その16(遥)
扉を叩く来訪の音にまた王子様に告白するために若い女の子がやってきたと思い込んで、確認もせず開いた扉の先には薄紅色の珍しい瞳を持ったサードが立っていた。思わぬ人の訪れに驚きと懐かしさがこみ上げる。
「お久しぶりですハルカ様。私のことを覚えていらっしゃいますでしょうか?」
「もちろんですよ、久し振りですね。奥様とお子さんはお元気ですか?」
「え、ええ、はい。お陰様で子も健やかに育っております。」
「それは良かった。でも驚いた、遠いのにわざわざ来てくれたのね。どうぞ中に入って下さい。」
さあさあどうぞと、ご機嫌で家の中に誘うわたしの様子にサードはあきらかな戸惑いを見せる。それもそうだろう、お城にいる時のわたしは無愛想で全く友好的でなく笑うこともしなかったのだ。しかも妻と子供がいたサードは早々にわたしの前から姿を消していたので、ごく稀に笑っていたとしても窺い知る機会がなかっただろう。サードと顔を会わせるのはお城の外で再会して以来のような気がする。
クリソプレーズの知り合いである隊長さんから聞いて、怪我をした王子様の様子を確認しに来たのだろうか。王子様が怪我をしてから半月が過ぎてすっかり良くなった。あれ以来わたしを帰す魔法の研究は中止してもらっている。戸惑うサードを招き入れると王子様も二階から降りてくる。王子様はサードの姿を認めると誰だという顔をしていたけど、騎士服を見て予想がついたのか何も言わずに目を細めてただ睨み付けていた。
「王子様、遠くから来てくれたのにそんな顔をしないで。失礼でしょう?」
「ハルカ様、失礼なのは突然訪問した私でありますから。」
「サードさん、この世界はいつも突然じゃないの。どうぞ座ってください。」
電話もないのに今から行きますと連絡する方法はないのだ。高貴な方々がどこかに訪問する際には相応のもてなしを求めるので前もって手紙で知らせたりするらしいけど、その手紙を持ってくる人だって突然の訪問になる。確かに急で驚いたけどサードが連絡もなく訪問するのはこの世界ではごく当たり前なのだ。
座って下さいと粗末な椅子を引いたらサードは額に汗して慌てていた。ああそうか、この世界でわたしは機嫌を取らなければならない王様よりも重要な人物だった。最近は普通の生活をしていたのですっかり忘れていた事柄を思い出す。
「サードさん、わたしってここではモテモテの綺麗な弟を持った、ちょっと容姿の劣る可哀想な女なんです。お城にいた時とは違うのでどうぞ遠慮なくお願いします。」
「そのような事が許されるはずがありません。ハルカ様は異世界より召喚された大切なお方なのですよ?!」
「サードさん、召喚の話は暫く忘れることにしているんです。話題にしたら王子様と喧嘩になりそうなので止めて下さいね。」
王子様はわたしを帰す研究を禁じられて不服なのだ。隙を見て本を読んだりしているのは見逃しても、実験しようとするのだけは許さない。王子様は研究熱心で隠れてやらかしそうなので気が抜けないのだ。帰るのはあきらめていないけど、傷だらけの王子様を思い出すと今はまだ思いきれなかった。
「ほら座って、王子様も。サードさんも遠くからお疲れでしょう、すぐにお茶入れますから。」
台所でお茶を入れて居間に戻ってくると、王子様は木製の長椅子に座って偉そうに足と腕を組み、サードは壁際に直立不動で立っている。王族とお仕えする騎士様、変わらない構図がなんだか可笑しかった。
「座ってください。」
椅子を勧めると困ったようにしながらもようやく腰を下ろしてくれる。身分社会って厄介だな、これがアイオライトだったら絶対に座ってくれないような気がしてしまった。
「王子様の様子を見に来たんですか?」
