その29(遥)
会いたくないと思っていた王様が目の前にいる。東に帰る前に一度会って話をしたいと言われたけど、会いたくないからと断ったはずなのに。
アイオライトに対して突発的に恥ずかしい告白をしてしまったわたしは、王子様の希望もあって三日後に東に向かって出発することにした。本当ならアイオライトの腕が動くようになるまで待ちたかったけど、彼自身が動かないことを気にしていない様子であることや、いつまでも騎士団の病院でお世話になっていることも出来ないと判断したのだ。
そして明日には出立するという夜になって、ジェイドに会わせたい人がいると言われてついて行った。浮かないジェイドの表情から嫌な予感がしていたけど、見事的中してとても残念だ。
会いたくないと言ったのに無理して会おうとするなんて。わたしの意思を無視してまでなのだからよほど大事な要件なのだろう。王様自ら騎士団の病院にまで出向いて来たのだからその重要さが窺い知れる。相手は王様だけど勧められるまま、王様を相手にするには豪華さに欠ける応接間に置かれている椅子に腰を下ろした。
四十代半ばの絶対的な権力者。初めて会った時は権力者の振る舞いを恐れて言い成りだったけど、この世界の理を知ってからは王様なんて怖くない。いや、怖くないというのは違うかな。だって一見穏やかな王様の心の内はけして優しい物ではないと知ったから。
王様にとって大切なのはオブシディアンと言うこの世界を守り抜くことだ。だから王子様も廃太子されたし、クリソプレーズが呼び戻されて次の王に相応しい者に繋がる血を残そうとしている。だけどクリソプレーズは王族として魔法の力が弱く、彼の子供が次の王様につける確率は極めて低いのだろう。降嫁された王女様は可能性すら審議されるに値しないと判断されたに違いない。
王様自身の子供はもう望めないのだろうか。人の心なんて完全無視するような王様だ、オブシディアン存続のためなら何人でも女性を囲い込んでしまいそうだけど、そうしていないのなら望めないのだろうなと失礼な考えを抱く。
「元の世界に帰ることをあきらめたと聞いたのだが?」
あきらめたのに空が落ちようとしていると言いたいのだろう。あきらめたから終わりじゃない、この人はその過程に何があるのかを考えることがあるのだろうか。
王様は人の心の本質と言うものをまるで解っていないらしい。
わたしよりもずっと年上の絶対的な権力者。始めは怯えたけど今は違う。わたしは彼が大っ嫌いだ。
「ねぇ王様。」
絶対的な権力者である王様がこれまで呼ばれたこともないような言葉で呼びかけると、王様は驚いたように瞳を瞬かせてわたしに視線を合わせた。泣くばかりで、掌で転がせると思っていたわたしは今どのように映るのか。召喚当初以来の再会であるように、王様も同じであの時の怯えた、そして従順そうなわたししか知らない。だから対等な、どうかしたら上からとも取れる呼びかけにさぞや驚いたことだろう。
この世界で生きていく限り、人の心をまるで理解できない王様を刺激するのは良いことではないだろう。だけどどうしても言っておきたいことがある。わたしは怒りを抱いたまま精一杯の虚勢を張って静かに微笑んで見せた。
「世界を滅ぼすとしたらそれはわたしじゃない、あなたよ。」
これだけは言っておきたかった。他に話はないとの意味を込めて椅子から立ち上がると王様も慌てて腰を上げる。
「ハルカ殿!」
慌てた王様がわたしの前に陣取って引き止める。見下ろす視線は自分の何が悪いのかと問うような、何も解っていないただ慌てる視線だった。
「決してあきらめたわけじゃありません。でも王子様が傷つくのを見ていられないわ、だから帰るのをやめたの。無事で帰してくれるならその方法を教えて欲しいわ。でも無理だったの。だったら止めるとしか言えないじゃないですか。」
召喚された時と同様に何事もなく、わたしも無事でなら喜んで帰してもらう。だけど王子様はちょっとの距離を移動するだけで吐血して倒れてしまったのだ。一方通行を逆走したらどうなるか、事故が起きる可能性が大きなことは誰だって知っている。
「其方はアイオライトをいらないのだと思ったのだ。どちらが欲しい、二人なのか?」
欲しい物があるなら何でも与える。それが人間であっても簡単なのだと思ている王様を前に、けして短気じゃない筈のわたしの頭は爆発しそうになった。
欲しいって何なのか。王子様には責任を取ってもらおうと決めたけど、それじゃあアイオライトは?
