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偽りの住人  作者: momo
21/46

その21(遥)



 衝撃を感じて意識が浮上する。途端、冷や水を浴びせられ悲鳴が漏れた。


 「ひゃっ?!」


 目を開けて体を起こすと前髪から雫が滴る。冷たい床の上で全身ずぶ濡れだ。薄暗い景色は見慣れない場所で、空の桶がごろんと床に落とされ揺れていた。


 「アイオライトさん……」


 状況からしてアイオライトがわたしに水をかけたようだ。王子様と一緒にお城に向かったはずなのにどうしてこんな所にいるのか。違う馬車に乗っていた所からすると、王女様たちは途中で戻って来たのだろう。もしかしたら王子様が呼ばれたのも嘘かも知れない。それならきっと気付いて引き返してくるはずだ。王子がいれば間違いなくサードは助かるし、わたしも見つけてもらえるに決まっている。だけどそれまで無事でいられるかどうか、わたしはアイオライトの服に付着している血をじっと見つめた。

 

 アイオライトはサードの返り血を浴びたままで正面を見据えていて、生気のない死んだような目をしている。わたしは唖然としたまま辺りを見回す。薄汚れた石壁の室内は半地下のようで、頭上に小さな穴がありそこから外の光が取り入れられていた。そしてわたしと正面を見据えて立っているアイオライトとの間には鉄格子。どうやらわたしはいつの間にか意識を失くして牢屋に閉じ込められてしまったようだ。牢屋は広く大きな木製の箱が隅に置かれていて、何か生き物でも入っているのか不規則に揺れていて恐怖を覚えた。


 「お前は何者なの?」


 かつんと足音を立て王女様が視界に入り込む。ふっくらとしたお腹の上で腕を組んで、薄っすらと美しい微笑みを浮かべているけど目が少しも笑っていない。ぞっとしたわたしは後ろに下がりかけたけど、ガタガタと音を立てる箱の存在に怯えてその場に止まった。


 「あのハイアンシスを手懐けるなんて本当に驚いたわ。しかもわたくしからアイオライトまで奪い取ろうなんてとんでもない女ですこと。」

 

 王女様とアイオライトを引き離したのは王様だ。言い返したかったけど絶対者の見下す氷のような冷たい視線に怖気づいて声が出ない。返事をしないわたしに苛立ったのか、王女様は一瞬だけ微笑みを決して顔を歪めたものの、すぐにまた恐ろしい微笑みを浮かべた。


 何をするつもりなのか、わたしはアイオライトが腰に下げた剣から目が離せなくなった。あの剣でサードを刺したのだ。彼は大丈夫だろうかと思うけどそれも一瞬。わたしの方が無事ですまない予感に襲われて、音を立てる箱が怖かったけど鉄格子から一番遠くに避難する。



 「だけど、矯正の利かない駄犬なんてもういらないわ。処分するのも面倒だからお前に譲ってあげるわね。」


 駄犬ってきっとわたしではなくアイオライトのことだ。矯正が利かなくなったのは王子様の魔法のお陰だろうけど、王女様の言い方からするに、アイオライトは正気であっても王女様と一緒にいたいなんて思わなかったに違いない。きっと心配していた王女様への未練もないのだろう。


 「王女様、あなたはアイオライトさんを愛していたんじゃないんですか?!」


 二人の関係がどんなものだったのか知らない。わたしが耳にしたのはせいぜい二人が婚約していたということだけだ。なのに王女様からはアイオライトを愛しているような感じはまるで受けなくて、それでもアイオライトは王女様を好きだったのだろうか。それとも二人の間は既に冷え切っていたのか。どんな理由があっても人の心を強制してしまうなんて絶対にいけないことだ。意思を曲げられて好き勝手に操られるなんて怖くてたまらない。


 「勿論とても深く愛していたわよ。だけどそれを壊したのはお前ではないの。」


 馬鹿なこと言わないでと微笑む王女様は少しも悲しそうじゃない。だけどわたしが王女様とアイオライトの関係を壊したのは事実なのだ。

 

