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星読師ハシリウス

星読師ハシリウス[王都編]10 『冥界の使者』を打ち払え(1)

作者: シベリウスP

ハシリウスたちの旅立ちが近づいてきました。『月の乙女』の交替をはじめ、仲間たちに変化が起こります。

ソフィアの出生時の秘密が明らかになり、新たな敵『冥界の使者』が登場。

『星読師ハシリウス』王都編も、いよいよ佳境です。

では4部作の最初のストーリーをお楽しみください。

第1章 ヘルヴェティア王国の危機


「おじい様、僕に何の用でしょうか?」

 ここは、ヘルヴェティア王国という白魔術師たちが建国した国。その首都・シュビーツの北方にある『蒼の湖』という湖のほとりで、深い蒼色をたたえた水面を静かに見つめている老人に、一人の少年が問いかけた。

 少年は、身長175センチくらい。少し長めでやや癖のある栗色の髪が、白くて秀でたその額を柔らかく隠し、ややあどけなさが残る顔には、碧色の瞳が17歳というには少し老成した光を放っていた。そして、引き締まった身体に、この国の王立ギムナジウムの制服を着ている。

「おお、ハシリウスか、よく来た。ジョゼ嬢ちゃんも、一緒に入りなさい」

 老人は、少年に振り返ると、その黒曜石のような鋭い光を放つ目を細めて笑うと、そう言って自分の住まいである丸太小屋へと少年を誘った。

「はい。ジョゼ、一緒に行こう」

 ハシリウスと呼ばれた少年は、振り返って赤毛でブルネットの瞳を持つ少女に言うと、すたすたと丸太小屋の中へと入って行く。ハシリウスから呼びかけられた少女は、しばらくおずおずとしていたが、意を決したように足早に小屋の中へと入ると、後ろ手にドアを閉めた。

 少女の名は、ジョゼフィン・シャイン。ハシリウスの幼なじみである。と言っても、ただの幼なじみではない。ジョゼは6歳の時に両親をモンスターに殺されてしまった。それ以来、ハシリウスの両親に引き取られ、ハシリウスとは姉弟同様にして育てられた。その彼女も、ハシリウスのおじい様であるセントリウスの前では固くなっているのだろう、いつもの元気がない。

「いよいよ今年も残りわずかとなったのう。ハシリウス、今年はエンドリウスのもとに帰省するのじゃろう?」

 老人はそう言うと、ハシリウスとジョゼに椅子をすすめ、自分は台所から木のカップ3つと、甘い香りがする液体の入った瓶を持ってきた。

「どうした、ハシリウス。そしてジョゼ嬢ちゃん。座らんのか?」

「い、いえ、セントリウス様、飲み物ならボクが準備しますので、セントリウス様こそお座りください」

 ジョゼが慌てて言うと、セントリウスは右手で白いものが混じるひげを撫でながら、笑って言う。

「まあまあ……今日はわしが二人をもてなすのじゃから、遠慮せずに座っていなされ、ジョゼ嬢ちゃん。いつかジョゼ嬢ちゃんがハシリウスの嫁女になった時に、孫の嫁からゆっくりともてなしを受けることにしよう」

 セントリウスが言うと、ジョゼは真っ赤になって黙ってしまう。

「おじい様、今日は僕たちをからかうために、わざわざポラリスをお遣わしになったわけではないでしょう。そろそろ本題に入っていただきたいのですが……」

 これも顔を赤くしながら、ハシリウスが言う。セントリウスは、ジョゼがハシリウスの隣にしおらしく座ったのをみて微笑むと、カップに蜂蜜ミルクをついで、二人に渡す。

「この蜂蜜ミルクは、なかなかいけるぞ。年寄りになるとなぜか甘いものには目がなくなる……。さて、それはさておいて……」

 セントリウスは、ハシリウスとジョゼがミルクを飲むのを見ながら、急に真面目な表情になって言う。

「ポラリス、ポラリスはおらんか?」

「はい、ここにおります、セントリウス様」

 セントリウスの呼びかけに答えるように、部屋の奥に一人の若い女性が現れた。その女性は白いゆったりとした服に金のベルトを締め、ふわりとした金髪には金の宝冠がひときわ威厳を放っている。ポラリスは、星の力をまとった戦神である『12星将』の主将で、セントリウスは12星将と28神人を自在に操ったといわれる伝説の星読師ヴィクトリウス・ペンドラゴンの直系の子孫であった。

 セントリウスは、ポラリスが顕現したのを見ると、ハシリウスたちに真剣なまなざしを向けて言う。

「ハシリウス、これから話すことは、『大君主』としてのお前に話すこと。同じようにジョゼ嬢ちゃんについても、『太陽の乙女』としてのジョゼ嬢ちゃんに話すことじゃ。そのつもりでしっかりと聞いてほしい」

 『大君主』とは、このヘルヴェティア王国を“大いなる災い”という災厄が襲う時に現れると言われる救世主のことである。ハシリウスはギムナジウムの生徒ではあるが、この国一番の魔法使いである『大賢人』ですらおいそれとは使えないような超々S級魔法を使いこなす。ヘルヴェティア王国の守護神である女神アンナ・プルナの祝福を受けた少年であった。

 また、ジョゼも、そんな『大君主』ハシリウスの勇気を支える存在として、女神から祝福を受けて半神となった少女である。

「分かりました」「はい、セントリウス様」

 二人が返事をすると、セントリウスは愛用のパイプを取り出し、強い香りのするタバコを詰めた。そして、マッチをするとタバコに火をつける。パイプからは紫煙が立ち上り始め、セントリウスはゆっくりとタバコをふかした。

「さて……」

 セントリウスは、ようやく考えがまとまったのか、閉じていた眼を開けて二人を見る。

「わがヘルヴェティア王国は、今から1000年近く前、“火と闇の13日間”によって旧人類が滅び去ったのち、神祖オクタヴィア陛下が創り上げた王国じゃ。以来連綿と女王陛下が治める国として、今上のエスメラルダ3世陛下で27代をけみする。ハシリウス、この国の元首がなぜ女性であらねばならないのか、それを知っているかな?」

 ハシリウスは、怪訝な顔をした。今セントリウスがハシリウスに聞いているのは、この国の住民なら中等部で習得済みのこと――いわゆる常識――だったからである。

「それは、女性の方が女神アンナ・プルナ様のお声を聞きやすいことと、究極結界魔法“レーベンスラウム”の発動に女性が有利だからでしょう?」

 ハシリウスの答えに、セントリウスはうなずくと、

「その通りじゃ。お前は女神から祝福された少年じゃから、今まで何度も女神と話したことも、女神からお助けいただいたこともあるじゃろうが、普通の男性じゃったら女神と話をするだけでも軽く一日分の魔力を使い果たすくらいの覚悟が必要じゃ」

 そうハシリウスに言うと、今度はジョゼに向かって訊いた。

「ジョゼ嬢ちゃん、そなたに訊こう。なぜ女性の方が究極結界魔法の発動に有利なのかな?」

 そう聞かれたジョゼは、小首を傾げて考えながら答える。そのさまは、ハシリウスにはとても可愛らしく見えた。

「それは……女性の方が究極結界魔法の属性である光魔法の蓄積がしやすいから……ではないのですか? ボク、学校でそう習ったのですが……」

 するとセントリウスはニコリと笑って、さらにジョゼに訊く。

「ではなぜ女性の方が光魔法の蓄積に有利なのかな?」

 ジョゼはしばらく考えて、何かに思い当たったようだったが、不意に顔を赤くして小さく言った。

「……そ、その……え~と……すいません。分かりません」

 そのさまを見て、セントリウスは微笑みとともにいった。

「ジョゼ嬢ちゃんは分かっておろうが、乙女の口からはなかなか言いづらいことじゃったのう。ハシリウス、そなたは分かるか?」

 ハシリウスも顔を赤くしたが、意を決したように言った。

「……その……女性は男性を包み込む存在です。なべて僕たち人間は、一人として例外なく女性から産まれます……。そのことと関係があるのではないでしょうか?」

 するとセントリウスは笑って言う。

「ハシリウスも少しは大人になったか。それとも、すでにジョゼ嬢ちゃんと体験済みか?」

「お、おじい様! ジョゼは『太陽の乙女』です。そんなこと、まだできません」

 真っ赤になって顔を覆ってしまったジョゼをかばうように、ハシリウスが言う。セントリウスはニコニコとして謝った。

「すまんすまん、二人を見ているとついからかいたくなってのう……。しかしハシリウス、ジョゼ嬢ちゃんはすでに半神、半神に純潔とかそうでないと言う概念はない。神はいつも清浄な存在じゃから、半神もそうなのじゃ、覚えておくといい」

 セントリウスの言葉に、ジョゼはふと『太陽の乙女』ゾンネが言ったことを思い出し、体が熱くなってしまった。

『私たちはもう半神なんだから、ハシリウスに抱かれたとしても、魔力がなくなったりしないわよ?』

 ――もう、ゾンネが余計なこと言うから……。

 すると、膝の上に置いたジョゼの手に、ハシリウスが優しく手を重ねた。思わず顔を上げたジョゼに、ハシリウスは優しく言う。

「気にしないで行こう、ジョゼ。俺たちはいつも一緒なんだから」

「ハシリウス……」

 ジョゼは思わずハシリウスに抱き着きたくなったが、セントリウスに『はしたない娘』と思われたくないという気持ちが辛うじてジョゼを押えた。

「セントリウス様、少し話が横道にずれているようですが?」

 星将ポラリスがジョゼに助け船を出した。ハシリウスとジョゼの様子を微笑んで見つめていたセントリウスは、ポラリスの言葉に、

「……そうじゃったな。ええと、ハシリウス、何の話をしていたかのう?」

 そう言う。ハシリウスは呆れたように言う。

「なぜ、女性の方が光魔法の蓄積に有利か……です」

「おお、そうじゃったのう……。さて、ハシリウスが言ったように、わしらはすべて女性から産まれる。それは、女性がその身体の中に宇宙を宿しているからじゃ」

「宇宙……ですか?」

 ハシリウスがジョゼのお腹を見ながら訊く。

「な、なんだよハシリウス。ボクをそんなにジロジロ見ないでよ。えっち」

 ジョゼはお腹を隠すようにして言う。セントリウスはそんな二人に笑いかけて

「これこれ、ハシリウス。はしたない真似は止めるんじゃ。その宇宙は、なべて闇の世界じゃ。そして、男性との出会いによって光が与えられ、命が息づく。すなわち、この宇宙の姿を小さくしたようなものじゃ。その根源的な力――闇の力――こそ、女性が光魔法の蓄積に有利な理由じゃ」

 そう言うと、ふーっとタバコをふかした。

「……さて、そこで、今この国に起こっている問題が一つある」

 そう言うセントリウスに、ハシリウスとジョゼは真剣なまなざしを向けた。セントリウスはうなずいて言う。

「陛下のお具合が、ひどく悪い……。これは、まだわしと陛下ご自身しか知らないことじゃから、そのつもりでな」

 二人はうなずく。

「わしは木火の月に“星の禱り”を行った。もちろん、陛下の延命と病気平癒を祈願してのことじゃ。延命の方は何とかうまく行った。本当ならば今年持つかどうかという陛下の寿命を、なんとか6年は延ばし得たことと思う」

 セントリウスの言葉に、ジョゼは息をのんで口を手で覆う。そんな、陛下が……あと6年しか生きられないなんて!

