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クピド vs アンテロス

 

『アビルーバさんと引き分けたって本当ですか?』


 クピドに、挑むような眼差しで問いかけてきたのは、愛らしさと凛とした美しさを織り交ぜたような完璧な美少年だった。


 すんなりと伸びた華奢な四肢と、絶妙なバランスで配置された甘く華やかな目鼻立ちは、思わずこのまま少年の時を止めさせたくなるような、妙な気持ちにさせる。ある種の危うささえ感じられるほどだ。


『いや。オレの負けだ。ハンデがあったからな』


 正直にクピドは問いに答えた。

 引き分けは無効とされる。ゆえに記録に残らない。

 果たしてそれがどのような戦いだったのか、実際に見ていなければ当事者以外に知りようがない。


 だが、彼らにとって勝負は厳正なるものだ。嘘や誤魔化しなど有り得無い。それは戦う彼らが守るべき最低限のルールなのだから。


『なんだ。そうだったんですか。僕はてっきり……クスッ』


 ふっと気を抜いたように肩をすくめると、手の甲を口元に当て、上品に美少年は嗤った。

 クピドは、どこか馬鹿にしたようにも受けとれる表情を見せて笑うこの少年に、少しばかりムッとした。


『てっきり、何だ』

『……てっきり、貴方が僕の知らない間にエロース兄さんに勝ってしまったのかと思って』


 少年は、優雅に口元を押さえたままだ。


『でなきゃアビルーバさんが貴方とバトルなんて信じられなかったもんですから。だって僕のほうがアビルーバさんの先約だったんですよ? 無駄に焦って損しちゃいました。クス。そうですよね。そんなに簡単に兄さんに勝てるわけないですよね。フフッ。けれどハンデ付き? なあんだ。アビルーバさんのお遊びってヤツでしたか』


 あからさまな見下しと共にクスクス笑い続ける少年へ、クピドはこめかみを引きつらせて低く言った。


『オレはエロースに簡単に負けるつもりなど無いぜ?』


 少年の笑みが、もっとたちの悪いものに変わった。


『へえ? 兄さんと互角に戦える自信、あるんですか。無謀にも挑んだアモルさんはこてんぱんに負けてましたけど』

『奴と一緒にするな』

『へえ……。まさか勝てると思ってるんですか。貴方ごときが。ずいぶん天狗になったものですね。たかがハンデ有りの引き分け程度で』


 一見花のような美少年のおもてに、少年らしからぬきつく険しい色が一瞬浮かんだ。

 クピドは、普段から軽々しい態度を取るような輩ではない。が、決して弱気な態度を見せるような者でもない。

 だから、無視しようとは思わなかった。特に、この少年相手の場合には。


『なら、オレの力を試してみるか、アンテロス』


 ギラリとクピドの瞳に光が宿る。


『僕とのバトルを望むのですか? もし、貴方のワンランク上である僕を倒したなら、ランクアップが早くなりますしね』


 その通りだ。


 無言でクピドはアンテロスを睨み続けた。


『もちろん、知ってて言ってるんですよね。エロース兄さんを除いて、今のところ僕は無敗なんですよ?』


 自信たっぷりに、華奢な美少年が言ってのけた。


『ああ。つまり一敗してるってわけだ』


 クピドが言い放った言葉に、アンテロスは片頬を歪めるように笑った。それはどこかエロースに似ていないこともない。


『……まあまあ面白い冗談です。いいでしょう。全力でお相手して差し上げます』


 二人はそれぞれのカードホルダーに手をかけた。

 その中には不可能を可能にする力が宿っている。



 ♢



 たぶんクラスの中で、一番顔がキレイな男の子は伊藤君だ。そして一番頭が良さそうなのも。でも、その伊藤君がずっと追いかけ回している(文字通り追いかけ回してる。朝も昼休みも放課後もだ。思ってたより行動力があるんで見直した)女の子は、クラスで一番おバカっぽくて賑やかな中村はるかちゃんだ。なんでだろう。謎だ。


 彼はあの子のどこが気に入ったんだろう。いや、友達も多いし面白い子だとは思うけど、なんか伊藤君と釣合わないって言うか正反対って言うか。けれど、あの二人のやりとり、見てるぶんには楽しい。地味クラスに娯楽提供ありがとう的な感じだ。


