その9(遥)
お城に籠っていると疑うことばかりで心が荒んで仕方なかった。窮屈な世界から逃げる様に外に目を向けただけだけど、見慣れない景色に興味を持つということはわたしもまだまだ大丈夫みたいでほっとした。
街に出て思うのは、この世界が本当に煌びやかで色が薄いということだ。行きかう人たちは誰も彼もが日に焼けることを知らない真っ白な肌をしていて、髪の色は金や銀に薄っすら色がついている。王子様の髪色は白金で、クリソプレーズは青みを帯びた銀色の髪。アイオライトは銀髪で王様も確か同じような銀色の髪だった。瞳も青や緑といった宝石を思わせる透き通った輝きを放っていて、それは城にいる人たち特有の色素ではなく街を歩く人々の誰もがそうだ。唯一の救いというのか、わたしを取り囲む騎士たちのように整い過ぎた容姿の人ばかりではないようだ。色素の薄さが北欧をイメージさせるけど、すれ違う人たちの全てがアイオライトのような美形ではないことに心底ほっとする。
それでも色素が薄くて、わたしのように顔がのっぺりとした東洋人は何処にもいない。王子様の魔法で髪と瞳の色を変化してもらっていなければ目立って仕方がなかっただろう。それにわたしが召喚されたことは世間には隠されているので、外にでることも許してもらえなかったに違いない。変化の魔法もわたしの為に急遽作ったようだし、王子様は本当にこの世界で一番の魔法使いのようだ。わたしを召喚する前の性格がとんでもなく捻くれて最悪だったことが残念でならない。せめて普通であったなら、わたしはこんな世界に誘拐されることはなかったのだ。
時代背景はお城の作りから予想した通り中世だった。道路は当然アスファルトなんてもので舗装されておらず、代わりに薄いクリーム色の石畳が隙間なく敷き詰められている。建物も同じか白ばかりが目立っていた。陽の光のせいで眩くて、立木は深い緑ではなく新緑の黄緑。気候は温暖で雪が降ったりすることも、猛暑になることも滅多にないらしい。天候には変化があるが被害をもたらすような状況にはならないというのも不思議な現象だ。けれどそれは今が安定している時期というだけで、異世界からの召喚が必要になる千年目を迎える頃には悪天候や自然災害で世界が大きく変化し、疫病が流行り、天が地面に迫ってくるのだという。
その自然現象も黒い髪をもった人間を一人召喚するだけで収まるというのだから本当に不思議な世界だ。美しすぎる世界に現れる一点の染み、それが世界を安定させる原理なんてこの世界の人たちにも解明できていないのに、どうしても必要なものなのだとか。けれど時期外れで召喚されてしまったわたしは不要であると同時に、処分もできない厄介な存在だ。機嫌を損ねたら天が落ちて世界が滅ぶという、ある意味では魔王的な存在なのかもしれない。生贄は美しい男たちといったところだろう。
ふと王子様を視界に捉えてどきりとした。少しばかり身長が伸びてわたしよりも高くなった成長期の王子様。彼は自他共に認める天才で、わたしを帰すことは難しいといいながら約束通り研究を続けている。わたしの要求があるから世界にとっても王子の研究は最優先事項のようで、王様もわたしが王子様を顎で使っても文句はないようだった。けれど本当の所はどう思っているのか気になる所だ。
王子様はわたしの色を変える魔法はあっという間に作ってしまったし、魔法を受け付けなくなったクリソプレーズの義足に魔法をかけて、音もなく本来の足のように動かせるようにもしていた。これなら義手にも同じような役割を持たせることができるのではないだろうか。
有能な、世界一の驕り高ぶった魔法使い。そんな彼が大人しくしているのは、力を誇示する為だけにわたしを召喚したせいで、世界を崩壊に招く危険を犯している事実に気付いたからだ。わたしの機嫌一つで左右されるオブシディアンの安定のために、傍若無人で人の話なんてまるで聞かない身勝手な王子様が小娘の顔色を窺って怯えている。それもこれもわたしの怒りをこれ以上悪化させないためで、約束された王位も父親に取り上げられそうになっても文句が言えない。わたしの態度に怯えて、食事も喉を通らないのだろう。顔色も悪く痩せ細っている。
もしもこの王子様がわたしの精神を操るような魔法を思い付いたらどうなるのか。人工物や人の体は自由にできるけれど、精神の分野においてはどうなのだろう。切り落として腐った手足も繋げるかもしれないと言った彼が、罪から逃れたくて努力したらどうなるのか。美しい騎士たちに靡かないわたしの顔色を永遠に窺っているよりも、ずっと楽で手っ取り早い方法なのではないかと思うと背筋が凍りついた。
「どうかしたか?」
高い位置からクリソプレーズに声をかけられはっとする。何でもないと答えて王子様を見たら、何か無茶な要求でもされるのではと怯えていた。怯えてばかりでいつか心臓発作でも起こしてしまわないだろうか。