 「本当に忠実で、どんな命令にも従うおりこうな犬だったのに。この美しい顔から流れる血は極上だったわ。だから手放すのはとても残念。お前が現れなければずっと、ずぅっと飼い続けられたでしょうに。」

 

 わたしには理解できない恐ろしい言葉を発した王女様は、鋭い爪をアイオライトの頬に走らせた。鋭い爪が肌に強く当てられアイオライトの頬に赤い線が走る。


 「本当に残念。取りあえずは先程のあの騎士(サード)を代用品として側に置くわ。これまでの働きに免じて望み通り、お前には新しい主と一緒にいさせてあげる。」


 そう言って王女様は壁にかけられていた重たい鎖を取るようアイオライトに指示した。わたしはそれで拘束を受けると身構えたけど、その鎖はわたしではなくアイオライト自身と鉄の格子へと繋がれてしまう。自分と鉄格子を繋ぐ鎖にしっかりと鍵をかけたアイオライトは鍵を王女様に差し出した。


 「もがき苦しみなさい。思い通りにならないものなどあってはならないのよ。」


 とても楽しそうに王女様が笑うと、一際大きな音を立てて隅に置かれた箱の一部が敗れた。それ程大きな穴ではないけど、空いた穴からぬるりと灰色の人の手が覗く。


 誰かが閉じ込められていると思って助けるために駆け寄ろうとしたけど、脳裏に思い浮かんだ事柄がわたしを寸での所で引き留めた。


 灰色。それはとても恐ろしい物の代名詞ではなかっただろうか。


 蛮族と呼ばれるものたちがオブシディアンには存在している。もとは光り輝く民であったのに、異界から人を召喚するのが遅れた時代に灰色に染まってしまった人たちの成れの果て。全身が灰色で入れ墨を施している。そして彼らに触れられると人は腐るのだ。蛮族の侵攻を防ぐために戦っていたクリソプレーズは、手と足を切り落として腐るのを防いだ。


 「やだっ、ここから出してっ!」


 どうしてこんな所に蛮族なんてものがいるのか。勘違いであればいいのに、破れた木箱から覗く灰色の手がもがく様に蠢いて恐怖をそそる。鉄格子を握りしめて王女様に訴えたけど、王女様は一歩ずつ後退してあっという間に離れて行った。


 「行かないで、お願いだから助けて!」

 「何もかもお前のせいなのよ、報いは受けなさい。」


 楽しそうに笑った王女様がついに視界から外れる。助けて、お願いと叫び続けても王女様が戻ってくることはなく、箱は揺れて破れる面積が広がっていくだけだった。


 「助けてアイオライトさん、アイオライトさんっ!」


 残されたアイオライトに訴えても直立不動で正面を見つめているだけ。手を伸ばしても届かなくて、けれど彼に繋がれた鎖の存在を思い出して手繰り寄せると、引っぱられるのに合わせる様にしてアイオライトが牢に寄る。わたしは反応のないアイオライトから剣を奪って振り返ると声にならない悲鳴を上げた。


 「ひぃっ?!」

 

 破れた箱から頭髪のない灰色の人間が這い出て来ようとしていた。体中至る所に、髪のない頭部にも蔦のような紺色の入れ墨が施されていて、わたしを見ているであろう眼球は真っ白。まるで悪夢を見ている様だ。


 「いや、やだっ。来ないでっ!」


 世界の果てにいるのではなかったのか。誰がこんな所に連れてきたのか。何をどう考えても状況は変わらず、箱を揺らして灰色の人間が這い出るとゆっくり立ち上がった。


 服なんて着ていない。裸の蛮族は膨らんだ乳房と身長から十代半ばの年頃ではないだろうかと思われるのに、顔はぷくぷくとした皺のようなもので覆われていた。文明のない場所で育った人たちはよく解らない。瞳がない白いだけの眼で世界はどう見えるのだろう。わたしは自分を守るために使ったこともない剣を握りしめて蛮族に向かってかまえた。


