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偽りの住人  作者: momo
30/46

その30(遥)



 落ちた空は再び高く上がることはない。夜空を見上げる度に煌めく星々が今にも落ちて来そうなほど主張していたけれど、毎日続くと慣れてしまってこれがもともとの高さなのだと錯覚してしまう。これ以上落ちてこない空を見あげて、わたしは自分の心が落ち着いてまともでいられると知りほっと胸を撫で下ろす日々を過ごしていた。


 あの事件から一月が過ぎた。王子様は新たに持ち込んだ大量の本に埋もれて、教師もつけずに帝王学と言う、わたしにはまるで理解できない難しい学問を頑張って身につけようとしている。もともと王子様が怖すぎて教師として与えられた人はすぐに逃げ出していたらしく、王子様自身としてもいてもいなくてもいいのだそうだ。魔法だけでなく熱中すると何事も真面目に取り組むようで、こっそり部屋を覗くとまるで受験勉強をしている高校生のようだった。部屋から明かりが漏れているときには夜食や飲み物を届けるととても喜んでくれる。約束通り召喚に関わる魔法の研究はやめてくれたようで、これで王子様が大怪我したり死んでしまうような危険がないと思うと心から安堵した。


 こちらに戻って来てから、王子様は町に籍を置く魔法使いとしての登録を済ませた。騎士団の駐在所にいる隊長に相談したら、常駐ではなく緊急時や高い能力が必要な時に出向いてもらえると助かると諭され、常駐は必要ないとお断りされてしまった。王子様の様な人に常駐されたら現在いる魔法使いが役立たずの部類に入ってしまい、必要な時に力を貸してくれなくなる可能性もあるので均衡を崩したくないということだ。力があり過ぎるのも厄介らしいく、けして傲慢な王子様を恐れてというのではないからと何度も何度も説明された。彼はクリソプレーズの知り合いで、どうやら王子様の身分のことまで知っているようだ。そして王子様を治療してくれた穏やかな高齢の魔法使いは既に引退して常駐ではなかったらしく、彼と同じ扱いということで話がついた。


 王子様を世間に出すと決めたことでわたし自身にも心に変化があった。長閑な場所でひっそりと、人目を避けて隠れる様に生活しようとしていたけど、自分の世界に帰るのをやめたことでこのままではいけないと思うようになったのだ。


 王子様更生に向けて彼に世間を知ってもらおうとしたように、わたし自身もこの世界を知る必要がある。もとの世界に戻ることをあきらめる前は、この世界で生涯を過ごす可能性に気付いていながら気付かないふりをしていた。だから人なんて必要なかった。快適に過ごすために王子様を連れてきて、必要なものは全て王家の資産で賄ってもらっていたけど、それは全てこの世界の平民に該当する人たちの税金から賄われている。楽して過ごすのは可能だけど、それでは王子様に対しても示しがつかないと思ったし、権力者が当然と受け入れる恩恵が何処から来るのかを身を持って知ってもらいたかった。そしてこれからオブシディアンと言う世界で生きていくには、周りを遮断して孤独に生活するのはとても怖いことだとも思ったからだ。


 わたしはこの世界の人間じゃない。家族も親戚もいないから、何かあった時の為には誰かに頼る必要がある。勿論与えてもらうだけじゃ駄目だから貢献も必要だ。だからわたしは積極的に世間に出ていくことにした。


 出来る仕事といえばもとの職業でもある保育士だ。けれどこの世界に保育施設なんてものはなく、個人雇いの子守りとなると家のことが出来なくなるし、町まで片道一時間の距離も厄介だった。そこでやっぱり騎士団の隊長を頼ると、他に何ができるかとなり、絵が得意でも趣味の範囲で仕事にはならないし、ピアノが弾けてもこの世界にピアノはない。ふとアイオライトと話した時にわたしの世界は勉学に力を入れていると言われたのを思い出して、計算なら普通にできると言って出された問題を暗算して答えたら、お役所で週に一度だけ計算をする仕事を紹介してもらえた。王子様だけでなくわたしも常駐でないのは、女性が外で働く習慣がないので仕方ないことなのかもしれないけど、自分でお金を稼ぐ第一歩としてほっとした気持ちになる。王子様はわたしが働くことを渋ったけど知り合いが出来るのはとても嬉しかった。


 いつか王子様をお城に帰すことになるだろう。その時に一緒に行ける身分でも立場でもない。召喚された存在として大切にされるのはわかるけど、その立場に飲まれたら真っ当でいられない気がした。


