その37(アイオライト)
クリソプレーズ殿下と共に最前線にいた者のほとんどが死を遂げていた。殿下も腹に刺し傷を受けており、蛮族が武器の扱いを覚えた事実を突きつけられる。
「剣はこれまでに奪われた物だ。錆びて手入れも行き届いていない年代物まであったが、確実に使いこなしている。これまでの蛮族はただの捨て駒だ。とにかくあれを打つことに力を入れよう。」
クリソプレーズ殿下の傷は深く、自身の魔力による治療だけではとても足りない。ハイアンシス王子が魔力の流れを調節し最大限の効力を持たせたが、やはり魔法による治療ができないのは問題だ。傷口を縫い合わせきつく包帯を巻きつけると殿下は立ち上がられた。王子の診断では命に別状はなく、これで済んで良かったというしかない。
「前線に立つ許可を。」
今回の戦いで多くの手練れが命を落とした。使える人材は治療の制限なくハイアンシス王子の治療を受け回復させたが、ほとんどが私と同様に次の治療は危うい状態だ。現状のまま先を見越す選択は第二の砦を突破される危険が強まる。私はハルカ様を守るため、同時に自分の為にも許可を願った。
「彼女が生きると決めた地が汚れては元も子もないか……」
ようやく納得して下さった殿下に頭を下げる。腰に下げた剣の鞘を握る手に力が籠った。
「私も行こう。」
「駄目だ。」
王子も戦場に立つと迷いなく言い放つが、殿下がすかさず却下する。これは私情なしに正しい選択だ。
「お前がいかに優れた魔法使いであろうと、実戦経験なしに立たせては間違いなく無駄死にする。」
多くの者が血を流し無残な死を迎える中で、素人である王子がどれだけ冷静に判断できるか。話しに聞くのと経験するのはには雲泥の差があるのだ。いかに王子が優れていようと命は一つしかない。それに王子には王子にしかできない役目がある。優れた魔法使いであるのは間違いなく、傷ついて運ばれてくる者たちには無くてはならない癒し手となっていた。王子の過去を知る者も知らぬ者も、皆が万能な王子の治療に頼っているのだ。
砦の向こう側は片付けられていない蛮族の遺体で溢れていた。鳥や獣ですら手を付けない灰色の、もとは同じ壁の向こうに住まった人間たち。蛮族に落ちて繁殖を繰り返した彼らもまたオブシディアンが生み出した世界の民だ。流れた血は私たち同様に赤い。しかしながらその血は人の身を焼く毒でもある。
昨日までは後方で弓を引いていた私も、クリソプレーズ殿下と共に前線に出る許しを得た。夜が明け出陣すると早々に戦いは始まる。最前線で仲間が傷つき倒れるのも気にせずに突き進むと、あの大きな体を持つ蛮族が姿を現した。
「あれは……」
その姿を認めた時、何かが脳裏をかすめ呟きが漏れた。襲い来る蛮族の心臓に剣を突き刺しながら進むが、何処から見ても目立つ大きな蛮族の姿に気を持って行かれる。
見上げる巨大な灰色の体には全身に施された入れ墨。隆起した硬い筋肉で覆われた体は男性体で、顔は年齢確認が不明なぷくぷくとした皺で覆い尽くされていた。眼球は瞳の部分が白く濁って判別がつかないが、大きさ以外の他はどの蛮族とも変わりはない。
初めて見る、だがどこかで見たとの感覚が消えず戦いへの集中力に歪が生まれたてしまったのだろう、強い力で後ろに引かれた。一瞬で背中が地面に押し付けられ、今まさに蛮族が剣を振り下ろそうとする瞬間が目の前に迫っている。だがその時既にこちらも体が勝手に反応していた。蛮族の心臓に剣を突き刺すと流れ落ちる血で汚されるのを避けるため、蛮族を貫いたまま剣を右に振り、反動を利用して立ち上がると再び巨大な蛮族を視界に捉える。すると巨大な蛮族の白い眼も私を捉えじっと見つめているように感じられた。
