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推しのアイドルは彼女でスター

 チラホラと存在する屋台から離れた場所で、僕は彼女と会う約束をした。

 人混みが少ないその通りを、僕は少し複雑な気持ちで歩いた。

 カップルが楽しそうに手持ち花火を見ていたり、屋台の食べ物を一緒に食べていたり、手をつないでいたりするからだ。

 しかし、僕と彼女は祭りに行った経験がない。


 なぜなら、僕の彼女はアイドルだからだ。


 そして、週刊誌のスクープで僕の存在がバレたことにより、柚夏はアイドルを辞めた。


 土地勘が全くない僕だが、なんとかスマホ片手に指定された場所に向かうと、彼女はむっとした顔を崩さず、僕に微笑んだ。


「遅い!」

「ごめん。てか15分前だろ!? 柚夏が早いだけじゃないか」

「今日は特別だから! ほらほら褒めてもいいんだよ?」


 柚夏は《《珍しく婉曲》》した表現を使ったが、めちゃくちゃに褒めてほしいのだろう。

 僕はそう解釈した。なにせこれが初の花火デートなのだから。


 花火の絵柄が入った浴衣に、どこかでセットしてもらったかのようなポニーテール風味の髪型。

 かわいい。

 反応がない僕を見ていた柚夏は、少し戸惑っているのか足を何度か動かしている。


「眼福だな。かわいいよ」

「本当に!? だよね~良かった!」


 日光を眩しいほどに浴びた向日葵のような笑顔。

 柚夏はそのままクルリと一回転すると、今度は僕を見て何度か頷いた。


「甚平、似合っているよ」

「ん、ありがとう」


 僕はそんなことを言いながら、屋台の方角へと歩き出す。

 すると後方からスタスタと下駄の音がドンドンと近づいてきた。


「もう、アイドルは辞めたんだからいいんだよ」


 差し出された右手を、僕はゆっくりと握った。

 初祭りデートで緊張しているのか少しひんやりとしている。


「手汗だ」

「悪い! ちょっとやっぱり緊張してな」

「ううん、そう言う意味じゃなくて、なんだか和人を感じるなって」

「手汗でか……?」

「ほら、あの日もそうだったでしょ」


 カランという風鈴の音が屋台の方から聞こえてきて、僕は柚夏の言いたいことが分かった。


「懐かしいな」

「ね、懐かしいね」


 僕は記憶を再生した。


 柚夏と出会ったのは、中学二年生の夏休みだ。

 母方の田舎にあるばあちゃん家に帰省した時、柚夏と海で出会った。

 柚夏は砂浜を顔を上げずに歩いているもんだから、何かに引っ掛かってこけたんだ。

 しかも起き上がらずにうつ伏せのまま砂に突っ伏していたので、僕は心配になって駆け寄った。


「大丈夫ですか?」

「大丈夫……別に落ち込んでないもん」

「……え?」

「なんでオーディション落ちたんだろうなぁ……やっぱかわいくない、のかな……」

「とりあえず生きているみたいなんで、僕は帰りますね」

「あっ……」


 柚夏はとんでもないスピードで上半身を起こした。今思えば、僕の存在に全く気付かないほどに、落ちこんでいたのだろう。


 その時だ、彼女は僕の手を握った。

 今回のように恋人つなぎをしているわけではなく、引き止めるように強引に。


 その時は僕も、柚夏の手も湿っていた。

 僕は女の子に手をつながれた焦りで、彼女は秘密を他人に聞かれた焦りで。


 まぁ、柚夏の心配は杞憂で、僕は外部の人間だから彼女の肉親に伝わるような伝播力を持っていなかったわけだ。


 それでも当時の柚夏は自身のSMSを教えるほど慌てふてめいていた。


「でもあの時は、僕のことを警戒してただろ?」

「うーん……本音を言えばそうだね。でも、和人くんも、私のことを電波だと思ってたでしょ」

