表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
偽りの住人  作者: momo
39/46

その39(遥)



 屋根のある建物には沢山の怪我人が収容されていた。


 窮屈そうな簡易の寝台にけして上等ではない寝具、入り口近くに軽症者が横になって奥に行くにつれ重傷者となった建物が三棟。その一つの一番奥にアイオライトが眠っている。


 「見た目は酷いが、深層部の治療は施すことができた。後は自然治癒力に任せるしかないが、残った傷が原因で死ぬことはない。」

 「傷から感染する問題はないんですか?」

 「それは外部の問題なんで魔法で対象が可能だ。」


 アイオライトは魔法の治療が効かない所まで傷を負っていた。蛮族の将と戦って相手の急所である心臓を突くために、自分の体を囮にして刺し違えたのだ。刺し違えたという表現はちょっと違うのか、蛮族は死んだけどアイオライトはかろうじて生きている。


 アイオライトが助かったのは彼を貫いた剣が僅かに心臓からずれたからだ。それでも左の肺と、心臓に繋がる大きな血管が傷を受けた。治療は大事な血管をつなぐのと傷口を塞ぐことに集中され、魔法による治療で左肺の回復を促すのは不可能だったという。それは片方の肺を失ったと同じ意味だ。


 「治療できたのは体内の傷を塞ぐことだけだ、それ以上はハイアンシスの力でもどうにもならなかった。出血も大量だったから動けるようになるにはかなりの時間が必要だろう。今は絶対安静で傷を癒すのが最優先だが、ここまでくれば命に別状はない。一日のほとんどを眠って過ごしているが、回復には必要なことだ。目が覚めた時にお前がいれば喜ぶだろう。」


 本当にそうだろうかと、滾々と眠り続けるアイオライトを見下ろして考える。


 横たわるアイオライトの顔には包帯が巻かれていた。左目を覆ったそれは頭というより顔だろう。少しだけ覗いた肌は黒ずんでいるし、そっと掛布をめくると体中にガーゼが当てられていたり包帯が巻かれているのだ。自然治癒が望める外傷に魔法を使ってないと言っても、これはかなり重い症状ではないのだろうか。


 アイオライトはいつもわたしに綺麗な物を見せようとしていた人だ。わたしが望んでいようといまいと、アイオライトはそうすることでわたしを守れている気持になっている。そんな彼がこの姿をわたしに見せたいと思う訳がない。アイオライトが目を覚ました時にわたしが側にいたらきっと、こんな姿を見せて申し訳ないと謝罪するに違いなかった。


 側にいたいと思う。だけどアイオライトが辛いなら離れた方がいいかもしれない。そんなことを考えていたら水の入った盥を抱えた女の人がやって来た。


 「今から彼の体を拭いたいんですけど、後にした方がいいですか?」


 女性はわたしの頭から足先まで見ると訝し気な視線を向けてくる。邪魔だと言われている気がして無意識にスカートを握りしめていた。


 「シェル、彼女はアイオライトの大切な女性だ。これからの世話は彼女に頼もうと思っているから教えてやってくれないか?」

 「ご命令なら従いますけど、彼女、随分と顔色が悪いですよ。ちゃんと出来るんですか?」


 シェルと呼ばれた女性は敵意のある目を向けている。気が強そうだけど、実際に使い物になるのかどうかを見定めようとしているのだろう。ここにはアイオライトだけじゃない、動けない怪我人が沢山いるのだ。役に立たない人間にうろつかれては邪魔だし気分も悪くなる。


 「確かに顔色が悪いな。ついた早々悪かった、大丈夫か?」 

 

 少し休んでからにしようというクリソプレーズに頷いて、離れ難かったけど後に続く。またすぐに様子を見に来ようと思いながら寝台と寝台の間をぬって彼女の横を通り過ぎた時、「わたし達は来てすぐに働かされてるんだけどね」とのつぶやきが聞こえた。慌てて彼女へ視線を向けるとにっこりと微笑まれる。


 「どうした?」

 「いいえ、何でもありません。」


 特別扱いされていると指摘されたようだ。わたしのせいで彼女に不快な思いをさせたと解って思わず立ち止まったけど、クリソプレーズに促され慌てて後を追った。


 彼女の言葉は別の意味でもわたしを俯かせた。けして言われたわけじゃないけど、アイオライトに相応しくないと言われたような気がして顔が上げられなくなる。だってわたしの存在はアイオライトにとって毒にしかならないような気がしてならないのだ。彼が酷い怪我を負う原因はわたしに繋がっている。蛮族のこともクリソプレーズは王家の責任と言うけど、わたしが関わっていることも違えようのない現実なのだから。


 建物の外に出ると「嫌な思いをさせたか」と聞かれた。


 「治安の問題もあって動ける騎士たちは配属先に返さないといけない。怪我人の世話をする手が足りなくてな、近くの町から女たちに手伝いに来てもらっているんだ。シェルは町の有力者の娘で機嫌を損ねると面倒になる。態度が悪いこともあるが、気にしないでもらえると有り難い。」