「陛下のご病気は、この国の未来と“大いなる災い”への不安のせいで、なかなか平癒までは至らないようなのじゃ……。陛下のご宸念を軽くできれば、さらに6年は何とかできそうなのじゃが……」

 ため息とともにいうセントリウスに、ハシリウスは問いかけた。

「おじい様、“大いなる災い”が食い止められれば、陛下のお命は何とかなるということですね?」

「ハシリウス、“大いなる災い”を食い止めると言うことは、単に『闇の王』たるクロイツェン・ゾロヴェスターを倒すということではない。光と闇の調和を取り戻すということなのじゃ」

 セントリウスが言うと、ハシリウスはニコリと笑う。

「おじい様、僕は正直、クロイツェンを『倒す』ことはできないんじゃないかと思っています」

「ハシリウス!? どうしたの? 何でそんなことを言うの?」

 ジョゼがびっくりして言うが、セントリウスはその黒い瞳に鋭い光を宿して訊く。

「ハシリウス、そなたの考えを聞こう」

 ハシリウスはうなずくと、ジョゼに笑いかけて言う。

「ジョゼ、俺は別にクロイツェンとの戦いに臆したんじゃない。俺は、必ず生き延びてお前と結婚したいと思っている」

「ハシリウス……」

 ジョゼは顔を真っ赤にして、それでもハシリウスの目を真正面から見てうなずく。ハシリウスはそのうなずきに笑顔を返すと、今度は真剣な顔をセントリウスに向けた。

「おじい様、光と闇の戦いは、勝負がつきません。いや、根源的な部分では、闇に光は飲まれます。つまり、下手な勝負をすれば、僕は決してクロイツェンには勝てません」

 セントリウスは眼を閉じて聞いている。ハシリウスは続けた。

「僕は、クロイツェンは実体がないものと考えています。つまり、今のクロイツェンは、“闇の力が意識を持ったもの”ではないかと……であれば、余計にクロイツェンを倒すことも、封じることも困難です。僕は、クロイツェンを『倒す』のではなく、闇の意識を光の意識に吸収する……何て言ったらいいのか分からないんですが、光と闇の両面性を際立たせて、そこで両者の調和を保つとでも言ったらいいのか……」

 その時、セントリウスは薄く笑って目を開けると、この愛する孫を見つめて言った。

「ハシリウス、見事じゃ。わしも前回のクロイツェンとの戦いの中では、そこまで考えが至らなかった。しかし、光と闇の意識を調和し、つまり宇宙の意識として拡散させれば、そなたの言う意識の吸収はできるかもしれぬ……。しかし、そのためには、三つ欠点がある」

 ハシリウスはうなずいて言った。

「……一つは分かっています。星が教えてくれました。僕と、ジョゼと、ソフィア、三人にかけているもの……それは、闇の魔力です。あとの二つは……分かりません。おじい様、それを教えていただきたいのです」

 ソフィアとは、この国の王女で、ハシリウスとジョゼの幼なじみでもある。王位継承権第1位の“未来の女王様”だ。彼女もまた、ジョゼと同じように女神アンナ・プルナから気に入られ、大君主ハシリウスの智を補佐する『月の乙女』ルナとして、今まで幾多の戦いをくぐって来ていた。

 セントリウスは笑って言う。

「あとの二つは、『繋ぐ者』の存在と『特異点』の存在じゃ」

「『大君主は神の力を揮う者なれど、繋ぐ者がいなければその御稜威は行われない』という古い言い伝えのことですね?」

 ジョゼが言うと、セントリウスはニコニコとして言った。

「そうじゃ、ジョゼ嬢ちゃん。さすがは我が孫の嫁女じゃな……その『繋ぐ者』については、ソフィア姫が女神様からその命を受けることとなるじゃろう」

「え? では、『月の乙女』はどうなるのですか?」

 ジョゼが言う。今までソフィアと一緒に戦ってきたのに、その戦いがクライマックスへと向かって行こうとしているこの時に、ソフィアが戦線を離れるなんて……ジョゼは少し寂しい気がした。

「心配せんでもいい、次の『月の乙女』をここに呼んでいる。もう来そうなものじゃが……」

 セントリウスが言うと、ちょうどその時、小屋のドアをノックする者がいた。

「セントリウス様、ご用事とは何でしょうか?」

「話をすれば……じゃな。よく来られた、お入り」

 セントリウスが言うと、

「お邪魔します……」

 という声とともにドアが開き、一人の少女が入ってきた。肩までの長さの栗色の髪は少し癖があり、その髪の毛からは可愛い猫耳がのぞいていて、そして少女の後ろには茶トラ模様のしっぽがぴょこんとはねている。

「ティアラ……」「ジョゼ……ハシリウス様……」

 ジョゼと少女が同時に言った。少女の名はティアラ・フィーベル。ミュータントである『猫耳族』の王女である。彼女の村が『闇の使徒』というクロイツェンの配下に襲われて全滅したことがあったが、ハシリウスたちの活躍によって『闇の使徒』の魔手から生き残りの住民たちを救い出したことがある。その『猫耳族』は、ティアラの双子の弟であるクラウンを新たな王として、このヘルヴェティア王国からずっと東にあるコナシチセイトカという町を中心に新たな国を建てていた。

「よく来られた、ティアラ姫。さ、姫もお座りなさい」

 セントリウスは、ティアラ姫にハシリウスの向かい側の椅子をすすめた。

「新たな『月の乙女』にも聞いてほしいことがある。それは、この国の隠された伝説のことじゃ」

 セントリウスはそう言うと、パイプに新たなタバコを詰めた。

       ★  ★  ★  ★  ★

 ヘルヴェティア王国の第27代女王であるエスメラルダ3世は、自室でベッドに横になっていた。女王は、今年43歳。3年前に即位して以来、この国を襲った干ばつや飢饉――“大いなる災い”の前触れ――に心を痛めてきた。そしてついに体調を崩し、ここ4か月ほど立ち上がれない状態が続いていたのである。

 トントン……女王の部屋のドアが静かにノックされる。女王は微笑むと、優しい声で言った。

「お入りなさい、ソフィア」

「失礼します……お母さま、お具合はいかがでしょうか?」

 ドアを開けて入ってきたのは、長い金髪に銀の瞳を持つ美少女――ソフィア王女――だった。

「今日は少し具合がいいです。それよりソフィア、私はあなたにぜひ聞き入れてほしい願いがあります」

 女王は優しい目をこの愛娘に当てて、愛しげな声で言う。ソフィアは少し微笑むとうなずいて言った。

「何でしょうか? お母さまのお願いなら、私、何でもお聞きします」

 女王は、目を閉じて何か考えていたが、やがて眼を開けると静かな声で言った。

「……私の命も、そう長くはありません」

「お母さま! そんなことをおっしゃらないでください! お母さまがいないと、この国はどうなりますか?」

 眉をひそめて言うソフィアに、女王は弱々しく首を横に振りながら言う。

「……これは病に負けて言うのではありません。それよりソフィア、私がいなくてもこの国のことは心配いりません。内の事は大賢人ゼイウス殿、外の事は大元帥カイザリオン殿に相談しなさい。そして何よりハシリウス卿があなたについています……私は何も心配していません。ハシリウス卿を大事になさい」

「お母さま、そんな話はまだ聞きたくありません。それに、ハシリウスだって……」

 ハシリウスはジョゼのものなの……そう言いかけて、ソフィアは口をつぐんだ。それを認めたくない気持ちがあったからだが、それよりも自分とハシリウスの結婚を楽しみにしている女王を失望させたくなかったからである。

「……ハシリウスだって、お母さまのそんな言葉を聞いたら、きっと心配してしまいます」

 ソフィアは言葉を取り繕った。女王は笑って言う。

「……そうですね。でも、私の命がすぐに消えてしまうというわけではありません。それはセントリウス殿も保証してくれました。私の願いというのは、ソフィア、あなたに、私に代わってこの国の元首を代行してほしいということです」

「え……でも……」

 私がいなければ、ハシリウスはどうなるのだろう……『月の乙女』が欠けた『大君主』は、その力を発揮できなくなるのではないか……ううん、それよりも、ハシリウスとともに戦ってきたのに、今になってハシリウスを見捨てるように摂政となってしまったら、私は一生後悔する……。

 ソフィアの動揺に、女王は何も言わなかった。ただ、優しい目でソフィアを見つめていた。そして、その動揺が少しおさまったのを見て取った女王は、優しくソフィアに言った。

「ハシリウス卿の事は、心配いりません。セントリウス殿の言葉によれば、ソフィア、あなたは『月の乙女』よりもっと大事な、ハシリウス卿に対する最も大事な役割を果たすことになるそうです。一日時間を与えます。その間に女神アンナ・プルナ様とよく話をしてみればいいと思いますよ?」


 ――私が、摂政に……。お母さまのお具合を考えると、確かに私が摂政としてこの国を盛り立てていくしかない……。でも、ハシリウスの力になりたいし、ハシリウスの側に居たい……。