「……本音を言えば、そう、だね」

「ほらやっぱりー。傷つくなー!」

「僕が知っている柚夏は、素直で力強いアイドルだったはずだが?」

「それはそう」


 柚夏は、はーっと小さな溜息をつくと、夜空を見上げた。


「……やっぱり続けたいのか?」

「ううん、逆だよ逆! 私はもうアイドルなんかになりたくないんだ」

「どうして?」

「だって、アイドルになっていなかったら和人君ともっと会えてたし」


 僕の手を放した柚夏は、金魚すくいのおじさんに声をかけていた。

 おじさんは、柚夏の存在を知らないのか、普通の少女として対応している。


「一回300円ね」

「はーい! 和人くんもやろうよ」

「任せな。俺は金魚すくいの名人と言われてるんだ」

「へーそうなの!?」

「……嘘ですごめんなさい」


 周囲が少しざわつく中、僕は柚夏の横でしゃがむ。


「あれ、柚夏じゃね?」

「彼氏いるって噂本当だったんだ」

「いいなぁ俺も付き合いたかったよ」

「でもさ、アイドルだったら恋愛禁止っしょ。そこだけ意味わかんなくね」

「しかも、別にフツーよな彼氏」

「ばーか、だからあんたらはモテないの」


 僕はそんな話を耳にして、少し胸が痛んだ。

 たしかに原則としてアイドルは恋愛禁止だ。

 僕はファンから柚夏を奪っただけでなく、柚夏からもファンを奪ったのではないか。


「柚夏。俺が必ず金魚を取る!」

「なにそれ! でもありがとう」


 僕は網を受け取ると、そっと水に浸し、ゆっくりと金魚の下まで持っていく。

 しかし、金魚を捕まえることはできなかった。

 柚夏も金魚すくいは初めてだったそうで、1匹も捕まえられなかった。


「おじさん、もう1回。いやもう3回!!」

「はいよ。サービスで500円でいいよ」


 結局、僕が金魚1匹を捕まえるまでに使った金額は、1500円だった。

 黒の神々しいそれを柚夏へと渡すと、嬉しそうに微笑んでくれた。


「ありがとう、和人」

「どういたしまして」


 僕はそこまで言ってから、初めて呼び捨てされたことに気づく。


「どうしたの?」

「今、名前で」

「ああー、本当だね! たしかにそうかも」


 柚夏は再び笑った。

 僕もつられて笑った。


「いやーいいもん見させてもらった! 青春だね。嬢ちゃんはアイドルなんだって?」


 予想外のおじさんの質問に、僕らは顔を見合わせてから同時に頷いた。


「元ですけど」

「あれだよ。歳を取ればアイドルなんて、ただの虚像だと気づく。だから、あまり真に受けない方がいい。そしてこれはサービス」


 おじさんは赤い金魚を救うと、ビニールの中に入れる。

 赤い紐でくくられたそれを、僕に差し出していた。


「いいんですか?」

「まぁ、元はとれてるしな」

「そういう意味ですか。じゃあ遠慮なく」


 一礼の後、僕はそれを受け取り立ち上がり、柚夏の手を握った。

 柚夏は少し驚いていたが、微かに口角を上げている。

 祭り特有の喧騒の中、僕はその手をギュッとさらに強くギュっと握った。


「これが祭り……いいな、祭り、ほんと後悔だよ」

「今なんか言ったか?」

「ううん、全然何も言ってない」


 打ち上がった花火のせいで、柚夏の声は全く聞こえなかった。

 今まで目立っていた僕たちだが、時は移ろう。

 周囲の注目を一点に集めたそれは、ドーン、ドーンと何度も何度も一定のリズムで鼓動する。


「綺麗だね!」


 柚夏は大きな声でそう言った。


「柚夏と来れて本当に良かった」

「私も。本当に良かった。ねえ覚えてる?」

「ん?」

「私がアイドルだったとき、屋上で見た花火」

「ビルで隠れて全然見えなかったな」

「あの時も綺麗だったけど、今はもっと綺麗。花火が鼓動をしているんだ―って感じ」