町の騎士団を訪ね礼を述べた時にはクリソプレーズの知り合いだという隊長もいて、状況を報告すると聞いていた。王子様は怪我の翌日にはほとんどよくなって魔力回復の為に眠り続けるという現象も起きなかったし、まさかこうして確認に騎士がやって来るとは思っていなかった。王子様は問題を起こして王様の不興を買い島流しだか左遷だかされたことになっているのだけど、腐っても王族なのだろう。座ることすら恐縮するサードを前にして身分社会を痛感すると同時に、王子様が無事で本当に良かったと安堵してしまう。
「王子とハルカ様のご様子を窺うのが役目ですが、本来ならこうしてお訪ねする予定はなかったのです。」
「隠れてこっそりってことね。べつに姿をみせても追い返したりしませんよ。サードさん達には色々お世話になったのは事実だし、お城にいた時は失礼な態度ばかりで申し訳なかったと反省しているんです。」
「そのようなことは御座いません。ハルカ様のご想像通りだった我々が一番悪いのですから。」
彼らもわたしを誑かすことに罪悪感を感じていたのだろう。一度視線を落としたサードだったが、薄紅色の瞳を揺らして再び顔を上げると真っ直ぐにわたしを見据えた。
「本来ならこのようなことを申し上げる立場にないのは重々承知しています。ですが、どうしてもハルカ様にお願いしたい件があり、顔を会わせることは許されていないのに訪問させて頂きました。」
顔つきも改め雰囲気を変えてしまった様子に身構える。何か嫌なことが起こりそうな予感がした。城に連れ戻されるのか、はたまたわたしを取り込むために新たな策が練られたのか。王子様も何かを感じたようで、長椅子に座ったまま視線をサードに固定してじっと睨みつけている。
「お願いって……嫌なことですか?」
サードがもの凄く苦しそうにしているのも気になる。訝しみながら問うとサードは再び視線をとした。
「ハイアンシス王子をお戻し頂けないかと。」
「私は戻らぬぞ。」
即答したのは王子様だった。お城では嫌われ者でとんでもない失敗をしでかした王子様だ。お城にいるのが苦痛でこちらの方が楽そうなのは解っていたけど、傅かれるのに慣れた王子様がお城に戻るのを即答で拒絶したのに少しばかり驚かされる。王子様にとってわたしの側というのは居心地が悪いのではと思っていただけに、まぁお城よりはましという程度でもなんだか嬉しくなるのは妙な感じだ。
「それって王様の命令ですか。それともクリソプレーズさん?」
「私のです。私個人が、ハルカ様にお願いをしております。」
「サードさんが王子様をなんて。いったいどうして?」
お城から王子様を頂戴して連れ出したのはわたしだ。なので王子様をお城に戻す許可をわたしに取るのはわかるけど、王様でもクリソプレーズでもなく、サードさん自身が王子様を必要としているのはいったい何故なのか。
「これは誰にも話しておりません。私個人で考え、この地を訪れるというクリソプレーズ殿下を罠に嵌めて役目を頂戴しました、私めの独断であります。」
「クリソプレーズさんを罠に嵌めたってどういうこと?」
「ハイアンシス王子が怪我をしたと連絡を受け、クリソプレーズ殿下はご自身がこの地へ参り様子を窺うと申しておりました。が、実際には見合いが面倒でそのまま出奔し各地を見回るつもりでいたのです。それを陛下のお耳に入れ動きを封じさせて頂き、私がお役目を頂戴したのです。」
「クリソプレーズさんってそんなに結婚するのを嫌がってるんですか?」
「役目と解っているようですが、何しろあの方の見た目を気にされる女性が多く……」
言いよどんだサードに成程なとわたしも納得する。アイオライトはわたしが傷跡だらけのクリソプレーズに関わることを嫌っていた。この世界の女性からしたらあの見た目は嫌なものなのだろう。王子様の尻拭いをすると決めていても、嫌な視線ばかり向けられていると気分はよくないだろうな。だからお見合いから逃げる口実を得てお城から退散しようとしたのか。
王位継承問題とかについてわたしは考えないようにしているからそれは置いておくことにする。サードはどうして王子様をお城に戻したいのだろうか。
「どうして王子様を?」
「これは本当に私の勘で、個人的な願いなのです。只の騎士である身でけして許されないと解っているのですが、どうしても捨て置けず、重い処罰を覚悟で参りました。」
