その40(遥)
薄暗い建物の中で急に腕を引かれ、驚く間もなく遠慮のない声で叱責された。
「ちょっと、あなた何やってるのよ!」
怒りを露わにシェルがわたしを睨んでいて、沢山の怪我人が眠る中で声を荒げる。
「こっちに来て。」
ぐっと腕を引かれて引きずられるように病室を出される。沢山の寝台が置かれているせいで狭くなった通路を突き進み、途中で寝台に足がぶつかるけどお構いなしに腕を引かれた。女の子にしては力が強いけど、何もかもが体を使うこの世界ではこれが普通なのかもしれない。建物の外に出たシェルは不法侵入者を投げ捨てる様にして腕を離した。
「夜中に訪問するのは非常識だわ。それにアイオライト様は酷い怪我で身動きするのも辛いのに話に付き合わせるなんて。本当、良い所の人って非常識よね。」
「あなただって同じじゃないの?」
彼女たちの領域に入り込んだのは悪かったと思うけど、夜中に病室で大きな声を出して乱暴に歩くのも非常ではないか。それにクリソプレーズはわたしをアイオライトの大切な女性として彼女に紹介したのだ。大切な人なら付き添うのは当たり前だ。今回の件は洗濯物を干すときに女性たちが話していた通りで、明らかに彼女の嫉妬だろう。
「わたしはアイオライト様の担当だからいいのよ。」
「そうね、担当ならアイオライトさんの様子を見に来るのは当たり前だわ。だけど同じ病室で眠っている人たちのことだって考えないと。狭い中を乱暴に歩き回って、大きな声を出して。少なくともわたしは静かにしていたわ。」
「何もできないお嬢様が調子に乗らないでよ。アイオライト様はわたしにお世話されて感謝しているわ。部外者が途中でやって来て口出ししないで、迷惑なのよ。」
確かに感謝しているだろう。身動きできない重傷者だ、わたしがここに来るまでシェルはアイオライトの看病を、たとえ下心があるにしても懸命にしてくれたのだろうから。勝手をしていても上手く回っているからクリソプレーズだって任せているのだ。ここでわたしが口出しするのは容易いけど、怪我をした人たちの環境の為には良くないかもしれない。
言いたいことが沢山あったけど、女性たちを束ねているのはシェルだ。わたしの立場からするとシェルからアイオライトの側を奪うのは簡単かもしれないけど、今のアイオライトの心情を考えるとそれが最善とも思えなかった。
「解ったわ、これからは気を付けます。だけど彼はわたしの大切な人なの。今後は常識的な範囲で様子を見に伺わせていただきますので。」
「手伝うなら特別扱いはしないわよ。出来ないなら王弟殿下の知り合いでも追い出してやるから。」
ふんっと鼻を鳴らしてシェルは建物の中に入って行った。アイオライトの所に行くのだと思うとモヤモヤした気持ちになる。きっと明日からはアイオライトを見舞う時間もないくらいに仕事を押し付けられるに違いない。出来ないからと馬鹿にもされるだろう。だけどここに居る以上はやらないといけないのだ。
翌朝早くから炊き出しに加わった。何をするのか指導してくれるのはシェルではなく昨日の女性たちだ。
「休む間もなく働かせろって言われたけど、辛かったら休憩していいからね。」
「ありがとうございます。早くなれる様に頑張りますから。」
よろしくお願いしますと頭を下げる。女ばかりの職場で働いて来たのでこの手のことには慣れていたし、どちらかといえば保護者との関係に悩むことが多かったな。
シェルたちは炊き出しも洗濯もしないけど、傷病者の食事を手伝ったり着替えをさせたりシーツを変えたりといった仕事はきっちりやっているようだ。わたしたちはそれに加えての仕事が多く、女たちが距離を縮める洗濯の時には愚痴大会になる。その愚痴もシェルたち若い女の子への愚痴からいつの間にか伴侶や子供、姑といったわたしの世界でもありそうな愚痴が沢山で、何処の世界でも同じような悩みを抱えているようだ。彼女たちのおしゃべりは尽きることがなく、耳を傾けているだけで嫌なことを考えずにすんでいた。
朝から晩まで働き詰めでアイオライトの元へ行けないこともある。そんな時は外から見守って終わってしまうけど、彼の傷が良くなるならそれでいいと一人で納得していた。
怪我人の世話をしていると王子様が仕事をしている様子を認めることもあった。わたしに気付くと飛んできて、狭い中に置かれた寝台を揺らしたことを注意したら、揺らしてしまった寝台の患者にすぐに謝罪する。謝られた人は驚いていたけど、王子様の成長がとても嬉しかった。王子様も園児から新一年生を経て年相応の対応を身につけつつありほっとする。ただ気になるのは一人でもこうして素直にやって行ってくれるかということだけだ。
