その43(遥)
本当なら伝えてはいけない言葉だったかもしれない。だけどこのままでは、アイオライトがわたしから完全に離れて行ってしまうと感じた。じっと見つめる砂の大地に向かって旅立って、今度こそ二度と戻って来てくれないかも知れないと感じて怖くなった。
引き止めるために彼の心を抉ろう。そうしないと手に入れる機会は二度と訪れずに通り過ぎてしまう。これまでの彼と、たった今告げてくれた言葉を信じて、わたしはアイオライトに一緒に生きていきたいのだと告白した。
「それとも綺麗ではないわたしでは嫌ですか?」
沢山の傷があってもアイオライトの美しさは見劣りするどころか、別の意味で凄みを感じて鋭さを増している。そんな人の隣に立とうなんて勇気、本当ならわたしにはない所だけど必死になって絞り出した。
「あなたが私を綺麗な物で囲ってしまいたかったように、アイオライトさんも綺麗な物で囲まれたい?」
「そのようなことは決して御座いません。」
アイオライトは首を振って否定する。
「貴女はわたしの守るべき人です。唯一、この人生で生涯を捧げると願ったお方だ。乞われて応じないなど有り得ないのに、私は……」
「嫌なら嫌と言っていいんですよ。アイオライトさんの人生です、好きなように生きるべきだから。だけどその場所にわたしも一緒に立たせて欲しいと願っています。」
「私は……私の願いは、全て現ではなく夢でなければならなかったのです。抱いた想いは本来ならあってはならない感情なのです。」
護衛対象に特別な感情を持つなんてあってはならないと、アイオライトは苦しそうに眉を寄せて誰にでもなく言葉にする。だけど、そういうけどあなたは何時だってわたしを見ていたじゃないか。
体を張って守ってくれたことも、パオという伝統料理に隠された大切な意味も、何もかも隠して片鱗に触れるだけで満足している。アイオライトにとってはそれでいいのかも知れない。だけど心を向けられ触れてしまったわたしは、どうしても彼を失いたくなかった。
「アイオライトさん、パオって知っていますか?」
「それは勿論です。」
訝し気に眉を寄せたまま、何を言っているのだろうとアイオライトの視線が問う。逃がすものかとわたしは掴んだ腕に力を込めた。
「いつか作って下さい。いつか、二人で朝を迎えるようなことになったら、わたしにパオを作って食べさせてください。」
この言葉が何を意味するのか、知らないわたしのことを心配してババラチアが教えてくれたのだ。アイオライトもわたしが意味を知っていると解っている。だから本当の意味で、わたしはこの言葉を使ってアイオライトに告白した。
思ったよりも緊張しなかったのは、逃げられないよう引き留めるのに必死になっていたからだろうか。アイオライトは座っている体を少しだけ私に向けて徐に腕を伸ばした。
「私で良いのですか?」
アイオライトの包帯が巻かれた方の指がわたしの耳に触れた。そこには王子様からもらったピアスが付けられている。こんなものを身に付けてどの口が言うのかと思っているのかも知れない。気分を害しただろうかと不安になって、どちらとも口を開かずに無言で見つめ合う形になっていが、しばらくしてアイオライトがピアスから指を離した。
「王子に唇をお許しになったでしょう?」
「え?」
「だからハルカ様は王子を選ばれたのかと。」
確かに王子様にキスをされたけど、それは一人になるわたしに異性に対しての危機感を持たせる為だったはずだ。他の意味があったとしても、側にいる異性に対して思春期の王子様が興味を持った程度というか、特に大きな意味があるとは思っていなかった。
「まさかと思いながらも、覚悟はしておりました。」
それをアイオライトが知っているなんて、王子様が言ったに違いない。それでアイオライトは大人な男女間の出来事として捉えて、わたしと王子様が男女の関係になっていると想像したのだろうか。正直、王子様とわたしの年齢差を考えると複雑だ。この世界では十代の少年と大人の女の恋愛は普通なのだろうか。
「そうしたら他の男たちの世話を甲斐甲斐しく焼いているではありませんか。」
「甲斐甲斐しくって、だって怪我をしてるんだもの。それもわたしのせいで。一生懸命になるのは当たり前だと思うけど……」
綺麗ごとを言いながら、本当はわたしだってアイオライトの看病をしたかったのだと心の中で言い返す。シェルに許されなかったからできなかったし、睡眠薬を飲まなくなっただけでこんな高い場所まで上がってこれるのだから今後は看病なんて必要ないだろう。わたしはアイオライトに甲斐甲斐しくする機会を失くしてしまったのだ。
「その通りですね。ハルカ様は悪くないと解っていますが、私はその位置にすら立てない。我が身を呪いもしましたし、辛いものを見る目などなければいいとすら思ったのです。私だけがお守りするはずでしたのに、ハルカ様は多くの男たちに情を与えて警戒心がまるでない。いつか腕を取られ、寝台に引きずり込まれるのではないかと心配していました。」