 ソフィアは、自分の部屋に戻ると、ソファに身体を沈めて考え込んでいた。

『ソフィア、僕と君とジョゼは、いつまでも友達だよ』

 ――ハシリウス……。私の初恋のひと……。

『ソフィア、君まで傷つけてしまったら僕はどうしていいか分からない……』

 ――ハシリウス……。いつも優しく、強いひと……。

『どうしたんだ、ソフィア。また妄想が大暴走していたのかい?』

 ――ハシリウス、あなたのせいです。あなたのせいで、私はいつも……。

「……ハシリウス……。私、どうしたらいいんでしょう?」

 ハシリウスの思い出に浸って、一筋涙を流し、ソフィアはつぶやいた。その時、『月の乙女』ルナが現れた。

『ソフィア姫』

 その声に、ソフィアははっと顔を上げる。

「その声は、月の乙女ですね?」

『はい。今日は、あなたを女神アンナ・プルナ様のもとにお連れするために参りました』

「……女神様のもとへ? それは、私とハシリウスに関することなのでしょうか?」

 ソフィアが訊くと、『月の乙女』は優しく笑って言った。

『はい、女神様が、姫に大切な役割を命じたいということです。一緒に来ていただけますね?』

       ★  ★  ★  ★  ★

 『蒼の湖』の畔にある、筆頭賢者セントリウスの隠棲小屋からギムナジウムの寮に帰ったハシリウスたちは、一様に暗い表情をしていた。

「ハシリウス……どうするの?」

 ジョゼの部屋に集まった三人は、それぞれセントリウスの話を心の中で反芻している。今まで聞くこともなかった、このヘルヴェティア王国の闇の歴史に、いつも快活なジョゼも、そして明るいティアラも、憂鬱な表情を隠せなかった。

「……おじい様がああおっしゃるんだ。今度の“大いなる災い”は、今まで僕たちが習ったものより激烈なものになることは間違いないだろうね。僕も星を見ていて、それを感じていた。でも、そのためにおじい様が僕に“星将陣”の組み方を教えてくださると言うなら、僕はそれを手のうちに入れておかなくちゃならない……。もう、時間がないみたいだし……」

 ハシリウスが微笑みとともに言う。ジョゼは哀しそうな顔で聞く。

「そうじゃないんだ。ソフィアが『月の乙女』でなくなるのは、ボク、寂しいんだ。今までボクたち幼なじみ三人で戦ってきたのに、ここでソフィアがいなくなるなんて……ハシリウスは寂しくないの?」

 ハシリウスは少し寂しげな顔をしたが、すぐにティアラを見つめて言う。

「……ゴメン、ティアラ。ジョゼは君のことを悪く言っているんじゃない。今まで僕たち三人が一緒にいた時間が長くて、僕たちそれぞれにとっても大切な時間だったから、ジョゼはああ言うんだ。僕だって、ソフィアが『月の乙女』でなくなるのは寂しい。でも、ソフィアは『仲間』じゃなくなったわけじゃないんだ。どういう形で僕たちとつながるのかは分からないけれど、『繋ぐ者』としての役割をソフィアがしてくれるのだったら、ティアラも含めた僕たち四人が、新たな仲間として頑張って行ける……僕はそう信じている」

 ハシリウスの目をしっかりと見つめながら、その言葉を聞いていたティアラは、その可愛らしい猫耳をピンと立てて言った。

「私は、『月の乙女』と言われても、まだピンと来ません。それに、王女様やハシリウス様、ジョゼの三人の間には、私なんかが入ることができない強い絆を感じています。でも、みんなと一緒に頑張らなければならない運命であれば、私はそれを喜んで受け入れます」

 それを聞いて、ジョゼは少し顔を赤くして言う。

「ごめんね、ティアラ。ボク、自分の気持ちが先走ってしまって、君のことを考えなかった。ハシリウスの言うとおり、ソフィアが新たな役割を女神様から受けるのであれば、僕たちの新しい仲間が一人増えると言うことなんだよね? そう考えたら、ボクもティアラに負けないように頑張らなきゃって思うよ」

「ううん、ジョゼは強いよ。私、ジョゼが大君主様の恋人でよかったって思う。ジョゼなら、確かにハシリウス様にお似合いよ」

 ティアラがそう言ってジョゼの手を取る。ジョゼは赤い顔のままにっこりとして言った。

「アリガト……その言葉に背かないように頑張るよ」

 そんな二人を見つめて、笑顔を見せていたハシリウスが、突然黙り込んだ。ジョゼはふっとハシリウスの変化に気づき、怪訝そうな顔で聞く。

「ハシリウス、どうしたの?」

「あ? うん、ちょっとさっきのおじい様の話で、気になることがあって、ちょっと考え事をしていたんだ。ごめん、ジョゼ、ティアラ」

 その言葉に、ティアラもその栗色の瞳を細めて言う。

「あの、“大いなる災い”に関する“双子の乙女”の話ですね? でも、王女様の場合は……」

 その時、虚空から、長い銀髪、鋭い黒い瞳、白銀の衣に群青色のベルトを締め、銀の手甲と脛当てを着けた若者の姿……星の力をまとった戦神・星将シリウスが姿を現して言う。

「ハシリウス、セントリウスが危ない!」

 その言葉を聞いて、ハシリウスは跳びあがるように立ち上がって言った。

「しまった! やはりおじい様の心配が当たっていた!」

 ハシリウスは、とっさに“暁の鎧”と神剣『ガイアス』を呼び出し、『大君主』のいでたちに変貌して、同じく『太陽の乙女』に姿を変えたジョゼとともに、部屋を飛び出そうとした。

「あ、ハシリウス様、私も行きたいのですが……」

 ティアラがハシリウスに言うと、星将シリウスがその黒い瞳でティアラを一瞥して言った。

「まだ『月の乙女』とのシンクロが済んでいないようだな……。娘、この国の王女は、今、女神のところにいる。『月の乙女』とのシンクロが済んでから、私たちの後を追ってくるがいい」

「で、でも……どうやってシンクロなんて……」

 そう必死の様子で尋ねるティアラに、紫紺のチャイナ風の洋服に銀のベルトを締め、両肩に刀をぶっ違いに背負ったうら若き美女……星将デネブが顕現して言う。

「シリウス、急ぐんだ。一刻を争うよ! 猫耳のお嬢さん、あんたが『月の乙女』になるべき時期となっているなら、『月の乙女』はあんたの呼びかけに応えるはずだよ。心を込めてやってみるんだね。幼なじみさんも、この国の王女様も、どっちもハシリウスのためという一心で『日月の乙女たち』とシンクロしたんだから……。それができないうちは、アンタがどんな強い魔力を持っていようが、悪いがハシリウスの足手まといにしかならない。まず、呼びかけてみることさ。じゃあね、健闘を祈るよ。あたし達にしても、『月の乙女』なしでハシリウスを旅立たせるのは心配なんだ」

 ハシリウスもニコリと笑って言う。

「ティアラ、そなたの一刻も早い目覚めを待っているぞ。それまでは、まず自分のことを大切にするんだ。私たちの先は長い、慌てずに呼びかけてみよ。そなたならできるはずだ……。行くぞ、ゾンネ」

「はい、大君主様」

 そう言って、ハシリウスたちは部屋から慌ただしく出て行った。

「……ハシリウス様……。私、やってみます」

 取り残されたティアラだったが、決意の眉を寄せると息を整え、目を閉じて『月の乙女』へのシンクロを開始した。

       ★  ★  ★  ★  ★

 天界の空は突き抜けるような群青色である。この、普通の人間では入ることの叶わない、女神アンナ・プルナの神殿に、ヘルヴェティア王国の次期女王であるソフィアは来ていた。

 見渡す限り、さわやかな風が吹き抜ける草原があり、その丘の頂上に、『荘厳』を絵に描いたような神殿がある。大理石に似た白く清浄な石で造られており、その造形そのものが優美であるうえ、一つ一つの石に細かな彫刻が施されている。

 さらに、この世界の調度品はミスリル銀でできているようで、ソフィアが座っている椅子も鈍く、それでいて神聖な光を放っていた。

 そのソフィアの眼前に、天からの光が落ちてくる中、女神アンナ・プルナがその玉座にゆったりと腰かけていた。その顔はあくまでも優しく、穏やかで、見つめているだけで心が落ち着いてくるのがソフィアにもわかった。

「よく来られました、姫」

 女神は、ソフィアに優しい視線を投げると、微笑んでそう声をかけてきた。その声も、遠くから聞こえるようで、耳元でささやかれているような、不思議な音律に満ちた声であった。

「わざわざ『月の乙女』をお遣わし頂き、ありがとうございます、女神様」

 ソフィアは椅子から立ち上がると、そう言って丁寧にあいさつをする。女神はそれを見てふふっと笑って言った。

「堅苦しいあいさつはおやめなさい、姫。今日は、私からあなたにとても大切なお願いがありますので、ここに来ていただきました」

「女神様、私が『月の乙女』から外されると言うのは、本当でしょうか?」

 ソフィアは、はしたないと思いながらも、一番気になっていたことを聞く。女神はその言葉に軽くうなずくと言った。

「セントリウスから話を聞きましたか?」

「いいえ、わが母たる女王陛下が、そうおっしゃいました」

「そうですか……」

 女神はそうため息とともに言うと、少しの間、目を閉じた。そして、その目を開けると、ソフィアにゆっくりと言う。

「ハシリウスは、私の期待に添うように一所懸命頑張ってくれています。ハシリウスはまだまだ発展途上ではありますが、今までの歴代『大君主』の中では、すでにその魔力と実力は抜きんでています。これは、私が最も力を得ていることでもあります……」

「……」

 ソフィアは黙って聞いている。女神はうなずくと、続けた。

「しかし、今のハシリウスがいかに強大な魔力を持った大君主であろうと、『日月の乙女たち』を左右に従え、星将を外郭に置いた布陣でも、今度の“大いなる災い”を収めるためには力が不足します」

 ソフィアはそれを聞いて思わず両手で口を覆う。そんな大変な事態に、ハシリウスとジョゼだけを投げ込むわけにはいかない! 私はヘルヴェティア王国の王女、危ない橋は、自ら渡る義務がある!