 それから、はるかちゃんの友達の山口あおいちゃんは、少しぽやーっとした感じのわりと可愛い子だ。

 あおいちゃんは私の隣の席の田中君と、いつのまにか付き合っていたらしい。これもなんで? だ。うんまあ、田中君は普通にいいヤツだけど。女子に優しいし。眼鏡男子だし。でも、これもやっぱり謎。


 正直言って、みんなの恋バナは面白かったりするけど、自分のことになると別で、ちっともピンと来ない。別に彼氏とかいなくても、今が楽しけりゃそれでいい気がするし。友達がいて、それなりに日々のお楽しみがあれば十分やっていけると思うんだな、私は。


 最近、あおいちゃんが田中君の席に来たりする。すると、はるかちゃんがついて来るので、伊藤君も近くに来ている。そんな図式ができはじめている。田中君の隣の席である私の近所あたりは、おかげでなんとなく賑やかになった。


 今日も朝早くから伊藤君がはるかちゃんをつかまえて、

 お前宿題やってきたのか? どうせ分かんなかったんだろ? なんなら教えてやっても良いけど慈悲ってヤツで? 可哀想なことに頭悪いようだし。とか言うので、

うるっさい! 家は頭と体を休めるとこなんだから宿題なんかやるわけないじゃん! いや教えてもらわなくて結構だから! あっち行っててよー! これからあたし自分でやるって! なんてイイ反応をはるかちゃんが返して、

ほんと強がりだけは一人前だな。貸してみろよ。とか、

もう! 勝手にあたしのノート見ないでってば伊藤! とか、

恒例となりつつある娯楽提供、違った、絡みが始まった。


 最近はもう、あおいちゃんさえ言い合いを止めに入らなくなった。お友達も公認扱い。


 私が二人をぼやーっと見ていると、山口あおいちゃんがこっちを向いた。

 私と目が合うと、彼女はふふって首を傾け、ほんわか笑った。


「最近、みんなもあの二人に馴れてきたよねー。さくらちゃん」

「そーねー。いんじゃない。観賞すんの楽しいし」


 あおいちゃんが私に話を振って来たので、思ったまんまに答えたら、あおいちゃんはまた笑った。おお、癒し系の微笑みだね。


「さくらちゃんらしいね。二人、もう付き合っちゃえばいいのにね。はるか意地張り過ぎかもー」

「え。まだ付き合ってなかったんだ。へー。私てっきりそうだと思ってたよ。ははは。伊藤君ファイト~」


 伊藤君に我ながら無責任な声援を送ったら、彼はニヤッて意地悪そうに笑った。ふーん。けっこう余裕かましてる?


「もー。さくらちゃんひどーい。なんで伊藤? ここはあたしを応援するとこでしょ!」


 はるかちゃんがブーブー文句を言う。でも、彼女は本気で不満を言ってないと思う。目が笑ってるもん。


「いやあ、なんか頑張ってるなーって人のほうが応援しがいあるし。伊藤君って意外に頑張るなあって思って。はるかちゃん昨日も結局伊藤君に宿題見てもらっちゃってたじゃん。いいなあ。私も恩恵にあやかりたいよ。伊藤君頭いいしー。優しくしてもらって羨ましーい」


 そんなこと言ったら、はるかちゃんは頭からぽんっと湯気を出した。伊藤君はちょっと面白がってるような顔。けど彼は、すぐに少し眉根を寄せてたずねた。


「何、まさか小林も宿題やってないのか?」


 心配してくれちゃって伊藤君って根は優しいんだねえ。いつも表面の意地悪がぶち壊してるけど。私は首を振った。


「ダイジョブやってある。あ、もしやって来てなくても、今、伊藤君に教わるのは遠慮しとく。邪魔しちゃ悪いしー。それ絶対馬に蹴られちゃうだろうしー。二人を見てた方が面白いしー」


 すると、あおいちゃんがクスクスと口元を押さえた。隣の席の田中くんもあっち向いて吹き出した。どうやら密かに聞いてたらしい。


「さくらちゃんひどーい! か弱い乙女を助けるとか無いのー?」


 上気したはるかちゃんは抗議の声を上げたけど、


「はいはいごちそうさまー。恥ずかしがっちゃって可愛いですよ、はるかちゃん」


 と言ってやったら、はるかちゃんはもっと真っ赤っ赤になった。やっぱ満更でもないんじゃないのー。


「何よ意地悪。さくらちゃんもおんなじような目にあってみればいーのよ!」

 


