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偽りの住人  作者: momo
32/46

その32(遥)



 この世界にお弁当という習慣はない。まったくないわけじゃないけど、お役所で仕事をしている人は昼食時間になると外に出て買ってくるか、お店に入って済ませるのが普通だ。わたしは家に残している王子様に簡単なお昼ごはんを作っているので、同じものを包んでお昼に食べていた。すると今日はババラチアが真似たのか、布に包んだサンドイッチ風のパンを取り出して隣に腰を下ろした。


 「妻に話をしたら作ってくれたんだ。私のような見た目のおじさんが隣に座ったら美味しく食べられないかな?」

 「そんなことありませんよ、一緒に食べましょう。」

 

 一人で食事しているのを寂しいだろうと気を使ってくれたのかな。彼のそういう優しい所は、穏やかな雰囲気と相まってとても好感が持てた。


 ババラチアは愛妻家のようで、奥様も彼のことをとても愛しているのだろうなという雰囲気を感じる。ババラチアのふくよかな体形は料理上手な奥様が沢山作ってくれるので、ついつい手を伸ばして今があるらしい。


 「ババラチアさん。わたし先日パオを食べたんですけど、あれってとても美味しいですね。男性が作るものだって知らなくて、ババラチアさんも奥様にお作りすることがありますか?」

 

 料理上手な奥様がいるのでババラチア自身はしなさそうだなと思っていた。だけど男性が作るというので話題にと話し始めたのだが、ババラチアは驚いたように小さな丸い目を見開いて、危うく手にしたパンを取り落としそうになりながらなんとか落とさずに布の上に戻した。


 「ハルカさん、まさかとは思うけど……あの彼に作ってもらったの?」


 あの彼とは王子様のことだ。わたしは人前で王子様の名前を呼ばないし、聞かれたこともない。王子様自身も名乗っていないようなので、この辺りで名前を知っている人はいないだろう。


 「別の人ですけど、伝統料理なんですよね?」


 どうしてこんなに驚いているのか解らなくて首を傾げると、目を丸くしていたババラチアがはっとして手を拭うとわたしへと体の正面を向けた。


 「もしかしてハルカさん、御両親はいらっしゃらない?」

 「えっと……はい、いません。」


 ちゃんと元気に生きているはずだけど、恐らく二度と会えない家族を思い出して寂しいなと感じる。表情にも出たのか慌てたババラチアが「辛いことを聞いてごめんね」と謝罪した。


 「こういうことって母親が教えるべきなんだけど、いないなら知らなくて当然だよね。パオはね、結婚して初夜を迎えた朝に夫が妻を労って作るものなんだよ。家庭によって色んな味があるけど、挟むんじゃなくて丸く巻いてあるんだ。初めての夜を過ごした妻が辛くて起きられなくても寝台の上で食べられるようにとか、滋養を付けて良い子に恵まれるようにとか、色々な意味を込めて夫の優しさを表現するものなんだよ。」


 えっ……と。わたしはどう反応するのが正しいのか解らなくて目が点になっていた。


 「初夜の、翌朝……ですか?」

 「例外もあるけど、それも妻が病気のときとか寝台から出られない場合かな。あ、あと。食べ残したら初夜に不満があったと取られるからね。ハルカさん残したりしてないよね?」

 

 王子様が食べてしまったけどあれは残したことになるのだろうか。いや、それよりも初夜じゃないし。アイオライトはいったいどういうつもりでパオを食べさせたのだろう。


 「突然でびっくりしたよ、そういう人がいるのなら教えてくれても良かったのに。旦那さんはどんな人かな。あ、仕事は続けてくれるよね。使える人員って確保が難しいから、週に一度でもハルカさんに来てもらえると本当に助かるんだけど。」

 

 すっかりわたしが結婚したと思い込んでいるババラチアに「結婚はしてないです」と訂正した。


 「え、でもパオを食べさせてくれる男性がいるんだよね?」

 「そういう意味で食べた訳では。その方もわたしがパオというものを知らないと解っていたので。」

 「おやおや、それもまぁ切ないことだ。彼はきっとハルカさんが好きなんだね。パオを作りたいとか食べて欲しいとかって求婚プロポーズに使われる言葉だからねぇ。」


 切ないねぇを繰り返すババラチアの隣で、途端に食欲を失くしたわたしは残りを包んでしまい込んだ。


 まさかパオにそんな意味があったなんて。アイオライトはわたしが知らないのを解って話を持ち出したのだろうけど、揶揄うような人ではないから彼なりの意思表示だったのだろうか。王子様も解っていて、わたしが知れば困ると思って教えてくれなかったのかな。わたしが食べかけたパオを王子様に取られなくて全部食べていたとしても、アイオライトはわたしにそれ以上の何かを望んだりしなかっただろう。だけど「せつないねぇ」と我がことの様に呟くババラチアの言葉が胸を抉る。


