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偽りの住人  作者: momo
31/46

その31(遥)



 本日の王子様は一人でお出かけだ。算盤をお気に召したようで、町で算盤の玉や枠を作ってくれる職人を探して依頼することにしたのだ。部品が全て揃ったら自分で組み立ててみるらしい。プラモデルのような感じなのかな、男の子ってこういうのに熱中する時期があるよなと王子様の成長に思わず笑みが漏れる。


 「ハンカチは?」

 「持った。」

 「お金は?」 

 「持った。」

 「落とさないように気をつけてね?」

 「案ずるな。」

 「愛想よくね?」

 「努力しよう。」


 一人で町に出ても心配しなくてよくなった。王子様は何度かババラチアと話をするうちに一般常識を身に着けて急成長中だ。うかうかしていたらわたしなんてあっという間に置いて行かれるだろう。


 「知らない人にはついて行かないで、日が暮れる前には帰って来てね。」

 「解っている。其方に心配をかけぬよう、ちゃんと日が暮れるまでには帰宅する。」

 「行ってらっしゃい!」


 お昼は自分で買うか、お店に入って食べることも学んだ。お金の計算もしっかりできているし、突然告白してくる女の子にも紳士的に対応していた。行ってくると歩き出した王子様を見送っていると、しばらくして振り返り手をあげて合図してから再び背を向けて歩き出した。


 「何とか新一年生くらいにはなれたかな。よし、天気もいいしさっさと洗濯物干しちゃおう。」


 王子様が作ってくれた盥の洗濯機は好調だ。脱水までしてくれるのであとは干して乾かすだけ。この世界にはない家事道具を作ってもらえなかったら苦労しただろうな。


 洗濯物を干し終わると家中の窓を開けて床を掃いた。二人の生活でも土足なので床は汚れやすい。モップで水拭きもして、埃をかぶったところも綺麗に拭き取った。腕まくりを下ろしたところで丁度お昼だ。一人なのであまり物でも食べようかなと考えながら井戸の冷たい水で喉を潤していると、「ハルカ様」と呼ばれて驚いた。


 「お久しぶりです、ハルカ様。」

 「アイオライトさん!」


 すらりとした姿勢正しい高身長。銀色に輝く髪は整えられて少し短くなっていた。相変わらずの真っ白な肌に通った鼻筋、青緑に輝く瞳を持つ容姿は驚くほど綺麗に整い過ぎているだけでなく、穏やかに微笑んでいて後光が差していた。


 アイオライトの素晴らしい容姿は出会った当初から知っている。だけど思わず見惚れてしまうのは纏う雰囲気が柔らかく変化して、とっつきにくさがまるでなくなっていたからだ。変わらず騎士服を着ているので騎士の仕事は続けているのだろう。はっとしたわたしは光り輝くアイオライトから彼の右腕へと視線を走らせる。


 「もうすっかり元通りです。」


 長い足でゆっくりと歩み寄ったアイオライトはむき出しの手を差し出した。白い指は節くれ立って掌は硬いままだ。思わず両手で掴んでじっくり観察して、指で押して温もりと感触を確かめる。


 「よかっ……」


 良かったと、最後まで言葉に出来ない。喉の奥に込み上げるものがあって、握りしめたアイオライトの手に額をすり寄せしゃがみ込んでしまった。


 「私が未熟だったせいでハルカ様には本当にご心配をおかけしました。」

 「違うよ。アイオライトさんは素晴らしい人です。わたしはずっと……良かった。ずっと不安でした。ありがとうございます。助けてくれたことも、良くなってくれたことも本当にありがとうございます。」


 地下牢で蛮族の首に腕を回したアイオライトは何の迷いもなくわたしを助けてくれたのだろう。そして腕を失って。再び繋がる奇跡があるにしても、彼が腕を失って動かなくなった事実は何一つ変わらないのだ。