 

 町の権力者か。クリソプレーズの地位と権力を使って命令すればどうにでもなるだろうけど、頼んで来てもらった女性たちに働いてもらう為には、その権力者の娘を邪険に扱うと面倒なことになりかねない。女の人って集団になると、恐ろしいと同時に厄介で扱いにくくなるものだ。彼女の機嫌を損ねて女性たちに引き上げられてしまえば、怪我人の世話をする手が足りなくなると心配するのは責任者として当然のことだろう。


 「気にしていませんよ、怪我をした人たちのことが最優先です。わたしも手伝います。その前に王子様にも会っておきたいです。」

 「そういってもらえると助かるよ。」


 心の中なんてお見通しなのだろうか。すまなさそうに眉を下げたクリソプレーズはわたしを王子様の所まで案内してくれようとしたのだが。


 「ハルカっ!」


 向こうからわたしを見つけて凄い速さで走ってきた王子様が勢い良く飛びついて来た。


 「会いたかったぞ、会いたかった。さっさと帰りたかったんだ!」


 ぎゅうぎゅうと囲われるように抱き締められた。また少し大きくなったようだけど王子様は相変わらずのようで、元気そうな姿に心底ほっとする。


 「元気そうでよかった。王子様も頑張ってくれたのでしょう?」

 「そうだぞ。蛮族を落としたのはアイオライトだが、死にそうなのを助けたのは私だ。」

 

 さあ誉めてくれと言わんばかりの笑顔を目の当たりにして、本当に心の底からほっとした。きらきらした青い瞳が殺伐とした風景の中にあっても周囲を照らしてくれる。王子様の高い位置からの物言いが懐かしくて、いつの間にか親しみを込めた視線を向けてくれるようになった瞳も愛らしい。それがこんな事件が起きた後も変わらずにわたしを見つめてくれるのだ。


 「ハルカ?」

 「ありがとう……」


 ほっとした途端に涙が込み上げて止めることができなかった。どんどんあふれる涙に王子様が慌て始める。


 「どうしたハルカ、叔父上が何かしたのだな?」

 「違うよ、クリソプレーズさんじゃなくて王子様が、変わらずにいてくれて嬉しくて……良かったと思ったの。」

 「お前、今回の件が自分のせいだと思い込んでいるだろう?」


 わたしの両肩に手を置いた王子様が顔を覗き込んできた。


 「これはグロッシューラのせいで起きた。」

 「クリソプレーズさんから聞いた。」

 「ちゃんと解っているのか?」

 「解ってるよ。ほっとしたの、王子様が沢山頑張ってくれたからアイオライトさんも無事でいられたんだもの。だからほっとして、思った以上に王子様が元気そうだから嬉しくなって涙が出ただけだよ。」

 

 迷いなく王女様だけのせいにできる王子様はまだ子供だなと思う。クリソプレーズは王族としての役目をしっかりと解っていて、自分のせいでもあると言ってのけるけど、王子様にとってはまだまだ自分が一番なのだろう。だけどわたしにとっては今の王子様の方が安心できた。どうしてだろう。ここで自分のせいでもあるとか言われたら、それこそ置いて行かれてしまったような気持になってしまうからだろうか。わたしは自分勝手だなと思いながら涙を拭った。


 王子様はこの後も怪我人たちの管理をするために、嫌々ながらクリソプレーズに引っ張られて行った。わたしは早々に帰路に着く隊長たちに礼を言って見送ったあと、怪我人たちの世話をしている女性たちに交じって洗濯物を干すのを手伝う。大量の洗濯物を洗って干してたたむのは重労働で、作業を任されたのは若いというには微妙な年頃の既婚女性たちばかりだ。


 「綺麗な手をしているけど大丈夫なの?」


 手が荒れていないことを指摘されたけどシェルのような嫌味ではなく、純粋に辛いのではないかと心配されての声だ。服装は一般的でも王子様やクリソプレーズと親しくしている姿を見て、良家のお嬢様と思われたらしい。


 「慣れないので迷惑をかけるかもしれませんけど、足りない所は教えてください。」

 「素直でいいわね、シェルたちとは大違い。若い子は病人の世話をして直接感謝されたがるものなんだけどね。」


 町から手伝いにきている女性たちのうち、未婚の女の子たちは若い騎士たちの世話に回っているそうだ。看病することで良い縁に恵まれるかもしれないという下心があるらしい。過去に召喚された女の子たちは伴侶に見目良い騎士を選んだ人が多かったのだったなと思い出し、こちらの世界の女性たちにも騎士は人気なのだと納得した。


 「シェルなんて親の権力振りかざしてさ。未婚で見た目のいい騎士たちの寝床にばかり侍って、兵士や年配の人の相手はわたしたちに押し付けて。わたしは夫がいるし別にいいけど、見え見えで嫌よね。」