「また電波なことを! でも言いたいことは分かるよ」


 だから花火が終わった後は、少し物足りなくなる。

 全てが終わったかのような感覚に陥る。


「花火と言えば、この前夏開きだったんだ。海にでも行かないか」

「海いいね、行きたい! 水着きて和人と一緒に泳ぐんだー」

「誰もいない無名のビーチなんかどう?」

「ひっそりとしたところがいいね。誰にも気づかれないようなところ! でも、逆に二人がガンガン目立つ場所にも行きたいなぁ」

「なんだそれ……」

「だってバレたんだし、ナンバー1に輝くほど目立ちたいじゃん?」


 柚夏は目をキラキラと輝かせながら、俺に同意を求めるかのように首を少し傾げた。

 アイドルになりたかったような人間は、みんな目立ちたがり屋だ。

 柚夏も例外ではないってことだろう。

 さっきはアイドルになりたくないと口では言っていたが、本当は戻りたいのだろうか。


 そんなことを考えていると、僕はまた少し心が痛んだ。


「……どうしたの? 急に無表情になって」


 柚夏は不安そうにこちらを見ていたので、僕は思わず嘘をついた。


「そんなに目だったら僕は、モテちゃうだろ。柚夏に悪いなって」


 すると柚夏は、笑った。


「和人くんがモテる事なんてあるのかな~。まぁ少しはあるかも?」

「む。俺だって少しくらいはモテるんだ」

「へ―例えば?」

「中学三年生の時に、机に好きって書いてあったんだ」

「え? ふーん、そうなんだ。それで?」

「当時の僕は恥ずかしくてそんなの消してしまったよ。あとからネットで調べたら、誰ですか?って尋ねるらしいんだ」

「和人くんが無知で良かった! だって私が独り占めできるから」

「僕はなんて返せばいいんだ。みんなのアイドル柚夏を独り占めしている男か。最高だな」

「そういうこと」

「ま、本音を言えば、周囲を気にせず柚夏とデート出来て嬉しいよ」

「それ、ほんと?」

「嘘つく必要なんてないだろ?」


 僕がそういうと、柚夏は主役の花火よりも眩しく綺麗な笑顔を見せた。

 通りすがる者全てが釘付けとなるような。


 そのせいで、いつの間にか力が抜け、柚夏の手を放していたことに気づいたのは少し後のことだ。


 しかも柚夏もそれに全く気づいていなく、僕の目をじっと見ている。

 そしてキラキラと輝く星のような瞳に吸い寄せられるように、僕は顔を近づけた。


 近付けば近づくほど、僕の体から熱が生まれる。


「ファーストキスしちゃったね」


 そう、柚夏がアイドルだったので、僕らは恋人らしいスキンシップは一切してこなかった。

 僕と柚夏が決めたルールを今破ったのだ。


 その瞬間、幸福感と共に柚夏とのデートプランが洪水のようにあふれ出す。


「もう一回、して」


 僕はとろんとなった柚夏の瞳に再び吸い込まれた。


 そして再び目を開けたとき、柚夏はクルリと素早く一回転した。

 グスリと鼻をすする音が聞こえてくる。

 僕は何かまずいことをやったのか。


「……柚夏?」

「好きだよ和人」

「うん。僕も」

「でも、今日はもう帰ろ」

「なんで?」

「なんでも」


 僕は歩みを進めた柚夏の袖を掴んだ。


「ごめん。キスなんてするんじゃなかった」

「ううん。そうじゃないの!」


 感情がこもった声。振り返った柚夏の瞳は、赤くなっていた。

 僕はそんな柚夏を直視できず、目を逸らす。


「ごめん」

「だから、違うんだよ……和人くん傷つかないで」


 柚夏はいつものように微笑んだ。

 しかし、大丈夫だから本心を隠しながらそう発信している彼女を放っておけるはずもない。

 僕は目を逸らすことをやめた。しかし、じっと柚夏の瞳を見ると、今度は彼女が目を逸らす。


