第76話YOU DIED
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「な、何今の……っ」
「分かんない。けど、部屋の方から聞こえ――「行かなくちゃ!」――ちょっ、マミお母さん。待って!」
瑠璃の制止を振り切って、満実は子ども達が待っているはずの部屋へ駆け出した。
頭からバケツ一杯の氷水を被せられたように、サーッと血の気が引いていく。
思い出すのは筒彌の様子。あの時、彼女は前で傷を負っている方の手を隠した。
だからこそ、このタイミングで何かが起こったとすれば、その可能性しか考えられなかった。
「うわぁぁぁぁぁぁあ!」
物置部屋を過ぎた辺りで正面の扉が開き、そこから人影が飛び出して来た。
自分の代わりとして、子ども達の様子を見守ってもらっていたはずのあの男性だ。
悲鳴を上げ、酷く取り乱しながらこちらへ向かっているのが見えた。
「奥澤さん」
「に、逃げろぉッ。ゾンビ、ゾンビがッ、筒彌さんがゾンビに!」
「――ッ!あ、ちょ」
驚きに足を止めてしまった満実を置き去りに、奥澤は外へ逃げて行った。
だが、彼を止めている時間はなかった。
ドアの先の部屋にはまだ子ども達が残っている。
「皆!」
辿り着くと出入口の近くに小学生組の子達が何人かいて、一瞬、騒ぎの中心にいる人物に目が行った。
「……っ、筒彌さん」
満実が筒彌の姿を目にした時には、既に遅かった。
どこか小動物のように臆病で大人しかった彼女は事切れ――凶暴なゾンビとなってしまっていた。
その右手を見れば出血しており、小指の先から血がポタ、ポタと滴り落ちている。
まさか、本当にゾンビに噛まれていただなんて。
「っ!皆、部屋から出て、外には出ちゃダメ。早く、早くッ」
呆然としていたのも束の間、直ぐにその場にいる全員に呼び掛けて逃げるように叫ぶ。
混乱の最中、満実の呼び掛けに子ども達が気付き、彼女の名を呼びながら一人、また一人と出入口の方へ逃げ始める。
が、同時に、ゾンビもこちらへ鈍い足を進めた。
不味い。
音にだけ反応する習性のお陰で、今までは周囲で騒ぐ子達の声に意識が四方に散り、ゾンビは一貫性のない動きをしていた。それが今ので、狙いが一つの方向へ定まってしまった。
「あぅっ。……う、うぅ」
「知利花ちゃん!」
その時だった、施設でも年少組の女の子が躓いて転んだ。
そう。数日前、コノミチが失踪したのを教えてくれたあの子だ。
「――ひぅっ!」
ゾンビがこちらに向かう足をピタリと止めた。
立ち上がろうとする知利花がそれに気付くと、屍となった筒彌が虚ろな瞳で足元の少女を凝視していた。
顔がそちらを向き、重だるそうに揺れながら体も遅れて向き、ゆらり、ゆらり、また揺れて――次の瞬間、凶暴な歯を剥き出しにして知利花へ襲い掛かった。
「危ないッ!」
知利花を勢い良く傍から抱き締め、満実はゾンビの前から飛び退いた。
その勢いのまま盛大に転んで右肩を床に打ち付ける。
「うっ、くぅ……」
半袖の服だから、フローリングの板の上を引きずるように滑った腕の皮も少し剥けたかもしれない。
肩の激痛とは別に、痛いのと熱いのが混ざった感覚がする。
確認はしなかった。そんな事よりも、直ぐに立ち上がらないと。
だって、満実にはやるべき事が山ほどある。
子ども達を安全な場所に誘導しなければいけない。
怖い思いをした子がいたなら、一緒にいて「怖くないよ」と言ってあげる必要もある。
それに、この危機を耐え切って、戻って来た疲労困憊の千華達の介抱も。
帰って来た響を思いきり抱き締めるのだって、まだだ。
そして、そして――
「アグッ」
「っ!――あぁぁぁぁッ」
ゾンビは、背後から満実の左肩に噛み付いた。
耐え難い激痛の中、彼女は肩口へ喰らい付くゾンビを、上半身を捻るようにして強引に押し退けた。
直後に熱を伴った疼痛が襲い、思わず傷口を押さえてその場に蹲ってしまいそうになる。
だが、歯を食い縛って立ち上がり、満実は知利花を抱えながら出口へ駆け出した。
「っ。瑠璃ちゃん――あぁ、良かった。知利花ちゃんを……お願い」
「う、うん!」
遅れてやって来た瑠璃に知利花を託す。
瑠璃も何の疑問も持たずに受け取って、直ぐに部屋からの脱出に移った。
その後に続く満実だったが、二人が外に出たのを見て立ち止まる。
――ガチャリ、カチャッ。
「えっ?」
それに気付いた瑠璃は振り向き、そして、小さく疑問の声を漏らした。
後ろで自分に続いて来ているはずの満実の姿はなく、閉じられた出入口のドアだけが瞳に映る。
「は?え、お母さん……どこ、マミお母さん」
「ここだよ、部屋の中」
「へ?何で、に、逃げなきゃ!何でドア閉めてるの!?開けてよ、開けて、あけ、てッ」
少女は急いで入口の取っ手を掴み、開けようとする。
だが、開かない。鍵が掛けられている。
訳が分からないまま、瑠璃はドアの細長い擦り硝子に切り取られた満実の背中を見つめる。
ドアに背を預けたのか、そっと扉に当たる音がした。
「ごめん。お母さん、噛まれちゃった」
「――ッ。そんな、まって、待ってお母さん。やめてよ、逃げようよ。約束したじゃん、響が戻って来たら二人で……。お母さんがいなくなったら、誰があの子あやすの、慰めるの!?ねぇ、お母さん!」
「ふふ。大丈夫、大丈夫だよー……瑠璃ちゃん、大丈夫、だい…じょうぶ……だから」
「嘘付かないで。風邪引いた時、いっつもそうやって誤魔化すじゃん。大丈夫じゃないじゃん。やだよ、やだ、やだ!」
いつだって、笑顔は子ども達を安心させる力を持っている。
故にこそ、満実は笑顔を絶やさない。
それを知っている瑠璃だから分かる、彼女が今、ドアの向こうでいつものあの困ったように眉を寄せた笑みを作っている事を。
それが無理をしている時のものである事を。
「マミ、おかあさん」
「大丈夫、ゾンビはお母さんが何とかするから。だからお願いね、このドアは誰にも開けさせないで。特に、響ちゃんには。絶対だよ?」
「え、何?何、何するつもり?」
不意に嫌な予感が増して、瑠璃は満実を引き留めようとする。
だが、
「お母さん、おかあさ――」
――ベチャリ。
直後、そんな音と共に、ドアの擦り硝子を血飛沫の鮮やかな赤が染め上げた。
【次の話へ進みますか?】
【→はい/いいえ】