 「お願い来ないで……」


 恐怖で全身がガタガタと震える。体が腐り落ちる恐怖で頭には耳鳴りが響いていた。


 「助けて……アイオライトさん、助けてっ!」


 鉄格子を背にこれまで否定し続けたアイオライトに助けを求める。これまで自分からアイオライトに縋ったのは過去に一度だけで、王子様と初対面して以来の懇願だったけど、精神束縛の魔法をかけられているアイオライトには届かないようだ。


 わたしを認識しても魔法のせいで思い通りに動けない。だからとても苦しいのだと王子様だけではなくサードも言っていた。だから後はアイオライト自身の力で魔法を解いた方が精神的には楽だという意見に賛成したのに。なのに今わたしは必死でアイオライトの名前を呼んで助けを求めている。きっといつものアイオライトなら誰よりも早く駆け付けて助けてくれただろう。膝を付いて『大丈夫ですか』と熱い視線で問うのだ。そんな彼を必要ないと跳ね除けて邪険に扱ったのはわたしだ。


 こんな時だけアイオライトに縋るなんて都合が良すぎるのは解っていた。だけど怖くて怖くて仕方がない。剣を構えていても目の前に立つ異形に怯えてガタガタ震えるしかできなかった。目の前の蛮族は姿勢が悪く膝を弛めて不格好に立っているけど、けして運動能力がないようには見えない。のそりのそりとゆっくりしか動けないなら牢の中でも逃げることができるだろうけど、ゆるく曲がった膝が今にも飛びかかって来る前触れのようで、恐怖で剣先が大きく震えていた。


 自分が怖いから、助かりたいからわたしは必死でアイオライトの名前を呼び続けていた。わたしに助けを求められることでアイオライトが苦しむのは分かっているけど、そんなことを考える余裕なんてとっくに失くしている。そうこうするうちに目の前に立っていた蛮族が一歩一歩と近寄って来た。灰色の大きな口が開いてぎざぎざの歯が覗いたかと思うと両手を広げて飛びかかる。

 

 「いやぁっ!」


 咄嗟に目を閉じて剣を振り回す。当たる感覚がして目を開いたら灰色の肌からわたしと同じ赤い血が流れていた。


 人を傷つけた事実が伸し掛かり、途端に異なる恐怖を感じて剣を取り落としそうになる。更に襲い掛かって来た蛮族を避ける様に体をねじったけど腕を掴まれ、袖が引きちぎられる感覚を覚えながら悲鳴を上げて逃げ惑った。


 「いやぁ、嫌っ!!」


 悲鳴を上げながら蛮族が出てきた箱の裏に回り込む。服の上からだけど腕を掴まれ、体が腐る恐怖に竦み上がった。再び襲われる恐怖に震えながら蛮族を視界に捉えると、二本の腕に捕らわれ拘束されている様が飛び込んでくる。


 「あ……」


 鉄格子の向こう側から伸びたアイオライトの腕が蛮族の首を締め上げていた。苦しそうにもがく灰色の手が首に回されたアイオライトの腕を引っ掻く。足をばたつかせ暴れていた蛮族は、やがて動きを失うと泡を吹いて汚れた冷たい床に落ちた。


 「あ、アイオライト……さん?」


 動かなくなった蛮族とアイオライトを交互に見つめる。信じられなくて名前を呼んだら「ハルカ様」と呼びかけられ、わたしはその場に固まったまま手にした剣を取り落としていた。


 「アイオライトさん。戻って、これた?」

 

 王子様が解除し損ねた魔法を自分の意思で振り払って戻って来たのか。とても疲れたように肩で息をして苦しそうに眉を寄せているけど、煌めく青緑の瞳はしっかりとわたしを捕らえて煌めいている。