 お役所でわたしが配属されたのは税務課だ。税金の計算をして、徴収されたお金と額があっているかの確認もする。徴収されたお金ってとても大事なものだ。こんな場所に配属されるなんて、紹介してくれた隊長にはどんな背景があるのだろう。クリソプレーズと繋がっているので相応の身分の人なのかもしれない。


 最初に任されたのは一週間分の税金の合計があっているかの確認だった。厄介な人間を押し付けられたなという感じで、税務課の責任者であるババラチアという名の四十代小太りの、わたしよりも背が低い男性が『出来るならやってみて』との言葉と愛想のない態度で数枚の大きな紙を押し付けた。


 周囲を見渡しても女性はわたし一人で、非常勤のような扱いの人はいない。コネのある我儘な娘を押し付けられた気分なのだろう。取りあえず置いといてやるかという気分で、けれど何もさせないで文句を言われるのも困るという感じが見え見えだ。社会に出ると良くあることなので気にせず与えられた仕事をすることにする。電卓なんてないので暗算が基本だ。わたしは用意していたメモに時々鉛筆を滑らせ、縦にも横にも長く並んだ数字を暗算しながらババラチアが与えてくれた仕事を黙ってこなした。


 「あれ、もうできたの?」


 単なる足し算なので簡単だけど、なにしろ桁が入り交じった長い計算で少し苦労した。ババラチアはふくよかで丸い顔にある小さな薄橙の瞳を驚いたように丸く見開いている。椅子に座ったまま見上げるおじさんは何処となく愛嬌があるなと書類を机に置いた。北欧系の綺麗な人ばかりがいる世界でほっとする癒しのような人だ。これで性格が良ければ嬉しいな。


 「あの、ここですが。八じゃなくて四ですね。二度計算したので間違いないと思うのですけど……」


 間違いを指摘するのは相手の自尊心を傷つけることになるかもしれない。慎重に様子を窺いながら間違えている合計個所を指で示すと、ババラチアは「うん、そうだね」と頷き再計算もせずに訂正した。どうやらわたしは試されたらしい。


 「計算が得意な女性がいるとは思わなくてね。試すようなことをして悪かったね。」

 「わたしも場違いなところに来てしまった感がありましたのでお気になさらず。」

 「さすがは隊長さんの紹介なだけあるよ。都ではこういう女性が多いのかな。ハルカさん、次は此方の確認をお願いするよ。間違っている所は斜線で訂正してくれるかな?」

 「わかりました。」


 仕事ができるなら女性だからと嫌厭するような人ではないらしい。五十枚程ある紙の束を渡され、さすがに驚いたけど笑顔で受け取ると、ババラチアは汗した額をハンカチで拭って笑顔で返してくれた。


 その日の夜、食後の暇つぶしに汗した笑顔のババラチアをスケッチしていると、横から覗いた王子様が物凄く不機嫌になったので隣に算盤そろばんを弾く王子様も描いておいた。すると王子様はこの世界にはない算盤に興味を示して、わたしの説明を聞いて設計図を書き始めた。わたしの絵なんかよりも明らかに芸術的な設計図は額に入れたら映えそうだ。王子様は魔法だけじゃなく何をしても天才かも知れないけど……


 「わたし算盤使えないのよね。」

 「何を言う、五と一の玉を動かすだけなのだから簡単ではないか。」

 「簡単なんだけどね、指ではじくのって慣れないと難しいのよ。ゆっくりならできても、それなら暗算の方が早いし。」


 電卓とはわけが違う。左手で算盤を支えて右の人差し指と親指をつかってこまを弾くのに慣れないから、どんどん前のめりになって肩がこるに決まっていた。小学生の時にちょっと習っただけのわたしが使いこなすにはそれなりの練習が必要になるので、特に使いたいと思わなかった。

 

 「王子様が興味あるなら作ってもいいんじゃない?」

 「そうだな。面白い見た目故に装飾品として流行るやも知れぬぞ。」


 使い方を知れば便利になると呟く王子様にお好きにどうぞと言っておいた。過去の召喚された人たちが持ち込んだ知識は長続きしない。それでも誰かに重宝されるなら良いかもしれない。算盤で人は殺せないし、王子様の言うように飾っても素敵……とは思えないけど、この世界にはない物だし。王子様なら間違っても引っ繰り返してローラースケート代わりに遊ぶようなことはしないだろう。