 ♢



『僕はあのコマにします。コマのご友人から推薦がありましたからね』

『好きにしろ。俺はあちらにする』


 軽くクピドはコマを値踏みするように眺め、シャープな顔を無感情に抑えたまま言った。

 アンテロスの口元には、馬鹿にしたような歪んだ小さな微笑がまだ浮かんでいる。


『このステージ属性はライトですね』


 おや、とアンテロスはステージをあらためて確認した。

 二人の立つ場所からは高校の校舎の二階の窓が見えた。足元には空。ちょうど、生徒が各教室からあふれ出てきたところだ。


『気に入らないってのか?』


 しかめ顔でクピドが訊くと、少年はにっこりと無邪気そうに微笑んだ。


『いいえ。残念ながら僕の得意分野ですよクピドさん。ただ、これじゃあ貴方が可哀想だと思って。でも、折角貴方が選んでくれたのですから僕は従います。さあ、カウントダウンは? 先攻をどうぞ』


 少年が空中で腕組みしたまま言った。崩れない柔らかな笑顔が花のようだ。

 ぴくりと器用に片眉をしかめて、クピドが口を開く。が、言葉より先に舌打ちが出た。


『チッ……全く小生意気な小僧だな。いくぜ、5,4,3,2,1、レディー、ゴー』


 今、二人の戦いの幕が切って落とされた。



 ♢

 