「処罰って、そんな覚悟までして王子様を戻したい理由って何ですか?」
「それは―――」
サードは粗末な木のテーブルに置かれた湯気の出るお茶をじっと見つめたまま動かなくなる。けれどそう間を置かずに息を吐き出すと顔を上げて薄紅色の瞳を真っ直ぐに向けてきた。
「アイオライトが精神束縛の魔法を受けている可能性が。正式な見立てがあってのことではなく私一人がそう感じているだけですが、もしそうならとても危険なのです。私はどうしても彼を救いたい。ですが見立てができ、尚且つ解ける魔法使いとなればハイアンシス王子しか思い当たりません。私がそのような立場にないことも、王子が手を貸して下さらないことも承知しております。だからこそ、卑怯にもハルカ様に願いにまいったのです。ハルカ様の情に訴え、ハルカ様が命じれば王子は動かれる。それを見越して狡猾にも事を起こしました。」
一気に言葉にしたサードは立ち上がるとわたしが座る場所まで回り込んで膝を付き両手を胸に当てた。肩の震えが彼の必死さを伝えてきて、わたしは喉のつかえを覚えて口元を抑える。
「あの……精神束縛の魔法って。」
そんなものが、言葉通りのものがこの世界に既に存在するのか。問うように王子様を見たら、わたしの意を察して説明してくれる。
「術者の思うように人を操る魔法だ。精神と肉体を操り好き勝手に動かすが、強制させられるせいでかなりの苦痛を伴うらしい。本来は拷問に使用される魔法だ。長く続けば自我を失い、魔法を解いても廃人同然となる。」
「そんな魔法が―――」
あるのか。精神を操って身勝手に出来る魔法がある。けれどそれは苦痛を伴うからわたしには使われなかった。恐れていたけど、初めから使われる選択肢なんてなくて、わたしはない物に怯えていたのか。途端に恥ずかしくなると同時に、そんなものをアイオライトがどうしてかけられるに至ったのだろうと疑問が浮かぶ。
「術者は誰だ?」
「恐らく公爵夫人、グロッシューラ様の魔法使いではないかと。」
「ならばお前の勘違いだ。グロッシューラならアイオライト自ら望んで戻ったのであろう。」
「勘違い?」
本当に勘違いなのかと不安になるわたしにそうだと王子様が頷いた。
「グロッシューラは私の姉だ。アイオライトが其方に与えられる前、二人は婚約していたのだからな。アイオライトは常に姉に沿い、従っていた。束縛の魔法をかけられていると勘違いされても仕方がない。」
「しかし―――っ!」
更に訴えようとしたサードの声を王子様が視線ひとつで封じた。こういう所は王子様なんだなと感心しながらサードの手を引いて立たせる。膝を付いたまま話をされるのは慣れないのだ。
「それって二人はもとに戻れたと安心していいのかな?」
わたし達がここに来る前に王女様は公爵家に嫁いだのだと王子様が言ったのだ。すでに王女様は人妻で、そんな場所に戻ってアイオライトは幸せなのだろうか。夫ある人の側でも戻りたかったのだろうか、それとも離婚してアイオライトと王女様は幸せになるのだろうか。想像して心の内側がつきりと痛んだのと同時に、彼がわたしに向けていた甘言はやっぱり嘘だったのだなと落ち込んでしまう。
「恐れながらお尋ねいたします。ハルカ様はアイオライトを好ましく思っておられたのではないのですか?」
「そのようなことはない。ハルカはあれを苦手に感じていたのだ。」
わたしの代わりに王子様が答えた。確かにそうだ、わたしは綺麗すぎるアイオライトが苦手だった。美しすぎる彼に甘い言葉を吐かれても、優しくされても全部が偽りで、何か別の目的があるのだとしか思えなかったから。
「王子様の言う通りです、アイオライトさんが幸せならそれでいいんですよ?」
