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偽りの住人  作者: momo
33/46

その33(遥)





 空が落ちると同時に蛮族の力も増したんだ。わたしがこの世界に悲観してしまったから、わたしがこんな世界にやってきたせいで。


 「アイオライトさんはこれからも魔法での治療が可能なの?」


 騎士だからこれが仕事だと言われたらそれまでだけど、蛮族と立ち向かっても大丈夫なのか。一度腕を落としているだけに、今後蛮族から受ける傷が何処まで許されるのか解らない。今度こそ本当に手足を失って、もしかしたら命まで失くしてしまうのではないかと思うと一気に不安が押し寄せた。しかもアイオライトが行くと決めた理由はわたしを守るためだ。指揮を執っているクリソプレーズまで前線に出ることになるかもしれないなんて、こんなことを知ったら不安しかない。


 「嫌だよ、わたしっ。」


 わたしは世界のことなんて考えられない。自分の周りのことだけでも手いっぱいで、なのに急になんでこんなことを言いだすのか。不安で体が震え出し、冗談だと言って欲しくて縋るようにアイオライトを見つめた。 


 「ハルカ様の前で話をしたのは御身を守って頂きたいからです。私が願える立場ではありませんが、ハイアンシス王子。何卒なにとぞハルカ様をお願いいたします。」


 立ち上がって頭を下げたアイオライトの側に王子様が腕を組んで立つと、じっと見つめたまま視線を反らさずに低い声で聞いた。

 

 「お前はハルカの騎士ではないのか?」

 「だからです。砦より侵入を許せば恐怖で蛮族に落ちる人間も出てくるでしょう。逃げて引き籠った先で最悪が起こればハルカ様を守り切ることは不可能です。」


 だからそうなる前に、クリソプレーズが生きて指揮を執ることができているうちに蛮族の侵攻を止めに行くのだと、アイオライトはいつもと同じ穏やかな口調で王子様に告げる。


 「それに私はもともと蛮族と戦うための訓練を受けておりました。グロッシューラ王女のお側に侍らなければ前線に出ていた身ゆえ、己の力を過信するわけではございませんが、他の者に引けを取らず役に立つでしょう。」

  

 自信がある、これも仕事だとアイオライトは何でもないことの様に語り、聞いている王子様の方が緊張していて視線が鋭い。わたしはアイオライトを行かせないでと心の中で叫んだ。


 「お前が手放すならハルカは私が守ろう。」

 「……お願い致します。」


 一瞬だけ顔を歪めたのはわたしを王子様に預けたくないからなのか。わたしはその可能性に縋ってアイオライトの腕に縋った。


 「なんでっ、どうしても行かなきゃいけないの?!」

 「これが私の役目です。」


 少し困ったように小さく微笑んだアイオライトは微塵も恐れていない。蛮族と聞いて怖がって震えているのはわたしだけだ。役目とか仕事と言われたらそうなのだろうけど、だからってとても危険な任務に就くことは間違いない。しかも蛮族の侵攻は間違いなくわたしのせいなのだ。王子様は王女様のせいだと言ったけど、空を落として蛮族の侵攻を活発化させたのは間違いなくわたしだ。


 「本当ならお側でお守りしたいと願っておりました。ですがどうかご安心ください。クリソプレーズ殿下の指示のもと、必ず蛮族を退け戻ってまいります。それまで王子に役目をお貸するだけです。」

 「どうしてもアイオライトさんじゃなきゃ駄目って訳じゃないんでしょう?!」

 「私はたとえ離れたとしても、ハルカ様を我が手でお守りしたいのです。」


 まるで意識していないところでこんなことが起きるなんて思ってもいなかった。見知らぬ世界じゃない、沢山の人たちが息付く世界で大切な人もいて。なのにこの世界がわたしに関わりのある大切な人に牙を剥くなんて考えてもいなかったのだ。


 行かないで、他の誰かじゃ駄目なのかと身勝手な言葉を口にしても、アイオライトは困ったように薄っすらと微笑んでいるだけ。彼の中で蛮族と戦うことは絶対で、それはわたしを守るためになるからで。


 こんなことになるなんて、まるで想像していなかったわたしはとても受け入れることができなかった。ただの我儘かもしれないけど、アイオライトは蛮族から被害を受けたらその個所を切り離さなければならなくなる可能性が大きいのだ。それが手足でなく落とせない場所だったらどうなるのか。側に魔法使いがいて治療可能な状態でなかったらと思うと怖くて怖くて仕方がない。なのにアイオライトはどんなに頼んでもわたしの願いを聞き入れてくれないのだ。わたしを守るという、それだけが彼の信念なのだろう。