 そう思ったソフィアが、何か言いかけた時、女神はゆっくりとそれを手で制した。

「姫、あなたの言いたいことは分かります。しかし、ジョゼフィン=ゾンネと新たな『月の乙女』は、おそらく今まで以上の力をもってハシリウスを助けることでしょう。ただし、それは、あなたが『月の乙女』として未熟であることを意味しません」

 ソフィアは、かなりショックを受けた。私じゃない誰かの方が、『月の乙女』としてハシリウスを守るにふさわしい――そう言われたのと等しく思えたのである。

 顔色をなくして目を伏せたソフィアに、女神は優しく言葉をかけた。

「姫、今言ったとおり、あなたの力が次の『月の乙女』に敵わないのではありません。ただ、ハシリウスたちの魔力のバランスから言うと、次の『月の乙女』の方がバランスがいいと言うだけの話です。しかし、たとえベストの編成であっても、姫の力なくては、ハシリウスたちは今以上の活躍はできないでしょう。あなたに頼みたいと言うのは、そう言う役割なのです」

 女神はそう言った後、長い時間、言葉を切った。自分の言った意味が、間違いなくソフィアの心に届くのを待ったのである。

 ――私は、ハシリウスとともに戦いたい……。でも、それだと、女神様の話では、ハシリウスを危険にさらすことになる……。ハシリウスと一緒に居たいと言うのは、私のわがまま……。私が女神様のおっしゃる役割を果たすことで、ハシリウスのためになるのなら……ううん、この王国のためになることなら、私はそれに従わなければ……。

 そう、悶々と考えているソフィアを見つめ、女神は一言静かに言った。

「大君主は神の力を行う者なれど……」

 その言葉が、ソフィアの頭の中にある言葉をよみがえらせた。

「……『繋ぐ者』がいなければその御稜威は行われない……」

 そうつぶやいて顔を上げたソフィアに、女神はにっこりと笑いかけて言う。

「そのとおりです。姫、あなたは地上での私の代わりを務め、同じく地上で『大君主』としてわが弟たる正義神ヴィダールの代わりを務めるハシリウスと、わが父である創造神アルビオン様の間をつないでいただかなければなりません」

「創造神……アルビオン様……」

 ソフィアはそうつぶやくと、ぶるっと身震いした。ヘルヴェティア王国の最高神であるアルビオン神は、王国内では『不可侵・不可思議・不可知』の存在として、その肖像を描かれることはなく、万物の創造神、人々に神の裁きをもたらす『運命の神』として、王国の人々の絶大なる畏怖を集めている存在であった。

 もちろん、大賢人をはじめとする魔術師たちにとっても至高の存在であり、その姿を見ることはもちろん、その話をすることさえ畏れ多いとして、神をまつる儀式そのものが封印されていた。その神と、どうやってハシリウスをつなげばいいと言うのか?

 憮然としているソフィアに、女神は笑いかけて言う。

「ソフィア=オクタヴィア・ヘルヴェティカ、心配しなくてもいいです。今からあなたに、私の祝福を授けます。さすれば、あなたはいつ何時でも私やハシリウスと心を通わせることができるようになります。気を落ち着けて、何も考えずにゆったりとその椅子にお座りなさい」

「は、はい……女神様」

 ソフィアは、心を落ち着けて椅子に座りなおした。女神はゆっくりと玉座を立ち、ソフィアの側まで静かに歩を進めると、歌うような声で言う。

「ああ、わが愛しの星に生きる者たちの中で、最も気高く、美しいそなたよ。私は今、そなたに私の力を分け与えます。心静かに微笑む時、そなたの力が雄々しき大君主を助け、諸々の災難や悪神を滅ぼし、神々しきわが父なる至高神のみもとにひざまづかせん!」

 すると、ソフィアの周りが目もくらむような、しかし暖かい光で満たされた。その光はソフィアの心の中まで照らし、恐れや、心配や、怒りという感情をすっかりソフィアから消してしまうほどの神々しさだった。

 ――私は、女神様の力をもってハシリウスを助ける……。これで、ハシリウスとともに戦えるんだ! そして、ハシリウスといつまでも一緒にいられるんだ!

 ソフィアは、温かい光の中、そんな満ち足りた思いで微笑んでいた。女神はその微笑みを見ると満足そうな笑みを浮かべ、ゆっくりとソフィアの側から離れた。

「ソフィア、あとはあなたの努力次第です。神々の力を信じ、ハシリウスのことを心から愛し続けなさい。そうすれば、ハシリウスの現在はあなたのものです。そして、いつの日かハシリウスが旅立つ日には、どこにいてもあなたはハシリウスの手助けができます。あなたの背中にあるその羽が、あなたの心をどこまでも飛ばしてくれることでしょう」

 ソフィアは、神の間にある磨き抜かれた鏡を振り返る。そこには、神々しいまでの光を放つ白い羽を持った自分の姿が見えた。

「この羽は……」

 ソフィアが言うと、女神がほほ笑んで言う。

「その羽は、あなたが必要なときに使うものです。人間の世界に降りたら、人には見えません。ただ、大君主や『日月の乙女たち』には見えますけれど。ソフィア=オクタヴィア・ヘルヴェティカ、あなたは神をつなぐ者です。その自信と誇りをもって、困難に負けずに戦ってください」

「分かりました。女神様」

 ソフィアは決意をその眉に表わして答えた。銀色の瞳が、しっかりと女神の瞳を見ている。

「さて、それでは姫。私は別の話をしなければなりません」

 玉座に座った女神が、少し憂鬱そうな顔で言う。

「何でしょうか?」

 ソフィアは、女神の憂鬱に気づき、眉をひそめて言う。女神はそんなソフィアを見つめて、真剣な顔で言った。

「……これは、ヘルヴェティア王国の秘密であり、“大いなる災い”に関する秘密でもあり、そしてあなた自身の秘密でもあります。心して聴いてください、ソフィア=オクタヴィア・ヘルヴェティカ」

「はい」

 ソフィアも真剣な顔で答える。何だろう、王国と“大いなる災い”に関することが、私にも関係するなんて……ソフィアは少し不安になりながらも、うなずいた。

 そのうなずきを見て、しばらくためらったのちに、女神が口を開いた。

「ソフィア=オクタヴィア・ヘルヴェティカ、あなたには双子の妹がいることはご存知ですか?」

「え……?」

 ソフィアが明らかに戸惑った顔をしている。ソフィア自身、そんな話は聞いていなかった。何? 私に妹? それも双子?

 女神は、そんなソフィアの戸惑いに理解を示すうなずきを一つして

「はい。あなたは双子の姉として産まれました。妹の名前はナディア=ナスターシャ・ヘルヴェティカと言います。しかし、貴女の妹は、あなたと全く反対の性質、つまり『闇』の性質をもって産まれつきました。そのため、本来は『処置』されるはずでした」

 処置、処置ってなに? 私と同じ日に、私と同じ父と母を持つ妹が産まれた……それを『処置』ってなに?……ソフィアの頭の中は、まだショックでそんな言葉がぐるぐるとまわっている。

「しかし、ナディアは運が良かった……というより、これが“大いなる災い”への動きだったのかもしれませんが、ある者のもとに引き取られ、そこで成長しました。『年月日の調整』、『先の女王の崩御』そして『ナディアの成長』……今思えば、これが運命の歯車の一つだったに違いありません」

 女神が言う言葉には、明らかに憂鬱があった。神であるアンナ・プルナ、その女神にもままならないこともあるのだ。それは、女神そのものが『運命の神』創造神アルビオンの娘であるから……。

「女神様……ナディア……私の妹はどこにいるのですか?」

 やっと頭の中が整理されたソフィアがそう聞くが、女神は首を振って言った。

「あなたの妹は生きています。しかし、会うことはかないません。なぜなら、あなたは『光』の守護者たる『繋ぐ者――リョース・アルファル』であり、彼女は『闇』の守護者たる『死へと導くもの――ヤーマ』であるからです」

「……『死へと導くもの』……じゃあ、妹は……」

 ソフィアのつぶやきには、ずっしりとした絶望が満ちていた。その絶望は、女神の次の言葉でより確実になった。

「ナディアは、死の女神・デーメーテールのもとで育てられ、その卓越した魔力によって、今は『冥界の使者――エリニュス』を束ねています。今回の“大いなる災い”は、単に『闇の使徒』との戦いではなく、『冥界の使者』との戦いでもあります。ハシリウスは近い将来、このナディアとの戦いに巻き込まれることになるでしょう。そして、あなたの心の持ち様如何では、ハシリウスはナディアとの戦いで命を落とすことになりかねません。ですから、その時判明してあなたがショックを受けることを避けるため、今判明していることを残らずあなたに伝えることにしたのです」

 ソフィアは、茫然とした頭で考える。私に妹? そしてその妹が『冥界の使者』で、死の女神・デーメーテールのもとで育てられた?……お母さまには、こんな話はできない。でも、私がしっかりしなければ、ヘルヴェティア王国が滅ぶ……ううん、ハシリウスが死んじゃう。こんな話、聞かなければよかった……でも、いずれ分かることなら、今分かった方がいいに決まっている。ハシリウスがナディアと戦っている最中に分かったら、私は動揺する、今みたいに。そしたら、ハシリウスが死んじゃう。

「私の大切なものは、ハシリウスと、ジョゼと、お母さまと、この国……」

 ソフィアは、目を閉じて一つ大きな深呼吸をして言う。

「私しかできないことだから、ハシリウスのために、私は動じない心を持たないといけないの……」

 目を開けてそう言うソフィアを、女神は愛おしそうに見つめている。そのまなざしを見て、ソフィアは突然理解した。女神様の強さは、きっと慈愛のおかげ……生きとし生けるものを愛おしむ、その姿そのままを愛おしむ、その姿勢……そう言えば、ハシリウスにもそんなところがあった。私は、女神様を見習わなきゃいけないんだ。だって、地上では女神様の代わりだもの……。

 ソフィアの顔が、だんだんと澄んだ色になってくる。それを見つめていた女神は、

「……ソフィア=オクタヴィア・ヘルヴェティカ、分かってくれたようですね?」

 そう言ってほほ笑んだ。

       ★  ★  ★  ★  ★

 ヘルヴェティア王国からずっと北……人すらあまり住まない北の大地の果てに、『闇の帝王』を自称するクロイツェン・ゾロヴェスターの王国があった。ゾロヴェスター王国は、冬になると太陽が昇らない。その漆黒の闇の中、クロイツェンがいるシュバルツシルド地方の『ヴォルフスシャンツェ』では、『闇の使徒』の筆頭格である『黒の賢者』バルバロッサとメドゥーサをはじめ主だった者たちが、クロイツェンと会議をしていた。

「ハシリウスの事も頭が痛いが、近ごろデーメーテールの者どもが地上で何やらうごめいている。デーメーテールはわしと紳士同盟を結んでいるが、あの女の事だ、あまり信用はならぬ。お前たちの中で何かつかんでいるものはいないか?」

 クロイツェンが、そのブリザードのような声を響かせる。そこに集まった臣下たちは、等しくその威厳に打たれて顔をうなだれていたが、一人、『黒き知恵の賢者』バルバロッサのみが静かな声でクロイツェンに言った。

「陛下、私は面白い話を聞いています。デーメーテールのもとにいる7人の『冥界の使者』・エリニュスたちですが、現在、一人の若い女が彼女らを統率しています。その名はナディア・ヘルヴェティカといい、どうもこの女はヘルヴェティア王国の現王女の妹らしいのです」