 それが合図かのように、花火の主張も止んだ。

 すると今度は僕らが必然的に主役になる。


「あれ柚夏と彼氏? なんでこんなド田舎に?」

「なんか泣いてるんですけど! 修羅場?」

「彼氏の顔面、びみょーすぎんだろ。中の上?」

「てかアイドルなのに恋愛すんなよな」


 花火で声量が上がったことに気づいていない彼らの棘のある言葉は、僕の心に突き刺さっていく。


「メンバーも可哀想だよね。解散だって」

「へーそうなんだ」

「彼氏、金で釣ってるのかな」

「それあるかもー」


 時間経過と共に、声量は下がりひそひそ話は完全に聞こえなくなっていた。

 柚夏は頭を抱えながら走り出す。


 階段を上り辿り着いたそこは、小さな神社で周囲は海に囲まれている。

 花火の音も大分小さくなったそこで、鼻緒ずれした柚夏は立ち止まった。

 下駄を脱ぎ捨てて、僕に微笑んだ。


「ごめんね、和人、くん。私もう無理」

「さっき私はアイドルなんかになりたくないって言ったでしょ。あれ嘘なんだ。私はアイドルになりたい」

「……」

「でも、アイドルになるには心が弱すぎるの。エゴサして私の評価を見て一日中落ちこんじゃうし、今回だって……」


 柚夏が何を言いたいか理解した僕は、首を無意識に横に振っていた。


「……別れたいってこと?」


 しかし、僕の予想とは異なり、柚夏は首をブンブンと大きく横に振る。


「違うよ!? 違う! そんなわけない。私は和人が大好きだよ。でも、私には全てが大切なの。もちろん一番は和人。でも、私には全てが大切なの。だから私はずるいって。私はこの世界に耐えきれない。もう無理なの……ごめん。☆私には耐えきれない。暴言が。周囲の視線が。メンバーたちの落胆した表情が。和人くんが苦しんでいるのが。もう二度とアイドルになれないことが。これはきっとアイドルなのに、恋をした私に対する罰なんだと思うの。でもせめて最後くらい和人と過ごしたかった。私は目立ちたがり屋でずるい女だね」


 早口でそう言った柚夏は、鼻をすすりながら反転した。

 石畳の上をスタスタと走る。

 僕は嫌な予感がして、柚夏の名前を呼びながら追いかけるが、それは無意味だった。



 柚夏は、神社の横にある崖から飛び降りた。


 水泳の飛び込み授業で聞いたことがある音を増幅させた、嫌な音。


 僕は身を乗り出して探しても、真っ暗で全く見えない。

 今度はスマホのライトで照らしてみるが届かない。

 屋台まで戻ろうか。いや、時間がかかりすぎる。

 じゃあ自分も飛び降りようか。いや、そんなの無理だ。

 近くに海へと続く道がないか。僕は周囲に地図がないか必死に探す。

 しかし、海へと続く道などあるはずがなかった。


 全身から力が抜け、僕はその場に一直線に倒れ込んだ。


 もし僕らが一般人同士なら、もっと深くお互いを知れたのだろうか。

 僕は柚夏のことを、全く理解してあげられなかった。


 いつ、なんで、原因は。

 いいや、全部僕が悪いんだ。何もわかっていないこの僕が。


 暗闇のサイレンのように負の感情がループする。

 もう、目の前には彼女の姿はない。


 柚夏は僕のスターだった。

 でも、僕は柚夏のスターにはなれなかった。

 絶対的な指針として存在できなかった。


 そう思うと急に目の前が真っ暗になる。僕が生きている意味なんてあるのだろうか。

 希望を失い、恋人の指針にもなれなかった僕が。


「ああ、そうか」


 ☆柚夏も今の僕と同じ苦しみを味わっていたんだ。


 それでも、柚夏は僕のスターだったんだよ。


 星空へと吸い込まれるように、僕は歩みを進めた。



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