その36(アイオライト)
砦を目指し侵攻してくる蛮族の影が砂の大地に見え隠れしていた。砦を狙うのは侵攻しやすいからというのもあるだろうが、こちらの人員が大幅に増員されると予想できていないのか。
蛮族の数が多く後ろに回り込むのは時間もかかり、罠の可能性もあって危険だったが、正面からだけでなく左右からも囲まれたら蛮族とて危険であるとの判断位はつくだろうに、戦い方を変えるではなくただひたすら真正面からのみ攻めてくる。指導者が誕生したのだとしても質が劣るのか、もしくは攻め落とすよりも他の目的があってのことなのか。
警戒する蛮族の上半身が上がる隙を逃さず引いた弓から手を離す。矢が軌道を描いて蛮族の胸に突き刺さるのを確認し、次の矢を番えた。
地上を歩く部隊は二、三人で組んで砂から飛び出す蛮族を一人ずつ倒していく。魔法使いも同行し怪我人への対処も行われた。数は多いが闇雲に現れる蛮族を的確に始末していくしかないと弓を放っていると、後方より声が上がり砦の上から見下ろせば、地下を掘り進めた蛮族の灰色が穴から這い出てくるのが見え弓で射殺す。
こちらは数で圧倒的に劣っていたが、能力の面では敵ではなかった。それでも次々と湧いてくる蛮族を前に鍛えていても疲れが出るのは止められないことだ。対して強靭な力を持つ蛮族は疲れを知らない。前面と左右を取り囲み蛮族の排除につとめていた陣に綻びが出来ると、そこから蛮族の侵攻が進んで行く。
光り輝く世界を目指していた蛮族は人を前にすると懇願するように追い縋り、肌を腐らせ時に身を引き千切る行為を繰り返していた。だがこれまでと異なり攻撃を仕掛けても目の前の人間に執拗に拘るのではなく、確実に砦を突破することに重点をおいているようだ。砦の最も高い位置から見渡しても次から次に攻めてくる蛮族の最後尾は確認できない。一体いつまで続くのか、先の見えない戦いは日が沈むと同時に一旦落ち着くが、日が昇ると同じことの繰り返しだ。
「二千を越えているな。」
矢の数にも限りがある。射た矢が回収され戻って来るのにも時間が必要で手に空きが出るようになった。迷わず砦を降りると、取りこぼされた蛮族を前に迷いなく心臓に向かって剣先を納めた。
直接戦うのは初めてだが、蛮族に止めを刺すのは幾度も経験している。グロシューラ王女の道楽で蛮族に人間を襲わせる様を幾度と目撃し、見世物が終わると蛮族の処分を任された。蛮族と人間を仕入れてくるのは魔法使いのヘリオドールだったが、止めを刺すのは私の役目となっていた。王女は人が腐り果てる様と私が蛮族の心臓に剣を入れるまでを微笑みながら鑑賞されるのだ。腐った人と蛮族の遺体はヘリオドールが処分し、私は王女と共に城に戻る。城に戻った王女は高揚した気持ちを治めることができず、短剣を使って私の体に蛮族を真似て模様を描いた。私の白い肌に剣を使って刻まれる模様は毎度異なったが、記憶力の良い王女が描く模様は殺したばかりの蛮族と同じ模様だ。二人として同じ模様のない、灰色の蛮族に刻まれた入れ墨が私の肌に赤い鮮血を持って描かれる。
『美しいわねぇ。』
呟いた王女の笑みが脳裏に蘇ると同時に蛮族の心臓を貫いた。ここは王女と共に過ごした世界とは違う。大切な人を守るために自ら踏み入れた大地だ。
蛮族の白い目は暗闇に弱いらしい。だから光の世界にあこがれを抱き続けるのかも知れない。数で劣り多くの負傷者を出したが死者はそれ程ではなかった。だが魔法使いによる治療は緊急性のあるものに限られるので、動ける者の数も確実に減っていく。
倒しても倒してもきりがないと誰かが口にしていたが、まったくもってその通りだった。これまで侵攻してきた比でなく、次々と溢れてくる灰色の集団に嫌気が差すほどだ。蛮族は基本素手で戦うが、我々同様の武器を有していたならこちらに大きな被害が出たのは確実だろう。これがハルカ様が私を想い嘆いた結果だと思うと妙な感激を覚えたが、実際には長い時を繁殖していたのなら納得できる数である。
東を離れ既に一月。砦に来て二十日が過ぎていたが、一向に先が見えずクリソプレーズ殿下を訪問した。
「敵後方の偵察の為に別動の許可をいただきたい。」
戦うのではなく身を顰め、攻め入る蛮族を大きく迂回して後方の様子が知りたかった。指導者となるべきものがあるのかないのか、それを知るだけでも戦況に変化があるのではないかと思ったのだ。
「偵察なら既に二手に分かれ出しているが帰還した者はいない。そもそも大きな危険が伴う、お前を行かせるわけにはいかないと解っているだろう。」