「その話、私も聞きました。ナディアは現王女の双子の妹で、まったく逆の性質の魔力を持っているということです」

 12夜叉大将の一人で、その知力はバルバロッサに匹敵すると言われる厩将クリスタルが、その長い金髪を指でもてあそびながら言う。

「ほう、さすがクリスタルだ、耳が早いな。そなたが聞いていることを話してみよ」

 バルバロッサが言うと、クリスタルはその漆黒の目を細めて、遠くを見るまなざしで言う。

「私が知っていることについては、すでにバルバロッサ様はご存知かもしれませんが、デーメーテールがナディアを育てた理由としては、『冥界』のみならずこの世界へも進出しようという魂胆があるようです。そのため、今までエリニュスだけだった『冥界の使者』に、新たに7人の『ミューズ』と呼ばれる乙女たちを加え、エリニュスとミューズ、両方を統率する『冥界の大賢人』という地位にナディアを付け、この世界に手を伸ばしているようです」

 それを聞いて、バルバロッサは爪を噛みつつ言う。

「ふむ……『ミューズ』の事については、私の調査から漏れていた。クリスタル、礼を言うぞ」

 クリスタルは顔を横に振って言う。

「痛み入ります……。しかし、もっと厄介なのは、デーメーテール自身が天界・地上・冥界の三界制覇にその気になっていることでしょう。デーメーテールは死を司る神、我々とて敵うものではありませんから……」

「……デーメーテールは、そのナディアを手に入れたことで欲望をむき出したのだろう。しかし、いかに死を司る神とてデーメーテールにも死はある。それは“闇”だ。……ふっふっふっ、私はデーメーテールに負けるとは思わん」

 クロイツェンがそう不敵に笑う。そして、その不敵な笑いのまま臣下に命令した。

「とりあえず、冥界の者どもとは“和せず、戦わず”の方針で行こう。デーメーテールが三界制覇を狙っているのであれば、遅かれ早かれナディアとデーメーテールは『大君主』や『日月の乙女たち』と戦うことになる……。我らはその漁夫の利を得られるように動けばよい。願わくば、デーメーテールがハシリウスに勝つことを祈ろうではないか」


「おい、クリスタル」

 会議が果てて、夜叉大将たちが三々五々、自分たちの支配領域に帰ろうとしていた時、クリスタルに話しかけてきた一人の男がいる。その男は黒いマントとフードを付け、フードからのぞく白髪とらんらんと輝く赤い目が鬼気迫る雰囲気を醸し出している。そして、男は隻腕だった。

「なんだ、デイモン殿」

 クリスタルが優雅に振り向いて男にあいさつした。男の名は夜叉大将・デイモン、以前、ティアラたち猫耳族の国を襲い、そしてハシリウスたちと戦って星将デネブから右腕を斬り飛ばされた男である。

「さっきの会議の話は、本当の事か?」

「さっきの話とは?」

「デーメーテールの配下にいる『冥界の大賢人』がヘルヴェティア王国王女の妹だということさ」

 歩きながらそう聞いてきたデイモンに、クリスタルは答える。

「正確には“双子の妹”だ。私はまだ見たことはないが、魔力はヘルヴェティア王国王女を上回るかもしれんとのことだぞ」

「ふむ、そうかもしれんな……」

 クリスタルの言葉を聞いて、不意に考え込むデイモンであった。クリスタルは、デイモンがそう言うふうにものを熟考する場面を見たことがなかったため、少し驚いて聞く。

「デイモン殿、どうされた? 貴殿に似合わないではないか。ナディアと会ったことがおありか?」

 冗談のつもりで聞いたクリスタルだったが、デイモンの答えは予想外だった。

「うむ、一度会ったことがある……。いや、その娘が名乗ったわけではないが、その魔力の凄さと言ったら……この俺も心底驚いた。今思うと、あいつがそのナディアだったんだろう」

「デイモン殿、我ら黒魔術師も冥界の者どもと一戦を交えねばならないかもしれない状況だ。その話、少し詳しく聞かせていただけないか?」

 クリスタルが言うと、デイモンはうなずいて、その時のことを話し出した。

「俺がマジャール平原で大君主を狙って失敗した後の事だ。壊滅してしまった我が軍団を何とか再編成し、都合2万程度で訓練を行っていた。場所はエンゲラン島だ。その訓練の時にひょっこりとその娘が現れた……」

 その時、デイモンは軍団の中央にいて、陣地変更の統制を取っていた。その時、急に左翼の方で混乱が起こり、けたたましい悲鳴や馬の鳴き声が本陣に届いてきた。

『なんだ? 何か問題でも起こったか? まったく、モンスターやミュータントにしても戦闘経験がない奴らは、ちょっとしたことで統制を逸脱しやがる』

 デイモンがそう言って本陣から外に出たとき、不意にそいつが襲ってきたのだ。

『!』

 デイモンは、疾風のように自分目がけて突っ込んできた“そいつ”を間一髪で避けた。しかし、デイモンの鎧には見事に一筋の傷跡が残った。

『何奴だ、俺はクロイツェン陛下の臣下で夜叉大将デイモン。デイモンと知っての狼藉ならば、受けて立ってやる』

 すると、10メートルほど向こうに着地した“そいつ”は、黒いマントを風に翻しながら言った。

『……そなたは、闇の魔術師ですね。だったら、悪いことをしました』

 デイモンは、“そいつ”がまだうら若い少女であるのにびっくりして言った。

『な、なんだお前は? 俺に何の用だ?』

『そなたは闇の魔術師でしょう? 違うのですか?』

 娘はそう言いながら、手に持った黒く鈍い光を放つカットラスを構えながら言う。

『い、いや、確かに俺は“闇の帝王”クロイツェン様の僕で、闇の魔術師だ』

 娘の構えに今までにない殺気を感じたデイモンは、慌ててそう言う。すると、娘はカットラスを下げてニコリと笑って言った。

『そうでしょうね……。ところで、あなた、“光の魔術師”をご存じないかしら?』

 娘の問いに、デイモンはふと頭に浮かんだ人物の名を告げる。

『“光の魔術師”というと、大君主ハシリウスのような奴の事か?』

『大君主ハシリウス……強いのかしら?』

 少女は目にきらりとしたものを光らせて言う。デイモンはうなずいた。

『ふふふ……だったら、その大君主ハシリウスに一度お会いしなくちゃ……』

 そう言うと、少女はまるで影のように消えて行った。


「……そう言うことだ。俺が再編成していた軍団は、その少女によって半分がとこ殺されていた。凄い魔力を持った奴だった……」

 デイモンは冷や汗を流しながら言う。このデイモンがこれだけ言うところを見ると、その少女の魔力はかなりのものと言っていいだろう。クリスタルは静かに言った。

「確かに、そいつはナディアかもしれない……ところでデイモン殿、私にいい考えが思い浮かんだのだが、今度は私と手を組まないか?」

 クリスタルが、その黒い目に底知れない智謀の光をきらめかせて言う。デイモンは、ニヤリと笑って言った。

「よかろう。俺の武勇に貴様の智謀が加われば、鬼に金棒だ。今までの行きがかりは忘れてやるぞ」

 それを聞くと、クリスタルは苦笑しつつ

「それは重畳。では、まずセントリウスを血祭りに挙げよう。セントリウスがいなくなれば、ハシリウスは動揺するはずだ。その動揺をついてハシリウスも倒す、それでいいか?」

 そう言うと、デイモンの答えを待たずに歩き出す。

「おい、どこへ行く?」

 デイモンが慌てて言うと、クリスタルは飄々として答えた。

「黄泉の入口だ。デイモン殿もついて来てくれ」


第2章 ナディア


 新暦アクエリアス805年土と風の月10日、ヘルヴェティカ城では一組の双子が生まれた。その一報を聞いた時、時の女王であるアナスタシア3世は眉をひそめたという。

 その報に、時の筆頭賢者であるセントリウス・ペンドラゴン伯爵が女王に召された。

「筆頭賢者殿、すでに聞き及びの事でしょうが、わが娘であるエスメラルダに世継ぎの姫が産まれました。そのことで内密にご相談したいと思いました」

 セントリウスは、その漆黒の目を細めて言う。

「……星が教えるところによりますと、“大いなる災い”が近い将来……言いにくいですが、王女様の即位後には起こるかもしれません。いろいろな前兆がありますが、姫のご出産にもその前兆が現れていました……。陛下、ご下問の件は、その赤子たちに“選択の試練”を与えられて決するしかないと思います」

 セントリウスの答えに、女王はほっとした顔で言う。

「……いつもの事ですが、そなたは話が早くて助かります……。しかし、セントリウス殿、今まで世継ぎの姫が双子だったということは何回かありましたが、“大いなる災い”とは関係がありませんでした。今回ばかりなぜそなたは、これが前兆と言われるのですか?」

「陛下、“大いなる災い”の前兆は、次のとおりです……」

 そう言って、セントリウスは、その理由を述べ始めた。

「まず、星の流れが変わっています。本来、今の時期には秋の大三角が空を飾っているはずです。そして、その大三角を起点に、28神人の宿る星々が太陽の通り道に七つ、並んでいるはずです。しかし、今、その秋の七神人であるアドラダ、セイシュッタ、ボウラ、フルバアシャダ、ウッタラアシヤダ、アビシャ、シラマナの各星は光を失いつつあります――秋の神人が光を失い、冬の神人が列を乱すとき……これが前兆の一つです」

 女王は眼を閉じて聴いている。セントリウスは続けた。

「次に、風の流れです。本来この時期であれば、実りの風がオップヴァルデンから爽やかに吹き降りてきます。しかし、今年は例年になく秋が早く、すでに風は冬の烈風を迎えるための大凪を思わせる天候です――秋の風は吹かず、冬の風は早い……これが前兆の二つ目です」

 女王は眼をゆっくりと開いて、謁見の間の窓を見やる。窓の外には、すでに紅葉した木々が見えるが、その彩は例年になく鮮やかであった。

「そして、辺境では、数年ぶりに“モンスター”たちの動きが活発になっています。私がクロイツェンを封じて、10年は辺境は静かでした。クロイツェンが封印を破ったという話は聞いていませんが、今の辺境の状況を見ると、クロイツェンの復活もあり得ないことではないと思います――人の心が乱れ、人を害する者が動き出す……これが前兆の三つ目です」

 そう言えば、もうすぐ『年月日の調整』の時が来る。その時には、一時魔力は消える。星々の動きと自然界の流れを一致させるには、どうしても来年の闇の月の最後と光の月の最初の間に、調整が必要だ。その時が勝負なのだろう……そこでクロイツェン――闇の黒魔術師、黒魔術の王――が、私の封印を解かなければ、“大いなる災い”はまだ先の事と思っていていいだろう……。しかし、星が教えるところによれば、その魔力が消えるその日その時、私にも孫が生まれるはずだ。その孫がどんな運命を背負っているか知らぬが、“大いなる災い”に立ち向かうべき人物なのかもしれんな……セントリウスはそう考えながら言う。