王様は今も変わらずアイオライトは駒の一つで、生きた人だというのを少しも解っていない。生きていると解っていてもオブシディアン存続のためなら構っていられないということなのか。たった今教えてあげたのに、世界を滅ぼすのは王様だって教えてあげたのに、目の前の王様はまるでなにも理解してくれず、ただ人を物のように扱ってわたしに差し出そうとする。
また、あの恐怖が脳裏に蘇り鳥肌が立った。生気のない瞳に何も映さず、跪いて服従するアイオライトの姿。微笑みには何の感情も宿さず冷たい人形となって服従させれられていた。わたしがいなければアイオライトをずっと飼い続けられたと微笑んで、代用品としてサードを側に置くと言った王女様。その王女様の面影が王様に重なってしまい、あまりにも恐ろしくて視線をそらした。
「彼らには彼らの意思があります、権力者だからってその意思を無視していい訳がない。人の心を権力で動かすのはやめてください。わたしはそういう世界に生まれ育ったわけじゃないんです。人の心を魔法で操ったり、個人の意思を無視して権力者のいいように操ったり、そういうのって凄く悲しい!」
立ちふさがる王様の顔を見ずにすぐ横を通り過ぎた。王様は何も言わずに邪魔もしない。部屋を飛び出すとジェイドが彼にしては寂しそうな表情で迎えてくれた。
「お待たせしてごめんなさい、話は終わりました。」
「では、お部屋までお送り致します。」
ジェイドは頷くとすぐにいつものように笑みを浮かべて先導してくれる。王様になんてもう二度と会いたくないと大人げない思いを抱えながら、翌朝わたしと王子様は東に向かって帰路につくことになった。
謹慎中のサードと何かと忙しいクリソプレーズに挨拶をしないままとなったが、この世界で生きることになってしまったのでまた会うこともあるだろう。それでもいつ会えるか解らないのでもやっとしたものが残る。大人としてお世話になった人に挨拶するのは常識だけど、様々な事情が絡んでいるので仕方がないと思ってあきらめるしかない。それにわたしは表向き王子様に懸想された平民女となっているのだ。召喚された事実を知る人は少ないし、ひっそりといなくなるのは必要なことだろうと挨拶できない言い訳をする。
見送ってくれたのはジェイドと、それから右腕が動かないままのアイオライトだ。アイオライトは隠すように白い手袋をしているけど、これまでのように何処となく寂しいような憂う雰囲気は無くなっていて、とても麗しいそれは光り輝く微笑みを浮かべていた。
「見送りなど必要ないと言っておいたのに。ハルカ、さっさと行くぞ。」
アイオライトの登場に王子様は物凄く不機嫌になった。白い手袋がされた腕を一瞥するなり、別れの挨拶もしないでわたしの腕を引いて歩きだそうとする。
「ちょっと待って、ちゃんとご挨拶するのが大人の対応というものよ。」
意外にも強く腕を引かれて体を持って行かれてしまったけど、踏ん張ってとどまりながら世間知らずな王子様に人と関わるための常識というものを教える。これからは東の果てに引き籠っているだけではだめだ。帰還の研究をやめさせたらこの世界では畑を耕すくらいしかすることが無くなってしまうので、王子様の特技を生かして町へと仕事に出てもらおうと考えていた。
まずはその第一歩としてちゃんと挨拶位は出来るようにしておかないと世間では通用しないのだ。騎士は王子様にとって臣下かもしれないけど、現在の王子様はお城を追い出されているので関係ないというのがわたしの持論。いつか王様としてオブシディアンの頂点に立つに相応しい人になってもらわなければならないというのもある。帝王学は教えてあげられなくても、人として必要な最低限を身につけさせるのはわたしの役目だ。帝王学に関しては王子様以外に相応しい人が現れるならその限りではないけど、人として必要なことは学ぶべきだ。