手を汚して食べるのに難儀している患者を介助をしていると王子様がやって来た。王子様は添え木をして包帯を巻かれた患者の手をじっと見つめて指先でトントンと叩く。
「くそう、一気に治してやりたい。」
「駄目だよ、自然に治る怪我まで魔法を使うと今後に影響するんでしょう?」
「戦闘中は否応なく癒していたのだ。急襲があれば癒すがなければ放置とは……お前も癒してさっさと故郷に帰りたいだろう?」
「それはまぁそうですが……これ以上魔法での治療を繰り返すと、命の危険が起きた時に対処のしようが無くなりますし。」
「遠慮するな、こっそり癒してやるぞ、有り難く思え。」
「だから駄目だってば!」
王子様はわたしが怪我人の介助をしているのが嫌なようで、時々こうしてやって来ては無理に魔法で癒してしまおうとするので困りものだ。
王子様と話をしながらも仕事を続ける。食事が終わったら歯を磨いてやり、爪が延びていたら切って体を拭く。衣服を着替えさせるのも、寝台の上に人を寝かせたままシーツを変えるのもできるようになった。他に何かして欲しいことがないかを聞いて、手を握って欲しいと言われたら眠るまで握ってあげることもあるし、話を聞いてあげることもある。お風呂に入れないので頭が痒いと訴える人は髪を梳いたり、出来る限りで頭を濡らしたりして髪を拭ったりと工夫した。小さな子供たちの世話をしていた経験もあって難しいことではない。
本当はアイオライトのことが気になって仕方なかった。彼の側にわたしでない他の女性がいることに胸が騒いで仕方なかったから、忘れるために目の前の患者に尽くしていたら、わたしが担当する患者は回復が早いと噂されるようになったけど、それは素人のわたしが重傷者の担当ではないからいえることだ。それなのに実は魔法使いで、患者の面倒をみるのが嫌でこっそり魔法を使って治療しているとの噂までたって、クリソプレーズに呼び出しを受けてしまった。
クリソプレーズはわたしが魔法を使えないことを知っているのにどうしてなのか。疑問に感じながら彼を訪ねるとシェルがいて納得した。噂の出所は彼女らしく、クリソプレーズはわたしの正体を公表していいかどうか確認したかったのだろう。
「わたしは魔法が使えません。」
「そんなこと言ってるけど、本当は魔法使いに決まっています。そうでなければ彼女が担当した人たちだけが早く回復する理由がありません。」
「だが彼女も言っている様に、ハルカは魔法使いではないのだが。」
「隠しているんだと思います。自然治癒を優先するべきなのに魔法を使うなんて卑劣よ。騎士たちが命に関わる怪我をした時に魔法が効かないことの危険性を、王弟殿下は身を持ってご承知なはずです。」
もし本当にそんなことをしていたら大問題だけど、わたしに魔法が使えないのは事実なのだ。わたしには魔力がないので、どちらかといえばシェルの方が魔法使いの疑いをかけられる方が納得がいく。だけどシェルはわたしが邪魔で、立場を利用してわたしを追い出そうとしているのだろう。多分、わたしが担当した患者が回復が早いと噂されるだけで目障りに感じているのだ。
「ハルカ、お前の側にはハイアンシスがいることが多いな?」
「王子様はそんなことしませんよ。」
やろうとしていたのを止めたのだ。それをこっそり見つからないよいうにやるような王子様じゃない。
「ハイアンシス王子はどちらかと言うと見捨てるような方ですよね。だからやっぱりハルカさんの仕業で間違いありません。」
王子様、ここでは頑張って真面目にやっている様なのに悪評はなかなか払拭されないようだ。どうしよう、これ以上揉めても堂々巡りだ。ずるいけどわたしは自分の立場を公表したくないし度胸もない。もめ続けるならここから離れた方がいいかもしれないと考えていると、「それなら」とシェルがクリソプレーズに訴えた。
「今日からわたしが見張ります。わたしの担当患者を一緒に世話して、そこで魔法を使っているのが分かれば罰を与えてください。」
回復が早まらなければ魔法を使わなかった結果だと言い出して、追い出す理由に使われそうだ。どうするかとクリソプレーズに問われ、受けますと答えた。
それからわたしはシェルの担当する患者を一緒に世話することになった。彼女は遠慮なく仕事を言いつけて、彼女自身はアイオライトの側に座っているだけだ。アイオライトが目を覚ましている時は甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるけど、眠っている時は特に何もしないで、椅子に座って髪を触って弄んだり、刺繍をしたりわたしを監視したり。そして驚いたことに、アイオライト以外の患者はまともに世話をされていないのが解って流石に腹が立った。
「なにか言いたいことがあるのかしら?」
