がここしかない。

だから、このハルトリー伯爵家で居場所を見つけられなければ、それまでの人生だ。

むしろ吹っ切れた。

全力でレナートに好かれて、そして幸せになろう。


充分に温まり、髪や体も綺麗になった。

湯から上がって彼女は新たなドレスに着替えた。

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