ハルカ様が悲しまれるからか。それはそれで嬉しいことであるが、無事に帰ると約束したのだ。ここで朽ちる気などない。
「殿下も予想しているでしょうが将はいます。恐らく落とせば侵攻は止まる。蛮族が日々戦い慣れしていくのが高い位置より見ても確認できるのです。今なら間に合うと思いませんか?」
「解っている、だがお前は行かせん。」
「殿下ご自身が請け負いたいのでしょうがその手足では無理でしょう。私は傷を負っても痛みを感じ難い体質ですので、多少のことでも普通に動くことが可能です。無理と判断すれば余力を残した状態で戻ってきます。使っていただけませんか?」
蛮族は防護服を破り狙ってくる。生きながら腐るのはかなりの苦痛を伴うだろうが、私なら傷を受けても前に進める。目的がはっきりしているので危険を避けて様子を窺うだけだ。統率者がいた場合、可能なら討てばいい。その時の陣営は殿下に考えて貰えば済む話だ。簡単ではないが、蛮族の集団に飛び込むより危険は少ない。先発隊が戻って来ないのは群れに近付き過ぎて見つかったか、将を打つのに失敗したかだ。
「私に手足が生えたら考えてやってもいいのだがな。」
時間がかかっても現状でよいと判断されてしまった。私に魔法による治療の制限がなければ使って下さっただろうかと考えていた所に思わぬ知らせが届く。
ハルカ様と共にるはずのハイアンシス王子がやって来たのだ。有り得ないと驚いたが顔には出さなかった。
「ハルカ様を残してきたのですか。」
「隊長とババラチアに任せてきた。」
人の好さそうな、この世界では珍しくふくよかすぎる男の姿が思い浮かぶ。
「ババラチア……誰だそれは?」
「役所の税務課長を勤める四十代の男性です。」
王子はハルカ様を恐れて避けていたはずなのに、いつの間にやらハルカ様に執心しており、私の存在を煙たく思っていたはずだ。せっかく二人の生活に戻れた状態を放棄してやってくるとは如何したことか。王子に国を守るという崇高な志があるとは思えない。結局は私同様にハルカ様の為なのだろうが、騎士である隊長はともかく、ババラチアでは危険が迫った時にハルカ様を守ることは不可能だ。となれば心の方だろう。あの男は見た目のせいか人を穏やかにする作用がある。
「ハイアンシス王子、貴方はハルカ様を請け負って下さったのではなかったのですか?」
「世界一の魔法使いだぞ、参戦せねば宝の持ち腐れだと思わぬか?」
非難を込めて問えば尤もらしい答えを返される。近頃のハルカ様は王子を子供の様に扱っていたはずだ。行くと言って行かせるわけがなく、ハルカ様をどのように唆したのか。ハルカ様を召喚する前の王子に戻ったのか、余裕たっぷりの自信に満ちた態度がどういう訳か気に障った。
「ハルカを残してきたのは気になるが、来てしまったのはしょうがない。ハイアンシス、アイオライトの治療がどの程度可能か調べられるか?」
クリソプレーズ殿下もハルカ様のことは案じているが、現状を受け入れ切り返す。王子は一瞬盾突こうとしたものの、殿下の言葉を受け入れ私に歩み寄って額に指先を触れさせた。
「私は唇にしてやったぞ。」
「左様でございますか。」
「すました顔をしているが、内の魔力が酷い乱れようだな。」
絡んだ視線の間に火花が散ったのは見間違いではないだろう。王子は面白そうに口角を弛めると私の額から指を離して殿下に向き直る。
「ある程度の外傷は可能だが、身体欠損の補修は無理だろう。出血多量の場合は五分五分といった所か。叔父上はこれを最前線にでも出すつもりか?」
「腕がいいからな。だがハルカのこともある、私が動くか。」
「殿下が出られるのであれば同行致します。」
「お前は私ではなくハルカの騎士だ。死なせては謝罪のしようがない。」
ハルカ様の側にお仕えすることで立ち位置を変えられているというのは解っていたが、クリソプレーズ殿下であれば実力を評価し使っていただけると思っていたのは甘かったようだ。蛮族の侵攻を止めると同時にハルカ様の心も案じなければならない。
「叔父上自らが出られるのなら義足の強化はするにしても、腕がないのは難儀だろうと良いものを持ってきた。」
そう言って王子が荷物から取り出したのは義手だ。見た目は悪いが関節が嵌め込まれ、五本指の部分には奇妙な形の管玉とひし形の玉が交互に連ねられていた。
「妙な形だな。」
「ハルカに算盤と言う異世界の物を教えられ、それを参考に職人に作らせたのだ。」
「成程。だが義手は邪魔になるだけなので使わない主義だ、気持ちだけ頂こう。」
「叔父上、私は世界一の魔法使いですよ。袖を揺らさぬためだけに義手を薦めると思われるか?」
まさか動くのか?
