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偽りの住人  作者: momo
35/46

その35(アイオライト)



 クリソプレーズ殿下が西の砦へ向かわれたと知ったのはハルカ様が東へ戻られた後だ。西は国内へ侵攻してくる蛮族との戦いが最も過酷となる地域であるが、五百年前に異界より人を召喚して以来はそれなりに落ち着いていたはずである。


 その第一の砦が破られ軍は二つ目の砦に退避した。その時点でクリソプレーズ殿下が呼ばれ急遽駆けつけるに至ったのだが、その二つ目も危ういとなり新たな人員が募集されることになる。


 ハルカ様を追ってやって来た町は治安のよい穏やかな地域だ。場所が東の端というのもあり蛮族への備えは必要だが、東の砦に近寄る蛮族はほとんど存在しない。そんな環境の中で平和に時間が流れるのだと思っていたが、どうやらオブシディアンの外側で繁殖を続けた蛮族一同が西に会しているようだと知らせがあり、私は手をあげ西に向かうことに決めた。


 迷いがあるのはハルカ様を残して行くことだ。彼女は敏い、いずれ気付くだろうと思うと秘密にして良い問題でないと判断して正直に告げた。蛮族の恐ろしさを経験した彼女なら、無謀な判断をしないと思ったからだ。ただ自分のせいで蛮族の動きが盛んになったと思うのではないか、それだけが危惧された。

 予想通りハルカ様は自分のせいだと思ってしまわれたが、蛮族の存在はオブシディアンそのものの問題で彼女には全く関係がない。それよりも私は目に涙をため、落涙し、行かないで欲しいと願われた事実にこの上ない幸福と嬉しさを覚える。


 散らばっているのなら大した戦力ではないが、一同に会するとそういう訳にはいかない。手足を失い義足であるクリソプレーズ殿下が前線に出るという状況はそれだけ切羽詰まっているということだ。十年以上の長きに渡り、それこそ魔法による治療が困難となるぎりぎりまで蛮族と戦い続けたクリソプレーズ殿下は、王族という立場からしても人を率いるに相応しい。その人を失えば一気に指揮が落ちるだろう。名将が他にいたとしても、ハルカ様に関わる場所で私が信じられるのはクリソプレーズ殿下だった。だから殿下が健在である内に蛮族を叩き退けるべきと決断した。


 最悪を考えれば早々に参戦するべきとの結論に迷いはない。もし万一にも蛮族が第二の砦を突破したら一般人にも被害が及び、恐怖に苛まれた人間が新たな蛮族へと変化を遂げる危険性もあった。恐怖は瞬く間に伝染し、それこそ私一人ではハルカ様を守り切れなくなるだろう。多少離れたとしても、彼女を守る為なら迷いも悲しみもない。


 ハイアンシス王子にハルカ様をお願いした時に『手放すなら守る』と仰られたのは、ハルカ様の為にも王子なりに私を行かせないように言葉を選んだのだろう。ハルカ様は私が腕を落としたことで深く傷つき、癒えた今も気にかけている。手放すとの言葉で王子がハルカ様を奪う意思を見せたのかも知れないが、大部分はハルカ様の為の言葉だ。


 王子も既に十六、これが他の男であれば成人前でも油断しなかった。しかし王子とハルカ様が二人で暮らしていることに不安を抱かないのは、王子がハルカ様に対して絶対に無体を働かない確信があるからだ。


 恐らく王子にとってもハルカ様はただ一人のお方で、失う恐怖は計り知れない。私は拒絶され側を許されなかった時間を経験しているだけにその辛さを知っている。王子も私と同じようになるのは不本意だろうから、無害として必要以上に許されている距離を自ら放棄するようなことは決してなさらないと解っていた。


 王子は変わられた。同様に私もだ。王子が召喚したハルカ様は何の目的もなく、ただ王子の自己満足の為に召喚されたとされていたが、今は間違いなくオブシディアンに呼ばれたのだと解る。そうでなければ自分の意思を持った私は存在しないし、未来の王となるべき王子も存在しない。私や王子を変えたのは間違いなくハルカ様で、間違いなくこのオブシディアンに必要な敬われるべき大切な存在でもある。


 本来なら大々的に公表し賛辞を得るべきお方だ。しかしそうなると多くの者がハルカ様へ手を伸ばすことになる。私だけに許された場所を奪われるのなら今のままでいい。あの美しい光沢の黒髪と、いつまでも見詰めていたい漆黒に近いこげ茶色の瞳を再び見ることが叶わなくても側に侍り守ることが許される。ハルカ様はそう思っていないかも知れないが、私が他よりも特別な存在であるならそれで良かった。