「なんでも。進みましょうか?」
これまでわたしは元凶である王子様をいたぶることで苛立ちを発散していた。わたしと同じように王子様にも限界があると同時に、王子様が魔法の分野においては天才だというのを思い出して怯えを抱く。もしかしたら王子様は気付かないかも知れないけど、察しの良いクリソプレーズには気付かれるような気がして恐ろしかった。
彼は真っ当なようだけど、自分を犠牲にして蛮族から国を守っていたような人でもある。わたしの味方でいてくれると思い込むのは危険かもしれない。そして悲観している王子様の扱いを間違えて、逆に恨みを買うことは避けなければならないと気付かされた。
いつまでも許せないのは大人気ない。保育士として子供たちを相手にしていた時には、ごめんなさいには良いよでこたえようねと教えていたのに。王子様は小学校に行く前の幼い子供ではない。けれど甘やかされ傅かされたせいで間違った成長を遂げてしまった、大人でも子供でもない年頃ではある。そんな王子様を許せないのは取り返しのつかないことをされてしまったからだ。恨むことで、傷つけることでしかわたしの悲しみは晴れない。だけどこの世界に来て半年が過ぎ、大人としてもそろそろ周囲を見て許さなければいけない時期に来ているのではないだろうか。王子をいたぶってばかりでは、わたしをこの世界に連れてきた元凶である王子と何一つ変わらなくなってしまう。
戻れないかもしれない。けれどもし戻れたら、もう一度きらきら輝く純粋な子供たちの前に立つことが許される人間でありたい。この半年ですっかりささくれた心の底にはそんな願いが残っている。
「王子様は……自分が住んでいる世界の、一般的な人たちの暮らしを知っているの?」
嫌味な言い方に慣れていたので注意して声を出した。棘のない初めての声色に、呼ばれて身構えた王子様の瞳が真意を探ろうと忙しなく動き回る。恐らくどう答えるのが正解かを一生懸命に考えて、結局最後は嘘をついてはいけないとの結論に達したのだろう。俯いた王子様は「何一つ知らぬ」と、叱られるのを覚悟して身を硬くしていた。
わたしよりも背がほんの少し高くなったけど、よく見たらあどけなさの残る子供だ。感情を隠すことすら覚えなかった王子様は小さな子供達と同じでとても分かりやすかった。クリソプレーズの言葉通り、クソガキを作り出したのは周囲の大人たちだとわたしは自分自身い言い聞かせる。
「それじゃあわたしと一緒に勉強しましょう。教師はクリソプレーズさん、どうぞ宜しくお願いしますね。」
「教師か、私には似合わない言葉だが構わないぞ。だがお前はいいのか?」
帰らない覚悟を固めたのかと視線で問うクリソプレーズに、そうじゃないと首を振って返事をした。意味を理解できない王子様は眉間に皺を寄せて必死に答えを考えている。わたしの言葉に否定はしていけないと刷り込まれているけれど、言葉通りに受けて答えて良いのか迷っている様だ。
「よろしくお願いします。ほら、王子様も頭を下げてお願いして。」
「あ、ああ。よろしく頼む。」
戸惑いながらも素直に深々と頭を下げた王子様にクリソプレーズは瞳を瞬かせた。きっと王子様がわたし以外に頭を下げたりするのも初めてなのかもしれない。
自分の為と言うのが大きいけれど、とんでもない力を持った王子様を放置しておくのも良くないだろう。きっとそうだと自分に言い聞かせて、ほんの少し離れた位置から自分を見つめて冷静になろうと思えた。城に閉じ籠っていたらこんな風には思えなかっただろうから、今回の外出はとても貴重なものだと改めて感じる。
何処に行きたいかと問われ見晴らしの良い所をと言えば、そう離れてない場所が小高い丘になっているというので、そこを目的地に賑わいを見せる大通りを真っ直ぐに進んで行く。大通りと言っても自動車が行きかうような道幅はなく、この世界の乗り物である馬車がすれ違える程度の広さだ。迷い込みたくなんてなかった、夢見るお姫様がいるような世界を、王子様も物珍しそうに周囲を窺いながら足を進める。よそ見をしながらゆっくりとクリソプレーズの後を少し遅れながら付いて歩いていると、見覚えのある男がクリソプレーズに声をかけてきた。
「お一人で見回りでもされているのですか?」
「お前は家族と一緒か。私も一人ではないのだが。」
「ああ、お連れの方が―――」
クリソプレーズが大きな体を除けると、一歳に届かないくらいの子供を抱いた青年が、王子様に目を止め驚いたように目を見開いた。それから視線をわたしに動かした後で、たっぷりと見つめた後にみるみる青褪めてしまう。
「サードさんでしたよね、お久しぶりです。」
「もしや……ハルカ様でございますか?」
