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第45話家に向かいますか?

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 閉め切ったカーテンの隙間から陽の光が差し込み、明かりの消えた暗い部屋の姿をぼんやりと映していた。


 近くでずっと、冷房が無機質な音を発している。

 静かで、淡々としていて、部屋に漂う寂寥(せきりょう)感は、そこに酷く非現実な空気を生んでいる。

 少し前に起きたことが夢にさえ思えた。


 だが、外から届くうるさいくらいの(せみ)の声が、今までの全ては嘘でなかったのだと朝比奈旭に現実を突き付けて来る。


 自室のベッドの上で、旭はシーツを掴んだ。涙が零れ落ちそうになるのをグッと堪えるように。


「……っ」


 袈刃音が死んだ。

 どうして、こんなことになってしまったんだろう。

 何を間違えてしまったのだろう、自分は。


 いいや、全てだ。あの三人を前にして、我が身可愛さに(ろく)な抵抗もしなかった。助けを求めた。引き返せなくなるまで状況を放置した。旭の行動全てが、袈刃音を死に追いやったのだ。


 ……死ねばいいのに。死んでしまえばよかったのにッ。


 大切なものを何一つ守れずに、自分の手で傷付けて、そして失って……何が幼馴染だ。何が守りたいだ。

 泣いて叫んだって、もう何も返ってこない。過去を取り戻すなんて不可能なのに。

 後悔するくらいなら、初めから覚悟を決めて死ねばよかった。


 短剣に腹を貫かれ、あの三人組の前で膝をついた袈刃音の姿が、脳裏に焼き付いて消えてくれない。


「ヒナっちおはよ。朝だよ」


 扉を軽く叩く音が聞こえた直後、舞が部屋から顔を覗かせて尋ねて来た。


「おはよう、舞ちゃん」


「……眠れた?」


「う、うん、ちょっとだけだけど」


 眠れてなんかいない。

 あんな事があって、寝られる訳がなかった。

 けれど、嘘をついた。


 今の自分は上手く笑みを作れているだろうか。起き上がって涙を拭き、誤魔化すように笑って見たけれど、苦笑になってしまっていたらどうしよう。

 今にも声を出して泣いてしまいたいこの心が、もし顔に出ていたら最悪だ。


 それを舞に指摘されて、本当に涙が目から溢れ始めたら、旭はもう動けなくなってしまう。

 だから、


「行こっか」


「うん、ヒナっち」


 袈刃音の死から既に半日以上が経過していた。

 真白という人に、安全な場所まで舞と共に運んでもらい、そうして自宅まで辿り着いたが、袈刃音の両親には未だその事実を伝えられていない。

 帰って来ない袈刃音を心配して、昨日、彼の母の朱音から連絡が来たけれど。


「袈刃音っちのお母さん、どうだって?」


 居間に向かう最中、舞が訊くが、旭は返答に困る。


「その、詳しく……話せてなくて」


「……そっか」


「ごめん舞ちゃん、自分で袈刃音の事伝えるって言ったのに、私」


「ううん、仕方ないよ。電話で簡単に済ませられる話じゃないしね。神様のゲームの話も、人から聞いただけじゃちょっと信じらんないもん」


「外には出ないようには言っておいたよ。ゾンビ、怖いもんね」


 旭自身が経験した事、舞から聞いた事、それらを踏まえればゾンビは今後数を増やしていくだろう。

 そうなれば、それこそ映画やゲームのような世界になって、この鹿羽市がゾンビで溢れ返る事になる。


「本当、どうしてこんなことになっちゃったんだろ」


 小さく旭は呟いた。

 神様という存在が本当にいるのなら、直接問いたい。こんなゲームに何の意味があるのかと。

 無論、話すらできない現状では考えても仕方のない話だ。


 今は袈刃音の両親と合流して、自分が知っているだけの情報を伝えないと。


 ……袈刃音についても、話さないとはいけないとは思っている。上手く説明出来るかは分からないけれど。