 仕事を終えて町を歩いていると遠くからでもわかるその人の影に立ち止まる。女性だけではなく男性からも視線を送られるアイオライトは、わたしが気付く前にわたしの存在を認識していたようで、側までやってくると小さく頭を下げた。


 「謀ったわけではないのです。」


 わたしの硬い表情から悟ったのだろう。少しだけ寂しそうに微笑んで、家まで送ると言って一緒に歩きだした。町まで一時間、往復になると二時間になる。送ってもらうつもりはないけど話はしたかったので断らなかった。


 「パオのこと聞きました。わたしはどうしたらいいのか分かりません。」

 

 はっきりと言葉にしなかったのはどうしてなのだろう。わたしが異世界から召喚された守るべき存在だからなのか、気持ちがあってもその先は望んではいないのか。

 

 「私はハルカ様を側でお守りしたい。」

 「それだけ?」

 「本当なら閉じ込めて、誰の目にも触れさせない場所で全ての災いから遠ざけてしまいたいと思っています。ですがそれではハルカ様は再び笑わなくなります。それも嫌なのですよ。」


 それは勘弁して欲しい。さらっと恐ろしいことを言うなと思いながら、隣を歩くアイオライトを見上げる。彼はまっすぐ正面を見つめて静かに足を進めていた。


 わたしが一緒にいたいと言えば、アイオライトは「はい」と返事をするのだろうな。どこかに行ってしまえと言っても「はい」と返事をするのだろう。彼自身の言葉がどれなのか、わたしには判断がつかない。狡いけど、わたしはアイオライト自身から望みや本当のことを言って欲しかったのだ。だけど彼は絶対的な言葉を口にはしない。きっと主従関係に慣れてしまっているから自分の気持ちを言葉で差し出すようなことをしない癖が出来てしまっているのだろう。だからって、わたしから言葉にしていい時期は今でもなかった。


 「わたし、王子様に対する責任があるんです。」

 「解っています。もし心を痛めるようなことになっているなら、それは間違いです。ハルカ様の思うように行動なさって下さい。私はこうして側に侍ることが許されるだけで十分なのですから、私のことで心を痛める必要は御座いません。」


 側にいることが許されるならそれで十分なのだとそれ以上は望まない。実際に望まれても今のわたしには応える状況にないなと改めて思った。


 結局アイオライトは家まで送ってくれた。王子様は不満そうにしながらもアイオライトを家の中に入れ、お茶を振る舞うことに関しては何も言わない。これからもこんな感じでいいのかなと、お茶を入れる隣にたった王子様をちらっと見ると、「お前の騎士だからな」と自分に言い聞かせるように頷いていた。


 わたしの騎士か。わたしを誑かすために王様が与えたとんでもなく綺麗な騎士様。思惑通りにならないと決めていたのに、今となってはアイオライトを初め、側にいた騎士たちの皆を信じている。アイオライトが精神拘束の魔法を受けたことで、わたしはこれまで知らなかった背景を知り、拒絶していた人たちのことを好きになったのだろう。異なる世界でも様々な出会いがある。勿論これからもきっと。


 王子様と並んでお茶を入れていると扉を叩く音がした。もうすぐ夕食の時間だ、こんな時間に誰だろうと向かったら、気を利かせたアイオライトが扉を開くところだった。アイオライトの横から覗くと若い女の子が立っていて「こんにちは」と言いかけた口をぽかんと開けてアイオライトを見上げていた。王子様に告白しに来た子だ、相変わらずもてて仕方がない。


 「此方こちらに何か用か?」

 「あ……ううっ。」


 アイオライトが感情のない声を女の子に向けた途端、女の子は何事が呟いてがっくりとその場に崩れ落ちた。アイオライトが難なく片腕で受け止めたので地面に崩れることはなかったけど失神している様だ。


 「えっ、どうしたのっ!」


 慌てて駆け寄ったわたしに、特に感情のこもらない声でアイオライトが告げる。


 「私を見て気を失う女性がたまにいるのです。それほど恐ろしいのでしょうか……」

 

 流石だね、うん。アイオライトはそれだけの美貌を持っているよと思わず苦笑いした。


 女の子はすぐに意識を取り戻したけど、側にいるアイオライトを直視することができないままだった。送って行くというアイオライトを全力で拒否して長いスカートを翻し、物凄い速さで帰って行く。美しい人ばかりの世界でもアイオライトは特別なようだ。わたしは失神しなかっただけましかもしれない。