「目立たないよう王子様に色を変えてもらって街を散策しているんです。」
焦った様子を見せるサードは、わたしがこの世界に召喚されて悲嘆に暮れていた頃に引き合わされた騎士の一人だ。アイオライト程ではないにしろ、とても見目良く紳士的で色々気を使ってくれた。あの頃は沢山の騎士が入れ代わり立ち代わりで気を引こうと色々やっていたのだ。なので全員を覚えている訳ではないが、彼だけはこの世界でも珍しい薄紅色の瞳をしているので覚えていた。
彼が姿を見せなくなって暫く存在を忘れていた。けれどこの再会でわたしはまた一つ重大な事実に気付かされる。
「お子さんがいらしたんですね、奥様も。」
違うと否定される前にサードの後ろにいた小柄な女性に挨拶すると、それはそれは美しい微笑みを浮かべて丁寧に頭を下げられる。サードの態度でわたしが特別な地位にある人間と勘違いしたようだが、王子様に時期外れの召喚をされた異界の人間だとは思っていないようだ。
「お仲間の方々にわたしが悟ったようだと伝えておいてくれますか?」
「……承知致しました。」
幼い子供を抱いたまま強張った顔で頭を下げたサードに恨みはない。彼が抱く子供に指を差し出すと握手をしてくれた。こっちが蕩けてしまうほどの愛らしい子供を前にして思わず微笑みが零れてしまう。自然に出た笑顔のままサードの家族に別れを告げ、何も気づいていない様子の王子様から離れてクリソプレーズの隣に並ぶ。
「わたしが彼に靡いていたら、奥さんや子供さんはどうなったのでしょうか?」
「知られぬよう、家族は王命により遠い地にやられただろうな。」
「他の騎士たちにも妻子がいる方や、恋人がいる人もいるんですよね?」
「お前は見目良い男たちに靡かないようだな。今の所、妻子ある者はお前の側に寄ることは無くなったようだ。」
と言うことは、恋人がいる者がいて、未だにわたしの気を引こうと頑張っている騎士がいるのだろう。真っ先に特別顔がいいアイオライトが脳裏に浮かんだ。
「あいつは数か月前に婚約を解消している。厄介なことになっていたようだが陛下がとりなして今はお前一筋だぞ。」
「酷いやり方ですよね。気付いてよかったです。」
妻や子供がいても見た目がよく靡くようなら世界の為に身を捧げさせられ、生涯にわたって好きでもない女を愛しているふりをしなければならなかったのだ。よくもわたしを騙してくれたなと罵る気持ちはないけれど、そんな酷いことをやらせていた王様には怒りしか湧かない。しかもアイオライトは婚約を解消して実害が出ているのだ。相手の女性にとっては辛い出来事だっただろう。どんな理由があっても彼女にとって私は憎い女ということになる。
ある日突然こんな世界に連れて来られた被害者はわたしだ。なのに外野に降りかかる災難までどうしてわたしが気にしなくてはいけないのか。それでもうっかり誰かに惚れるようなことになっていなくて本当に良かったと胸をなでおろした。
クリソプレーズが案内してくれた丘は緩やかで、閉じ込められて食が進まず痩せ細り体力をなくしていたわたしにも難なく上がることができた。そこから街を望むと全体的に白っぽいと感じる。街もだが、空も薄い水色で薄雲に全体が覆われていると勘違いする程だ。美しい景色だけど一つの太陽に三つの白い月が、ここがわたしの生まれ育った世界とは異なるのだと現実を突きつける。
この煌びやかだけれど色のない世界は、一点の染みを必要とする時期になると更に色を失くしてしまうという。天災があり、世界は荒れて蛮族の動きが活発となり、ぎりぎりの所まで人々は待って、多くの魔法使いたちの力を使って召喚を執り行う。世界が崩壊に近付くせいで魔法使いたちの力も落ちていくらしく、王子様がたった一人でわたしの召喚に成功したのは世界の安定状態からして有り得ない事柄ではないのだろう。けれど驕り高ぶる王子様は必要なことを学びすらせず、ただ欲望のままにやりたいことをやっただけ。無知とは恐ろしいものだと感じて、見知らぬ外気から自分を守るように肌をさする。
わたしはここに存在してはいけない。あるべきでない存在をこの世界が受け入れてくれるなら、これ以上汚していいとは思えなかった。わたしに償うべき人間はただ一人、そのただ一人の為に何も知らないで傷つけられる人たちがいていいはずがない。
こんなことわたしが気にする必要はないはずなのに、いい大人としての常識が舞い戻ってくる。復讐することで憂さ晴らしするしかなかった筈なのに、何の罪もない人たちが犠牲にされていると知った以上貫くには勇気が必要だ。
だけど、こんな見知らぬ世界に連れて来られたわたしの怒りはどうしたらいいのか。
「ねぇ王子様。わたしが怖い?」
街を見下ろしていた王子様が瞳を見開く。戸惑いながらも素直に頷いた王子様が可笑しくて、わたしはいつの間にか声を出して笑っていた。