 「お前がハルカの側を離れてどうする。」

 

 クリソプレーズ殿下と顔を会わせると呆れたように吐き出された。


 「ハルカ様をお守りすることは役目であり望みであるからです。」

 「だったら側にいるべきではないのか。」

 「蛮族の侵攻が止まればすぐに戻ります。」

 「まぁお前の気持ちも解らんではないが。無事では済まんぞ、本当にいいのか?」

 「その為にここにいるのです。」


 王女の側に仕える間は、大した傷でもないのに毎日のように魔法による治療を受け、数か月前には片腕を落として繋ぎ直す大きな治療を受けた。これ以上の魔法による治療が何処まで望めるのか正確には解らないが、魔力の低い私はクリソプレーズ殿下以上に危険な状態かも知れない。


 魔法というものは不思議なもので、魔法使いの実力次第であらゆる治療が可能である。だが同時に治療を受け続けると魔法を受け付けなくなるため、本当に必要な時にだけ魔法で治療するのが一般的だ。唯一の例外は自分自身の魔力による治療。自分の魔力が相手なら幾ら治療をしても拒絶されない。だが私には自らを治療できる能力はなかった。クリソプレーズ殿下は王族故にそれなりに魔力を持っているが、蛮族から受けた傷を癒せるほどのものではない。それでも私よりは格段に上の魔力を有しているので、武器による傷への対応は可能だろう。私の場合はそのどちらも後どの程度可能かという瀬戸際だ。


 新たに集められた騎士と兵士に対して殿下より説明があった。殿下が西に来たときには既に第一の砦が突破され、残ったのは配置されていた半分の戦力だったという。死人は少ないが蛮族との戦いに使える状態ではなく、一度補充を行ったが、蛮族がこれまでにない戦い方をするようになり戦力が削がれる一方で苦戦しているとのことだった。


 「お前たちも知っているだろうが、蛮族は個々で侵攻してくる。だが現在はこれまでと異なり個々ではなく集団で統率された動きをしており、目的もただ砦を突破するのではなく我々に危害を加えるという確固たる信念が窺える。時を重ね進化を遂げたのかも知れんが、統率する指導者的なものが生まれたのだろう。これまでの様に一対一で倒せばいいというものではない。相手は複数で固まって砂に潜み、地下に穴を掘って迫って来る。砦の向こうに出たら何処から蛮族が飛び出してくるか解らない状態だ。砦の下をくぐられるのだけは阻止しなければらない。」


 蛮族との戦い方は二つ。一つは侵攻してくる蛮族と対峙し急所である心臓を直接剣で突くか、離れた場所から弓で射るかだ。心臓を突かない限り首を切り離しても首から下だけで動き回る。だから蛮族と戦うように訓練された騎士たちは剣だけでなく弓の扱いにも長けていた。


 今回は砂に埋まって集団で砦に迫り来るというこれまでにない状態だ。弓で射る為にまずは砂に埋まる蛮族を誘い出す必要があった。その為に徒歩で砦の外に出て囮になる役目と、砦の上もしくは後方から弓で狙う必要がある。蛮族と直接対峙する者は危険を避けるために破れにくい防護服に手袋と面をつける。視界が遮られ動きも鈍るが、身を守るためには必要なことだ。


 「蛮族の数は数百から数千。」


 数を聞いてどよめきが起きる。これまで相手にしていた蛮族の数は百人を超えない数で、それも各々が身勝手に動くので集団で襲われるようなことにはならなかった。砂に潜るのは蛮族の習性として知られているが、潜ったまま進んだりするのは稀だ。のろのろと動いて武器を持たない蛮族は容易く打てると勘違いしそうになるが、実際には身体能力が極めて高いというのも常識だった。彼らは裸で生活し、その身一つで狩りをしていると推察される。素手で獲物を捕らえる能力は私たちにはない。


 我々に危害を加えるという確固たる信念と殿下は言われた。これまでの蛮族は光に憧れ侵攻してくるといわれていたのに、目的が変わったのは何故なのか。それとも初めから我々に攻撃を仕掛けるのが目的だったが、これまでは各々で身勝手に動いていたので成功しなかったというだけのことなのだろうか。


 それにしても指導者が昨日今日現れたとして、殿下が遅れをとるようなことになるとは思えない。蛮族は繁殖を繰り返すうちに指導者が現れ、何千年という時を重ねるうちに我々には見えない場所で、国のような組織を作り出していたのではないだろうか。けれどそうなら何故今までこれ程の軍勢を率いて侵攻しなかったのだろう。侵攻してくる蛮族は光り輝く世界に戻りたいとの本能で押し寄せていたのではないのか。これまでがそうだったとして、なぜ今になってこれ程の大群が。


