コトバノオバケ
グッと伸びをしてベッドから起き上がる。
窓の外には青く深く澄んだ空が広がり、秋らしく雲一つ無い舞台に気を良くした太陽が今日もなんだか得意げに見えた。
私はハル。それ以上でもそれ以下でもない。
初秋を過ぎたというのに日はまだ暑く、街行く人は気まぐれな風の心地よさを感じながら街並みを流れてゆく。私は数年前から実に質素になってしまった自室を出ると、階段を一段とばしで下りそのまま外に出た。
「おい、捕まえろ!」「あっちに行ったぞ」と、どうやら今日も悪ガキたちが悪戯を成功させたらしい。恰幅のよい肉屋の親父が肉包丁を片手に叫ぶ姿は、一見全く穏やかではない。だがそれは、私やこの街の人間にとっては、寝坊して朝の説教に遅れてくる神父の寝癖と同じくらいには見慣れた光景である。
自称詩人の私にとって、散歩と人間観察だけが毎日の楽しみである。今日はどんな面白い事が見られるだろうか。今日もウキウキで人の流れに飛び込んだ。端から見れば面倒な人混みも、中に入ってしまえば私もその一部である。様々な屋台が並ぶ通りを抜けて、気の向くままに足を伸ばす。
日はまだ高くにいるはずだが、裏通りへの薄暗い入り口が不気味に私を手招きする。別にそこに何があるわけでもないが、なんだか少しワクワクして覗いてみる。案の定、浮浪者や乞食、ネズミやカラスがいるくらいであり特に面白くはない。毛艶のよい黒猫が影の中から私をじっと見つめていたので「やあ」と声をかけると何処かに行ってしまった。まあいいか、次へ行こう。
中央区に入ると、無駄に大きくそして古くボロい建物が目に映った。よくいえば無骨で無難な建物だ。中央区は無駄に格式張ったというか、気取った外観の建物がよく目に付くが、そこは何にもまして年期が入っている。
さて、今日はここにしようか。
建物の扉を抜けると、街の人混みとはまた違った喧騒が広がる。ここは冒険者ギルド、言わずとしれた便利屋組織だ。こんな事を言っていると知り合いの冒険者が怒るかもしれないが、私からすればその程度の認識である。ギルド内を見渡すと、まだ昼過ぎだというのに幾つかのテーブルでは既に酒盛りが始まっている。
訂正しよう。ギルドとは、ただのその日暮らしの飲んだくれ集団のアジトである。いい歳した大人が昼から酒とは呆れたものだ。まあ、仕事もせずにフラつく私が言えたことではないが。
そんな中ポツンと如何にも胡散臭い格好の男が一人、昼食を食べているのを見つけた。
「やあ、今日も相変わらず死人のような顔だね」
男は目線だけをこちらに向けると、嫌そうな表情を作る。心外なことに彼が私を笑顔で迎えてくれたことはない。彼はこんな私と話が合う数少ない人間である。
「黙れ。お前にだけは言われたくない」
「つれないねぇ」
死霊術士だからといって雰囲気までそちらに寄せる必要もないと思うのだが、どうにも彼は明るく振る舞うつもりは無いらしい。形から入るタイプなのか、はたまた生まれた時からそういう人間なのか。
「気持ち悪い笑顔でこちらを見るな……」
「仮にも女性に言うセリフではないね」
「……さっさと消えろ」
じゃあねと手を振ると、ご丁寧に舌を打って返してくれた。嫌も嫌よも好きのうちとは言うが、私はそんな勘違い野郎ではないし、そもそも野郎でもない。
彼はまた今度からかうことにして、今度は窓口へと向かう。
そこには、私にとっては顔なじみの行き遅れ受付嬢が頬杖をついていた。相変わらずの表情からは気だるさが滲み出ている。思うに彼女が行き遅れている原因は、この態度と考えていることが口と顔に出過ぎてしまうことだろう。
「何か面白いことないかい?」
「あー、暇」