 こういう日常を繰り返しながら時間を重ねていくのだと思っていた。


 アイオライトは町の駐在所勤務で、時々我が家を訪問して短い時間を過ごし、王子様はアイオライトを嫌っているようでいてもちゃんと迎え入れるのだ。わたしは見た目の麗しい王子様とアイオライトを連れて歩く羨ましい存在として、女性たちから妬みの視線を受けることもあったけど、意地悪をされたりすることはなかった。王子様とは姉と弟ということになっていたし、アイオライトは綺麗すぎて町の女性たちは本当に遠くから様子を窺うだけだった。なので女の子に告白される回数は圧倒的に王子様が勝利している。三人で歩いている時に王子様が女の子に引き止められると、アイオライトは「羨ましいですね」と何処となく愉快そうに王子様を置いてわたしの背中を押した。


 週に一度仕事をして、本当にそんな日常が続くのだと思っていた。実際にわたしの日常は変わらないだろう。だけどわたしがこの世界に召喚され、空が落ちたことで少しずつオブシディアンは歪みを生じさせていたのだと知る。


 どちらが欲しい、二人かと、王子様とアイオライトを欲するままにしていいと言いに来た王様の裏にある物に、あの時のわたしはほんの少しも気付くことができなかった。


 クリソプレーズはわたしに世界を滅ぼす度胸がないと解っていたけど、そんな気がないのに空は落ちたのだ。何故ならわたしがこの世界に絶望したから。空が落ちる理由を招いたのは王様や王女様だった。そして事態は空が落ちるだけではすまないのだと、クリソプレーズが急に姿を見せなくなった時にどうして気付くことができなかったのか。


 「私はハルカ様、貴女をお守りすると誓ったのです。」


 それは唐突だった。仕事を終えたわたしをアイオライトが家まで送ってくれて、三人でお茶を飲んでいた時だ。いつもと変わらない様子だったアイオライトが不意に、優しい笑顔のままで静かにそう言葉を落としたのだ。


 「何があった?」


 真っ先に反応したのは王子様で、長椅子にだらしなく座っていた体を起こしてアイオライトに鋭い視線を送る。


 「蛮族の侵攻が止まりません。クリソプレーズ殿下が指揮を執っていますが、怪我人も多く対処できる兵の数が減っており、我が隊からも騎士を派遣することが決まり応じました。」


 蛮族と聞いてさっと全身の血が引く感覚に襲われる。灰色の肌に体中に入れ墨をした特徴的な皺のある顔。わたしを襲った蛮族は若い女性で、灰色の頭髪は一本も生えていなかった。触れられると体が腐るという、その恐怖が再び思い出され、アイオライトの右腕へと無意識に視線が延びる。


 「境界を越えての侵攻があるのか?」

 「二つ目の砦を突破される前にクリソプレーズ殿下が出陣されると聞いております。殿下はお強いが、最盛期の動きは出来ないでしょう。十年以上最前線で戦って来られたお方です。失えば大きな損失となります。」


 蛮族と対峙して無傷でいられる人は少ない。触れられただけで生きながら腐る傷を負うため、魔法使いによる癒しを常に受け続けるのだ。治療を繰り返し魔法による治癒能力に耐性ができてしまうと、蛮族との戦いの場に立つことは出来なくなる。失敗したら生きながら腐り死ぬしかなくなってしまうからだ。そうなったらクリソプレーズの様に触れられた箇所を切断するしか生きる道はない。だから蛮族と戦う人は入れ代わり立ち代わりで、侵攻が激しくなると対処する兵や騎士の数が足りなくなってしまうのだ。

 

 「二つ目の砦を突破されれば民間人に多大な被害が及び、いずれは世界が蝕まれる。そうなれば側でお守りしても守り切れません。殿下の指揮が得られるうちに、前線で食い止めたいと思っております。」


 アイオライトの言葉に王子様は「そうか」と呟いて考え込んだ。冷静なアイオライトや王子様と異なり、わたしは鼓動が痛いほど胸を打って息苦しさを覚える。だけどこんな時に倒れていられないと拳を握りしめた。


 「それって、いつの話なの?」

 「何千年も昔よりのことです。」

 「そうじゃなくてっ、蛮族の侵攻が止まらなくなったのは何時なの。手足のないクリソプレーズさんが行かなきゃいけなくなったのよ、それは何時なんですか?!」


 落ちてきた空に、姿を現さなくなったクリソプレーズ。お見合いさせられて忙しいとばかり思っていたけど違ったのだ。あの日嫌だって言ったのに無理矢理会いに来た王様は空以外の不安を抱えていた。


 「其方のせいではない、グロッシューラのせいだ。」


 王子様の言葉が全てだった。





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