本来ある筈の頭髪がなく頭にまで紺色の入れ墨が施されていた。頭部に至るまで全身に描かれた蔦のような模様は二つと同じものがないはずだ。だが確実に見覚えのあるそれを何処で見たのか思い出した瞬間、私は彼らのこれまでにない行動の意味を悟ったような気がした。
錆びた剣を持つ蛮族の長い腕が延び、咄嗟に避けると同時に腕を切り落とした。蛮族は落ちた腕から剣だけを取り再び向かってくる。巨大な体に合わせて手足が長く一瞬で間合いを詰められたが剣の腕は悪い。だが巨体のわりに動きが早く、こちらが振るう剣を跳躍で交わして背後に着地するといった動きは経験のないものだ。気付いた時には錆びた剣で受けた傷が体の至る所に出来ていた。集中し過ぎて痛み所か感覚がまるでなくなっていたようだ。
「アイオライトっ!」
大丈夫かと間に入ったクリソプレーズ殿下が蛮族の剣を受け流した。裂けた防護服の隙間に蛮族の流す血が入り込み肌を焼いているが、腐るわけではないので気にするほどでもない。それよりもと、視線を蛮族に固定したまま殿下の隣に並ぶ。
「ハルカ様を襲った女性体の蛮族と同じ入れ墨をしています。」
「なんだと?」
蛮族の入れ墨は思い思いに描いているようで、似通ってはいても同じ模様はないと思われていた。だが間違いなく目の前の錆びた剣を手に襲い掛かってくる蛮族は、あの日ハルカ様に襲い掛かった若い女性体と同じものだ。
「確かに……頭髪がなかったな。」
殿下も思い出しているのだろう。入れ墨の模様までは覚えていなくても、灰色の髪を剃り落として頭部にまで入れ墨を施している蛮族はこれまで認められていなかったのだ。王女の命令でヘリオドールが仕入れてくる蛮族は、こちら側に入り込もうとするのを捕獲していたはずだ。そしてあの地下牢に最後に連れて来られた頭髪のない女性体の蛮族は、目の前の巨大な大勢を率いる男性体の妻か恋人か、もしくは子か。入れ墨から親しい間柄を想像するのは容易い。頭髪がないのもこの場には巨大な蛮族だけだ。あの女性体と何らかのつながりがあるのは間違いない。
「取り返す為だとしたら―――」
殿下はそれ以上言葉を繋げなかった。もし考えていることが全て正しいなら、人を恐怖に陥れる蛮族にも心があるという証明だ。
王女の犯していた罪を知らなかったことに対し、王族としての責任を感じているのだろう。私とてそうだ。王女に仕えるのが全てと人の道から外れた行いに従い、訴えるようなこともせず、ただ命令に従い口をつむる日々を過ごしていた。
確かにハルカ様の嘆きが蛮族の力を増長させるに至ったかもしれない。だが今回の過去にない侵攻の原因はハルカ様ではなく、ハイアンシス王子が言ったようにグロッシューラ王女にある。同時に側で見ていて従い続け、あの日を招いてしまった私自身にもだ。
この苦しみはハルカ様に与えてよい物ではない。不都合な世界に召喚され、悲嘆に暮れようやく穏やかになられたあの貴いお方に、この世界の身勝手が引き起こした出来事で心を痛めることなどあってはならないのだ。
事態を招いてしまった人間の一人として決着をつける。錆びた剣を持つ腕を一本落とすのには成功したが、敵は巨大ながら俊敏な動きをする蛮族で、殿下と二人で対応するが心臓を狙えるまでには至らない。蛮族も我らの攻撃を受ける度に技術を吸収しているようで、適応能力の速さに焦りを抱いた。
「今までが楽だったのだろうな。」
「触れてはいけない物に触れたということですね。」
