私の居場所(完)
ハルトリー辺境伯家の工房から、大きな庭園を眺めていた。
クラーラの視線の先には澄み渡る青空が広がっている。
あれから実家のリナルディ伯爵家の話はほとんど聞いていない。
今やここがクラーラの実家であり、もうかつての家族の行く先を気にすることはなかった。
そのまま長い時が過ぎ。
そろそろ彼が来る頃か、と彼女は窓辺を離れて紅茶を淹れ始めた。
「おはよう、クラーラ」
「おはよう」
工房の扉が静かに開き、レナートがやってくる。
クラーラが促すと彼は向かい側の席に座り、紅茶に口をつけた。
「いつもありがとう。君の淹れてくれる紅茶はおいしいな」
「ふふ、でしょう? だけどレナートの淹れてくれるお茶も好きよ」
「そうか。愛する君に好きって言ってもらえるのが、いちばん嬉しいな」
当たり前のようにレナートは愛を伝えてきた。
もう彼とは恥じらいもなく愛を伝え合える中で、彼の言葉が誠実なものであるとクラーラは知っている。
「今日は魔術の研究? それとも辺境伯のお仕事?」
「仕事は昨日のうちに片づけてきたよ。魔術の研究も悪くないけど……今日の俺は君とゆっくり過ごしたい気分だ」
「私も。レナートと同じ気分だったわ。一緒に庭でも散歩する? 王都にお出かけもいいかもね」
「ああ、悪くない。それか……式の準備を進めるのもいいかもな」
式――結婚式だ。
あの騒動の後レナートは正式にクラーラと婚姻を結ぶことを決め、今は準備を着々と進めている。
トビアスやジュスト、カーティスやロゼッタも……ハルトリー辺境伯家のみなが一丸となって協力している。
きっと最高の結婚式になるだろう。
クラーラもレナートも、今から待ち遠しくてたまらない。
工房でのんびりレナートと過ごす。
この時間が何より幸せな時間かもしれない。
ハルトリー辺境伯家に来るまで、絶対に手にすることが叶わなかった『人の愛』。
それを今、クラーラは心から感じている。
「クラーラ。婚姻を間近に控えた今、聞いてほしいことがある」
不意にレナートは告げた。
いつになく真剣な表情で、彼はまっすぐクラーラを見据えている。
「あら、どうしたの? なんでも言って」
「俺は……君と出会って変われた。辺境に閉じこもって、まともに社交もできなくて、呪いを背負って苦しんでいて。そんなさんざんな俺を、君は救ってくれた」
レナートは少し気恥ずかしそうに、しかし決して目を逸らすことなく語る。
たしかに彼は会ったばかりのころと比べて大きく変わった。
もちろんクラーラだって成長を遂げただろう。
「そうね……あなたは変わったわ。すごくかっこよくなった」
「その上で、もう一度君に確認しておきたいんだ。こうして変われた俺を、今後とも見守ってくれるだろうか。俺の最愛の妻として、そばにいてくれるだろうか。俺は君を愛している。永遠に愛し抜く。そして……君の口からも聞かせてほしい。めんどくさい男だと思うかもしれないが……」
レナートの言葉に、クラーラはくすりと笑った。
「めんどくさいだなんて思わないわ。ええ、何度でも言うわレナート。私もあなたを愛してる。誰よりも深くね。だから……こちらこそお願いしたいの。私の夫になってほしい、そばにいてほしい」
もう孤独になるのは嫌だ。
どれだけ強がっていても、暗い過去を思い出してしまう。
だからこそレナートの言葉が欲しかった。
もう二度と、自分を手放さないという言葉が。
うつむきがちなクラーラを、そっとレナートは抱き寄せた。
「――クラーラ、俺はずっと君のそばにいる。絶対に手離したりしない。ハルトリー辺境伯家が、君の居場所だ」
「……レナート」
どっと堰を切ったかのように。
クラーラの心に安堵がなだれ込んだ。
その安堵は嗚咽となって、嬉し涙となって、彼女の孤独を埋めていく。
「ずっと一緒よ……愛してるわ……!」
窓辺から風がそよぐ。
庭園の花々は二人の幸福を祝福するように揺れていた。