 私は、そんなはるかちゃんの反応を面白いなあって思ってしまう。

 いやー、口とがらせてウルウルお目々の可愛いプンプン顔で言われても、あんま迫力無いんですけどー。


「ちょっと、はるかちゃんその顔ラブリー。ぎゅーさせて!」


 衝動的に私がじたばたするはるかちゃんを抱きすくめたら、彼女はまた照れながら怒った。


「なによう。ハグなんかで誤魔化されないんだからね。ううう」

「ハハ。逆らうところがまたかわいー。私可愛いのって大好きー」


 女子二人が朝っぱらからいちゃいちゃ。どうだ、まざりたいだろう。ちらりんと伊藤君に目をやると睨まれた。ああ君、モヤモヤしてるな? 楽しーい。


「もうっ……あれっ? さくらちゃん何かいい匂いするね。どこのシャンプー? あれ。わ、さくらちゃん胸おっき……ちょ、何、すごい。知らなかった、ねね、カップいくつ」

「どっちも内緒。ふっふっふ~。羨ましい?」


 あー、今日も能天気ないい一日になりそうだわ。窓の外から差し込む朝の光が明るく白い。

 いつの間にかおいてけぼりになっちゃって、ついにむっとしたらしい伊藤君が言った。


「小林、とりあえず馬に蹴ってもらえば?」


 あはは。やだなあ半分本気だよこの人。やっぱ面白いなあ。



 ♢



 クピドは右手の二本指でカードを引き出して鋭く投げ打ち、準備を整えた。一枚はふわりと甘く空気に溶け消え、一枚は場に伏せ置かれた。


『俺の布陣はドリームガーデンだ。楽園の門番を装備する』

『なら、僕はダイヤモンドパラダイスにします。装備には暁の女神を。まずはお手並み拝見しましょう』


 対するアンテロスはゆったりとカードをめくった。少年の手から離れると、二枚のカードは薄く残像を残しつつはじけ飛んで行く。

 クピドは更にカードを引き、目の前に構えると鋭くはじき飛ばした。カードは連なって校舎の窓から中へと飛び込んだ。


『先攻、ヘヴンズゲート! ステージ効果でライト技ヘヴンズゲートに攻撃チャンス1プラス。天使の抱擁!』

『甘いですね。そんな攻撃で僕に勝てると思っているんですか。暁の女神、発動。そして僕のターンだ。追撃します。天上の香り!』


 アンテロスの手の中から二枚のカードが放たれた。こちらも後に続いて吸い込まれるように窓の中へと飛んで行く。


『力の差を思い知らせてあげますよ』


 純真な少年とはかけ離れた強い眼差しで、アンテロスがささやいた。



 ♢



 今日の一時間目の授業は朝っぱらから体育。


あおいちゃんと私は体育係なので、職員室へ体育館倉庫の鍵を受け取りに行った。


 清々しい透明な朝の光りは、窓の外からきらきらと惜しげもなくそそがれて、今日はきっと一日快晴に違いない。きっと校庭で陸上競技のハードルだ。……疲れそうだ。


 でも、先ほど着替え中に、お馬鹿な話で盛り上がった後だったので、テンションは低くない。


 体操着ってなんていうかアレだよね、ちょっとマニア向けだよね。ああそうそう、意外と生地薄いし、腹チラとか生脚とか全体のラインとかがねー、やっぱ筋肉の付き方がポイントなのよ、脂肪の間違いじゃないの、はるかちゃんは発育が足りないよ、余計なお世話、とかなんとか。


 しかし、そのせいで少し注意が足りなかったのは否めない。


 職員室の扉に手をかけようとしたら、扉が自動ドアの如く勝手に開いた。お陰で、前のめりになったまま中に勢い良く突っ込んでしまった。手を伸ばしたところで、つかむ予定の取っ手がすっと遠のいたもんだから、扉の向こうにいた誰かの胸に飛び込むかたちになったのだ。


 瞬時に、ぶつかると思って痛さを覚悟したのだけれど、衝撃はほとんどなかった。気がついたら私はしっかりした手でがっちり抱きとめられていて、妙な安定感と安心感があった。思わず閉じてしまった目をそーっと開いてみたら、正面に男の子の顔があった。


「おっとと」

「あっ、すみません……」


 謝りつつも、あったかく素晴らしい包容力に戸惑った。胸がドキドキいってるのはたぶん、まるで天国の固く閉ざされた門がイキナリ開いたような感覚に動転したから、だよね。


「大丈夫?」


 心配そうにのぞきこまれた。男の子が腕が体をしっかり支えてくれてる。童顔ぽいけど愛嬌のある顔立ちだ。ちょっとイイ。私の好きな可愛い系。いや、そんなのはどうでもいいことなんだけど。


「さくらちゃん大丈夫?」


 気遣うようにあおいちゃんが後ろから声をかけてきた。お陰でぼんやりした頭に朝日が差し込むように、はっと我に返った。


「あ、……うん、大丈夫だよー」


 徐々に思考力が戻ってきた。

 びっくりして少し早くなった鼓動は、早くも平常値に戻りつつある。いやあ、我ながらコケるなんて失敗失敗。


 私はそろりと彼を見上げた。へーえ。こんな人居たんだ。学年章は私のとおんなじ。じゃあ違うクラスの子か。何組だろう。


 私、やっぱ学生生活には楽しみって必要だと思うわけ。頑張って学校行く理由の一つがさ。楽しいものって多いほうがいいし、たとえそれ目当てだとしても、毎日ちゃんと学校行ってれば、結果的に勉強するはめになるってもんだよね。


 要するに、私はまたひとつ楽しみを見つけたってこと。


 ぴったり抱きついた形になっていた体をゆっくり起こすと、内緒で薄くつけてた香水の甘い花の香りがふわんと辺りに広がった。

 彼は私と目が合うとちょっと赤くなったようだった。おお、いい反応したねえ。自分でいうのもなんだけど、私ってば意外と発育良いもんね。それに制服より薄い体操着、ってね。あはは。



 ♢



『オレのコマのダメージは200。だが、お前のコマが食らったダメージは倍の400だ』


 クピドの指摘をアンテロスは一笑に付した。


『獲得ポイントは僕のほうが上です。貴方は2倍。僕は3倍です。コマのダメージよりもバトルポイントを稼がなくてはランクアップは望めないんですよ。クピドさんはまだまだ甘いんですね』

『なんだと』


 つい声を荒げてクピドがいきり立つ。しかし少年は薄笑いで答えた。


『ああ、いいんですよそれで。その甘っちょろいままでいて下さい。貴方を上には登らせません』


 アンテロスはカードを一枚ピッとつまみあげた。


『まだ僕のターンです。天上の香りにステージ効果で攻撃チャンス1追加、さあ行け、天使の讃歌!』

『くっ……させるか! 楽園の門番発動』


 力をこめて、クピドは伏せたカードを開いた。

 