 アイオライトは気付いていないけど、彼にとってわたしは加害者だ。彼が被った不幸は全てわたしがこの世界に来たせいではないだろうか。王女様に仕えた十年をどのように過ごしたか知らない。それでもアイオライトは王女様に仕えることでそれなりの幸福感を持っていたのではないだろうかと、あれ以来わたしの中には馬鹿な考えが宿り続けている。


 王女様は人としておかしかった。平穏であるようでいて、それはアイオライトと言う犠牲があったから成り立っていたのだ。けれどわたしが召喚されなければアイオライトは王女様という囲いの中で、それだけしか知らずに痛みを伴うこともなかったのではないかと考えてしまう。客観的に考えるとそんなのは不幸以外の何物でもないと解るのだ。だけどアイオライトが自分の腕を切り落とした瞬間が脳裏に焼き付いて離れない。壁に腕を押しつけて、ぐっと体重をかけて剣が肉を、骨を切断する様を、そうさせてしまったわたしは忘れることができない。

 

 「ハルカ様、その涙は私の為の物ですね。」


 膝を付いたアイオライトが指を使って目元を拭ってくれた。硬い指の腹はそれでも優しくて、いつの間にか泣いていたわたしは無様な姿を気にすることもなく、とても美しく微笑むアイオライトを見上げる。


 「心に従い感情を表に出される、私はそんな貴女に惹かれて止まない。」

 「え?」


 それはどういう意味かと思ったのも束の間、アイオライトの腕が延びて背中に回される。わたしの頬が流れに従い彼の厚い胸に押し付けられた。


 「甘言に惑わされない素直さも愛しい。」


 惑わされないのが素直なのだろうか。ちょっと違うのではないかと思ったけど、腕に囲われて、肌に伝わる温もりを懐かしいと感じ、同時に恥ずかしいとの感情が一気に湧き上がって全身が赤く染まるのが自分でもわかった。


 「あっ、アイオライトさん?!」

 「こうして約束を果たすことができほっとしています。」

 「あ、ああ、そうですね。」


 そうだった。わたしが自分で抱き締めて欲しいと言ったのだ。よくこんなことが言えたよなと悶絶しそうになるが、アイオライトの腕に囲われてできなかった。苦しくないのにしっかりと身動きできないように閉じ込められている。わたしも流石にいい大人なのでアイオライトが言っている意味もちゃんと理解できるけど、こんな状況はじめてなので何がどうしてどうなっていいのかすらわからなくなっていた。

 

 解らないなりにアイオライトの服をぎゅっと掴む。氷のように冷たかった感覚は何処にもなく、温かい体温を感じてほっとしたのも事実だ。すると今度はアイオライトの腕に確実な力が籠ってぎゅっと抱きしめられた。あの時もそうだったように、お互いがお互いを求めるような感覚が体の内側を支配する。


 「貴女が無事で本当によかった。」


 耳元に落ちた溜息が涙を含んでいるように感じると同時に、わたしを抱きしめる腕がかすかに震えていることに気付いた。もしかしたらアイオライトも同じようにあの日の出来事を思い出しているのかも知れない。彼は剣を使って守ると同時に命を奪う力も持っている。だからって人の死に鈍感ではないのだ。わたしが怖かったように、アイオライトもわたしを失うことを恐れたのだろう。召喚されたからとか、世界が滅びるからとかではなく、わたし自身がアイオライトに守られる、心配されるような人間でいられるのだろうか。特殊な存在だからではなく、わたし自身を見つけて想ってくれるだろうか。偽りの色を纏っているわたしがこんな風に考えるのはおこがましいかもしれないけど、生きていくしかないこの世界で自分自身を本物にしたいという願いが湧き起っていた。


 今この時間は同情なのだろうかと、クリソプレーズに止められた告白を思い出す。アイオライトに向けられる感情をきちんと確認できていなかったあの日、色々あり過ぎて混乱していた状況の中でしっかりしろと引き戻された。あの時のわたしは自分のせいで彼が傷ついたことが悲しくて、召喚されてからの全部が真実であったと、応えなければとの思いで口にしかけたのだ。