 恐らく殿下も同じことを考えているだろうが答えは見つかっていないのだろう。それにまずは目の前にいる敵だ。蛮族の中には原始的ではない、鉄製の武器を持って攻撃してくる輩もいると情報がある。蛮族の侵攻を妨げるために築かれた砦に登って外界を望んだ。


 荒れた砂の大地に風によって風化を続ける岩がごろごろと転がっている。その合間に片付けの済んでいない蛮族の死体が幾つも見受けられた。鳥についばまれることも、野生動物に食い荒らされることもない蛮族の危険性は自然界にも浸透している。もとは同じ人間であったものの成れの果てが最期を迎える大地はあまりにも殺伐としていて、何処となくグロッシューラ王女の側に仕えていた頃の感覚と似ていると感じた。

  

 「私の居場所はここではない。」


 無意識のうちに言葉が漏れていた。


 どんな場所であっても与えられたものが全てであったのに、今は確実にここが私のいるべき場所ではないと強く感じる。王族にお仕えするのは騎士としての誉だが、誉と思っても心に喜びはほんの少しもわかなかった。その喜びというものが何なのか理解せず、ただ側にお仕えするだけが目的のようになっていたのかも知れない。それがハルカ様との出会いでいつの間にか変わってしまっていたのだ。常にあの方を追い、心内を想い、美しい物で慰めて差し上げたいと自らの望みが加わった。王女の婚約者として望まれた時ですら感じなかったものが心の奥から湧きだし、願いや望みとなって心を揺さぶるようになっていた。


 かしゃんと金属音を立てながら近寄ってきたその人に体を向け腰を折ると、殿下は挨拶など必要ないとばかりに手を振って、今まで私が見ていた荒野に殿下の視線も向いた。


 「お前は弓隊だな。」


 蛮族と戦うために腕を磨いたが久しく使っていない。それでも少し練習すれば勘を取り戻し、冷静な状態では的の中心を外すことなく射貫くことができていた。だが私が望むのは後方で一人ずつ蛮族を倒していくことではない。


 「蛮族に将がいるなら落としに行きたいのですが。」

 

 本当に指導者が存在するなら、それを打てば統率する者はいなくなりこれまでの蛮族に返るだろう。何も根絶やしにする必要はないし、生息地に攻め込んでまで徹底的に排除する必要もないのだ。早々に済めばハルカ様の元へ帰ることが叶い、辛そうに見送ってくれた彼女を安心させることができる。


 「何かあればハルカが悲しむだろう。」

 「オブシディアンの為にですか?」


 視線を横に移せば私よりも少し背の低い殿下を見下ろすことになるが、けして小さく見える訳ではない。手足を片方ずつ失くしていても、蛮族と長年対峙することで培われた威厳と自信は周囲に安心感を与えている。


 「オブシディアンの為か。彼女が望むなら滅んでもいいが、そういう意味ではない。」

 「では、私が傷つけばハルカ様が悲しまれるという意味ですね。」

 「解っているなら聞くな。それともお前は悲しみであろうとハルカの心が自分に向いていればいいのか?」

 「私はあの引き込まれそうになる漆黒とも見紛う瞳で見つめられ、微笑んでくれたらそれで十分だと思っています。」

 「その言葉が本気かどうか知らんが、遠慮をしていたらハイアンシスに持って行かれるぞ。ハルカは思った以上に情に厚い。その上ジェイドが言うには子供好きだ。」

 「嫌なことを言いますね。」

 

 ハルカ様は子供が好きなのか。あの王子を側に置かれるので薄々感じてはいたが、ハルカ様にとっての子供とはいつの年頃までを言うのであろう。此方の感覚では仕事をし出したら一人前であるが、ハルカ様の世界は異なるようだ。しかしハルカ様は王子と同じ年頃において異性との交際経験があった。けれど王子をそのような対象として見ていないのは確かだ。


 「矢がなくなれば私も下ります。殿下が先陣を切られるのに臣下が高みの見物では、後で何を言われるか分かりませんので。」

 「お前も冗談が言えるようになったか。」

 「これのどこが冗談なのか分かりませんが?」


 問えばクリソプレーズ殿下は喉の奥で笑って左腕を上げ、金属音を立てながら離れて行く。明朝、日の出とともに一斉に砦を出て攻撃を仕掛けると決まっていた。此方の数は八百だが、足りなければこれ以上の傷を受けられない者も出てくる。私が同じように下りて剣を握っても問題はないはずだ。




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