その23(遥)
階段を踏む音が石造りの地下に響く。それに合わせて仄かな光が闇を照らして近付いていた。敵か味方か解らず、勇気を貰うつもりでアイオライトを守るように抱き締める。
「ハルカか?」
「クリソプレーズさん!」
小さく、けれどしっかりと囁かれた声に緊張がほどけ、久し振りに耳にした人の声に安堵する。決壊したように目からは涙が溢れて、一斉に向けられた光が乱反射のように乱れ視界を奪った。
だけどわたしの名前を呼んで駆け寄ってくる気配は間違いなくクリソプレーズだ。他にもいくつか足音があったけど、わたしは一番に側に寄る彼の音だけを信じて小さな子供みたいに泣きじゃくった。
「アイオライトさんがっ、王子様は?!」
「公爵とグロッシューラを殺す勢いだったから置いてきた。流石に殺されては困るからな。代わりにハイアンシスにはうってつけの役目を言いつけてある。これは……酷いな。王家は毎度毎度やらかしてくれる。」
暗闇が苦手なわたしにも、小さな灯りがいくつもあることでクリソプレーズをよく見ることができた。彼は辺りを見渡し状況を把握すると忌々しそうに吐き出した。
「安心しろ、ハイアンシスは腕がいい。サードの治療も済ませたし、アイオライトも任せておけば大丈夫だ。この場所を指示したのはハイアンシスだが、辿り着くのに手間取って悪かった。」
「アイオライトさん、綺麗だけどいつもいつも魔法の治療を受けていったって。ここで、蛮族から傷を受けたこともあるって。」
剣先を押し付け鎖を切ったクリソプレーズがアイオライトを肩に担ぐ。わたしは誰も知らないだろう状況を少しでも伝えたくて、ずっと曲げていたせいで動かない足を無理矢理立てて見事にひっくり返った。
「誰かハルカを。」
「私が。」
クリソプレーズには使える腕は一本しかない。目の前で転げたわたしを助ける様に近くにいた騎士に命じ、見覚えのある騎士が一人前に出てわたしを抱え上げた。
「覚えておられますか、ジェードで御座います。」
「ジェードさん、覚えてる。あの、アイオライトさんの腕が。」
お城にいた時に宛がわれた騎士の一人だった。彼は翡翠のような深い緑色の瞳をしているはずだけど、薄暗い室内では確認することができない。わたしが視線を向けた先にドレスを破って包んだ腕はなく、既に他の人が抱えて中を確認しているのが窺えた。
「それから牢の中の遺体は蛮族です。」
「解っていますよ、全てしかるべき処置を致しますのでご安心を。」
触れたら体が腐るのだ、気をつけて欲しくて何とか言葉にしたが、彼らはわたしの言葉なんて不必要な程ちゃんと状況把握ができていた。わたしはジェードに抱えられたままようやく地上へと戻される。辺りは闇に染まり見上げても月はない。代わりに瞬く星たちがやけに地上へ迫っているように感じた。
待機していた馬車にアイオライトと乗せられる。一緒にクリソプレーズもいて、彼の義足がきしまないことにようやく気付いた。わたし達を捜すために動きやすくなるよう王子様が魔法をかけたのだ。早く王子様の所に行きたい。王子様に大丈夫だと言ってもらいたくて、眠り続けるアイオライトの熱くなった体に触れて助けてと祈り続け、そのまま意識を失ってしまった。
気が付いた時は真っ白な天井が眩しく目を細めた。カーテンが揺らめき、開け放たれた窓から光が射しこんでいる。
「なに、ここ?」
一瞬なにがなんだかわからなくてパニックになった。穏やかな日の光が差し込む見知らぬ室内で、ベットの横には薄桃色の花が飾られたりしている。穏やかで、だけど偽りの世界を前に息が苦しくなって鼓動が痛いくらいに胸を打った。
「うわぁぁぁああああっ!!」
なんで、どうしてこんな所にいるの。誰も彼もどうしてわたしに綺麗な物しか見せようとしないのか。怖かった。恐ろしかった。全てをなかったことにするかの雰囲気が恐ろしく、吐き出すように頭を掻きむしりながら叫んだ。
「ハルカ様!」
発狂したように叫ぶわたしの名前を誰かが呼んでいた。肩を揺らして捕らえようとするのを拒絶し首を振る。怖い、望まない現実を突きつけられるのが嫌で叫び続けた。なのに叫ぶことすらままならず、喉を詰まらせ咳き込んで叫ぶことができなくなる。
「ハルカ様、どうか落ち着かれて。」
「ぃやぁ……っ。」
「大丈夫ですから。蛮族が再び姿を現すことはありません。アイオライトも無事です。」
「あ……」
蛮族なんてどうでもいい。だけど重要な人の名前に反応して、偽物の色をしたぐしゃぐしゃに乱れた髪の隙間から声の主へと視線を向ける。
「ハルカ様。全て、大丈夫です。」
「……サードさん?」