「おはよう」


「ぁっ」


「ヒナっちのおとーさん。えっと、おはようございます」


「……おはよう、お父さん」


 居間に着くと、旭は父親の姿を見つけた。

 旅行用の大きな鞄を幾つも担いで、丁度部屋を出ようとしていたようだ。

 旭の父は既に昨日、帰宅途中に街中でゾンビらしき者を見たらしい。


 警察が駆け付けていたのもあって、その時は大して気にしなかったらしいが、旭と舞の話を聞いて、直ぐに家を出られるように夜の内から準備をしていた。

 威圧感のある鋭い目が、近くに来て、高い所から旭を見下ろした。


「家を出る支度は早めにな。舞ちゃんも」


「う、うん」


「分かりました」


「じゃあ」と、父の背中が玄関へ消えていく。

 それを他所に、舞が旭の耳元で囁いた。


「ヒナっちのおとーさんって、その……ちょっと怖いよね?」


「結構背も高いもんね。でも、話すとそうでもないよ。袈刃音とか、会ったらよく会話してたし」


「へぇ、あのビビりの袈刃音っちがねー。意外――って、ぁっ、ごめ……」


 しまった、という顔で舞が謝ろうとする。

 謝る必要なんてないのに。こちらを気遣おうとしなくても構わないのに。


 袈刃音の名前が出るだけで、胸が痛む。

 けれど、悪いのは全部旭自身だ。


 だから、


「舞ちゃん、朝食べよっか」


「う、うん。そだね」


 せめて今だけは、穏やかな時間を過ごしていたいから、そうやって表情を取り繕って話をなかった事にするのだ。

 重苦しい空気は作りたくない。


 食欲はなかった。寝不足だからだろうか、何だか口が食事を受け付けない。


「食べないの?」と舞に訊かれ、パンを少量千切って口へ運んだ。

 しかし、結局食べられたのはその一口だけだった。


 向かう先は袈刃音の自宅。


 着替えて、荷物を持ち、車へ父と母、舞、そして自分を含めた四人が乗り込む。

 そこまで距離のある場所ではない。下校の時は同じ方向で、袈刃音の家の方が学校に近く、旭はいつも途中で彼と別れてから帰宅していた。

 一度国道に出て、近道として毎回使う狭い道を走ると数分で到着するだろう。


「えっ」


 父親の運転で目的地へ車が向かう。

 と――そこでゾンビが人を襲う様子が窓の中から見え、思わず旭は絶句した。

 人が人に襲われている。食われている。殺されている。

 ゾンビ。そう、亡者となった者達が生者を手当たり次第に襲い掛かっていた。


 大勢が集まるそこで、混乱は今まさに大きくなろうとしている。


 が、その時だった。


「――ッ!?」


 ゾンビが車のドアを開け、次の瞬間――一番近くにいた旭の腕を掴んだッ。

 不死者の潰れた叫び声が車内の静けさを一息に蹂躙する。


「ヒナっち!」


 車内の全員が驚愕する中、真っ先に動いたのは舞。

 外へ引き釣り出されそうになる旭の腰にしがみ付く。

 旭自身も抵抗して、ゾンビの手を腕から引き剥がそうと急いた。


 そんな彼女に亡者が噛み付こうと迫った。


「ッ!やめッ」


 咄嗟に旭は不死者の腹に足を突き出す。

 かろうじて噛まれずに済み、腕を掴む手も離れた。

 しかし、それが不味かった。蹴りを食らい転んだゾンビが旭の足首を捕まえたのだ。


 懲りもせずゾンビが大口を開け、彼女の足に食らい付こうとする。

 何度も、何度も、何度も、旭はその顔面を蹴り、ドアを閉めて不死者の上半身を挟む。

 が、強い握力で足を離してくれないッ。


 ――このままじゃ……ッ。


 噛まれる。

 こっちは、全力でやっているのに。必死の抵抗が全然効いていない。

 旭達の乗る車は、赤信号に捕まったまま動けずにいた。前方には信号機の前で止まる車が数台。旭の父親がクラクションを鳴らし、前の車に働きかけるが進んでくれない。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう。どうすれば――