 なんと女性たちがここへやって来た後にシェルの案で病人を看病しやすいよう仕訳したという。そうして出来上がったのがシェルとその取り巻きによる棟と、その他二つの棟。アイオライトがいた棟は未婚の若い騎士達ばかりがいて、シェルたち未婚の娘はあわよくばお嫁に貰って貰おうと頑張って看病しているらしい。


 何処の世界も女の人は逞しい様だ。それで若い騎士が手厚い看護を受けるならそれでもいいのだろうなと思いながら、皺を伸ばし黙々と洗濯物を干した。この人たちの話が全て事実なら、シェルの機嫌を損ねても女たちが皆いなくなってしまうようなことにはならないだろうからちょっと安心した。


 「シェルはね、一番奥にいる騎士を狙ってるのよ。なんでも一番強い蛮族を殺したらしいからね。」


 隣の女性がわたしに話しかけながら洗濯物を干す。その話に見えない方から次々と声が上がった。


 「褒章も出るし出世間違いなしだね。」

 「でも騎士は続けられないくらいの重傷だって聞いたわよ。」

 「シェルは都に住みたがってるからそれでもいいんじゃない?」

 「功労者なら剣が握れなくても上役として取り立てられるだろうし、何よりあれだけの美形だもの。ちょっとくらい傷が残っても美形は美形よ。」

 「都に住めて旦那があれだけの美形なら自慢だよね。」


 女性たちが口々に会話を広げていくのを耳にしながら、心は凍る思いをしていた。


 騎士を続けられないくらいの傷って、確かにそうだろう。この世界には魔法があるから助かっているけど、心臓付近の血管が切れて、肺を貫通する深い傷を負ったのだ。それで生きているのだからそれだけでも奇跡に等しい。わたしの生まれ育った世界は医療が進歩しているけど、アイオライトを助けられたかどうかといえば無理なんじゃないだろうか。それだけの傷を受けてこれ以上の魔法による治療は無理となると、騎士なんて体を資本とする仕事は続けられなくなって当然だ。詳しい病状は解らないけど魔法による治療がこれ以上無理なだけに、剣で貫かれた肺が今後元通りになるのかといえば違うだろう。


 日が落ちてから、わたしは寝る場所として与えられた天幕の合わせから体を滑らせ外に出た。昼間見舞ったアイオライトのことが気になったからだ。病室の様子を窺うと、何人かの女の子がいたけどシェルの姿はなく、薄暗い中へとそっと足を進めて一番奥までたどり着いた。暗いので様子が窺えず、近くまで寄って身を屈めると煌めく青緑の瞳がわたしを捕らえる。


 「ハルカ様?」

 「そうです。」


 包帯を巻かれているので目は片方しか表に出ていない。暗い中で認識され、声を聞けて少しだけほっとした。


 「殿下に伺いました、貴方が来ていると。必ず帰ると約束したのにこのような状態で申し訳ありません。」

 「アイオライトさんはいつも謝ってばかりですね。」

 「すみません。」

 「わたしだって謝りたいのよ。約束通り待っていられなくてごめんなさい。それから守って下さってありがとうございます。」

 「殿下にお聞きになられたでしょう。王女の悪行に何も思わず隣にいた私は、ハルカ様を守ったと言えるのでしょうか。」


 王女様は蛮族を使って人間を殺すのを観賞して楽しんでいた。そしてアイオライトは蛮族に襲われて腐って死んでいく人を、何度も何度も王女様の隣で見続けていたのだ。そのことを気にしているのは間違いない。仕えた主が非道な人だったという現実だけがあって、アイオライト自身はそのまま全てを受け入れていたのだろう。もしかしたらようやく今、自分の感覚がおかしかったことに気付いて、何もしなかったことを後悔しているのかも知れない。


 気にしたらもうどうにもならないというのは身を持って知っている。だから追求しないで「守ってくれました」ともう一度言葉にした。

 

 「アイオライトさんは蛮族から二度もわたしを守ってくれました。」


 一度目は地下牢で、そして今回もだ。アイオライトが手をあげて戦場に立たなければ蛮族が侵攻をやめたかどうかはわからない。アイオライトでなくても敵将を討てた人はいただろうけど、実際に危険を顧みず、自分自身を犠牲にして敵を討ったのはアイオライトだ。王女様のしてきたことが根本的な原因だったとしても、蛮族の活発化はわたしが原因だと思っている。だって今回の侵攻は空が落ちるのに合わせておきたのだから、わたしに何の落ち度もないと言われてもはいそうですかと納得して罪から逃れるようなことはできなかった。そして今回の被害が拡大するのを食い止めてくれたのはアイオライトで間違いないのだ。

 

 「動けるようになったら一緒に帰りましょう。」

 「ハルカ様……」


 動けないアイオライトは横になったままだが、わたしから逃れるように視線を下げる。あんなに求めてくれたのに苦しそうに反らされた眼差しは、彼の心を如実に表していた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