「ハルカ様。このような危険で恐ろしいことに巻き込んでしまい、本当に申し訳ございませんでした。」
珍しい薄紅色の瞳が白金の髪の隙間から見えた。悲しそうに眉を下げたサードが、わたしの背に手を当てたまま謝罪を口にする。どうしてこの世界の人たちは謝ってばかりなのだろう。きっとこんな風にしてしまったのはわたしなのだ。
「サードさん、大丈夫?」
アイオライトに腹を刺されて倒れた。大量の血が流れて、声を失って。なのに彼はちゃんとわたしの前に立って、身を屈めて、わたしの背に手を当てて撫でてくれている。
「大丈夫?」
もう一度同じように訊ねると、彼はとても悲しそうに眉を寄せて一つだけ頷く。
「ハイアンシス王子が手を尽くして下さいました。傷一つ残ればハルカ様が悲しまれるからと、とても丁寧に癒して下さったのです。何処も痛くありませんし、元通りの体になっております。勿論アイオライトもです。腕の浄化に少しばかり時間がかかっておりますが、必ず繋げると王子が断言しております。」
まだ繋げてもらえる状態にはないのだ。わたしは膝を立て顔を押し付けて涙を堪えた。
「アイオライトさんに会ってもいい?」
「そうですね。その前にハルカ様、心を落ち着けるためにもこれをお飲みください。」
差し出された透明のグラスに注がれていたのは水のようだ。だけどきっとそうじゃない。まだ繋がっていないアイオライトの腕を見て、わたしがショックを受けないように気を使っているのだろう。
「分かりました。」
わたしは彼らの気づかいに従いグラスを受け取った。本当なら今すぐに会いたいけど、彼らに従ってもう少し後にする。無事な姿を見たかった、今すぐに彼の声を聞きたかったけど、この世界の優しい人たちはわたしの為にそれを望んでいないのだ。
グラスの水を全部飲み干したらすぐに眠気が襲って来た。ふらりと揺れる頭のせいで起きていられなくなると、背に当てられたサードの手がわたしを寝台へと誘い横たえられる。睡魔に抗うことなく瞼を閉じてサードに告げる。
「会えるようになったら起こしてくれますか?」
「……承知致しました。」
声を詰まらせ返事をしたサードの声。それを最後にわたしは深い眠りに落ちて行った。
幾度が目覚める度に休息を勧められ何日が過ぎたのか。ほとんどの時間を真っ白で真新しい寝具ですごして、食事やお風呂以外は立つことがなかった。心地よい風が緩やかにカーテンを揺らす窓から白い空を見上げる。どことなくいつもより低く感じる空には太陽と三つの月がいつもと変わらない姿を曝していて、夜になると漆黒の空には今にも落ちてきそうな星々が瞬き、強烈な輝きを放っていた。
時間が過ぎて空を見上げる度に不安になった。幾つめかの夜が過ぎても王子様は姿を見せないし、アイオライトとの面会にも誘われない。会えるようになったら起こしてと頼んだけど、サードはいったいいつになったら声をかけてくれるのか。不安を抱えたまま時間だけが過ぎ、あの日以来初めてクリソプレーズが顔を見せた。
かすかに届いた金属音に耳を傾け、近づくにつれ扉へと視線を向ける。声掛けもなく開かれた扉の向こうには思った通りの人がいて、わたしと視線が合うと安心したように優しく微笑んだ。
「入ってもいいだろうか?」
「どうぞ。」
多分、わたしは元気だ。だけど動き回る気力もなく、病人でもないのに寝台に腰を落ち着けたまま返事をする。クリソプレーズは椅子を引き寄せると寝台の側に置いて、義足をきしませながら腰を下ろした。
「報告に来た。」
単刀直入な言葉にわたしはしっかりと頷いて聞く姿勢を取る。わたしは聴取されていないけど、サードや王子様から話を聞いているだろうし、状況から察することもできるだろう。そして何より、アイオライトの意識があるなら詳しく把握できているはずだ。だからこれまでずっと自分から聞かなかった。答えをくれないサードの様子から良い状況じゃないと解って不安になったけど、彼らの優しさを今度は絶対に否定しないで受け入れると決めて、だからずっと黙って待ち続けていたのだ。
「この世界には誓約というものがあるのを知っているか?」
わたしの状態を確認するでもなく早々に話を始めたクリソプレーズに「いいえ」と首を振ってこたえる。
「王が臣下と重要な約束事をする時に、けして違えること無きよう魔法による誓いを立てるのだ。魔法による誓約を違えれば、交わした両者が契約不履行で蛮族に落とされる。オブシディアンを統治する王にのみ使える魔法による誓約だ。」
「王様に嘘をつかれることがない約束と言う訳ですね。」