「?」


 そこで、旭の手何かが触れた。

 刃物だ。昨日、あの長い銀髪の少年から手渡され、袈刃音を刺したあの短剣だった。

 廃工場から逃げる時、持って来てしまってからずっと近くに自分の置いていた。


『その短剣は特別だ、神以外の全てに害を及ぼせる』


 あの銀色の髪の少年が袈刃音に向け放った言葉。

 それが脳裏に蘇った次の瞬間、旭は短剣の柄を掴み、這い上がって来ようとしたゾンビの喉に思い切り突き刺した。


 血が飛び散り、ゾンビの動きが止まった。いや、それどころか不死者の肉体は脱力して地面に転がり、二度と動かなくなった。


「閉めろ旭……!」


 言いながら、旭の父が強引に車を加速させる。

 車体が動き出した直後、旭は指示通りドアを閉めた。

 短剣を見つめる。今まで使った事のある刃物の中で一番の切れ味、まるで豆腐を刺したような……。

 けれど、実際に刺突したのは人の肌だ。時間が経つにつれて、その事実が旭にしつこく纏わり付いて来る。


「――っち、ヒナっち」


「?ぁっ、えっとどうしたの、舞ちゃん」


 不意に舞の声が聞こえ、顔をそちらに向けた。


「大丈夫ヒナっち?噛まれてない?何か、顔色悪いよ」


「う、うん。ありがと、平気だよ」


「そっか。なら、いいんだけど……」


「よし、直ぐ着くぞ」


 危機を脱し一息ついた旭に、運転席から二人の様子を一瞥した彼女の父が安堵しつつ告げる。

 言葉の通り、旭達はほどなくして袈刃音の家に到着した。


 車を降り、玄関の前で旭は立ち止まる。右手の人差し指をそっとインターホンに近付け、けれど、躊躇った。


 ただ、インターホンを鳴らす前にドアは開いた。


「ん?あぁ、旭ちゃん。車の音したと思ったらやっぱ来てた」


「朱音さん……」


 袈刃音の母の朱音。彼女が玄関の扉を開けたのだ。


「取り敢えず、中(はい)って。袈刃音も来てんでしょ?ったく、朝帰りなんて、あとでしこたま叱ってやんないと――」

「死にました」




「……え?」


 驚くほどすんなりと、旭は自分の口から袈刃音の死の事実を告げた。


「あ、えと、旭ちゃん何言って……。はは、冗談でしょ?」


「嘘じゃ、ないです」


 朱音の顔は見られなかった。ただ俯き、事情を伝える事に努める。


「袈刃音は、昨日……目の前で死にました。それで、それで……」


 けれど、説明しようとすればするほど、声が震え、言葉に詰まり、今すべき事が出来なくなる。

 へその下まで持って来た両手の細い指を痛いくらいに絡ませ合い、どうしようもない悲しみと申し訳なさに旭は必死に耐えようとした。


 泣いてはいけない、ここで泣いたら駄目なんだ。

 知らせなきゃいけない事が、まだたくさんある。

 そのために、昨日から今の今までずっと(こら)えて来たのに。


 ……でも、瞳が潤んで、旭は視界がぼやけるのを止められなかった。


 堪らなくなって、零れ落ちる涙を塞ぎ止めるようにサッと目に押し付ける両の(てのひら)

 感情の制御はままならず、嗚咽の声も漏れ出す。


 止まらない、止まらない、止まってくれない。


「ごめん、なさい。私が…………」


 袈刃音を死なせた、そう言ったって過言じゃない。

 やっと振り絞って口に出した「ごめんなさい」の先が、泣いている所為で朱音に言えなかった。


 しかし、近くいた小野寺舞は、旭の言葉の続きを汲み取っていた。汲み取った上で――それを否定した。


「ヒナっちはッ。ヒナっちは悪くないじゃん!」


「まい、ちゃん……?」


「ヒナっちは連れ去られただけで、学校の皆をあんな目に遭わせたのも、袈刃音っちを殺したのも全部アイツらじゃんか!何でヒナっちがヒナっちを責めるの?おかしいよッ」


「で、でも」


「でもじゃないもん!袈刃音っちだって、きっとヒナっちにそんな風に思って欲しくて助けようとしてなんかなかった。あの廃工場に来るまでだって、袈刃音っち、命懸けでヒナっちの事探してたんだよ?それに、まだ袈刃音っちが死んだって決まってない」


