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偽りの住人  作者: momo
14/46

その14(遥)



 どうする、どうしたらいい?!


 傷だらけの王子様を前に混乱して鼓動が早鐘を打つ。一気に血の気が引いて視界が揺れ息苦しさを覚えたけど、これまでのように優しく背を撫でて、安心させるように声をかけてくれるアイオライトは側にいない。


 誰も助けてくれる人はいないのだ。アイオライトの声を思い出しながらゆっくりと、本当にゆっくりと息を整え心を落ち着かせる。魔法の光で明々とした室内では、たった今までわたしが横になっていた寝台にうつ伏せで転がる王子様の姿。


 突然空中から降ってきた王子様の衣服は裂けて血だらけだ。恐々と触れて様子を見るために引っ繰り返すと、意識は完全にないのに口からは真っ赤な血がぽこりと溢れ出した。


 「どっ、どうしたらっ……」


 どうしたらいいのかまるで解らない。瞬間移動できるなんて知らなかったけど、部屋にいるとばかり思っていた王子様はどこかに出かけていて誰かに傷つけられてしまったのだろうか。


 保育士として応急処置の仕方は知っているけど、こんな状況に出会ったことがなくて体が震えた。だけど誰も助けてくれる人がいないのだから、わたしがしっかりするしかない。


 「王子様、ねぇ王子様起きて!」


 病気は難しくても怪我ならたとえ手足を失っても繋げるという言葉を思い出して、王子様自身になんとかしてもらおうと揺すっても目を覚ます気配がなく途方に暮れる。


 「止血。そう、止血しなきゃ。」


 浅くなる呼吸を整えながら階段を下りて救急箱を持ってくる。階段で躓いて転びながら往復して、傷の具合を見ながら衣服を脱がして行った。


 「よかった、そんなに深い傷はない。でも体の中はどうなの?」


 首の後ろに大きな傷があったが強く抑えると血はすぐに止まってくれ他は浅かった。気になるのは吐血したことだ。医者ではないので分からない。知識もなくてこれ以上はどうしようもなく、意識を失ったままの王子様を前にして死なせる恐怖で身が竦んだ。


 「死なないでよ、約束だからね。」


 意識のない王子様に布団をかけると、わたしは血の滲む寝巻のまま家を飛び出した。真っ暗な世界に月明りもなく、飛び出してすぐに家に戻ってランプに魔法の光を入れると再び外に出る。町まで行けば魔法使いがいるはずだ。夜でも騎士団の駐在所には誰かいる筈なのでとにかく必死で走った。


 何かあった時は騎士団を頼るように言われていた。町に置かれた駐在所の責任者はクリソプレーズの知り合いらしく、何かあれば連絡するようにと教えられたのだ。たどり着いた駐在所に責任者はいなかったけど、怪我人がでたので魔法使いを頼りたいと言えば夜勤の騎士がすぐに対応してくれた。


 「すぐに魔法使いを連れて向かいます。」

 「家は―――」

 「大丈夫ですよ、ちゃんと知っていますから。」


 道を尋ねるくらいしか騎士団を頼ったことはない。家の場所を教えようとしたら知っているからと安心させるように微笑まれた。


 「知っているって……どうして?」

 「隊長より王弟殿下の大切な方々と窺っています。」


 素性を完全に明かしている訳じゃないらしい。クリソプレーズは高貴な身分なのに蛮族との戦いに明け暮れていたせいか世間一般に知られていて、その恩恵にわたし達も預かれるようだ。大切な人と聞かされているだけで詳しくは知らないのだろう。もし知っていたら王子様が世界一の魔法使いだと解っているので、どうして魔法使いが必要なのか聞かれたはずだ。


 魔法使いを呼びに行ってくれた騎士を信じて先に戻ろうとすると、他の騎士が馬で送ってくれるという。迷いなくお願いして乗せてくれた騎士にしがみ付いた。


 慣れない馬の背に跨り、前に騎乗する騎士に縋りついて夜の闇を駆ける。灯りがあっても暗いのであまり速く走れないけど、自分の足で駆けるよりかなり早く戻ることができた。馬から降ろしてもらって家の中に駆け入ると恐ろしいことに、血を流した王子様がわたしを出迎える。


 「ひっ!」


 驚き過ぎて思わず悲鳴を漏らしてしまった。

 

 全身傷だらけで、破れた服を着て真っ青な顔をした王子様が薄暗い中にぽつんと立っているのだ。口元には吐血の跡が残っていて幽霊かと思ってしまった。


 「お、おう……」

 「ハルカ?」


 驚き過ぎて声が出ない。わたしを馬に乗せて送ってくれた騎士も唖然としていた。その騎士に王子様の視線が向けられる。


 「お前が彼女を連れ出したのか?」

 

 いつもの王子様ではない。とても冷たい責めるような声色に驚いて、同時に危険を感じて王子様の前に立ち塞がって手首を掴んだら怖いくらいに熱かった。


 「あなたが怪我をして、傷だらけでわたしの上に落ちてきたの。血も吐いて、呼んでも揺すっても目を覚まさないから魔法使いを呼びに町まで行ってきたのよ。この騎士はわたしを送ってくれて、もうすぐ魔法使いも来てくれるはずだわ。」


