その19(遥)
宿泊の為に与えられた部屋は王子様と同室だった。七つも年下だけど、高校生と同じだと思うとちょっと動揺してしまう。だけど与えてもらった部屋には居間から続く寝室が二つもあって、一つは主寝室、もう一つは連れてきた侍女や護衛が使う小さな寝室だ。
わたしと王子様がそういう関係と思われているのだから仕方ないけど、いくら寝台が大きくても一緒に寝る選択はなかった。お互いにそんな気持ちが微塵もなくても常識的に嫌だ。サードが異常がないかと部屋を確認するのをついて歩きながら一人で考えていると、王子様とサードの中ではさっさと部屋割りが出来上がっていた。わたしが大きな寝台のある主寝室、小さな寝室を王子様が使って、護衛の役目があるサードは居間の長椅子で仮眠をとる程度。お屋敷の様子を探ったりするのでゆっくり休むつもりはないという。役立たずで三人の中で一番体が小さいわたしが長椅子の方がいいように思ったけど、騎士であるサードがわたしを長椅子に眠らせて自分が寝台という選択をしないだろうことは易々と想像できた。
「何かありそうなら私と同室にするつもりだったが問題なさそうだな。だが用心に越したことはない。窓からの侵入に対応できるよう、扉の鍵は掛けるな。」
王子様がお城を追われているとはいえ、何らかの問題が起きたら公爵家の威信に関わる大問題に発展する。都落ちした王子様でも現在の所、王様にもしものことがあったら血筋と魔法使いとしての能力から王子様がオブシディアンを治めていくことになるのだ。そんな立場の王子様に何かあったら公爵は罪に問われるだろう。同時に王子様に付随しているわたしと、現在は王様付きの騎士になっているサードにしてもだ。だから襲われるようなことはないけど、王子様曰く王女様は、自分の願望が最優先で狡猾に動くから安心できないらしい。優しそうで穏やかそうな王女様だったけど、アイオライトのことが優先なので王子様の言う通りにするのが一番だ。慣れない世界で無暗に自分の感じたものや考えを押し付けるようなことはしない。
夕食は仕事から戻って来た公爵も交えてわたしと王子様が同じ席に付いた。アイオライトとヘリオドール、そしてサードはいない。マナーを知らないのでとても緊張したけど、隣に座っている王子様や斜め前の王女様を参考にして無事に食べ終えた。
食事中は王子様と公爵が主に話をしていた。どうやら国のどこそこで何があったとかの話だったので、わたしには関係がなく粗相のないよう手元に集中していたけど、食事を食べ終えてふいに公爵がわたしに話を振る。
「所でハルカ殿。アイオライトは陛下が貴女に与えられたと伺いましたが、あのように美しすぎる者はお気に召しませんでしたか?」
「えっと……」
まさかアイオライトについて問われるとは思っていなかただけに返事に戸惑う。どうしようかと隣の王子様を窺うと小さく頷いた。好きに答えていいという意味だろう。次に斜め前の王女様に視線を向けると、口元に微笑みを浮かべたまま瞼を伏せている。
「気に入るも何も、彼は護衛として仕事をして下さっていただけですので。とても感謝しています。」
「護衛ですか。貴女には美しい騎士が数多く与えられたと聞きましたが、その誰もが心を射止めるには至らなかったということですね。それほどハイアンシス王子をお慕いしているということでしょうか。」
公爵家を訪問した理由が懐妊祝いで、わたしは王子様の良い人ということになっているのを思い出す。これを公爵の前で完全否定したらどうなるのか。そもそも公爵はどうしてこんな質問をするのだろう。クリソプレーズが呼び戻されて、彼の子供を次の王様にとの話が持ち上がっているのもあるけど、今現在クリソプレーズの子供がいる訳じゃない。もしかして王女様が妊娠している子供が男の子だったら次の王様の可能性もあるのか。だとしたら公爵はわたしが王子様の子供を産んで、その子が次の王様になる可能性を心配してこんな話を始めたのかもしれないと慣れない考えを巡らせる。
継承問題なんてわたしには関係ないと思っていたのに面倒だ、答えに困ってしまう。もしくはわたしがアイオライトに靡かなかったせいで、妻の元婚約者が屋敷に入り込むことになったと腹を立てているのか。