「さすがにそれは……」
所狭しと並んだ寝台に沢山の怪我人が横たわっていた室内で、それはいくらなんでも考えすぎというものだ。わたしが怪我人を看病している時にアイオライトと目が合ったけど、その時にはこんなことを考えていらぬ心配をしていたのか。それにわたしは微笑んで返していたと知る。
「ですがハルカ様は王子のものではなく、他の男たちのものでもない。そして本当に、心から私を望んで下さるというのですか?」
逃がさないようにアイオライトの腕を掴んでいるわたしの手に、アイオライトの手が重ねられた。アイオライトは泣きも、笑いも怒りもせず、無表情で見つめているけど、何処となく不安そうにしているなと感じて、わたしは彼を安心させるためにも視線を離さないようしっかり見つめ返した。
「これでもアイオライトさんに逃げられないように必死なんですよ。」
浅い恋愛経験しかないわたしが、この世界で最も美しいだろう男性に告白しているのだ。多分今だけ、今しか出来ない告白。この期を逃したら色々なことを考えて、再び告白する勇気なんてもてないだろう。
「私は人目を引く見た目をしていますが、他に特出した所のない面白味のない人間です。ですから唯一、誰にも負けぬよう騎士としての力を磨いてきました。ですが見た目も、騎士としての能力も失い何一つ残っていません。それでも良いと、本気で思っておられるのですか?」
アイオライトの魅力は美しすぎる顔や騎士としての実力じゃない。人目を引くことや、綺麗なことで世間から受ける恩恵や、生きていくためには何かと役に立つだろうけど、わたしが重要視するのはそこじゃなかった。
「アイオライトさんは綺麗すぎて苦手でした。だからってこれ以上傷をつけて欲しいという意味ではありませんからね。」
きちんと説明しておかないとアイオライトのことだ、更に酷い怪我を進んで受けに行ってしまうかもしれない。それに正直、顔に薄い痣が残っているけど美貌は少しも衰えていないと思う。
「努力して身に付けた騎士としての技術は惜しいですね。失わせたのはわたしです。責任とってしっかり働いてアイオライトさんを養ってみせます。」
この世界ではわたしが持つ計算技術はとても役に立つことを学んだ。働く女性に対しての偏見があるにはあるが、男の人並みに働けばアイオライトを養っていくだけのお給料は貰えるだろう。そう強く宣言すればアイオライトが顔を綻ばせる。
「それは頼もしいですが、ハルカ様に苦労を掛けるつもりはありません。」
そう言ったアイオライトだけど、途端に真面目な顔をしてわたしの両手を取ると、前のめりになりわたしへと体を寄せた。
「あとで間違いであったとしても逃がしません。それでも宜しいのですか?」
「こちらこそ、逃がしませんから。」
「では、本日この時よりハルカ様は私の、私だけの女性です。」
握った手を引いたアイオライトはわたしの額に唇を寄せる。柔らかな感覚にそっと瞼を閉じた。
「共に罪を背負い、最後の時が訪れようと永遠に私だけのものです。」
お互いに罪を背負っている。アイオライトは王女様の側で、なるがままに仕えていたことで起きた惨劇に。そしてわたしは、この世界に生きることで起こしてしまった惨劇と、これから起きるかもしれない未曽有の出来事に恐れながら、罪を背負って何事もないように祈りながら時を過ごしていくのだ。
この後アイオライトの回復は凄まじいものだった。昨日までは起き上がることもできずに寝てばかりだったのに、肺を鍛えるのと体力を取り戻すために横になって休んでいる時間がほとんどなくなったのだ。蛮族との戦いから二月が過ぎて重症患者たちも随分と減っていた。そろそろ東に戻ろうかという状況になって、わたしは王子様と話をした。
「アイオライトさんと将来の約束をしたの。」
「そうらしいな。」
想像と異なり王子様は怒るでもなく反対するでもなく、いつも通りの様子で知っていたと答える。わたしが告白したその日にアイオライトから聞かされていたそうだ。
「だからと言って其方は私を見捨てはせぬだろう?」
「それは勿論よ。まだちょっと心配なところもあるし。」
「そうだろう、私もまだまだ未熟、故に其方が必要だ。いなくなればまた人を人とも思わぬ非道な輩に成り下がりかねないからな。」
流石にそんなことにはならないだろうけど、王子様が頼ってくれると思うととても嬉しくなる。それにアイオライトと将来の約束はしたけど、これからどうするかまで細かく話をしていない。アイオライトは元気そうに見えても重傷を負ったのだ、これからもリハビリが必要だし、わたしは生活の基盤を築くためにしっかりと仕事を決めなければならない。臨時でなく終身雇用にならないかなと勝手な考えをしていたので、王子様の言葉をちゃんと理解できていなかった。
