第44話情報共有を行いますか?
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リビングに向かった千華達から別れて、袈刃音は廊下の最奥にある部屋へと進む。
ガチャリ、とドアが静かに締まり、鍵がかかる音が背後で聞こえた。
袈刃音が振り返ると、一緒にやって来た響が扉に背中を預けつつ、天を仰いで、脱力するように大きく溜息を吐き出した。
沈黙の時間が一秒、二秒、三秒……と長く続く。
「――正直、やばかった」
彼女は重い口を開き、やっとそれだけ言葉を紡いだ。
そうして、そっと、ヘッドフォンを頭にかけた。
響は耳が良過ぎる。先程、千華が袈刃音を呼んだ時のように、混乱の最中、遠くからの声でさえ明確に聞き取れてしまうほどに。
故に、ほんの小さな音でさえ拾ってしまい、普通に暮らしているだけで神経をすり減らす。
だからこうして、普段はヘッドフォンで耳を塞ぎ、鋭敏な聴力による弊害をなくしているのだ。
「それを外すくらい、だったもんな」
響は首を小さく縦に振った。
「他の能力上げとかないと体持たないから、【剛力】は。ゾンビの大量発生で、碌に休めないこのゲーム序盤じゃちょっとね。袈刃音が来るまでは、耳に頼るしかなくて」
「ごめん、もっと早く来れてたら……」
「いいよ。だって、誰も死んでない。――けど、どうして遅れたの?袈刃音なら、昨日のうちに来れたでしょ。それに、前回とゾンビの動きが違う」
袈刃音を見る彼女の鋭い眼差しが、部屋の空気を引き締めた。
確かに、そろそろ本題に入るべきだろう。
「その話は、妾を差し置いてするつもりか」
「えっ?」
「クロノ、おまッ。壁から……どうやって」
白い壁をすり抜けて、クロノが室内へと入って来た。
一体どういう事だ?彼女は今、人間のプレイヤーとして『アンデッド・ゲーム』に参加している。神の世界の規定とやらで、神の力は使えないはず。
「誰が全ての力を使えなくなったと言った。ほれ、話を続けよ」
「……袈刃音、この人何者…………?」
「ぁあ……そう、だな。紹介しとかねーと、か。まぁ、Tシャツに短パン履いててイマイチ信憑性にかけるかもだけど、神だよ。コイツは」
「な!?神ッ」
「落ち着け響」
「で、でもッ。……こいつは――」
「味方だよ。取り敢えず、座って。ちゃんと話すからさ。クロノも」
即座に戦闘態勢に入った響をなだめ、袈刃音は近くにあるソファへ彼女を促す。
不信感を抱きながらも、響が座り、その正面の席へ袈刃音とクロノが腰を下ろした。
「それで、どういう事。この人が神って、袈刃音、本当の話?」
「本当だよ。こいつはクロノ、時空を司る神。でも、ゲームを始めたのはクロノじゃない。遊戯神だ」
「遊戯、神?」
「あぁ。俺はあの野郎に――いや、話すより【メモリー】見てもらった方が良いか」
可能かどうかは試してみないと分からない。
しかし、【メモリー】は袈刃音の記憶の結晶だ。それを見せられるならば、口で説明するよりも早く、正確に伝えられるだろう。
とはいえ、全ての記憶を開示する訳にはいかない。以前クロノが言っていたように、大量の情報を一度に渡す行為は、体へ相当の負荷を強いる。
何をするつもりなのか、と疑問の表情を浮かべる響を前に袈刃音は悩む。
「【メモリー】、抽出。……このくらいで、大丈夫か。で、あとは記憶を響にも閲覧させるだけだけど」
ゲームシステムが眼前に浮かべる薄い黒の板に、短文が表示される。
「ん。よし、いけるな」
「袈刃音、何するつもり?」
「これから、俺が【ポイント】使って保存した記憶を見せる。俺の許可があったら、誰でも記憶は閲覧は出来るみたいだし。いいよな」
「う、うん。いいけど」
返事は返すも、響は未だに話の全容を掴めずにいた。
クロノと呼ばれた美女を一瞥する。
仮に袈刃音の言った通り、彼女が本当に神だったとして、自分が感じ取ったこの異変にどう関係しているのか。
女神本人は澄ました顔で、豊満な胸を両腕で持ち上げ、足を組んだまま座っているが。
「【メモリー】閲覧。えっと、これで……いいのか?」
袈刃音のその言葉が聞こえた直後だった。
「――ぁっ。これ、袈刃音の記憶?」