 ♢



 私がお礼を言って体勢を立て直すと、彼はそっと手を離しながらきいた。


「本当に? どこか怪我したりしてない?」

「うん。平気」


 にっこり満面の笑みで答えるとやっとほっとしたようで、やや緊張を含んでいた彼の表情が目に見えてふわっと柔らかくなった。


「良かった。ああ、焦った」


 そんな彼の態度に感心した。いきなり飛び込み体当たりして、文句言われたっておかしくない状況なのに、逆にこっちの心配してくれて、いい人っぽいな。


「ホントごめんなさい。どうもありがとう。ぶつかって痛くなかった?」


 そう言ったら、彼は力いっぱい否定した。


「ううん、そんな。全然痛くなんか。どっちかっていうと、ちょっとやーらかかっ……」


 でも後半はもごもご口ごもって聞こえない。もしかして照れてる?


「おかげで危ないとこ助かったよ」


 男の子はくしゃっと笑って首を振った。

 職員室の入り口をふさいでそんなことをやってると、私らに気がついた渡辺先生が声をかけた。


「どうした小林? 山口も。早く行かないと授業が始まるぞ」

「あっ、渡辺センセ。体育館倉庫の鍵借りに来ましたー」


 目的を答えると、渡辺先生は鍵を取ってあおいちゃんに差し出してくれた。


「そうか。ま、怪我しないように。頑張れよ」

「はーい」


 にへらっと笑ったら、渡辺センセは私と男子生徒を見比べて、わざとらしいしかめっつらをした。


「おい小林、あんまり鈴木をいじめるなよ。お前と違って真面目なんだからな。悪いな鈴木。小林は少し冗談がきつくてな。悪気は無いようなんだが」


 ちょっと先生、ひどいじゃない。たしかに私は優等生なイイコイイコした生徒じゃないけどさあ。


「やだ、私何もしてないですー。ちょこっとコケただけで。危なく転ぶところを助けてくれたんですよー。発展途上ながらダイナマイツバディな私をガシッてね! 重いのにちゃんと受け止めてくれて、かっこよかったよね?」


 頬をわざとらしくぷうっとふくらませて、横に立ってたあおいちゃんにジョーク混じりの同意を求めたら、可笑しそうに含み笑いしつつ、うんうんと頷いてくれた。

 渡辺先生は疑わしそうに「そうか?」とだけ言った。ちぇっ。もう、信用無いなあ。


「そうだよね。私、他に何にもしてないよね?」


 鈴木君とやらに顔を向けると、彼はちょっと赤い頬のままこくりと頷いた。



 ♢



『貴方のコマのダメージは370です。獲得ポイントは5倍。なかなかいい防御装備でしたね。とは言え、効果はいまひとつでしたけど。もう一押しで落ちそうですね』


 楽しそうにアンテロスがポイントを確認する。


『だが、お前のコマも無傷じゃないぜ。しかも今度は俺の番だ』

『貴方のそういう諦めの悪いところは嫌いじゃありません。しかし、お相手している僕がカウンターのアンテロスであることをお忘れなく』


 鼻先でクスリと笑う。クピドもエロースのカウンターの恐ろしさは伝え聞いている。弟であるアンテロスはそれに引けを取らない返し技を放つという噂も。

 だが、アビルーバとの対戦で一つ得たヒントがあった。アビルーバは防御を一切使わなかった。強烈な攻めの連続。そして一撃倒しの必殺技。


 クピドは一瞬湧き上がった闘争心をぐっとこらえ、気を落ち着かせるように目を閉じると、大きく息を吐き呼吸を整えた。

 それから、ゆっくり集中してカードに手を添えた。


『カウンターなんざどうでもいい。行け、白騎士。白騎士にステージ効果で攻撃チャンスプラス1だ。そして、狙い撃ち+エンゼルスマイル。食らえ! 合わせ技、ドリームプリンス!!』

『させません。防御、女神の慈悲!』


 両者が同時に放ったカードは、輝きを帯びながら淡い軌跡を残しつつ飛び込んでいく。


 途中、アンテロスのきらめくカードと揉み合うようにして交差したクピドの三枚のカードの塊が、眩い金色に変化した。


『……くっ、馬鹿な、防御しきれない。まさか矢になって……!』


 アンテロスが眉根をひそめ、歯を食いしばった。



 ♢



 鈴木君はどこか照れたように頭に手をやり、私を弁護してくれた。


「うん。それに、助けたというほどのことじゃ。いきなり戸を開けた僕も悪かったですし。小林さん、だっけ。ごめんね。それにぜんぜん重くないよ軽かったよ。とにかく怪我しなくて良かった」


 謝られてしまい、私は鈴木君って出来た人だなあと思った。どう考えてもそそっかしい真似をした私が悪いのに。重くないってレディ扱いしてくれたし、優しい。こういうのなんていうの、紳士的?