壁の向こうに憧れる蛮族を退けるだけにしておけばよかったのだ。駆除と称して無駄に砂の大地に踏み込まなかったのも正解。しかし壁の近くにあの女性体の蛮族が姿を現し、王女の望みにより捕獲された。それに止めを刺したのは私だが後悔はない。だがこの結果だ。だからこそハルカ様との約束を破ってでも目の前の蛮族に止めを刺さなければならないのだろう。
「お前、妙なことを考えてないだろうな?」
「妙と言われても意味が分かりません。私の役目はハルカ様をお守りすることです。」
力で押して来た蛮族の剣が殿下の義手を叩き潰し、引き摺られるようにして殿下も地面に沈んだが、私は蛮族の背後に回って間合いに入る。これで終わりとしたかったが壁のように大きな背中は跳躍によって空に高く舞い上がり、くるりと回転して両足で地面を踏んだ。それを振り向きざまに剣で追うが弾かれ、延びた腕からすかさず距離を取ってクリソプレーズ殿下の前に陣取る。
「殿下。」
「大事ない。」
腹の傷が開いたのだろう、防護服に血が滲んで顔を顰めていたが殿下はしっかりと立ち上がった。
「お前は冷静だな。」
「そう見えるだけでしょう。」
私は感情がほとんど顔に出ないと言われているが、ハルカ様に出会ってよりそうでないと自負していた。だがやはり人目には分かりにくい様だ。敵に心内を悟られないのは重要なことだが、蛮族相手には役に立つことはないだろう。
実際にどう見えていようと冷静ではなかった。剣を交える度に能力を上げる蛮族に、長びく戦闘は不利と解っていても対応が追い付かない。入れ墨だらけの防具もない裸の蛮族を相手に、腕一本取っても唸り声一つ上げずに、表情の読めない特殊な皺の顔を向けられて不気味と感じないわけがないのだ。そんな蛮族に正しく戦闘能力を身につけられたら、我々人間など根絶やしにされるだろう。これまで無関心でいてくれたことに感謝したくなるが、きっかけを与えたのはこちら側である。自業自得と言う訳だ。
殿下の仰られる妙なことなど考えていないが、これしかないという考えはあった。ハルカ様を確実に守るためには他に方法を思いつかないし、今決断しなければこの方法も使えなくなるだろう。将が落ちても侵攻が止まらない可能性はあるが、女性体に執着するのが目の前の蛮族一人なら有効に違いない。止まらない場合はクリソプレーズ殿下に託すしかない。不本意ながらハイアンシス王子もおられるのだ、ハルカ様の為に最善を尽くして下さるだろう。
「アイオライト!」
止まれとの意味が込められた命令を無視し砂の地面を蹴った。地面に転がり砂を被っている遺体は敵だけでなく味方のものもあるが、踏みつけるのを構う余裕などない。
蛮族は此方の戦い方を学んでしかけてくる。狙いは双方心臓だ。長く延びる腕を掻い潜り灰色の懐に潜り込むが、寸での所で身を翻され胸板をかすめるだけにいたる。たたらを踏む失敗はせず、砂地に足を踏み込ませ剣を逆手に持ち替えると同時に背中に痛みが走った。
体を貫かれれば流石に痛みを感じるようだ。剣先を背後にし、背を蛮族に預けるように倒れ込みながら逆手にした剣に体重を乗せる。確実な手応えが剣を通して伝わった。背中に溢れる熱い感覚はどちらのものだろう。
「アイオライトっ!」
殿下の怒号が耳に届いたが、喉奥にせり上がる血潮が声を奪った。錆びた剣は変わらず背後から胸を貫いていて、突き抜けた剣の錆びは血に濡れ認められない。地面に吸い込まれるように落ちていく視界の端には、巨大な蛮族が胸に剣を差したまま崩れる様が映り込んだ。
ハルカ様をお守りできたと知り、体中が喜びに満たされた。