「「え?」」


 舞の発言に、思わず尋ねてしまったのは旭だけではない。朱音もだ。

 対する舞は、先程の衝撃的な台詞と裏腹に、自信なさげな声で続ける。


「……だって、その、私が最後に見たときはまだ死んでなかったし、死体はまだ見てないから。ヒナっちもそうじゃないの?」


「それは……」


「ほら、じゃあまだ分かんないじゃん。もしかしたら生きてるかも、だったら探さないと。違う、かな?」


「……」


 舞の言い分は理解出来た。ただ、それはかなり希望的観測だ。

 捜索に動いたって――


「話、長くなりそうだね。やっぱ、一旦家入ろっか皆」


 旭が沈黙する中、朱音は何か考える素振りをして、直後にそう言った。

 靴を脱いで家に上がると、彼女は旭の方を再び振り返る。


「何か、あったんでしょ、旭ちゃん。大事な話なのは分かったから、初めから教えてもらえる?」


 家の中に入ってからは、宣言通り朱音はしっかりとこちらの話に耳を傾けてくれた。

 袈刃音の父の灯弘(ともひろ)もだ。

 旭と舞は昨日の事を詳しく話した。旭の両親も会話に加わって、そうして全てを説明し終えた頃だった。


「そっか。袈刃音が……」


 朱音と灯弘の表情は、決して明るいとは言えなかった。

 ただ、突き付けられた事実は呑み込もうと真剣なのは確かだ。


 呟いたまま無言になっていた朱音だが、ふと、旭の顔を見て微笑んだ。


「取り敢えず、旭ちゃんはシャワー浴びて寝ないとねぇ」


「え?」


「そのさっき言ってたゾンビの血、着いちゃってるし。それに(くま)、出来てるよ?寝てないんでしょ」


「あっ」


 言われて旭は顔を手で触ってみるが、鏡でもなければ今の自分の顔色なんて分からない。


「着替えはあるんだっけ。ベッドは袈刃音の使っちゃっていいから。せめて仮眠くらいしとかないと」


 旭に拒否権はなく、直ぐに風呂場へ連れて行かれた。

 風呂から上がり、パジャマ代わりに体操服を着た旭を出迎えたのは、カーテンを閉め切った一人部屋――袈刃音の部屋だった。


 久しぶりに来た。前回来たのはいつだったか、前とは雰囲気が少し違う。

 陽光がカーテンの隙間から入り込み、薄暗いというのもあるが。


 ベッドに腰を下ろし、旭はゆっくりと横になった。

 自分の息遣いが分かるほどに静かだ。シーツの優しい肌触りを、何となく指先で味わう。

 慣れない枕の高さとマットレスの感触に包まれながら、旭は掛布団を鼻の近くまで被せた。


 ――袈刃音の匂いだ……。


 その匂いが、旭の心を自然と落ち着かせた。

 瞼が次第に重くなる。さっきまでは眠くなかったはずなのに、心地いい眠気が眠りに誘って来た。


 目を開けていられなくなっていき、意識は緩やかに暗闇へ沈む。


 旭が静かな寝息を立て始めたのはそれから直ぐの事だった。



文月です。

今回は少し長めの内容でした。

できれば今月中にあと一話投稿したい……けど、どうでしょうかね。

文月は書くの遅いですから。とりあえず頑張ってみます。



【・ご案内】

 下の★★★★★の部分は、読後、ぜひ本作の評価にお使いください。

 ブックマーク、感想などもよければ。


 作者のモチベーションとなります。


 《完了》





【次の話へ進みますか?】

【→はい/いいえ】

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