「そして、光と闇が対立するときに、“大いなる災い”が惹起すると言われます。王女様のお世継ぎの姫は双子……おそらく、この世に光と闇をもたらす存在としてお生まれになっているはずです。そのうち光の王女については、お世継ぎとしてふさわしいお方だと思います。しかし、闇の王女につきましては……」

 そこでいったん言葉を切り、セントリウスは強い意志を漆黒の目に込めて言った。

「……お可哀そうですが、“大いなる災い”を呼び込む存在です。ご処置あられてしかるべきかと存じます」

「不憫なこと……しかし、王国のためですね。分かりました、筆頭賢者殿。その旨、大賢人クローノスからも同じ意見具申が上がってきています。そのように処置することになりましょう。下がってください、セントリウス殿、手間をかけました」

 女王エスメラルダはそう言ってぎこちなく微笑んだ。


 ――その後、“選択の試練”によって、闇を象徴する黒真珠を選んだ姫様は、処置されたと聞いた。今のソフィア姫様は、その時、白真珠を選ばれたという。しかし、相反の双子である姫は生きているのかもしれん……。

「……確か、ナディア姫と言われたか……」

 セントリウスは、ハシリウスたちを見送って後、自身が話した“大いなる災い”の前兆について思い返していた。あの姫は、もはやこの世にいないはずだった。しかし、近年の出来事を見ていると、“大いなる災い”の駒はそろっているような感じがしてならないセントリウスであった。単に星々の動きだけではない、クロイツェンの一味の蠢動のよるものでもない、何かもっと別の、根源的な力を見落としているような気がしてならないセントリウスであった。

「……わしも老いたか……昔ならば、このしっくりこない気持ちのわけが分かったろうが……」

 セントリウスがそうつぶやいた時、星将ポラリスが顕現して言う。

「セントリウス、何か禍々しいものが近づいてきています。ご用心を……」

 その言葉にセントリウスはすぐさま反応し、リヒト・ケッセルで小屋周辺に結界を張った。その直後である、

 ズドドーーン!

 ものすごい地響きとともに、小屋の周りで土煙がもうもうと立った。

「むっ!?」

 セントリウスは、その力に少し動揺した。これは、自分の力を上回るほどの魔力だ!

「ポラリス、すぐにハシリウスのところに行き、ハシリウスを守れ!」

「な、何をおっしゃいますか? セントリウスはこの国一番の賢者、あなたを見捨ててここを離れることはできません! 私は星将です」

 ポラリスがびっくりして言うのに、セントリウスは真剣な顔で命令した。

「ポラリス、今、わしを襲ってきたのは、『闇の使徒』ではない。おそらく『冥界の使者』じゃ。クロイツェンら闇の黒魔術師たちが冥界の神々と手を握ったのであれば、『繋ぐ者』のいない今のハシリウスでは太刀打ちできん。守ってやらねばならんのじゃ、すぐに行け! これは命令じゃ!」

 セントリウスはそう言うと、とても60を過ぎている老人とは思えない身のこなしで小屋から出る。小屋の周りは、もうもうとした煙で覆われて視界が利かないが、セントリウスはその煙の中で自分を狙っている者の視線を間違いなく感じ取った。

「フォイエル!」

 セントリウスは小手調べにフォイエルで先制攻撃をかける。火の玉が煙に吸い込まれ、その向こうで爆発する。しかし、何も起こらない。セントリウスは急いで立ち位置を変えた。

 ヒュンッ!

 今までセントリウスが立っていた位置を、寸分違わず手裏剣のようなものが通り過ぎる。やはり、敵はいる。そして、その力量は12夜叉大将レベルをはるかに超えている。セントリウスはその黒曜石のような目を細くして、体に力を込め、さっと右に跳んだ。一瞬遅れてまた敵の手裏剣が通り過ぎる。

「ふむ……敵にはわしが見えているようじゃな……。これは戦いづらい……」

 セントリウスは思い切って、動きを止め、魔力のシールドを身体ギリギリまで絞った。ゆっくりと目を閉じ、精神を研ぎ澄ます。そして、両手を胸の前で組んで、ゆっくりと呪文を唱え始めた。

「キリキチャ、ロキニ、ヒリギャシラ、アンダラ、ブノウバソ、ビジャヤ、アシャレイシャ、マギャ、ホラハ・ハラグ、ウッタラ・ハラログ、カシュタ、シッタラ、ソバテイ、ソシャキャ、アドラダ、セイシュッタ、ボウラ、フルバアシャダ、ウッタラアシヤダ、アビシャ、シラマナ、ダニシュタ、シャタビシャ、ホラバ・バツダラヤチ、ウタノウ・バッダラバ、リハチ、アシンビ、バラニ――」

 敵の手裏剣がセントリウスに当たるが、身体ギリギリまで圧縮した濃密なシールドに邪魔されて、刺さるところまではいっていない。しかし、それにも限界がある。セントリウスは手裏剣に込められた破砕魔法が、自分の想定を超えていることを悟ったが、今は続けるしかない。

「……28神人よ、大宇宙の意識を総括する28神人よ、女神アンナ・プルナと正義神ヴィダールの名において、セントリウスが謹んで奏す。その力をこのセントリウスに与え、悪しき、禍々しきこの魔力の持ち主を破砕させしめ給え……」

 セントリウスがすっと伸ばした右手には、昼間ではあるが星々の光が集結しているのだろう、金色に、そして銀色にと、拳が輝く。

 やがてセントリウスは叫んだ。

「……ノウキシャタラ・ニリソダニエイ、キリキチャ神は南へ、ホラハ・ハラグ神は北へ、ウッタラアシヤダ神は西へ動きたまえ!」

 セントリウスがその拳を南に、北に、そして西にと振る。それに伴い、虚空に星々が現れ、その配列が変わり始めた。

「……イム・シュルツ、イム・ヘルツ、イム・コスモス・ウント・ガイア……」

 セントリウスの右腕に28神人が座す星々からの光が集まり始めた。セントリウスは、十分に星の力が集まったとみるや、『風の谷』中に響き渡るような声で叫ぶ。

「星々の加護は、我にあり! ノウキシャタラ・ニリソダニエイ“星の破魔矢”!」

 そう言うとともに、セントリウスは自分の身体に当たる手裏剣から割り出した敵の方向へと拳を突き出した。

 ズバ――――――ン!

 敵のいると思しき辺りから、鮮烈な閃光が輝くとともに、すさまじい爆風が吹き抜け、セントリウスを包んだ土煙が払われる。と、もうもうたる爆炎の中から、ゆっくりと敵が姿を現した。

「むっ!?」

 セントリウスは眼を見はった。いかに敵が『冥界の使者』であろうと、28神人の網の中からは抜け出ることはかなわないはずである。ましてや、傷一つつかぬなど、セントリウスの想定の外にあった。しかし、現実は厳然としてそこにある。

「……見事な一撃でした……。さすがはヘルヴェティア王国の筆頭賢者にして、星読師ヴィクトリウスの末裔たるセントリウスですね」

 セントリウスは仰天した。彼とて、『冥界の使者』たるエリニュスたちの事は知っている。そして、そのうちの何人かとは手合せしたこともある。しかし、そこにいたのはエリニュスではない、年のころは17・8歳の乙女だったからである。そう、まるでソフィア殿下のような……セントリウスがそう思い至った時、初めてもやもやしたものが晴れた。これは、自分が想像していたものより、事態は深刻だぞ……。セントリウスはそう考えて、少女に話しかけた。

「……痛み入ります。貴女様はもしや、ヘルヴェティア王国第27代女王陛下のご息女たるナディア殿下ではございますまいか?」

 すると、少女はニコリと笑い、すぐに真顔に戻って言う。

「はい、その昔、あなたの建策によって王家から追放されたナディア=ナスターシャ・ヘルヴェティカです。お目にかかるのは初めてですね? 筆頭賢者セントリウス・ペンドラゴン」

 セントリウスは、ナディアの名乗りに唇をかむ。そうか……やはり“闇の王女”は生きていたか。しかも、自分がたどった運命の元凶がセントリウスであることまで知っていた。これは、本気を出さぬとまずい結果になってしまうだろう……セントリウスはそう、気を引き締めた。

 ナディアはニヤリと凄絶な笑いを浮かべて言う。

「……どうしたのですか? なぜ黙っているのですか? 私の運命を狂わせたセントリウス、今日はあなたに会うのを楽しみにしてきました。あなたを倒し、そして『大君主』ハシリウスを倒せば、私の無念を晴らすことができますから……」

 そう言うナディアの目が、怪しく黒く沈んでいく。セントリウスは茫然としていたが、急にはっと気が付いて目を細めた。あれは、『エリニュス』の使う眼力『死への誘い』だ。まともに見ては力を吸い取られる。しかし、その瞬間に、呪文詠唱もなくナディアはその力を解放した。

「“死の抱擁”!」

「くっ! いかん! “リヒト・ウント・フォイエル・バーン・イム・マイン”!」

 セントリウスの周囲の空間が急激に温度を下げ、その中でつくられた氷の剣が四方八方から降り注ぐ。セントリウスは自己の周囲の空間に高温の壁を創りだし、辛くもその魔法から逃れた。

「なかなかやりますね。では、これではどうかしら? “トイフェル・アイゼン”!」

 ナディアの呪文とともに、セントリウスの足元から氷の刃が無数に飛び出してきた。セントリウスはとっさにジャンプしてそれを避けたが、

「むっ!?」

「残念ね? 上へ跳ぶのは想定済みなの」

 ナディアはジャンプしたセントリウスを、長剣を構えて空中で待ち受けていた。

「私の勝ちね? セントリウス」

 そう言ってナディアは長剣を揮った。速い! セントリウスのその斬撃の速さに、死を覚悟した。

 キィィン!