 私はあらためてしっかり頭を下げた。やっぱりきちんとお礼言わないとね。


「いいえ。こちらこそごめんなさい。どうもありがとう」

「どういたしまして。これから体育? 頑張って」


 鈴木君は頷いて、軽く手を振ってくれた。いいひとー。ますます好感度アップ。私とあおいちゃんは、鈴木君と渡辺センセに振り返りながらひらひら手を振った。


「ありがと! じゃ、鈴木君、今度お礼させてねー」


 最後の、ねー、のあたりで鈴木君の顔が急にこわばった。慌てた叫び声。


「小林さん前!!」


 ごっつん。

 後ろ歩きしていた私の後頭部に何かがぶつかった。痛い。目からチカチカとお星様が出た。思わず頭を抱えてうずくまった。なんなの、今日はなんの厄日?


「いたたー」

「さくらちゃん!」


 あおいちゃんが悲鳴に似た声をあげた。

 私の頭に当たったのは、黒板で使う教師用のでかい三角定規だった。それを運んでいたどこかのクラスの男子生徒が、びっくりして謝った。ぶつかるまで背後の人間に気がつかなかったらしい。


「うわっ、ごめんなさい!」


 鈴木君も渡辺センセも、後を追うようにやってきて、心配そうにのぞきこんだ。


「大丈夫か小林?」

「怪我はない?」

「うん、大丈夫。……もしかして今日、私、運悪い?」


 あおいちゃんは、真剣な顔で頷いた。


「……あー。そうかも。短い間に二回も危ない目に遭ってるし」


 ちょ、へ、へこむなあ~。とどめに渡辺先生が決めつけた。


「馬鹿だな。後ろ向きに歩くからだ」

「もう、馬鹿はないでしょセンセ。あー。優秀な私の頭脳がー」


 痛さで涙目になって抗議すると、センセはちょっと肩をすくめた。


「その様子じゃ、大丈夫そうだな」


 ところが、あおいちゃんが声を上げた。


「やだ、さくらちゃんちょっとここ切ってるみたいよ! 先生、私、保健室に連れて行きます」


 どうやらぶつけたところを少し切ったようだ。たぶんかすり傷だと思う。頭を触ったら、ほんのわずかだけど指に血がついた。

 でも、あおいちゃんは血っていうだけで動転しちゃったみたいだ。とっても優しい子だからすっごく心配しているのがわかる。おろおろしちゃって、彼女の方がよっぽど顔色が悪かった。


 鈴木君がポケットティッシュをそっと差し出した。彼も親切な人だ。


 運悪くても、私って周りの人に恵まれてる~なんて思いながら、有難く受け取って傷口を拭いてみた。やっぱりちょいとこすっただけのかすり傷っぽい。


「いやー、大したことないよ」


 私は軽く言って元気元気ってやってみせたけれど、周囲は納得しなかった。渡辺先生がぴしりと命令した。


「いいから念のため保健室に行ってこい。もうそろそろ授業が始まるから、山口は鍵持って行って、体育の先生に事情を話してきなさい。君も定規気をつけて持って、早く授業に行きなさい。あとは俺が付いて行くから、みんな心配しなくてもいい」