「王子様は今のわたしにとってなくてはならない人です。だけど王子様の地位に縋りたいとかではなく、そういうものに興味はありません。」
黒髪と瞳の色は他の魔法使いでどうにかなるにしても、王子様がいなければこの世界の水準で生活していくのは難しい。だけど権力者の隣に立ちたいとか思っていない、野心なんてないと口にしても信じてもらえるかどうか。そもそも公爵が何を言いたいのか分からないのだから、それなりに問題のないように返事をするしかない。
妻の側にいるアイオライトが邪魔だというなら遠慮なく連れて帰るけど、アイオライトの気持ちがどうなのか解らなかった。たとえ人妻になっていても王女様の側にいたいと思っているかもしれないのだ。サードがいうようにわたしを影で支えようと思ってくれた気持ちが、婚約者を失ってここに居たくないからそうしたのか、他に理由があるのかどうかすら分からない。だけど現実にアイオライトが操られているのは確かだった。王女様と元婚約者という関係がどうであれ、まずはアイオライトにかけられている魔法を解かないと前に進まないだろう。わたしはアイオライトに自分自身の人生を歩いて欲しいと願って突き放したのであって、好き勝手に心を操られて苦しい思いをさせるためじゃない。
「公爵。」
返事に迷っていると王子様が手にしたグラスを置く。乱暴ではないのにその音がわたしたちを王子様に引きつけた。
「あれが邪魔なら貰って帰っても良いのだが?」
深い海の底を思わせる王子様の瞳が絶対的な力を持って公爵を捕らえていた。三十程の年齢である公爵とたかが十六の王子様。しかも王子様は王様の怒りを買って都落ちしているような状態だ。なのにその視線は絶対的な権力者の力を秘めていて、わたしを相手に余裕を持っていた公爵が途端に慌て出す。
「いえ、私はただハルカ殿とアイオライトがどのような関係であったのかと興味が湧いた程度で。」
「相応の地位が望めたであろうに望まず、辺境へ追って来ようとする程度の関係だったのだろうな。」
わたしが東の果てに居を構えた後、護衛として集められていた騎士たちは望む場所へと配属された。サードは王様の側、その他の人たちも元の職場に戻るか王族の側に侍る勤務を希望している。なのにアイオライトが希望したのは左遷ともいえるような辺境の地なのだ。縁のある土地でなければ誰も選んだりしない場所。
「私にすら盾突いていた様子からするとハルカへの強い執着を感じるが、いつの間にやらここで世話になっているとは驚きだ。向こうへ来るなら陛下の望み通りアイオライトがハルカを射止め、私と引き離せる良い機会でもあった。ハルカが私から離れるのは公爵にとっても好都合であろうに、何故に公爵はあれを手元に置いたのか。私の方が詳しい理由を知りたいのだが。」
「それは、その……」
王女様が男子を産み落とした場合、その子供が王位につく可能性を指摘され公爵が言い淀む。王子様は平民女との結婚を反対されてお城を追い出されているのだ。アイオライトがわたしを追って東の果てに来ようとしているのを止めるのは、王子様とわたしの結婚に反対だった王様の考えにも沿わないということになる。
本当の事情は違っていても出回っている噂は、平民女に現を抜かしてしまった王子様が、未来の王としての地位が危うくなっているということ。アイオライトがわたしを誑かすことに成功したら、わたしが王子様の子供を産まない可能性は大きくなる。王になるには血筋も大切だけど、何よりも重要なのは魔力なので、生まれたから次の王様になるとは限らないのだけど。
どうして公爵はアイオライトを手元に引き寄せたのだろう。アイオライトをわたしに寄こさないのは権力を掴む機会を不意にしていると同じだ。王女様のことが心から好きで権力に興味がないというなら少しは分かるけど、それでも元婚約者を王女様のすぐ側に侍らせている状態が理解できない。だって夫が妻に元カレと一緒にいることを容認しているのと同じなのだ。異世界は男女間の問題も特別な何かがあるのかも知れないけど、わたしの常識からしたら絶対に有り得ない。
「陛下も父親です、娘を思いそうしたのでしょう。私は王女を妻に出来たことだけでも幸運であったと、後は陛下の御心に従うまでですので。」
「それはどうであろうな。」