踏ん張ったわたしは王子様の手を離れると二人に向き合って体の前で両手を揃えて頭を下げた。
「お世話になりました。サードさんやクリソプレーズさん、それからご迷惑をかけた方々にもどうぞ宜しくお伝えください。」
「道中お気をつけて。」
この世界にお辞儀の習慣はないけど、ジェイドはわたしに習ったのか同じように両手を揃えると、深く腰を折って頭を下げた。そして顔を上げた時に『できますか?』とでも言うように王子様へと視線を送る。王子様が危害を加えないと解っているとしても過去を知っているだろうに、ジェイドは全く恐れていないようで凄く度胸があるなと感心した。対する王子様は『誰がやるか』とでも言うかに目を細めてそっぽを向く。年長者を前にこの態度はどうかと注意をしたくなるけど、あまりがみがみ言っても反抗するだけなのでゆっくりやって行くことにした。
「ハルカ様、どうぞお気をつけて。」
ジェイドより一歩前に出たアイオライトが眩い光を放ち攻撃を仕掛ける。決して攻撃ではないけど、彼らを信用してしまったわたしの目には思わず目を反らすほどの美しさだ。前は怒りが先行して拒絶していたとはいえ、よくぞこの攻撃を回避していたよなと、視線を外しながら自分自身を誉めた。
「どうぞお大事に。」
前のように一緒に行きたいと言い出すのではないかと少しばかり警戒していたのだ。言い出されたら断れないような気がしていたけど、今回はわたしが困るようなことは口にしないでくれる。この前ちゃんと話をしたのが良かったのだろうかと安心した。
「お心遣い、ありがとうございます。この右腕も王子の慈悲により元通りにしていただきました。再び動く様になりましたら必ずお訪ねします。その時はハルカ様、お約束通りパオをお作り致しますので―――」
「何だとっ?!」
アイオライトが全てを言い終える前に王子様が大きな声を上げた。驚いたわたしが王子様へ視線をやると、王子様は綺麗な青い目をこれでもかと見開いてアイオライトを凝視している。そしてアイオライトは直立不動の姿勢を取り、何故か勝ち誇ったような表情で高い位置から王子様を見下ろしていた。
「貴様……異世界人であるハルカを謀ったな?」
「まさか、恐れ多い。私は単にハルカ様とお約束しただけですが?」
王子様からは威嚇するような殺気が溢れて、向けられているアイオライトは難なく受け止めている。わたしは何が起きたのか解らず、険悪な雰囲気を飛散させるように二人の間に体を入れた。
「謀るって何、そんなことないわよ。ただアイオライトさんはオブシディアンの伝統料理を―――」
「そんなことはよい、解っている。私はこの男が嫌いなだけだ!」
「えっ、あ、ちょっとっ!」
王子様はわたしの腕をがっしりと掴むと凄い勢いで足を進めた。今度は踏ん張ることもできず、まるで引きずられるようにして引っ張られる。
「ちょっと王子様止まって!」
「帰るぞ!」
「もうっ、二人共さようなら!」
あくまでも子供なのだろう。我儘な王子様に引きずられながら見送る二人に手を振ると、ジェイドは面白そうに笑いながら手を振り返してくれ、アイオライトは軽く頭を下げて見送ってくれた。
「王子様、この態度はどうかと思うわよ?」
「其方は知らぬからそのように思うのだ。」
「だから何がよ?」
「―――知らぬままでよい。」
最後には拗ねたふうで、大きな子供だなと微笑ましく感じてしまう。それでもまぁ近々新一年生になれるようにはしておかないといけないなと思いながら、道中は何事もなく、立ち寄った場所場所ではきちんとご挨拶もできるようになった王子様の様子に感激しながら住処に戻ることができた。




