イザベラの暴論
夜会の鐘が鳴る。
レナートは他家の領主との雑談を切り上げ、クラーラを探そうと視線を上げた。
そしてドレスの裾を持ち上げて走ってくる少女に気がつく。
煌びやかなブロンドの髪を持つ少女……イザベラはレナートの前で止まり、恭しく礼をした。
彼は困ったように眉を下げた。
普通、こういう場面では立場が上の者から話しかけるのが通例だ。
しかし、レナートは目の前の少女が問題児のイザベラだと知っているがゆえに、声をかけるべきか逡巡を見せる。
「……あの?」
痺れを切らしたのか、イザベラが顔を上げる。
レナートはクラーラから彼女の悪評を山ほど聞いている。
正直なところ口は利きたくない。
「……何か用か? 俺は婚約者と舞踏の準備があるから、急ぎでなければ後にしてくれ」
「婚約者というのはクラーラのことですね? 私はクラーラの姉、イザベラと申します。こうしてハルトリー辺境伯様のお目にかかれたこと、嬉しく思います」
「ああ、どうも。それじゃ、俺はこれで……」
「お待ちください!」
興味なく去ろうとしたレナートの腕を、イザベラが強引に掴む。
レナートが温厚な性格だから問題にはならないものの、高位貴族を相手にこれは懲罰ものの無礼だ。
慌てて彼はイザベラの手を解き、訝し気な視線を向ける。
「今日はレナート様と妹の婚約に関して、相談があって来たのです。どうか今晩の舞踏の相手を、私に変えていただけませんか?」
「……は?」
思わず耳を疑った。
夜会で急に相手を変更するなど聞いたことがない、前代未聞だ。
そもそも夜会における舞踏とは、相手を婚約者として見ているか、もしくは婚約・婚姻の関係にあることを示すもの。
イザベラと踊るということは『婚約の相手がクラーラではなくイザベラに変わった』ということを示すのだ。
レナートが当惑していると、人の波をかきわけてクラーラが走ってくる。
隣にはカーティスの血縁、ルアーナ嬢の姿もあった。
「レナート! 大丈夫? 姉に変なことされてない?」
「変なことって……まあ、変なことは言われたが。舞踏の相手を私に変えてくれと」
話を聞いたクラーラは嘆息して頭を抱えた。
「……お姉様。申し訳ありませんが、私の婚約者に関わるのはおやめください」
「なんであんたが口出しするわけ? 出来損ないは黙ってなさいよ」
出来損ない。
その一言がクラーラの心に深く突き刺さる。
たとえ自分の黒魔術に価値があると理解していても、白魔術至上主義の実家で彼女は『出来損ない』の烙印を押されてきたのだ。
どれだけ気丈に振る舞っていても。
一方、隣に立つレナートにもイザベラの言葉は刺さった。
自分の婚約者が侮辱されているのだから。
「ハルトリー辺境伯様。私、イザベラ・リナルディは優秀な白魔術の家系の一員ですわ。そこの才能のない妹とは違い、見目も華があり婚約者に相応しいでしょう? 今からでも遅くありません、私の両親も認めていますし……婚約者を私に変えませんか?」
イザベラが柔らかな笑みを湛えてレナートに歩み寄る。
そして彼の手を再び取ろうと――
「やめろ」
振り払われる。
レナートは底冷えするような声色で、イザベラを跳ね除けた。
今までに聞いたことのないような声だった。
「え……?」
「俺の婚約者を悪く言うな。クラーラは誰よりも優しくて可憐で、素敵な令嬢だ。君が、君のご両親が、世界の誰がクラーラを罵ろうとも……俺は彼女を愛する。クラーラの婚約者の座は、絶対に譲らないさ」
レナートはクラーラをそっと抱き寄せた。
思いがけず出た彼の強い言葉。
どんな時も温厚で、物腰の柔らかいレナートが怒りを露にしてくれている。
それも自分のために怒ってくれているのだ。
イザベラはレナートの反応が想定外だったのか、狼狽しながら言葉を紡ぐ。
「で、ですが……ハルトリー辺境伯様? すでに私の両親は、妹と婚約を取り替える準備を進めていて……今回の夜会だって両親が……」
「――見苦しいですな」
何事かと周囲に見物人が集まるなか、人の波をかきわけてカーティスがやってきた。
どうやらルアーナが急いで彼を連れて来たらしい。
「な、何よあんた……これはリナルディ伯爵家と、ハルトリー辺境伯家の問題よ。部外者は口出ししないで!」
「そういうことでしたら、私も当事者になりますな。私はフールドラン侯令息カーティス。貴家が多大な負債を抱えている侯爵家です。そして貴家に対してハルトリー辺境伯との縁談を紹介したのも、フールドラン侯爵家ですな」
「そ、そう……それが何か?」
この期に及んでイザベラはまだ状況を理解できていない。
カーティスは幼子に言い聞かせるように、呆れた様子で言った。
「レナート様とクラーラ様の婚約を反故にするということは、フールドラン侯爵家の顔を潰すということ。貴女と貴女のご両親は、当家の名誉を傷つけるつもりだとと受け取ってもよろしいのですかな?」
そこまで説明されて初めてイザベラは理解して顔をしかめた。
彼女を送り出した両親も、まさかフールドラン侯の血縁が夜会にいるとは思っていなかったのだろう。
緊迫する空気。
和やかな夜会がイザベラのせいで息苦しくなってしまった。
やがて彼女はふぅ、と息を吐いて。
「……わかったわよ。本人から許可をもらえばいいんでしょう?」
どういう意味だろう。
クラーラが訝しんでいると、姉の視線がこちらに向いた。
「クラーラ。ハルトリー辺境伯様との婚約を白紙にしなさい」