 週に一度だけどなかなか良い職場に巡り合えた。どんなに嫌でも紹介してくれた隊長の顔もあるので、よほどのことがあっても自分から辞めないと決めていた。男社会なので女が入ることへの苛立ちも覚悟していたのだ。だけど実際にはそんなことなくて、みんな真面目に、そして寡黙に仕事をしながら、休憩時間になると唯一の女であるわたしに気を使って優しく声をかけてくれる。決して美人でないのっぺり顔の日本人でも勘違いしてしまいそうな優しさだ。彼らはわたしが召喚された人間だとか、わたしの機嫌を損ねると世界が滅ぶとか知らないので、向けられる好意はそのまま信用していた。正直とても楽しい。始めはわたしが働くことを不満に思っていた王子様も、楽しんでいると知ってからは認めてくれたようだ。


 王子様も非常勤とはいえ、頼まれなくても自分から駐在所を訪問し、何か用はないかと気を遣うことができるようになっていた。わたしが促したのではなく、本当に王子様自ら駐在所に出向いて『頼みたいことがあるなら請け負っても構わない』と、多少上から目線ながらも自分で考えて人の為に行動したのだ。ハルカ先生泣きそうですよハイアンシス君、と心の中で呟いた。


 王子様は駐在所へ足を運んだついでに役所を訪問し、わたしの仕事が終わるのを待って一緒に帰ることもある。噂の美少年がわたしの弟だと知って税務課の人たちはとても驚いていたし、奥さんや娘さんに王子様の信仰者ファンがいる人までいたので、待っている間の王子様はまるでスターのように仕事を放り出した人たちに囲まれていた。


 「それにしても髪と瞳の色以外は全く似ていないんだね。」

 

 額に汗しながら笑顔で遠慮も何もなく正直に言葉にしたババラチアに、心の中ではまったくの他人なので当然ですと付け加える。なのに王子様ときたら言わなくてもいい一言を付け加えた。


 「血は繋がっておらぬからな。」


 ええっ、言っちゃうのか?!

 姉弟という設定だったのにと驚いていると、わたしの驚きなどまるで気付いていないババラチアが納得して何度も頷く。


 「そうだろうねぇ、だって君たち本当に全く似ていないから。だけど君、その血が繋がっていないということはなるべく秘密にした方がいいよ。」

 「何故だ、お前になにか迷惑がかかるのか?」

 「私じゃなくてハルカさん。君みたいに綺麗な男の子と血の繋がりがないのに同居しているとなるとね、年齢が離れているにしてもハルカさんが嫉妬されるから。特にハルカさんって実年齢より若く見えるし、女性の嫉妬は本当に怖いからねぇ。私の妻もね、若い女の子が手伝いに入ったと知って焼きもちやいてくれるんだよ。私とハルカさんじゃ親子ほどの差があるというのに全く可愛い妻だよねぇ。」


 大きなお腹とぷっくりした頬を揺らし、のろけを交えながら忠告してくれるババラチアをなんだか可愛いと思ってしまうのは、美形に囲まれての生活を余儀なくされていた時の後遺症だろうか。


 「そうなのか、解った。ハルカに危害を加えるような輩は消し炭にする予定だが、そうなるとハルカが悲しむので回避の方向で行こう。助言感謝するぞ。」

 「いやいや、感謝なんてしなくても。ハルカさんには職場のみんなで和ませてもらっているから。それにしても君、どこかの若様みたいな話し方するんだね。良い所のお坊ちゃまなのだろうけど、辺鄙な場所に住んでいるのは修行か何かかな?」

 「確かに修行中だな。静かなところで学問に励んでいるが、私の本業は魔法使いだ。何かあれば頼っていいぞ、お前にはハルカが世話になっているから親身になってやろう。」

 「本当かい、それは頼もしいね。私は見ての通り太り過ぎで足腰が痛むんだ。薬でどうしようもなくなったらお願いするよ。」


 王子様はババラチアの言葉をよく聞いて頷き納得しているだけでなく、年齢の壁を越えて友達同士のように話をしている。しかもババラチアの話は真っ当な、世間一般常識ばかりだ。それを素直に聞いて頷く王子様もなんだか可愛らしい。この二人気が合うのかな。ババラチアはなごみ系で人を落ち着かせる作用があるし、それは気難しく傍若無人だった王子様にまで有効なのかもしれない。だって王子様の顔つきがとても穏やかで、身分や年齢なんて関係なく会話を成立させているのだから。王子様も自分を知らない人を相手に話しやすそうで、王子様にとっては年齢を超えた初めてのお友達になれるんじゃないかなと期待に胸が膨らんだ。


 

 



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