 えー。渡辺センセと保健室同伴。それって、なんだか前方不注意だの何だのってお説教されそうな予感がひしひしとするんですけどー。

 私が少し苦い顔していると、鈴木君が提案した。


「先生、僕が保健室まで付き添います。先生もこれからうちのクラスの授業ありますし。僕、渡辺先生の授業にちょっと遅れてもいいでしょう?」

「あ、ああ。そうだな。2組遅れてるんだよな今の単元……」


 うーん、とセンセは考える様子になった。私はここぞとばかりにうんうん頷いた。お説教はご勘弁願いますう。


「ありがとう鈴木君。じゃあお願いします」


 渡辺先生はもう一度うーん、とやってから、結局許可をくれた。


「よし、遅刻は大目に見てやる。すまんな鈴木」

「いいえ」


 やった。助かった。



 そして鈴木君は、ナイトよろしく立ち上がろうとする私に手を差し出した。


「痛む?」


 首を振って見上げ、その手にお世話になって立つと、彼は私の手を取ったままにこっと笑った。笑うと頬にえくぼができるのを発見した。可愛いなえくぼ。

 ぽやーっとそれを見ていたら、鈴木君が何気なく言った。


「なんか小林さんって、」


 うん?


「……ほうっておけない感じ?」


 再度笑顔。再度えくぼ。天使がちょっと指でクリームを押したあとみたいに可愛いそれ。可愛いのに。なんだ、なに言ってくれたのこのひと。


 一瞬にして私の顔がかあっと熱くなるのが感じられた。

 や、なにこれ。どうした私。鈴木君それってどういう意味なの。いや、深い意味なんかないと思うけど。単に私がおっちょこちょいな奴ってことなんだろうけど。


 落ち着け私。いつものクールさは何処に行ったの。


「さくらちゃん、じゃあ私、先行ってるけど、大丈夫?」


 心配そうにあおいちゃんが言った。はっと救われたようにそちらへ顔を向けて、私は手を振った。


「うん大丈夫ー。係りの仕事できなくてごめんねー」

「いいよそんな。お大事にね」


 手を振り返して、あおいちゃんはこの場を後にした。三角定規を持った子もすまなそうにしながら行ってしまった。渡辺先生は、心配しながらも次の授業があるから職員室に引っ込んだようだ。


「じゃあ、一緒に行こうか」


 一緒に。って、二人きり?


 単語ひとつでまた顔に熱が集まった。やだ、なんでいちいち反応してんだろう。おかしい私。

 鈴木君は私を促して、隣を歩きだした。

 しばらく沈黙が続いた。


「……ごめんね、つきそってもらっちゃって」


 何故か私は気の利いた台詞がひとつも出てこなくなってしまって、とにかく何か間をもたせなきゃと思い、とりあえず謝ってみた。鈴木君はいいよいいよ、と軽く笑った。


「かえって堂々と授業さぼれてラッキーだよ。気にしないで」

「あー、そう言うなら私も堂々とハードル走さぼれてラッキーだわ。暑いし」


 笑って返すと、彼は愛嬌のある笑顔で頷いた。


「たしかに今日は暑くなりそう。保健室じゃなくて、どこか遊びに行きたいようないい天気だね」

「本当にそんな感じ。このままどっかピクニックにでも出かけたい。誰にも内緒で、素敵なお花畑なんかで思い切り寝転がりたいなー」


 賛成して思いつきを口に出してみたら、鈴木君は「それいいなあ」なんてのんびり言った。


 とたんに私の頭の中で自然とその光景が展開され、しかもその中には今隣を歩いている男の子が配置されていて、頭に花冠なんか乗せちゃってて、王子様コスプレだったりして、私は勝手にひどくうろたえた。


 なんだなんだ今の妄想! なんでこんなドキドキしてるの。絶対私どうかしちゃってるしー。


「そ、そーだよね。って、意外と鈴木君、不真面目?」

「べつに不真面目じゃないと思うけど、超真面目でもないよ。他のクラスの子が保健室に行くのに付き添う程度にはね」


 すこうし、可笑しそうに微笑した。

 変だ私。なんでだろう、鈴木君と目が合うと胸に何か刺さって痛いみたいにきゅんきゅんする。やばい。


「じゃあさ。ついでに保健室の中まで付き合ってくれる?」


 ぴょっと願望の端っこがこぼれ出た。鈴木君はあっさりうん、と言った。


「いいよ」

「なんなら、保健室出た後も、付き合ってくれる?」

「いいけど、どこに?」

「どこって言うか、あー」


 やっぱり私おかしい。さっぱりいい言葉が出てこない。軽くジョーク混じりに何か言わないとー。


 でも、出てきたのは。


「お礼デート、誘いたいの」


 どストレートなセリフに、鈴木君は辿りついた保健室のドアをノックする姿勢のまま、固まった。



 ♢



 ゲーム終了。

 勝者クピド。獲得ポイント合計二千十一万千二百二。

 それぞれのカードホルダーから結果が表示された。

 