 「この様なもので貴方様を汚し申し訳ありません。どうか剣を、こちらへ。」


 苦しそうに声を出して、今にも倒れそうにしながら格子の間から手を差し出した。わたしは取り落とした剣を慌てて拾うと、力の入らない足を何とか前に出して剣の柄をアイオライトに握らせる。


 「止めを刺さねばなりません。どうか背を向けて下さいますか。」


 指示通り反対を向くと、剣が肉を貫く音が耳に届く。あんなに拒絶しておきながら嫌なことは全部やらせてしまったと知り、泣く資格なんてないと必死で奥歯を噛みしめた。


 お城で別れた時、最後まで彼は連れて行って欲しいと願っていたのに。なのにわたしは彼を拒絶して、それが一番だと思い込んで置いて行った。なのにアイオライトはこうして戻って来て、最後の最後までわたしの為に尽くそうとする。あくまでも汚れた部分を見せないよう、わたしが傷つかないように努力しているのだ。アイオライトが求めるような綺麗な物なんて何一つ持っていないのに、綺麗なままでいさせようとする。


 剣を床に置く音がして振り返ると蛮族の遺体が転がっていた。平和な世界で生まれ育ったわたしは綺麗にして棺桶に納まるお葬式での遺体しか見たことがなくて、異形の姿であっても人であるものの死に衝撃を受ける。殺してしまったとか、やらなければやられていたとかいう感情はなく、ただそこにある遺体に衝撃を受けたのだ。


 アイオライトが懐を探り細い棒のようなものを取り出すと、それを使って牢の鍵を開ける。身を屈めて牢を抜け出したわたしは、疲れ果てて座り込んだアイオライトの前に両膝を付いて右腕を取った。


 「ごめんなさいっ……」


 アイオライトの手は蛮族に引っ掻かれて火傷をしたように膿んで腫れていた。だけどこの跡が火傷ではなく、腐り始める前兆であるのは明白だ。本当ならわたしが犯されるはずだったのに、わたしを助けるためにアイオライトは蛮族の毒牙にかかってしまった。わたしが彼から剣を奪っていなければ蛮族の首を絞めるのではなく、剣を使って殺すことができたのに。なのに剣はわたしが持っていて、鉄格子からは一番遠い場所に逃げてとても届く距離ではなかったのだ。だからアイオライトはわたしを助けるために自分の腕を使って、もがく蛮族の爪に肌を引き裂かれてしまった。


 「誰か、誰か呼んできます!」

 「ハルカ様。」


 魔法があればなんとかなるのだ。飛び出して行こうとするわたしをアイオライトが引き止める。無事だけど鎖で繋がれた左手でわたしの手首を取って、もといた所に引き戻すと膝を付かせた。


 「間に合いません。処置の仕方は分かっています。」

 「だけどっ!」


 わたしだって知ってる、腕を切り落とすのだ。だけど切り落とす前に魔法使いに処置して貰えばそれで済むのも確か。なのにアイオライトは間に合わないとゆっくり首を振った。


 「ここは都外れの廃墟です。近くに人の住いはなく、ハルカ様では迷ってしまわれます。どうかこの場に留まり下さい。」

 「でもこのままで良いわけがない!」

 「私の体にはハイアンシス王子の魔力が込められています。恐らくハルカ様にも。その魔力が立ち消える前に見つけてもらえるでしょう。どの道処置しなければ間に合わないのです。ならその間、私はハルカ様を独占したい。例え短い時間であっても貴女様と二人でいたいのです。どうか私の我儘をお聞き届け下さいませんか?」

 

 わたしから手を離したアイオライトが首を垂れる。頼むって、どうしてそんなこと。腕を切り離すのだ、どれ程の痛みを伴うかなんて想像できない。


 「お願いですハルカ様。どちらであっても処置しなければならないのなら、多少苦しみが長引いても喜びに等しい。」

 

 わたしはどうしたらいいのか解らずその場に崩れる様にして蹲ってしまった。

 

 



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