「ですがアイオライトは……ハルカ様の側で影ながら支えたいと、新たな配属先にこちらの町を選んで出立する直前だったのです。それがどういう訳か再びグロッシューラ様の傍らに侍り、輝きを失った目を正面に向け、こちらから話しかけても一瞥するだけ。ハルカ様のお心がアイオライトに向いていなくとも、アイオライトの心がハルカ様に向かっていたのを私は知っています。だからあれは、精神束縛の魔法だと……」
その可能性に気付いたのはサードだけで、もし事実なら違法な魔法でもあり問題になる。サードは迷いながらもそれが本当に束縛の魔法なのかを確かめるために、その力のある王子様に確認をして欲しいと、職を辞されるのを覚悟でやって来たと訴えた。もし束縛の魔法がかかっていなければ王女の身分にあった人に疑いをかけたことになる。その時には職を失うだけでは済まないかも知れないが、もしそうなら放っておけないとサードは苦しそうに眉を寄せる。
「サードさんには家族があるでしょう?」
疑いをかけて間違っていたら家族が路頭に迷うことにもなりかねない。身分制度のある世界で権力者に盾突くことでどのような結果を招くのか、それはわたしが生きた世界の歴史の中でも語られる現実だ。
「もし私がハルカ様のお心を射止めることに成功していたなら、私の家族はアイオライトが受け入れ守ると決められていました。そうはなりませんでしたが、妻と子を預けることになるかも知れなかった男です。アイオライトの異変に気付いてより、妻と子に触れる度に放っておいてよいのかと自問自答し続けました。見知らぬ振りをすれば良いと自分に幾度となく言い聞かせましたが、もしアイオライトが私の妻と子を抱えることになったら見捨てたかどうかを考えると―――アイオライトならたとえ心が伴わなくとも間違いなく職務を全うし、妻と子を幸せに導いたでしょう。そう思うと見ぬ振りは出来ないのです。」
仮定の話だけど、もしわたしがサードと恋仲になって、過去の召喚された女の子のように知らないままだったとしたら。サードの妻と子はアイオライトが誑かして家族となり、生涯に渡り面倒を見ることになったのか。サードの言うようにアイオライトなら職務を全うするだろう。そんなアイオライトをサードは裏切れず、放っておけなかったのだ。誠実な人だなと、苦しそうな薄紅色の瞳をみて思う。
精神を操る、わたしがずっと恐れていた魔法。それをアイオライトがかけられているかもしれない。しかもただ操るだけではなく、拷問と同じで苦しみを伴い、そのままかけ続けられると廃人同然になってしまうなんて。
王子様は違うという。でもサードは可能性から目を背けられなくて、罰を覚悟でやって来た。過去の身勝手で傍若無人な王子様を知っているからただ願うだけじゃ動かないと解っていて、だからわたしに王子様を動かして欲しいと訴えているのだ。こういうのってちょっと狡いよなと思う。
「わたしが断れないと見越してきたんですよね。」
「―――申し訳ありません。」
「騎士様ってすごいのね、いつ気付いたんですか?」
「うちの子は癇が強く人見知りも激しい。ですが初対面のハルカ様の手に触れしっかりと握ると穏やかに見つめていました。子供は正直です。そしてハルカ様があの時に我が子に見せて下さった笑顔も。思惑があって近付いた私達ではなく、子供に向けた笑顔こそがハルカ様の本質と知り縋りに参りました。」
勝手をしたサードはわたしが断れば罰を受ける。自分の為じゃなく人の為の行動で処罰されるなんて知ったら確かに断り切れないのだ。そして指摘されても違うとは言わずに正直に答えて自分が狡いのだと認めているのだ。ここで嘘をついたら失敗するというのも解っているのだろう。大して関わっていないのによく見ているなと本当に感心する。
瞼を伏せるサードを鑑賞する様にじっくりと眺めた後でわたしは深い溜息を落とした。彼の予想通りわたしは断れない。
「王子様、お姉さんに会いたくない?」
「私と姉は気質が合わぬ故に険悪だ、機嫌伺いなど誰が望むか。だが其方が望むなら行かぬ選択肢はないな。」
それは行くと言っているのか、それともわたしが怖くてなのか。どちらにしてもふてくされている様子の王子様なんて珍しかった。