「なっ!」

 しかし、セントリウスの耳に響いたのは、自分の肉を斬る音ではなく、何者かがナディアの斬撃を止めた剣戟の響きと、それに動揺するナディアの声だった。

「“フォイエル・バーン”!」

 とっさにセントリウスはナディアに魔法を叩き込む。ナディアはしかし、それをやすやすとかわし、地面へと降りたっていう。

「……あなたに星将の加護があることを失念していました」

「当然だ。セントリウスはまだまだ必要な星読師だ。王女だか『冥界の使者』だか知らないが、セントリウスを簡単にそなたの手にかけさせるわけにはいかん」

 そう言って、長い銀髪、鋭い黒い瞳、白銀の衣に群青色のベルトを締め、銀の手甲と脛当てを着けた若者の姿……星将シリウスが蛇矛を構えて地上に降り立つ。

「おお、シリウス。助かったぞ」

 セントリウスが言うのに、シリウスはナディアから目を離さずに答える。

「セントリウス、少し老いたか? これくらいの敵はそなたならば片手で余ろう」

 そのシリウスの言葉に、ナディアが反応した。ナディアはその美しい顔を歪めてニヤリと笑うと、

「“これくらいの敵”? では、どれくらいならばあなたのお眼鏡にかなうのかしら? 闘将筆頭シリウス」

「いかん、シリウス、油断するな!」

 ナディアの身体から噴出する禍々しいオーラを見て取ったセントリウスが叫ぶ。シリウスもうなずいて蛇矛を構えなおした。

「……私の力を甘く見ないことね。セントリウスの前に、あなたを始末します」

 ナディアがそう宣言すると同時に、その姿が消え、一瞬の後に星将シリウスの背後を取った。

「むっ!?」

「死ねっ!」

 ナディアが揮った長剣を、シリウスは辛くも蛇矛を回して弾き返す。ナディアはその反動を利用して剣を回すと、そのままシリウスの腹目がけて剣を突き出す。

「そうはいくか!」

 シリウスも後ろへ跳び下がってそれをかわす。しかし、跳び下がった場所の後ろに、すでにナディアがいた。

「何っ!?」

 シリウスは身体を回して蛇矛でナディアを攻撃する。だが、その蛇矛はむなしく空を切る。ナディアの跳躍の方が速かったのだ。ナディアはすれ違いざまにシリウスの右脇腹を存分に斬り裂いた。

「ぐおっ!」

 思わず傷を押えて右ひざをつくシリウスの眼前に、凄絶なほど美しい笑顔を浮かべたナディアが立っていた。

「星将シリウス、星にお還りなさい」

「くそっ!」

 シリウスは、敗北感に包まれながら、ナディアが振り下ろす剣の軌跡を目で追った。

 キィィン!

 シリウスを真っ二つにするはずだったナディアの剣が、何者かによって阻まれる。ナディアは舌打ちしながら後ろへ跳び下がって新たな敵との間合いを開けた。

「あなたたちは、本当に運がいい……。私も今回は一人で来るべきではなかったかもしれませんね」

 ナディアは、突然現れた、紫紺のチャイナ風の洋服に銀のベルトを締めたうら若き美女を見て言う。

「……シリウス、アンタらしくないねえ」

「デネブ……」

 シリウスの頭上を守っていたのは、星将デネブの刀だった。デネブはゆっくりと両刀を構えなおすと、

「ほら、ぼさっとしてないで、早くその傷を治すんだよ。アンタとあたし、二人でセントリウスを助けるんだ。もうしばらく支えていたら、ハシリウスが来るよ」

 そう言う。シリウスはうなずいて“リヒト・ヒール”で自分の傷を治した。

「礼を言う、デネブ。それからナディアとやら、私もそなたを過小評価していたらしい……」

 星将シリウスはそう言うと、蛇矛を構えなおし、身体中から気迫のオーラを噴出させた。シリウスの目が青く輝き、身体がその名の元になったシリウスのように青白い光を上げ始める。

「あら、さっきとは段違いのパワーね。じゃあ、私も少しパワーを上げさせてもらうわ」

 ナディアはそう言うと、ゆっくりと長剣を構えなおす。

「今度はこちらから行くぞ!」

 シリウスがそう言うと同時に、その身体が消えた……ように見えた。次の瞬間、シリウスはナディアの後ろに回り、蛇矛を目にも止まらぬ速さで突き出した。

 しかし、その時にはナディアがシリウスの後ろに回っている。その長剣がシリウスの背中を斬り裂くように振り下ろされる。

「くっ!?」

 ナディアは、空を切る感触で唇をかみ、すぐさまシリウスの蛇矛の攻撃圏外へと移動する。そこに、

「待っていたよ。くらえっ! “風の刃”!」

「あっ!」

 星将デネブは、ナディアの動きを読み、その移動する場所に先回りしていた。さしものナディアもその“風の刃”を避け切ることはできず、左肩を深く斬り裂かれる。

「もらった!」

 ナディアの後ろに回ったシリウスが、目にも止まらぬ速さで蛇矛を突き出す。その攻撃にもナディアは反応し、前へと跳ぶが、さすがに避け切ることはできず、右脇腹を斬り裂かれた。

「これでどうだ!」

 前へ回り込んだデネブがその両刀を真っ向から振り下ろす。しかし、それはナディアの剣で弾き返された。続いて襲ってくるシリウスの蛇矛に対しても、ナディアは恐るべき正確さで反応して蛇矛の切っ先を剣で受けとめていた。

「なかなかやりますね。さすがは闘将筆頭のシリウスと女将筆頭のデネブです」

 驚いたことに、ナディアにはまだ余裕があった。シリウスは蛇矛を引こうとしてやめる。こいつの腕前は存分に見せつけられた。今、蛇矛を引いたら必ず付け入られる。それよりこうして相手の剣を封じていれば、デネブに攻撃のチャンスが増える――シリウスはそう考えたのだ。

「これで決めるよ! “風の刃”!」

 デネブは、シリウスの考えを読んで、ナディアを攻撃する絶好の位置――ナディアの右斜め後ろ――に遷移して、必殺の“風の刃”を叩き込んだ。しかし、信じられないことが起こった。

「甘いわ、シリウスもデネブも……“闇の転移”!」

 ナディアは左手を“風の刃”に向け、そう魔法を解放する。

「ぐおっ!」

 シリウスの右手から、セントリウスの叫び声が聞こえた。驚いたシリウスがセントリウスを見る。セントリウスは“風の刃”によって右の肩口から胸にかけてをざっくりと割られ、ゆっくりと崩れ落ちていくところだった。

「セントリウス!」

 シリウスが悲痛な叫びをあげたとき、今度は左手から、

「わっ!」

 そう、星将デネブの叫び声が上がる。シリウスが振り向くと、デネブは背後から自分の“風の刃”をまともに浴びて、胸からおびただしい血を振りまきながら地面へと倒れた。

「ナディア、貴様は許さん!」

 シリウスが怒りの炎で青白く燃え上がる。しかし、ナディアは冷たい瞳でシリウスを見つめて言う。

「弱いものは、生きていく資格はないのよ。それはセントリウス自身が私に教えてくれたこと……。私が生き残ったのは、単に私の魔力がずば抜けていただけ」

「……では、貴様にも死んでもらう。“煉獄の業火”!」

 シリウスがそう言って必殺の火焔魔法をナディアに浴びせる。しかし、あらゆるものを焼尽するシリウスの“煉獄の業火”の中で、ナディアは涼しい顔をして笑い、言った。

「シリウス、あなたも私の敵じゃない。“死の抱擁”!」

「おおっ!」

 シリウスの周りの空気が凍り、そしてその中で創られた無数の氷の刃がシリウスを襲う。それはシリウスの身体のあちこちに鋭く突き刺さった。

「ぐっ!……俺の“煉獄の業火”でも消滅しないなんて……」

 シリウスは、その漆黒の瞳に動揺の色を浮かべてつぶやく。ナディアはそんなシリウスを憫然と眺めて言った。

「星将シリウス、私は『冥界の大賢人』。冥界にはどれだけ高温の地獄があると思っているの? あなたの“煉獄の業火”は、本当の地獄の熱さに比べればまだまだ涼しいものよ。自分で体験してみるといいわ、本当の灼熱地獄を……“消滅の炎獄”!」

「ぐおおーーっ!」

 星将シリウスの苦しげな叫び声が響いた。

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 ――お願い、『月の乙女』、私の呼びかけに答えて! 私はハシリウス様の力になりたいの。

 ギムナジウムの寮に取り残されたティアラは、一心にそう祈り続けていた。種族の危機を救ってくれたハシリウス、それに、大事な弟も取り戻してくれたハシリウス……そして……。

 祈り続けるティアラは、突然、シュビーツの東公園でお菓子を一緒に食べたことを思い出した。あの時すでに、ハシリウスは自分が狙われていることを知っていたはずなのに、どうして私のあんなに優しい笑顔を向けられたのかしら……。そう思った時、ティアラの脳裏に、ハシリウスの隣で笑うジョゼの顔が浮かんできた。ティアラの胸がきゅんとする。何なんだろう、この胸の息苦しさは?

『あなたも、ハシリウスの事が好きなのですね? 猫耳の姫』

 突然、心の中に澄んだ、そしてとても優しい響きを持つ声が聞こえてくる。ティアラはびっくりして目を開け、辺りを見回した。

『だめですよ。あなたはまだ、私と完全にはシンクロしていませんから……でも、あなたは大君主様をお守りしたいのね?』

 ティアラは、虚空から聞こえる声に向かって、必死になって叫んだ。

「はい、私は大君主様……ううん、ハシリウス様をお守りしたいんです。姿をお見せください、『月の乙女』ルナよ!」

 その願いを聞き届けたのだろう、月の乙女がやさしい声でティアラに囁きかけてきた。

『大丈夫です、あなたと私は、女神アンナ・プルナ様のご命令により、『月の乙女』として大君主様をお守りすることになります。あなたの心が、いつも大君主様のもとにありますように……』

 その声が聞こえたと同時に、ティアラの体から青白い光が輝きだし、やがてその光が収まったとき、ティアラは銀色の宝冠をかぶり、白い緩やかな着物に銀のチェインメイルを着け、『月の盾』を構えていた。

 ――これが……『月の乙女』……。

 ティアラが心の中でそうつぶやいたとき、シンクロしているルナが呼びかけてきた。

『行きましょう、猫耳の姫。このままでは星将シリウスと大君主様が危ない』

 それを聞いて、ティアラはキッと唇をひき結ぶと立ち上がり、

「ではまいりましょう。大君主様のもとへ」

 そうつぶやくと姿を消した。

       ★  ★  ★  ★  ★

「く、くそっ……」

 シリウスは、そう一言つぶやくと、ばたりと地面へと倒れる。その身体はナディアの“消滅の炎獄”によってボロボロに焼け焦げていた。

「ふん、星読師セントリウス、星将デネブとシリウス……話に聞くほどのことはなかったわね。まあ、この三人の首を持って行けば、デーメーテール様もお喜びになるわね」

 ナディアはそうつぶやくと、ゆっくりと地面に降り立ち、シリウスの首を落とそうと長剣を振り上げた。その時である。

「“月の波動”!」

「むっ!?」

 ナディアは、突然横合いから放たれた“月の波動”を辛くも避けた。そして、魔力が来た方向を見る。そこには、『大君主』のいでたちをしたハシリウスが、神剣『ガイアス』を右手に下げ、ものすごい形相でこちらを睨み付けていた。