王子様の思わせぶりな言葉と視線に捕らわれた公爵が額に汗している。王様はわたしがこの世界を大切に想うようにするためなら、妻や子供がいても関係なしに何でもするような人だ。話し方や接し方は優しかったけど、あくまでも最高権力者で妻子がいるサードだって盾突けなかった。
しかも娘のためを思うなら、元婚約者を側に侍らせるより公爵と離婚させてやるのではないのか。そもそも意に沿わない結婚なんてさせない。好きでもない人と結婚するのも王族としても務めと言われたら仕方ないけど、王様の愛情をいっぱいに受ける王女様ならその位の我儘きいてくれてもよさそうなものだ。
政略結婚で気持ちが伴っていないとしても、公爵と王女様が不仲には見えない。王女様の心内はどうなのだろうと様子を窺っていると、王女様が伏せていた視線を上げて公爵に微笑んだ。
「旦那様、もうおやめになって。」
余裕の王子様と額に汗する公爵の間に口を挿んだのは王女様だ。すっと冷たくなった王子様の視線が王女様に向いたけど、王女様は難なく受け止めて微笑みを崩さない。
「彼女はハイアンシスを選んだのよ、それでいいではないの。それにハイアンシス、お前は何か勘違いをしているようだけど、アイオライトは陛下がわたくしに戻して下さっただけよ。それを旦那様が少しばかり嫉妬しているだけで、そちらに押し付けるつもりなんてほんの少しもないわ。」
王様の命令と言われればそれまで。だけどわたしが時期外れの召喚をされた事実がある以上、王女様と公爵の言葉はとても信じられないものになる。だって王様はわたしと王子様が恋仲ではないと知っているのだから。被害者と加害者の関係でしかなく、わたしが王子様に恨みを抱いているというのをちゃんと分かっている。帰す方法がないと最初に教えてくれたのも王様だ。だから王子様を側に置き続けて醜い心を増長させるより、見目麗しい騎士に癒され絆されるのを王様は望むだろう。
「旦那様もお約束したではありませんか、旦那様の子を宿せば何でも願いを叶えて下さると。まさか公爵ともあろうものが約束を反故になさるのかしら?」
ふふっと笑った王女様はとても美しかった。だけど意味有り気な言葉がどうしても引っかかる。何が引っかかるのかと考えていると王子様が席を立ち、わたしも慌てて立って後に続く。
「あの、ごちそうさまでした。失礼します。」
客人あつかいで身分も王子様の方が上だ。だけど王子様が何も言わないで席を外すのでとても焦った。最低限のお礼を言って王子様を追うと外にはサードがいて王子様に従って歩き出した。速足の王子様に追いつくために客室に向いながら王子様の袖を引く。
「公爵様はアイオライトさんをどうしたいのかな?」
もう少し強く出たら連れ出すことができるかも知れない。アイオライトの気持ちは分からないけど、操られて喜んでいるわけはないのだ。王女様が口を挿んで話が途切れたけど、王子様がもう少し強く出たらアイオライトをこの屋敷から連れ出せたかもしれないのに。そうして精神束縛の魔法を解いて、アイオライトに今後どうするのか決めてもらえばいいのだ。せっかくの機会だったのにと不満に思っていると、王子様は歩みを止めずに横目でわたしを見下ろした。
「公爵自身は置いておきたくないようだが、渡すわけにもいかないようだ。陛下が許したのは腑に落ちぬ。何か弱みでも握られたか……」
「弱みって公爵様が王様の?」
王様を脅して妻の元婚約者を囲うなんてやっぱり理解できない。やっぱりこの世界の人は特別な趣味趣向があるのだろうか。
「解らなかったか、公爵を支配しているのは姉だ。アイオライトとの関係を探ったのも姉の差し金だろう。其方に訊ねる辺り、姉はアイオライトと其方の関係が何なのか余程知りたいらしい。自由を奪っておきながら思い通りにならない状態に腹を立てていると見える。」
愉快そうに笑う王子様に性格の悪さを感じた。王子様によると王女様も同じような感じらしいが、とてもそんな風には見えない。時々おやっと感じるものはあるけど、王女様の複雑な心境を思えばそれもおかしなことではないだろう。王子様の言葉が全て事実なら、わたしは人を見る目がなくて騙されやすいと証明されてしまうな。気を付けようと自分自身にこっそり心で言い聞かせる。
その日の夜、辺りが寝静まってからわたし達はそっと部屋を抜け出した。