「ふふっ、だろうね」
「そう言えば、あの新人君まだ帰って来てないわね」
彼女は不意に何かを思い出したのかスッと姿勢を正すと、なにやら積まれた書類をあさり出した。あまりに雑多なせいで書類が何枚か床に散らばったが、彼女がそれを気にする様子はない。
「新人クン?」
彼女はようやく見つけ出した依頼の控えを次々に確認していく。特に返事はなかったが、ぶつぶつと何か言っているのを聞き取ると、どうやら朝から出たはずの新人冒険者がまだ帰ってきていないらしい。
「依頼が長引くいてるのかねー」
「やっぱり……けど、簡単な採集依頼で長引くとは思えないわ」
「まあ、それはそうだね」
そうこうしていると、依頼を終えて戻ってきた冒険者の中に、ボロボロの少年と疲れた表情のベテラン冒険者の姿が見えた。私を挟んで行き遅れ嬢と目が合ったベテランさんが肩をすくませ溜め息を漏らした。どうやら噂の新人クンとは彼らしい。
ベテランさんに受付を譲る。話を聞くに、どうやら新人クンが無茶をしたついでに魔物に襲われ、たまたま通りかかったベテランさんの世話になったらしい。新人クンは、疲労よりも自身の情けなさに堪えたようで、ギルドに着いたときから彼の目には床の木目しか映っていない。そして、一通り怒られた新人クンは足取り重くギルドを出て行った。
「誰かが様子を見に行ってくれてもればいいのにねー」
新人クンの落ち込みっぷりを見かねた、行き遅れ嬢が酒盛りを楽しむテーブルを一瞥し溜め息をついた。そんな彼女の呟きにベテランさんも苦笑いで酒場の方に行ってしまった。
「いやはや、まったくだね」
私は呆れた彼女に答えるようにギルドを後にした。気付けば太陽が傾き空が橙色に染まっていた。人通りの減った街並みにぼんやりと明かりが灯る。私は新人クンの影を探し、懐かしいような家庭の香りが漂い始めた街を歩き始めた。
秋の黄昏のこの感傷に浸りたくなるような、なんとも心地よい雰囲気が私は好きだ。当ては無かったが、少し冷たい風に誘われて気付けば私は教会の裏手にある野原に立っていた。
少年もそこにいた。
座り込み俯く少年に近づくと、彼の膝の上には毛艶のよい黒猫がくつろいでいた。
「猫、好きなのかい?」
少年の隣に座ると猫だけが不思議そうに私の顔を覗き込んだ。私はそれにまたあったねと微笑み返した。
「僕は……僕はただ強く成りたかったんだ……」
彼にとっては懺悔、というよりは独白だったのかもしれない。少年の頬を涙が伝い、膝の上の黒い毛を濡らした。彼の頭を優しく撫でる。
「知ってるかい?花はね、早く咲くものより後に咲くものの方が美しいのさ」
少年の代わりか、猫がニャーと鳴いた。
私が彼にそうするように、少年が猫を優しく撫でる。猫はこちらを気にしながら心地良さげに大きな欠伸をした。
「別に焦る必要は無いさ。本当に優れたモノは時間を掛けて出来上がるものさ。だから、ゆっくりでもいい君は君のペースで着実に頑張ればいい」
暫くして猫が去り、次に私は少年と山の端に沈む太陽を見送った。是非とも彼には夢を叶えて欲しいものだ。口笛を吹きながらすぐ後ろの教会の墓地へと足を向ける。
夜の帳が下り、頭上では月と星々が優雅に舞う。今夜は星にでも願ってみようかと、星が落ちるのを墓石を椅子代わりに待つことにした。
我ながらロマンチストだなと苦笑する。
私はハル。それ以上でもそれ以下でもない。
私のコトバは誰にも届かず、きっと誰にも響かない。
それでも私はこの日常に満足している。
私はハル。詩人気取りのただの幽霊である。
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