響の脳裏に、袈刃音が目で、耳で、肌で経験したものが流れ込んで来た。
袈刃音が時間遡行を決意した時、自分と彼が出会った時、別れた時。
そして、時間を巻き戻すのに必要な【ポイント】を溜め切った時。
全ての準備が完了した時。
どれも断片的な記憶。けれど、ここまでは問題らしい問題など起きていないはず――
「え?」
思わず、響は自分の口からそんな声を出してしまった。
袈刃音は確かに時間遡行をした。だというのに、自分と合流することなく、同じような未来を辿っていく。
……一度だけでは、ない。何度も、何度も、何度も。
「何で、繰り返して……」
連続する僅かな記憶達の中に宿る想いが、願いが、幾度も白紙になる。
しかし、ある時、袈刃音が全てを思い、出し、た……。
「!?――うッ」
「響!?」
強烈な吐き気が響を襲い、耐えきれなくなった彼女は部屋から飛び出してトイレへ走った。
これは袈刃音の記憶の欠片、自分は朝比奈旭を失っていない、その瞬間の記憶も見ていない。見たのは、彼が全てを知ってしまったあの場面だけ。
それだけ、それだけなのにッ。
「うぉえ……!ゲホッ、ゲホゴホッ…………」
胃から喉へと込み上げて来る物を、響は便器へ思いのままに吐き出した。
咳き込み、両目の端から涙が溢れ、一度は治まったはずの吐き気が再びやって来た。
胃の中のものをすべて出し切ってしまったからか、口からは胃液だけが零れ落ちる。
その最中でさえ、響の脳内で袈刃音の記憶が共有される。
いや、これは記憶だけではない。当時、袈刃音が抱いた怒りと悲しみと、絶望と、そして狂気が、そのまま自分の中に流れ込み心を苛む。
「う、ぁ……ッ」
胸が苦しくて、張り裂けそうなほどに苦しくて、震える右手が胸倉を頼りない力で掴んだ。
蹲り、身勝手に流れ落ちる涙が視界を塞いでいくのを放置した。
……だって、今にも叫び出してしまいたい。
駄目だ、これは。この感情は、この記憶はきっと――。
「響、大丈夫か。響!」
「袈刃、音。うん、大丈ぶ……。分かったよ、何があったのか。全部、分かった」
「そう、か……」
「…………ねぇ、袈刃音。これ、他に誰かに見せた?」
「えっ。いや、お前が初めてだけど」
それを聞いて、響は胸の中で安堵した。
こんなもの、誰が耐えられるだろう?――いや、耐えてはいけない。
自分も、誰も、堪えることはできない。
もし、これ以上袈刃音の過去を覗いてしまったら、多分、どこかで気が触れてしまうだろうから。
だから、
「袈刃音」
「どうした?やっぱ【メモリー】見た所為で」
「ううん、ちがくて。ちょっと、ちょっと情報量が多くて、それだけ。……でも、その記憶、もう誰にも見せちゃ駄目だよ」
【メモリー】の閲覧はつまり、記憶の主である袈刃音の心を共有するということ。
比喩ではない。外から入って来た感情と自分の心が混ざり合い、本心がどこにあるのか分からなくなって、そうして……。
兎に角、こんな危険なモノ、無闇に使うべきではない。
「えっ。あぁ、分かった。……そんなに見せられるモンでもねぇし」
「その方がいいと思う。でも、ごめん……ちょっと、休ませて」
「俺の方こそ、ごめん。無理させた。話は一旦後回しだ」
「うん」
響が頷くと、袈刃音は彼女の手を取って寝室の方へと向かう。
幸い、情報の共有は済んだ。
欲を言えば、この後の行動についても話をしておきたかったが。
自分のミスだ、袈刃音自身の。
それに、響は先程まで数十近いゾンビに囲まれながら戦っていたのも事実。
どちらにしろ、休憩させるべきだ。
話はその後でも十分だろう。
「すぐ、治すから。安心してよ袈刃音」
「急がなくてもいいっての。俺も、やる事がない訳じゃないし」
そう、袈刃音にはすべき事がある。
正確には、確かめておかなければならない事、というべきか。
――早速、確認しに行くか……。
部屋へ足を進める中、袈刃音は一人、次の行動へ向けて意識を切り替える。
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《完了》
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