『勝った……』


 クピドの放った金の矢が、コマの胸できらりと光っていた。


『カウンターを許さない力技を放ったというわけですか。お見事です』


 肩で息をしているクピドに、アンテロスは憎々しげに称賛を贈った。


『僕の防御が役立たないとは、腕を上げたものですね。ですが、クピドさんにはまだまだ甘さと無駄が見えます。折角いい技を持っているのに。気まぐれでコマに情けをかけるのはやめたほうがいいですよ。あそこでもっとしっかりコマに大怪我でもさせておけば、大量のポイントを獲得できだでしょうに。まあ、僕にとっては点差が開き過ぎず良かったですけど。せいぜい精進して下さい』


 フン、と顔を背けられ、クピドは呆れて言った。


『負けても偉そうな態度だな、お前は』

『偉そう? とんでもない。精一杯のアドヴァイスをプレゼントしてあげてるんですよ。親切心がわからないんですね』

『わかるわけねえだろう』


 心外だと言わんばかりに美少年はわざとらしい溜息をついた。


『弱い奴に負けたと言われるのは屈辱です。僕に勝ったからには、更に上を目指してくれないとバトルした甲斐が有りませんから』


 アンテロスはバトルの終了したステージを、見下ろしたままぶつぶつ言った。


『……アンテロス』


 少年は細い腕を伸ばし、ぴしりとクピドを指差した。


『貴方が他の誰かに負けたら、僕は絶対に許しませんからね』


 少し目を見開いて、クピドは穴のあくほど少年を見つめた。

 しばしの沈黙。少年は腕を下ろす。低く小さくクピドはつぶやいた。


『……なんでそんなにひねくれてるんだ?』


 これには不意を突かれたらしく、拗ねたようにアンテロスは横を向いて口を尖らせた。


『失礼な。僕はいつでも正直です』


 ぷうっと頬も膨らんだ。そこには年相応の子供子供した顔があった。

 薔薇色に頬がほんのり染まって、整った横顔が愛らしい。


『お前……いや、なんでもねえ』


 うっかり、この少年が嫌いそうな可愛いなどと言う言葉が出そうになって、クピドは言葉を濁した。


『何ですか。言いかけてやめるなど、男らしくないですよ』


 不機嫌そうにアンテロスがクピドを睨みつけた。

 仕方なく、クピドはごほんと小さく咳払いをした。

 ますますむっとしかけた少年に、気を取り直して違う言葉を言ってやった。


『次に戦うときはお前に何も言わせねえ。完敗させてやる』

『へえ。言うじゃないですか。楽しみですね』


 にやり、とアンテロスは片頬を歪ませて、笑った。




 今、また一つの戦いが終わった。

 だが、二人のキューピッドの勝負は、人々のあずかり知らぬところで、明日も繰り返される。









「あ、さくらちゃん。もう大丈夫なの?」

「うん。心配かけてごめんね、あおいちゃん」

「本当に心配したんだよ……? あれ、さくらちゃんなんか機嫌いいね」

「まあね。ちょっとね~」

「ちょっと、って?」

「実はねえ、週末デートすることになってさー」

「ええ! 誰と?」

「2組の鈴木君と。ふっふっふ~」

「えっ。さっき会ったばっかりの初対面の子と? ちょっと手が早いかも」

「そうかなあ?」

「そうだよ」

「別にいいじゃん。OKしてくれたんだし」

「鈴木君も鈴木君だね……会ったばっかの女子と」

「いいじゃん。鈴木君はいい人だよー。優しいし」

「うーん、まあ優しそうだったね」

「真面目君かと思ったらけっこう話せるし、ちょっと可愛いし。笑うとえくぼできるの発見してねー。あれ触りたいなー」

「かわ……そ、そう……。さくらちゃんよっぽど気に入ったんだね」

「気に入ったっていうより、もう夢の王子様なの!」

「……頭、痛くない?(重症だわさくらちゃん)」

「全然平気。あー、デート楽しみー」

「さくらちゃんは正直だね……(はるかも見習えばいいのに)」



行間などの修正 2020.09.07

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