言いつけるなら言いつけてもいいとの態度で挑発してくる。ここでは彼女が支配者だ。どこかで見た暴君のような態度のシェルに腹が立つが、誘いに乗って喧嘩をしても誰の為にもならないだろう。わたしはアイオライトの近くに眠っている、本来ならシェルが担当する患者の世話を黙って始めた。
長く切られていない爪は伸び放題だった。見える場所だけ清潔にされていたけど、服は何日も着替えさせてもらえていないようで、傷口から溢れた膿などで汚れきっていた。王子様が様子を見にやって来ても服の汚れまで構っていないので誰にも知られないまま、本人もこんなものだと思って訴えるようなことはしなかったに違いない。目が覚めた時に食事をさせ、下の世話もして、乾いた膿で張り付いた服を脱がせて体を拭いてシーツも取り替えた。
魔法使いが診察するので口の中を覗いたりはしない。歯も磨いてもらっていなくて口腔内も不衛生だった。寝返りも打たせてもらえなくて背中には汗疹がびっしりだ。
「辛かったですね、薬をもらってきますからもう少しだけ待って下さいね。」
背中に薬を塗ると体をもじったり唸るようなことが無くなった。そんな患者ばかりで、シェル以外の他の患者も気になったけど、他の女の子たちはきちんと仕事をしているようでほっとした。炊き出しや洗濯もしなければならなかったので、これ以上の負担は無理だったからだ。
アイオライトの視線がわたしに向くとシェルが移動して視界を遮った。けれど時々シェルが居眠りしていると視線が合うこともある。側に行って話がしたかったけど、お世話しなければいけないことが多すぎて微笑むのが精一杯だ。アイオライトのことだからわたしが怪我人の世話をしているのを気にしているのかも知れないけど、シェルの担当にしたままにしておくと、蛮族から世界を守ってくれた人たちがここに来てまで大変な思いをすることになるので手が抜けなかった。わたしのせいでとの思いは、重傷を負っている彼らを前にしてどんどん心に積もって行く。
自分の罪深さを感じながら、謝罪もできずに目の前の患者に接していると、回復した彼らから感謝の言葉を貰うようになった。
「アイオライトの隣に寝かされてからこうなるような気はしたんだけどね。君のお陰で随分と楽になったよ、ありがとう。」
「こちらこそ、守って下さってありがとうございました。」
彼らも差別されているのを感じていたようだ。感謝される度に申し訳ない気持ちで心がいっぱいになるけど、それを隠して蛮族と戦って守ってくれたお礼を述べる。ずるいと思ったけど、時期半ばで召喚されたわたしのせいでこうなったのだと告白できなかった。だから一日でも、ほんの一時でも彼らが元気になるようにと願いを込めて尽くす。何人かは起きて歩けるまでに回復してくれてほっとした。
若い患者と介助者。献身的な介護をうけ、その間に恋愛感情が生まれるのは自然なことなのかもしれない。わたしは元気になった騎士の何人かに告白されて驚いたけど、彼らの気持ちに応えることなんて出来なかった。ごめんなさいと頭を下げれば、特に粘るでもなく納得してくれた。そんなことが続いて担当するほとんどの患者がいなくなった頃にまたシェルが騒ぎ出した。忙しさのせいですっかり忘れていたけど、わたしは魔法を使って患者の将来に危険を及ぼしているとシェルから訴えられていたのだ。
アイオライトの隣の患者の相手をしていた時に、シェルは周りをはばからずに声を荒らげる。アイオライトが眠っているのにと眉を寄せたけど、彼女はお構いなしだ。
「魔法を使わずにあんなに早く回復するなんておかしいわ。やっぱりあなたは魔法使いで、いけない治療をしたのよ。」
「彼らが回復したのはわたしのせいじゃない、もともと不衛生な状態の中に置かれていたのが原因なのよ。それはあなた自身が解っていることよね?」
傷口からの感染が魔法で防げるからといって不衛生にしておいていい訳じゃない。シェルはアイオライトだけの看病をして、あとは適当だったのだ。
「ハイアンシス王子や王弟殿下を味方につけているからって何でもやっていい訳じゃないのよ。本当に傲慢で嫌な女!」
シェルがエプロンのポケットに入れていた鋏を手に投げつけようと構える。様子を窺っていた女の子たちが声を上げ、わたしは危ないと咄嗟にかまえたけど鋏は投げつけられなかった。
恐る恐る目を開けると驚いたシェルの姿が目に入る。その手にはしっかりと鋏が握られていたけど、シェルの手はアイオライトによってしっかりと捕らえられていた。
「彼女にかすり傷の一つでも負わせたなら、私はこの鋏で迷いなくあなたの喉を突きます。」
感情のない声。だけどぞっとする程恐ろしく、身が竦む声と視線がシェルに向けられていた。