「あなたが、大君主ハシリウスね? 会いたかったわ……“トイフェル・アイゼン”!」

 ナディアはそう冷たい微笑みとともに言うと、いきなり魔力を解放する。しかし、ハシリウスは地面から突き出してきた氷の刃を、いともやすやすと『ガイアス』で斬り払って答えた。

「シリウス、デネブ、傷は浅いぞ。しっかりしろ、それでも星将か?」

 すると、ピクリともせずに横たわっていた星将シリウスとデネブが、その声に反応した。

「……大君主様かい? あたしはこれくらいのことじゃ参りませんから、ご安心ください」

 デネブが胸から血を滴らせながらも、何とか立ち上がると、

「……ふっ、この俺としたことが、この程度の魔力に負けそうになるなんてな……」

 そう言いながら、シリウスも蛇矛を支えに、何とか立ち上がった。

「……大君主ハシリウス、あなたも往生際が悪いわね? 死に損ないの星将二人に何ができると思っているのかしら?」

 ナディアがせせら笑って言うが、ハシリウスは眉一つ動かさずに冷たく言い放った。

「シリウス、デネブ。二人とも天界に戻れ……ここは私とゾンネに任せてもらおう」

 するとシリウスとデネブは、笑いながら首を振って言う。

「いいや、俺たちも戦おう。どれだけ役に立てるかは知らぬが、いないよりましだろう」

「心配しなくても、ボクがハシリウスを守るから、二人は天界に戻って傷を癒してきたらどうかな?」

 『太陽の乙女』ゾンネが『コロナ・ソード』を抜き放ちながら言う。デネブは、笑って答えた。

「ゾンネ、そいつは強いよ。あたしたちだって星将の意地があるんだ。ゾンネだけに大君主様の守りを押し付けて、自分たちだけ傷を癒すわけにはいかないんだよ」

 それを聞くと、ハシリウスは笑って二人に言った。

「では、二人にはセントリウスのことを頼もう。……さて、死の世界からの使いよ、ここは生きとし生けるものの世界だ。そなたにはもといた世界に帰ってもらおう」

 そういうと、ハシリウスは呪文を唱えだした。

「キリキチャ、ロキニ、ヒリギャシラ、アンダラ、ブノウバソ、ビジャヤ、アシャレイシャ、マギャ、ホラハ・ハラグ、ウッタラ・ハラログ、カシュタ、シッタラ、ソバテイ、ソシャキャ、アドラダ、セイシュッタ、ボウラ、フルバアシャダ、ウッタラアシヤダ、アビシャ、シラマナ、ダニシュタ、シャタビシャ、ホラバ・バツダラヤチ、ウタノウ・バッダラバ、リハチ、アシンビ、バラニ――」

「させないよっ!」

 ナディアが呪文を詠唱するハシリウスに斬りかかってきたが、それはゾンネの『太陽の盾』に阻まれる。

「……悪いけどね、あんたの相手はボクなんだ」

「……くっ!」

 ゾンネに斬りかかったナディアの剣は、今度はゾンネの剣に阻まれる。

「……ふっ、往生際が悪いのはお互いさまさ。ボクとゆっくり遊んでいなよ」

「くそっ」

 ナディアは唇をかむと、キッとハシリウスを睨み付ける。そのハシリウスは、二人の戦いを薄笑いを浮かべたような顔で眺めながら、呪文詠唱を続けている。星将二人は、倒れているセントリウスの看護を始めたようだ。このままではセントリウスも、シリウスもデネブも、そしてハシリウスも倒せない……ナディアは焦った。

「残念だけど、私はあなたと遊んでいる暇はないのよ」

 ナディアはそう言うと、ゾンネの想像を超えるスピードでハシリウスに迫った。

「しまった!」

「くそっ、速すぎる!」「ハシリウス!」

 デネブとシリウスも、虚を突かれて慌ててナディアの後を追ったが、追いつきそうにもない。

「死ねっ!」

 ナディアが呪文詠唱を続けるハシリウスを、真っ二つにするように長剣を揮った。しかし、その剣は、突然現れたルナによって阻まれた。

「そなたは?」

 ナディアは、ティアラのルナに目を細めて聞いた。ティアラのルナは、にっこりとした笑いとともに、静かな闘志をたたえた声で答えた。

「残念ですが、大君主様のお命は、この『月の乙女』が守り抜いて見せます」

「ティアラ……シンクロできたんだね」

 ゾンネが言うと、ルナは莞爾とした笑顔でうなずいて

「そういうことです。死の世界からの使者よ、『日月の乙女たち』の力、お見せしましょう」

 そう言うと、いきなり虚空から『クレッセント・ソード』を取り出すと、ナディアに斬りかかった。

「くそっ、王女が『月の乙女』じゃなかったのかい?」

 ナディアはそうつぶやくと、ルナに向かって

「死ねっ! “死の抱擁”!」

 そう、闇魔法を発動させる。ルナの周りの空気がたちまちのうちに凍り付き、鋭い刃となった氷の結晶が、ルナの四方八方から降り注ぐ。

 しかしルナは慌てもせずに

「無駄よ。“ドレイン・バースト”!」

 そう、魔力を吸収する闇魔法を発動させた。ナディアの“死の抱擁”は、跡形もなく消え去った。

「くっ! 貴女も闇魔法を使うようですね? 『月の乙女』」

 ナディアが言うと、ルナはクレッセント・ソードをぴたりとナディアに向けて言い放った。

「ここまでです、観念なさい。死の世界からの使者よ」

 ナディアはさらに焦った。相手が光魔法を使うゾンネやハシリウスならば、相手の魔力をカウンターとして使うこともできる。しかし、同じ闇魔法を使う相手となれば、魔力の強さと戦闘センスがものを言い、相手の虚に乗じるチャンスが少なくなる。しかも、ハシリウスの呪文詠唱が進んでいる。

「……28神人よ、大宇宙の意識を総括する28神人よ、女神アンナ・プルナと正義神ヴィダールの名において、ハシリウスが謹んで奏す。その力をこのハシリウスに与え、悪しき、禍々しきこの魔力の持ち主を破砕させしめ給え……」

 ハシリウスが右手に持った神剣『ガイアス』には、昼間ではあるが星々の光が集結しているのだろう、金色に、そして銀色にと、剣が輝く。それを見て、ゾンネがルナに言った。

「ルナ、そいつから離れて。ハシリウスの魔力が解放される!」

 それを聞くと、ルナはナディアの逃げ道を押さえ付けるように上へと跳んだ。

 その瞬間、ハシリウスが叫んだ。

「……ノウキシャタラ・ニリソダニエイ、ヒリギャシラ神は南へ、ホラハ・ハラグ神は北へ、バラニ神は西へ動きたまえ!」

 ハシリウスがその剣を南に、北に、そして西にと振る。それに伴い、虚空に星々が現れ、その配列が変わり始めた。それとともに、

「くっ……こ、これが『大君主』の力……」

 ナディアが星々の鎖によって行動の自由を奪われ、そう唇をかむ。そして、どうにも呪縛が解けそうにないと思ったナディアは、ふいにもがくのをやめて精神を集中しだした。

「……イム・シュルツ、イム・ヘルツ、イム・コスモス・ウント・ガイア……」

 神剣『ガイアス』に28神人が座す星々からの光が集まり始めた。ハシリウスは、十分に星の力が集まったとみるや、『風の谷』中に響き渡るような声で叫ぶ。

「星々の加護は、我にあり! ノウキシャタラ・ニリソダニエイ“星々の剣・大地の刃”!」

 ハシリウスはそう叫びながら、神剣『ガイアス』をナディアに向けて振り下ろした。その時、ナディアも不意に呪文とともにその魔力を全開にした。

「アブソリューツィオン、ル、モード“ドレイン・バーサステス”!」

「むっ!?」「何だって?」

 二人の戦いを見ていた星将シリウスとデネブは、目を見張った。ハシリウスの“星々の剣”が、初めて阻止されたのだ。

 しかし、ハシリウスはそのことを予想していたかのように、騒ぎもせずに笑って言った。

「死の世界からの使者よ、見事だ。しかし、次の“星々の刃”を防ぎきれるかな?」

 するとナディアは、ボロボロになった服を気にも留めず、肩で息をしながらハシリウスに吐き捨てた。その頭からはどくどくと血があふれ出ている。さしものナディアですら、完全にはハシリウスの魔力を受け止めきれなかったのだ。

「……あなたの力を見損なっていたのは認めます。今度会う時は、あなたとこの国の王女、二人の命を必ず私の手で奪って見せます。覚悟しておきなさい」

 ナディアはそう言うと、虚空に姿を消した。

「くそっ、待てっ!」

 シリウスがそう叫んで追おうとするが、ハシリウスが止めた。

「待て、シリウス。それよりもおじい様だ」

「そうだよ! セントリウスは大丈夫かい?」

 星将デネブがそう言って、慌てて倒れているセントリウスのもとに駆けよる。ハシリウスも大君主のいでたちのまま、セントリウスのそばに駆け寄った。

「おじい様、おじい様、しっかりしてください!」

「ハシリウス、これを使え」

 星将シリウスが“女神の秘薬”を渡すと、ハシリウスは聖水をセントリウスの傷にふりそそいだ。たちまち流れる血は止まり、傷はゆっくりとふさがり始める。しかしセントリウスは蒼い顔のまま目を開けず、ピクリとも動かなかった。

「シリウス、デネブ、おじい様が息をしていない! 何とかしてくれ! 僕にはまだ、おじい様の助けが必要なんだ!」

 それを聞いて、シリウスは低い声で、しかしきっぱりとハシリウスに言った。

「安心しろ、ハシリウス。俺はセントリウスには大きな借りがある。俺自身がまだ俺自身を許していないことがな……。だから、たとえ俺の命と引き換えにしても、セントリウスは助けて見せる!」

【『冥界の使者』を打ち払え(2)に続く】

最後までお読み頂き、ありがとうございます。

ナディアとの戦いの中、『繋ぐ者』の発現、そして『特異点』の発見と進みます。

一つネタバレですが、『特異点』の発見は最終回『旅立ちの歌を口ずさめ』でのことにはなりますが。

第2部は明日、投稿予定です。お楽しみに。

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