 彼の望みはわたしの側で、わたしを守ること。初めから聞かされていたじゃないか。守るために必要なら側を離れることも、命の危険も厭わない。その覚悟がなければ騎士なんてやってられないのだろうけど、平和な世界で生まれ育ったわたしは、戦地に送り出す家族の心境なんて自分のこととして考えたことなど一度もなかったのだ。なのにこの世界ではこれが当たり前。


 出立の日はあっという間にやって来た。見送りは不要と言われたけど、二度と会えなくなるかもしれないと思うだけで生きた心地がしない。臆病で心がどうしようもないのに、蛮族に向き合う当事者であるアイオライトはいつも通りの美しさと佇まいでわたしを見下ろす。


 「絶対に、絶対に無事で帰って来て下さい。」

 

 簡単なことじゃないだろう。だから無傷でとは言わないので、どうか無事で帰って来てと切実に願う。


 「必ず帰ってくるとお約束します。ですからどうか、ハルカ様は心静かにお待ちください。」


 例えばわたしにほんの少しでも戦う力があったなら、無謀にも駆けだしてついて行ったかもしれない。だけどわたしには能力も、そして勇気もなく、ただ守られて安全な場所で待っているだけだ。わたしのせいで蛮族が動き出したというのに、アイオライトやクリソプレーズだけではなく見知らぬ人たちを楯にして、安全な場所で待つだけだなんて。


 ぐずるわたしを宥める様に、アイオライトはそっと手を伸ばして、みっともなく腫れた目元を優しくなでる。温かい血の通うこの右手が、主と共に無事に戻ってきますようにと願いを込めて、わたしはアイオライトの手をぎゅっと握って彼の指先に唇を寄せた。不安になってはいけない、わたしの不安や絶望が世界に影響を与えてしまうから。だからわたしは信じて待たなければいけないのだ。

 

 名前を呼ばれ影が落ちる。顔を上げると額に柔らかな感覚が落ち、唇を押し当てられたと気付いた先でゆっくりと離れて行く。


 「私の想いは簡単に壊れるような低俗なものではありません。貴女を守る役目は永遠に私だけのもの。その永遠の何日かを王子にお譲りしても、貴女を守る時の長さに変化はないのです。だから必ず帰ってまいります。信じて下さいますか?」


 必ず帰ってくると優しく穏やかに語るアイオライトを前に頷くしかなかった。何の力もないわたしは彼を信じて待つしかできないのだ。


 「約束ですよ、ここでずっと待っていますから。」


 王子様が怪我をした時に助けてくれた騎士もいて、彼らも家族や恋人が見送りに来ていた。軍部に属する魔法使いも同行して、馬の背に揺られた彼らは皆が連れ立って町を出ていく。遠く西へと立つアイオライトの姿を無事を願いながらいつまでも見守り続け、隣に立った王子様は不安でいっぱいになっているわたしを慰める様にぎゅっと力を込めて手を繋いでくれていた。


 町の駐在に勤務する騎士たちの半分が蛮族の対応に駆り出された。これが他の地域でも同じようにだとしたらかなりの数になるだろう。蛮族の姿は知っているけど、彼らがどういうものなのか詳しく知らない。随分と昔に千年に一度の召喚が遅れて、世界が崩壊に向かう課程で人が灰色に染まるという現象が起こり、その成れの果てとして蛮族というものが生まれ、国の外に追い出された。彼らは繁殖を繰り返して数を増やし、光り輝く世界に惹かれる様に侵攻を繰り返してる。外に追い出された人たちが住まう場所も同じオブシディアンと言う世界の一つだ。その蛮族が侵攻を繰り返すのは輝く世界への慕情のようなものだという。故郷に憧れ帰りたいと願う本能のようなものなのか。けれど彼らは人を腐らせてしまう能力を持っていて、真っ当な人としての思考回路がない。同じ世界で生きていくのは無理なのだ。


 真っ当な思考回路のない蛮族の侵攻が止まらなくなった。あの姿だけでも怖いのに、束になって襲ってくるなんて想像するだけで恐ろしい世界だ。そんな世界にクリソプレーズは十年以上も身を置いて、アイオライトは危険を承知で向かっていく。二人だけじゃない、戦場に立つ人の数だけ様々な思いがあるだろう。その一人一人に大切な人がいる。わたしと同じように不安を抱えた人たちが星の数ほどいるのだ。


 わたしはアイオライトのことで頭がいっぱいだった。それでも時間は過ぎる。蛮族の侵攻が激しくなっているとの噂は瞬く間に広がり町の人たちは不安になったけど、町の様子に変化はなく、いつしか不安なんてどこかに行ってしまったように時間だけが過ぎていく。