 あの時はクリソプレーズが止めてくれたけど、今は止めてくれる人は誰もいない。この世界の男女間の関係がどれ程積極的なのか、それとも保守的なのか理解していないけど、こうして抱き合っているのはそういうことでいいのだろうか。それともやっぱり思い過ごしか、アイオライト自身も忠誠と恋愛感情の狭間でよく理解できていないのか。正直、こうしてアイオライトと抱き合っていてもよく解らなくて、あの時にやめてしまった告白をしてもいいのか、するべきでないのか判断がつかなかった。


 そんなことを考えていたら少し冷静になって来た。この状況をどうしようかなと思っていたら、アイオライトがゆっくりと離れて頬に残っていた涙を拭ってくれる。


 「少し力が入り過ぎたようです、失礼いたしました。」

 「大丈夫よ、平気。あの……お茶でもどうですか?」

 「そうですね。せっかくなので頂戴致します。」


 わたしは王子様と住まう家へとアイオライトを案内した。王族が住むとは考えられない普通の家。部屋数も二階に三つあるだけだ。


 「ハルカ様のお望みはこの様な空間なのですね。だとしたら、城ではかなり居心地が悪かったのではないでしょうか。」

 「アイオライトさんは慣れているかもしれないけど、人の目もあったし正直全く落ち着きませんでしたね。王子様はここの生活には慣れないでしょうけど、文句も言わず今ではそれなりに馴染んでくれている様です。」

 「私は騎士の家系であっても平民でしたので、生まれ育った家庭は大体このような感じでした。」


 そう言いながら台所までついて来たアイオライトは荷物を置くと爽やかに微笑む。


 「お約束のパオをお作りしたいのですが、この場をお借りしても構いませんか?」

 「ああ、伝統料理。ちょうどお昼ですし、ぜひお願いします。作り方を知りたいので見ていてもいいですか?」

 「構いませんが、パオは男が作るという決まりなので食べたくなったら仰ってください。いつでもお作りいたします。」

 「男の人が……王子様は作れなさそうね。」

 「王子の場合は料理人に作らせるでしょう。」

 

 そうだよね。料理下手だったし、わたしが覚えて作ったら驚くかなと思いつつ、作業を始めたアイオライトの側で邪魔にならないように作るのを見守っていた。


 上着を脱いだアイオライトが袖をまくると、男性らしい筋のある腕が覗いてドキッとした。左だけじゃなく、右手もちゃんと動いている。本当にちゃんと繋がって動いているんだなと思いながら見ていたら、無意識に彼の腕を掴んでしまっていた。


 「あ、ごめんなさい。」

 「こうして動くようになっても気にしていただけてとても嬉しく思います。」

 「動かなかったら余計に気にします。」


 王子様への信頼はあったけど、心因的なものはとても難しい問題だ。ジェイドの助言があっても唐突にでたあんな言葉でどうにかなるなんて本気で思っていなかった。現実にもあの言葉ではなく、アイオライトの強い心が勝ったから再び腕が動くようになったのだ。


 「ですが、動くからこそハルカ様は笑顔を取り戻して下さった。理由をつけ捨て置くことも可能であったでしょうに、繋いでくださったハイアンシス王子には本当に感謝しています。」

 「昔の王子様なら治療してくれなかったのかな?」

 「王子を変えたのはハルカ様です。そして私も、ハルカ様に救っていただきました。」

 

 もし本当にそうならわたしが召喚されたのも無意味じゃなくなる。ただ無暗に王子様の身勝手な理由で召喚されたけど、本当はオブシディアンがわたしを必要として呼んでくれたと思えたほうが、これから辛い出来事があったとしても帰れない現実を納得しやすくなるだろう。