性格云々はともかく、王子が絶大な魔力を持っているのは誰もが認めるところだ。殿下も私と同様にまさかと考えたのだろう、身を乗り出した所で王子が自慢げに頷く。
「繊細な動きは無理だが、蛮族を薙ぎ払う程度には無理なく動かせる。私の魔力でも動くが、叔父上自身の魔力を使えば筆を持つのも可能なはずだ。」
ハルカ様の為に不思議な家事道具を作っていたがその応用なのか。そろばんと言うのもこの世界の言葉ではなく、物を掴む便利な道具だろうかと考えていると、殿下も同じように思ったらしく「これがそろばんとやらが変化したものか?」と義手を手にして眺めていた。
「算盤はこれだ。」
王子は懐から何やら紙を取り出すと広げて見せる。私も近付いてみるとふくよかな男が描かれていた。
「殿下、こちらがハルカ様の上司にあたるババラチア殿です。」
「隣はハイアンシス、お前か。ハルカは絵が上手いのだな。で、こ奴と義手にどう繋がりがある?」
「彼女が描いてくれた私が手にしているのが算盤だ。」
描かれたババラチアの隣に俯く王子らしき姿があり、四角い枠に嵌った珠を指さしていた。どうやらこれは義手の指先に使われている珠と同じ形のようだ。細かい珠を使うことで指先の握りを可能にしたのだろう。大理石らしき鉱物で作られた珠に魔力を伝えるという訳か。
奇妙ながら自在に動かすことが可能な義手に興味を示すクリソプレーズ殿下を余所に、王子は絵を手にして自慢げに揺らしていた。
「よく描けているであろう。ハルカは私を常に見ている。」
「中心はババラチア殿のようですが?」
「私が中心に描かれたものもあるぞ!」
そう言って懐から取り出した新たな絵は、異国の服を着た王子が中心に描かれていたのだが。
「私とクリソプレーズ殿下もおられますね。」
「中心は私だ、お前と叔父上はついでだ!」
「ついでであっても嬉しい物ですね。目の前でなく、思い出しながらこれ程丁寧に描いて頂けるとは。ハルカ様の脳裏には私の姿が焼き付いておいでなのでしょう。」
かつて王女がお喜びになった笑顔を披露すれば、王子は悔しそうに歯ぎしりしていた。
「ハイアンシス、何を騒いでいる。長く腕がなかったのだ、慣れるには時間がかかるだろうからさっさとつけてくれ。」
上着を脱いだ殿下が傷だらけの上半身を曝した。私の肌にはない傷が経験の差を見せつけている。
義手を装着した殿下は違和感を覚えているようだったが、王子の処置の後に自身の魔力を流すようになると慣れと共に違和感はそれ程感じなくなったようだ。少しばかりぎこちなくも五本の指が動いて剣をしっかりと握る。義手と合わせると両刀使いになるのか。殿下は素早い蛮族を相手に楯を利用されない、だからこその傷かもしれないが、やはり実戦経験の豊富さが羨ましく感じる。私にそれだけの経験があればとっくに敵将を求め砦を超えていただろう。
指導者がいるいないにしても攻めてくる蛮族を迎え撃つしか方法はない。ハイアンシス王子が治療に加わったこともあり重傷者の完治が格段に早まり戦力が増えただけでなく、クリソプレーズ殿下の動きも良くなったようで敵が押し戻され始めた。地道に蛮族の相手を進めること幾日目であったか。砂の大地に足を踏み入れ、矢じりで狙いを定めた先に一際大きな蛮族の姿を目にする。
「あれは蛮族なのか?」
明らかに巨大な姿に誰もが呟きを漏らした。矢の射程距離外であるため狙いを定めても届かないが、その姿はあまりにも大きく一般的な蛮族の半人前ほど巨大だ。
「あれが指導者か。」
蛮族に人の常識が通用するとは思えないが、将を落とせば戦いは終わる。蛮族の目的が何であれ、あの巨大な存在が要であろうとの予感は強くなるばかりだ。陽が沈みそれ以上の距離を縮めてくることはなかったが、私より確実に近い位置であれを確認したクリソプレーズ殿下の顔色は酷く悪かった。




