第79話起こしますか?
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「瑠璃!良かった、無事でッ。……瑠璃?」
瑠璃の後ろ姿を見て安堵し、頬を緩めたのも束の間、響は周囲に彼女以外の気配がない事に気が付く。
夕暮れ時。シンッと静まり返った薄暗い通路で、室外から蝉の鳴き声だけが聞こえていた。
「ひびき……」
瑠璃がこちらの存在に気付き、後ろを振り向く。
通路の右側から差し込む陰り始めた夕日が、今にも溢れ出しそうな感情を抑えるように下唇を噛む彼女の顔を照らし出した。
けれど次の瞬間、潤んだ瞳から涙が零れ落ち、嗚咽交じりのか細い声で響を呼んだ。
縋るように、どうしようもなくなったように。
「み、皆は?瑠璃、皆はどこ。マミ姉は――」
「……響、ひびき、あたしっ…………」
瑠璃は首を横に振ってそう言うのみで、それ以上を喋ろうとしない。
困惑する最中、瑠璃の背後に視線を向けると、部屋に続くドアの硝子にべっとりと血液が付着しているのが見えた。
この奥の部屋は、緊急時の避難所だ。
施設の子ども達全員が隠れられるような広い場所など、ここ以外に有り得ない。
故に、何かあれば、満実には皆を連れてあの部屋に逃げ込むよう伝えていたのだ。
「――ッ!?マミ姉!」
「っ。ま、まって響ッ」
即座にドアの方へ向かおうとした響。
瑠璃が少女の腕を掴んで止めようとした。
だが、響はその手を強引に振り解き、扉の取っ手に手を掛ける。
鍵が掛かっていた。
「ッ」
掌に赤い光を集束させて、刃を作り扉の隙間に差し込む。
高まる不安が、加速する焦燥が、響の胸を掻き毟った。
嫌だ、そんなのは嫌だ。そんな未来を阻止したくて、ここまで来たというのに、それでは自分は一体何のために――。
胸の鼓動が速くなるのを感じながら、響は鍵の壊れたドアを勢い良く開けた。
「マミ姉、皆!っ、これは……」
室内に入った瞬間目に入ったのは、見知らぬ女性の死体だった。
入口の近くで、ゾンビ化後の飢えた獣のように恐ろしい形相のまま、血溜まりの上にその躯が転がっている。
眼前の異様な光景に飲まれ、止まる思考。
一体ここで何が起きたのか理解が追い付かない。
しかし、響の注意が不意に部屋の左奥へ向いたその時、視線がそこにいた人影に釘付けになった。
目が、三秒もの時間をかけて大きく見開かれていく。
「……ぇ――うそだ」
彼女は、壁際に、力なくもたれかかっていた。
血に塗れ、瞼も落ち切り、生気すら感じられないような状態で。
頭上の真っ白だった壁面には、引き摺ったような血痕。
鈍器で殴られたように視界が眩み、響は自分の手足の先から血の気がサーっと引くのを感じた。
覚束ない足取りで、それでも彼女の下へ足を進めて行く。
――母屋満実の下へと。
「マミねぇ……マミ、姉ッ……マミ姉!」
遂には走り出し、躓いたように満実の近くで膝を付くと、響は彼女を抱き起こして目覚めさせようとする。
けれど、名前を呼んでも揺らしても、満実はピクリとも反応しない。
「しっかりして!起きてよ、マミ姉ッ。――ッ」
最中、響の視線が、彼女の肩口に向かった。
そこには、動物に噛まれたような酷い傷があり、傷口から血がドクドクと溢れ出していた。
背後に横たわるゾンビの亡骸を思い出す。
そうして理解してしまった、満実はあの女のゾンビに噛まれたのだと。
「そんな、そんなっ、どうしよう……!どうしたら」
思考が定まらない、考えようとすればするほどドツボに嵌まり、何も考えられなくなっていく。
周りから聞こえる蝉の声がうるさかった。
外の不死者達の声がうるさかった。
意識しないようにしていた雑音が聞こえ始め、それが更に心を搔き乱して――
「え?」
下からそっと伸びて来た小さな手が、響の両耳を優しく包み込んだ。
満実が意識を取り戻したのだ。
「ひびき……ちゃん」
瞼を重そうに持ち上げ、その柔らかな眼差しが響を捉えると、手を離して満実は顔を綻ばせた。
そうして、血の染みた亜麻色の髪を揺らし、ゆっくりと自力で上体を起こそうとする。
けれど、その満実が唐突に体勢を崩したのを受け止めた瞬間、響は悟った。
満実はもう、こうして意識を保っている事さえ難しいのだ。
だというのに、彼女は笑みを絶やさない。
「おかえり、なさい」
「……」
その言葉を聞いた瞬間、響は震える右手を満実の背中に回し、抱き締めた。
壊れやすい壺を扱う時のように、優しく。
「ふふ。響ちゃんの、甘えんぼー」
「るさい……」
掌に感じる彼女の心臓の鼓動が、徐々に弱まって行くのが分かった。
呼吸が浅くなりつつあるのも、声が僅かに小さくなって行っているのも、全てが。
「えー……絶対――」
「黙ってよ!もう、それ以上喋らなくていいからっ」
もう、どうしようもない事くらい理解出来ている。
どれだけ足掻いても。今保有する全ての【ポイント】を使い果たして、足りない分を自分の命と引き換えにしても、無意味なのだと知っている。
けれど、それでも、
「お願いだから、もう喋らないで……死なないでよ――お母さん」
気が付けば瞳が潤み、頬を涙が流れていた。
憎かった。同じ過ちを繰り返した自分の愚かさが、無力さが。
そして何より、自分から大切な人を奪っていく神の存在が。
「ごめん、ね。ごめん……ひび、き、ちゃ――…………」
「マミねぇ?ッ、マミ姉!」
眠りにつくように瞼を閉じた満実に呼び掛けるが、今度こそ目覚める気配がない。
そんな、と響は呆然としながら、自らの腕の中で眠る母親に視線を落とした。
袈刃音が遅れてやって来たのは、丁度その頃だった。
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