 「わたしもアイオライトさんたちに救ってもらっています。沢山酷いことを言ったりしてごめんなさい。」

 「過去よりも、今が全てと私は思います。」


 今が全て、か。アイオライトは王様や王女様の勝手な理由で心を弄ばれたことを怒っていないのだろうか。理不尽とか、どうして自分がと思ったりすることはないのだろうか。権力者への忠誠ってそれ程に強い者なのか。世界を超えた場所から来たわたしには理解できる日は来ないのかも知れない。


 荷物の中から材料を取り出したアイオライトは手際よく調理をしていく。小麦をこねて薄く丸く焼いたパンの上に、野菜と果物から作った手作りのソースを塗って野菜とゆで卵、そして塩漬けの肉を並べていく。それを端からくるっと巻いて出来上がったのは、パンを使った洋風巻き寿司のような、沢山具材の入ったロールパンのようなものだった。それを食べやすく半分の大きさに切ってお皿に並べたら完成だ。


 「朝食にもよさそうですね。」

 「その通り、本来は朝に食べるものなのですよ。」


 お茶を入れて一緒に食べることにした。両手に持ってぱくりとかぶりつくとソースの甘さと酸っぱさがとても美味しい。


 「とても美味しいです。伝統料理っていうけど、アイオライトさんはよく食べていたんですか?」

 「父が母に作っていましたが、私の口に入ることはありませんでした。」

 「こんなに美味しいからお母さんが一人で食べてしまったとか?」

 「そうかもしれませんね。作り方は父に習いましたよ。」 


 母親なら美味しいものは自分の子に食べさせたいと思うだろうし、父親だってそうだ。けれど食べたことがないって家庭に問題があったのかと思うけど、作り方はちゃんと習ったというので不仲と言う訳でもないのだろうな。


 美味しくいただいていた所で扉が開く。王子様が帰って来たのだ。食べかけのパオをお皿において出迎えようと腰を上げたら、慌てた様子の王子様が飛び込んできた。


 「どうしたの?」

 「どうしたもこうしたもあるかっ、私がいない時を狙ったな!」

 

 王子様はびしっと人差し指をアイオライトに突きつけた。なにやらご立腹のようだけど、指をさされたアイオライトは少しも慌てていない。咀嚼が終わるのを待ってから口元を拭うと、お茶を含んだ後でようやく口を開いた。


 「仰られる意味が分かりませんが?」

 「貴様、三日前に駐在所勤務になったというではないか。何故すぐに来なかった。ハルカと二人になるために私がいない隙を狙ったからだ、違うか!」

 「二人きりって、お城では二人きりになることが沢山あったわよ。」


 何を今更と思うけど、今とあの時では状況が異なっているのも解っていた。そして王子様がわたしに執着してアイオライトに取られるのではないかと腹を立てているのも。独占欲なのだろう。弟も小さい頃は母を独占したがったし、保育園では担任の保育士を独占したがる園児がいたので王子様の気持ちはとてもよくわかる。本当なら幼い時代に通っておくべき道だ。


 「本来なら一刻も早く挨拶に伺いたかったのですが、本日まで休みを取ることが叶いませんでしたので。遅れて申し訳ございません。」


 すっと立ち上がったアイオライトが頭を下げると、王子様は鼻で息を吐き出し音を立てて椅子に座った。そして徐に手を差し出すと、わたしの食べかけているパオを掴んで一気に口の中へと押し込んでしまう。


 「ちょっと行儀悪過ぎよ。お腹空いてるならまだあるから、人の食べかけに手を伸ばさないの!」

 「残りはすべて私が食べる。悪いが其方は他で済ませてくれ。」


 どうやら王子様はパオが好物なようだ。朝食と言っていたから時々作ってあげようかなと思いつつ、作ってくれたアイオライトに断りを入れて残りを台所へ取りに向かった。実はアイオライト、王子様がこんな風に言いだすんじゃないかと予想して食べきれないほどたくさん作ってくれたのだ。作ってくれたパオを全てお皿に乗せて出すと、王子様は目を見開いて驚いたけど全て見事に完食してみせた。十代の男の子って凄いな。




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