約束しておいて権力で握りつぶされない為のものだろう。破った場合に契約者同士が蛮族に落ちるとなれば、率先して破りたいと思う人なんて存在しないに決まっている。あの灰色で、裸で体中に入れ墨を施した姿は見ているだけでも恐ろしかった。そんな存在に自らなりたいと思うのは、よほど何かに恨みを持っている人だけだろう。
「今回の件はその誓約をグロッシューラが手に入れてしまったのが原因だ。ヘリオドールに実行させ、公爵と魔法による誓約を交わしたことによって引き起こされた。契約者はグロッシューラと公爵だ。公爵は王にのみ使える誓約をただの魔法使いが使いこなせるとは思わなかったのだろう。軽い気持ちで了承し、誓約が本物であると気付いて陛下に泣きついた。それで陛下は二人を蛮族に落とすのを避けるため、グロッシューラの望み通りにアイオライトを与えたのだ。」
王様だけが知っている魔法をどうして王女様が手に入れたのかは判明していない。けれど実際に成功させた魔法使いがいて、契約者は王女様と夫である公爵で。二人を蛮族に落とせない王様は、またもや一人の人間の感情を無視してアイオライトを生贄として使ったのだ。
「酷い話だわ。本当に酷い―――」
人を何だと思っているのか。そのせいでアイオライトは精神拘束の魔法を施され苦しんだ。気付いたサードさんが見て見ぬ振りが出来ないと東にやって来て、そしてこんな結果になってしまったけど、それでも意に沿わない行動をとらされ続けるよりはましだったと思える。
「この世界はちっとも綺麗じゃないじゃない。」
綺麗な人たちがたくさんいて、煌びやかで、過ごしやすくて。だけど別の方向を向けばアイオライトの言うように闇に染まった世界が存在しているのだ。
王子様が抱えていた闇、王女様が持っている異質な世界。そして多分王様も。それから蛮族と呼ばれる人たちに、きっとわたしの知らない闇が煌びやかな世界の裏側に同じ数だけ広がっているのだろう。
「公爵は謹慎、グロッシューラは関与を否定している。聡明で優しく穏やかな娘だったが、私の目も節穴だったということだろう。」
誰もがサードやクリソプレーズの見解通り、優しい王女様だと信じていたのだろう。サードが見ていた聡明で美しく穏やかで気高い、そして無体をしない。それが誰もが知っている王女様。本当の王女様を知っていたのは彼女に仕える魔法使いと、十年も側にいて見聞きして自身も被害に合っていたアイオライト。そして気質が合わないと言っていた王子様。王子様は幼少期に王女様の気質を見抜いて早々に遠ざけていたのだ。だけどそれはきっと、気性の荒い王子様の我儘だと周囲には取られたに違いない。
「公爵様は謹慎で、王女様は無罪放免ですか?」
アイオライト自身が忠誠だと、王族に仕えることを誉と思っていても彼にしたことはとても許せなかった。駄犬だと言って、十年も側で仕えていた騎士を捨てて、最後には蛮族に怯えて殺されるわたしを観賞させようとしたのだ。人でなしの根性を矯正する、そんなことが無理だと解るくらいに壊れた王女様に強烈な怒りが湧いていた。
「わたし、召喚されたことが世界中に知られても、王女様がしたことは許せない。」
わたしがこの世界の命運を握っている。だからわたしが言葉にすることは何よりも優先されるべきことだ。証拠不十分で王女様が裁かれないのは絶対に許せない。どうやって償いをさせたらいいのか解らないけど、王女様だからという理由で罪に問われずに好き勝手やられるのは絶対に許せなかった。狂った王女様にわたしの正体をばらしても何とも思わないかも知れない。だけどわたしが証人で裁きたいと言えば、この世界の王様だって逆らえないことを知っている。
「お前の望みはハイアンシスが叶えるだろう。」
「王子様が?」
「あの日ハイアンシスは城に到着した途端に嵌められたと知って激怒し、公爵を締め上げ何もかもを吐かせた。そのまま公爵とグロッシューラを殺しかねなかったのでな、殺しはハルカが望まないだろうから他の方法を探せと命じたんだ。今は陛下でも不可能な誓約の書き変えに寝食も忘れ没頭している。」
誓約の書き変えなんて出来たら駄目だろう。だけど王子様は寝るのも食べるのも惜しんで没頭しているなんて。どんなふうに書き変えるつもりなのか。王子様が熱中しているならきっととんでもないことになる予感がする。だけど、それに熱中してるとしたら―――
「アイオライトさんの治療は誰が?」
ずっとアイオライトにかかりきりなのだと、だからここへやって来ないのだとばかり思っていた。なのに王子様は魔法による誓約の書き変えに夢中になっているなんて。だとしたらいったい誰がアイオライトの治療をしているのか。
クリソプレーズの表情が曇り、嫌な予感がしたわたしは寝台を飛び出した。




