狼男と夜の月
黄金の月が空に君臨する夜、男はその姿を狼に変える。
夢の夜だった。
一月に一度、偽りのない本当の自分でいられる日。
男は吠えた。雄叫びは感謝を示していた。
さあ、宴の始まりだ。
人でもなく、狼でもない。
どちらにも属し、そのどちらでも異端。
いわば宙づりの存在だ。
男に居場所はなかった。
人として生きようと、最初は考えた。
満月を避けて、閉じこもるようにひっそりと。
だが世間は厳しかった。
妻に無理やり外に連れ出された夜、男は変身した。
変身は損失と同じだ。「怪物」は家族を失い、職を失い、ありとあらゆる拠り所を失った。
月明かりの下で一人、立ち尽くしていた。
ならば狼になろうと考えた。
満月の夜、狼が出るという山に登った。
天頂に向かって吠える。ここから新しい生活が始まるはずだった。
数十分後、夜風が傷だらけの狼の体毛を揺らしていた。
集まってきた狼たちは問答無用で男を袋叩きにしたのだ。
『人間の臭いがする』
一匹の若狼が去り際に言い捨てた言葉は男の耳に残り続けた。
月が隠れる。
男の居場所はどこにもなくなっていた。
頬が濡れ、毛皮が濡れた。
こうなったらとことん反逆してやる。その他に選択肢はなかった。
まず狼を殺した。自分を拒絶した狼ども。
刃物を持たない獣は弱かった。
そして死肉を食らった。ナイフで皮を剥ぎ、肉をそいだ。
美味だった。
内臓をかみちぎりながら、男は逡巡した。
まだ自分の中に人の性質が残っているような気がした。元の生活に戻れるような気がした。
三十日三十晩考えた。彼女は。両親は。俺は。
月が満ちる。
家族を殺した。用済みだとでもいうように自分を捨てた家族ども。
許すことはできなかった。
強靭な顎を持たない人間は弱かった。
そして、死肉を食らった。喉に、腕に、脚に、かぶりついた。
男の部屋はまっさらになっていた。存在の痕跡すら見いだせないほどに。
男は部屋中に血を塗った。頭蓋骨を部屋の四隅に、窓際には大腿骨を飾った。
妻の顔は死してもなお恐怖に歪んでいた。
ふと、かつて永遠を誓った頃の、あの眼差しを思い出した。長らく忘れていた。長いまつげ、切れ長の眉、茶色の瞳。
その目から、赤い涙が一筋流れたとき。
男は慟哭した。
妻の不運を、自分の不幸を呪った。
人でも狼でもない自分。どちらとも相容れない境界線上にいる自分を心の底から嫌悪した。
数年ぶりに流す、人としての涙。毛皮を伝い、血だまりに波紋を作っていく。
解放されたい。
このおぞましい運命から逃げ出したい。
散らばった骨を並べ、頭蓋骨に祈った。
助けて。
どうか、どうかどうか、救ってください。
呪われている。なぜ自分は、こんな運命を。
と、部屋の隅に置かれたロープが目に入る。荷造りに使ったのだろう。男はそれに、手を、
……そうだ、最初から分かっていたじゃないか。
自分の存在。自分がいた場所。行く場所。いるべき場所。
答えは近くにあったんだ。なにも難しいことじゃない。
そうだ。
──────宙づりだ。
その日、男の変身が解けることはなかった。日が昇っても、月が欠けても、そのままだった。
男がこと切れた後も、電灯はずっと揺れていた。明かりが消え、ロープが千切れてもなお。
まるでどちらに行くか、決めかねているかのように。