 アイオライトが町を去って半月ほど過ぎた頃、算盤を組み立てた王子様がわたしの前にそれを置いた。


 わたしの知る算盤よりも少し大きくてごつい感じがする。指で弾くと引っかかりなく動いてぱちんと音が鳴った。


 「よくできてるわ、凄いわね。」


 王子様に戻すと同じように指で弾いた。わたしよりもぎこちない弾き方で、弾くというより動かしているといった方がいいのか。ぱちんと鳴らない玉を眺めていた王子様は「ハルカ」とわたしを呼んだ。


 「私も行くことにした。其方をここに一人残して行くのは憚られる故に町へ居を移して欲しい。後のことは隊長とババラチアに頼んである。」


 今回の招集に隊長は応じられなかった。彼もクリソプレーズと同様に蛮族と戦って魔法による治療が不可能となっているのが理由だ。その隊長とババラチアにわたしのことを頼んだので、町に残って生活して欲しいと勝手に話し始めた王子様を慌てて止める。

 

 「ちょっとまって、なに言ってるのよ?!」

 「私は世界一の魔法使いだからな。実戦経験はないが治療の面においてどの魔法使いよりも役に立つだろう。この力を遊ばせておくのは勿体無と思わないか。」

 「思わないわよ、思う訳ない。あなたはまだ十六歳なのよ!」


 わたしの世界で言えば高校生の子供だ。この世界でも成人していない子供ではないか。そんな子供が蛮族との戦いに出るなんていったいどういう世界だと拒絶の声を上げた。


 「間もなく十七になる。いや、年齢は関係ない。私は王族として、この世界の民を守る義務があるのだ。」

 「だったら王様が行けばいいじゃない!」


 流石に大嫌いな王様でもあの蛮族相手をしに行けと本気で思っていない。だけど王子様の主張を退けたくて、王族としてというなら王様が一番じゃないかと、王様が行かないのを解っていて口にした。


 「王が出るのはそれこそ世界が滅びる時だ。」

 「あなたは次の王様でしょう、相応しい血筋って王子様しかいないでしょ!」

 「だが王ではない。」


 深い海の底を思わせる瞳が真っ直ぐに、力強くわたしを捕らえた。


 「私は行くべきだ。」


 傍若無人で何もかも自分が一番だった王子様。人の声なんて聞かなくて、やりたい放題で誰からも恐れられ嫌われていた王子様。その王子様が自分から誰かの為に動く様になったのはわたしがいたからだ。


 空が落ちるのを止めて欲しいと、王子様にわたしの不安を解消して欲しいとお願いしたのはこんなことを予想してじゃない。わたしがこの世界で生きていくために、優しい王様になってと願ったのは、未成年の王子様に危険な決断をさせる為じゃないのに。それなのに王子様の瞳はとても強い光を放って決意の強さを示していた。


 「アイオライトさんと約束したじゃない、人に任せないでよ。ここに居てわたしを守ってくれるんじゃないの?」

 

 この町は夜に女性が独り歩きしてもそれほど危険があるわけじゃない。だけど王子様だからアイオライトは任せて行ったのではないだろうか。何かあった時に経験は少なくても守れるだけの力があると認めているから。


 「行っては駄目よ、絶対に駄目。」


 厳しい声と表情をしたつもりだった。だけど王子様の決意を前に不安しかないわたしは何処まで思うように自分を作れただろう。王子様は両手を伸ばすと、台の上で握りしめていたわたしの拳に被せる。

 アイオライトとは違う、剣を持たない柔らかな掌の感触。だけどわたしよりも大きくて手の甲に浮いた血管は既に男の人のものだった。


 「私には其方に対しての責任がある。確実に守る為には其方を元の世界に帰すか、蛮族の侵攻を止めるかだ。帰すための術は易々と完成しない、故に蛮族を退けるしかない。」

 「それはアイオライトさんやクリソプレーズさんがやってくれてる。子供が行く必要が何処にあるの?」

 「其方にとって子供であっても私は王族だ、叔父上は私の年齢で既に蛮族と対峙していた。わたしは其方を守りたい。そして何より、其方の元にアイオライトを無事に帰してやらねばと思う。」


 アイオライトはお前の騎士だと、王子様はわたしを包む掌に力を籠める。


 「其方の物を蛮族になど奪わせてなるものか。グロシューラに責任を押し付けたが、其方が受けた悲しみは全て愚かな私が引き起こした惨劇だ。オブシディアンの未来を背負う王となるなら、自らの失態は自らでぬぐい取らねばならない。」


 不安も淀みもない、真っ直ぐに決意を言葉にする王子様。だけどわたしは王子様を立派になったねなんて褒めてやることはできなかった。




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