「大丈夫だ、安心しろ。其方等のことは任せておけ。」
騎士として現場の仕事に戻るのが不可能になったアイオライトは新たな仕事を得た。それはクリソプレーズの副官と言うもので、机での仕事が主になる。事務官、というのかな。その副官を都に置くことにしたクリソプレーズ自身は、一度は退いたはずの国境警備の責任者として返り咲いた。都で受け持っていた役職との兼任らしいが、仕事のほとんどをアイオライトに任せきりだ。
クリソプレーズの復帰は彼の経験と、王子様による義足と義手の利便性が向上したのが大きい。現場に出ることを好んだクリソプレーズの代わりに、彼が都で受け持っていた仕事をアイオライトが受け持つということだけど、仕事の内容が騎士団全体に関わることなので副官で済ませていいのかと首を捻る。だからといってアイオライトに役職を横滑りさせるには、身分の問題もあって面倒なのだとか。騎士は特権階級だけど、アイオライトの生まれが平民であることに変わりないのだ。何かあれば全ての責任を持つからとアイオライトを自分の副官に付けたクリソプレーズは、元の世界に帰ることをあきらめたわたしや、王子様の将来やら諸々考えてくれたのだろう。
そしてわたしはといえば、王子様の将来の為に東の住処を離れ、再び都へと戻ることになった。
「其方がこの世界で生きていくために立派な王になると決めたからな。それが其方の望みでもあったのだから、其方の為に立派で心優しい王になってみせよう。」
立派で優しい王になると、事あるごとに『其方の為に』を繰り返す王子様。確かにそれを望んだのはわたしだけど、そうなる為にわたしが側にいなければならないと言い包められたわたしは、蛮族の将を倒した褒章としてアイオライトに与えられた大きな家に、アイオライトとわたし、そして時々王子様を交えて三人で住むことになっていた。お城が近いのに、王子様は基本的に城下にあるこの家に帰って来る。
「アイオライトも家を空けることがあるだろう、私の同居は其方の安全にもつながる。」
アイオライトは蛮族を見張るために砦にいるクリソプレーズの所に定期的に出かける必要があるので、家を空けることがあると聞いているので確かにそうだ。けれど楽しそうな王子様の瞳の奥にあるものは気遣いや優しさといった物ではない。
「なんだか王子様、アイオライトさんに嫌がらせしてない?」
「そんな訳ないぞ。なぁアイオライト、私がいた方が安心して西の叔父上の元へ行けるだろう。」
「確かにそうですね。ですがそうでない時はここに帰って来なくてもよろしいのですよ。」
アイオライトは嫌そうにしながら王子様を追い出したりはしない。それは相手が王子様だからではなく、シェルのことに関して借りを作ってしまったというのがあるようだ。だけど王子様と接するアイオライトは表情が豊かになっているように思えるので、二人はなんだかんだ言いながら仲がいいのかも知れない。
そしてわたしは、アイオライトがしっかり稼いでくれるということもあって、大きな家を切り盛りしている状態だ。王子様が作ってくれた便利な家事道具があるのでこの世界の女性たちよりは楽をしているけど、大きな家だしご近所付き合いもしないといけないので、同じ世界の女性に習って家を守ることにした。アイオライトのご両親にご挨拶していないので結婚はしていないけど、そのうちする予定だ。取りあえずは新しい生活に慣れるのが先だろう。
帰らないと決めて、この見知らぬ恐ろしい世界はわたしの一部になった。
偽りだらけで怖かった世界だけど、目を向けたらちゃんと人の心があって。良い人も悪い人もいるのは何処だって同じだ。
自分の意思ではなかったと逃げることだってできるけど、押し寄せた蛮族と戦って沢山の人が怪我をして、死に至った人もいる。その人たちに償う方法がないのは、わたしを元の世界に帰せなかった王子様とおなじ状況だ。王子様はわたしと向き合おうとしたけど、わたしはようやく踏み込めた世界が再び闇に染まるのが怖くて、自分がどんな存在なのかを公表できずに偽り続けていた。
今日もまた空を見上げる。薄い色を纏った空は太陽と白い三つの月が浮かんでいる世界。ここで生きていくのだと決めたのはわたしだ。だけど一人じゃない、大切に想う人が近くにいて、慕ってくれる人もいる。大きなことはできないけど、せめて手の届く人たちが穏やかに暮らしていけるよう、矛盾を感じながらもその日その日を、同じ責め苦を抱えた人と共に過ごしていくのだ。
~おわり~
これにて本編終了となります。
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(後日、登場人物紹介・番外編一話投稿いたします。)