 何か勘違いしている様子の王子様に説明すると、瞳を揺らして瞼を落とした王子様がまるで糸が切れた人形のように倒れ込んだ。支えきれずに一緒に倒れそうになったところを後ろにいた騎士が支えて助けてくれる。王子様は完全に意識を失っていて、それなのにもう一度口から血を吐いてしまった。


 「大丈夫ですよ、すぐに魔法使いが来ますから。」


 血なんて転んで怪我をした膝小僧から出るのを見るのがせいぜいだ。混乱するわたしに落ち着いた騎士の声がかけられ、驚いて何もできないままじゃないけないと自分自身を心の中で叱咤する。


 「すみません、ありがとうございます。」

 「とにかく運びましょう。寝室は二階ですか?」

 「え、ああ。二階です。お願いします。」


 意識を失くした王子様を騎士が肩に担いで運んでくれた。王子様の部屋は召喚に関わる本や資料が山のようにあるのでわたしの部屋だ。わたしと王子様の部屋の間にもう一つ部屋があるけど、普段使っていないのですぐに横になれる準備はされていない。


 血が付いたままの寝台に寝かされた王子様はぴくりとも動かなかった。高熱を発しているのに汗はでていない。同じ人間かと思ったけどもしかしたら違うのだろうか。世界が違うけど、過去に召喚された人とこちらの世界の人との間に子供も生まれているので、魔法があっても根本的には同じ人間だと思っていたのに。


 外に出て井戸から冷たい水を汲みあげる。とにかく熱を冷やそうと首やわきの下に濡らして絞った布を当てていると魔法使いが到着した。


 皺だらけで髪の毛が一本もない、かなり高齢の魔法使いに不安を覚える。けれど頼れるのは彼だけと思い王子様に一番近い場所を明け渡すと、魔法使いは明るい部屋の中の様子を窺ってから王子様の診察を始める。


 「傷だらけだが賊にでも襲われたのかね?」

 「それがよく解らないんです。寝ていたら傷だらけで戻って来てそのまま意識がなくなって……」

 「意識がないのは魔力の枯渇が原因だよ。それと発熱も。冷やしても意味がないからこれは外しておこうかね。」


 熱を冷ますために当てた布を魔法使いが外してよこす。魔力が枯渇っていったい何をしたのかと思っていると、魔法使いが一つずつ丁寧に王子様についた傷を癒して行った。


 「血も吐いたんです、わたしが見ただけで二度も。」


 魔法使いが診察をすることろも初めて見るのだ。余計な口出しはしない方がいいのかも知れないけど、症状などをまったく聞かれないのでつい口を出してしまう。すると魔法使いは皺だらけの顔をさらに皺だらけにしてにっこりと笑った。


 「胃に穴が開いているのでそこからの出血だね。」

 「胃から……」


 胃潰瘍という単語が脳裏に浮かび上がった。わたしが嫌味ばかり言っていたからなのか、それともわたしを帰すために必死になって調べていたせいなのか。どちらにしても神経をすり減らしていたのは間違いない。


 「この少年は儂よりずっと優れた魔法使いのようだ。目が覚めれば魔力も戻り、また魔力が無くなれば眠りに就くだろうけど心配ないよ。若いから魔力の戻りも早いだろうし、儂に出来る治療はここまでだね。」

 「ここまでって、胃の穴はどうなったんですか?」

 「ある程度は塞いだよ。後は眠っていても自己治癒力でもどるだろうし、目を覚ましたら彼が自分で治療するかもしれないね。お嬢さん、魔法使いはそう簡単に死なないから安心なさい。それこそ彼のように強い魔法使いは自己再生能力が強い。酷い怪我で苦しんでも簡単には死なないよ。」

 「魔法を使い過ぎると治せなくなるんじゃないんですか?」

 「他人の力ではね。だがこれ程強い魔法使いなら心配するような問題じゃないね。」


 ちゃんと理解できないけど大丈夫ならよかった。ほっとして寝台に突っ伏し王子様の足に手を置く。


 「さて、では儂はお暇するとしようか。魔法使いは力が強いものほど誇り高い。他の魔法使いに治療されていい顔をする魔法使いは滅多にいないからね。お嬢さんに感謝されているうちに退散しよう。」


 腰を上げた魔法使いに礼を言って玄関先まで見送る。二人の騎士もこのまま帰るそうで、改めてお礼に伺う旨を伝えて見送った。人一人が傷だらけになって夜中に迷惑をかけたのに、何一つ追及されずに済んだのはクリソプレーズのお陰なのだろうか。


 魔法というものをちゃんと理解できていないので、老齢の魔法使いが大丈夫だと言っても不安で仕方ない。王子様の体に残された血を拭うと見た目の傷は全て綺麗になくなっていた。体の中はある程度と言っていたので完全じゃないのだ。心配で心配でつきっきりで夜を明かす。つきっきりだけど何も出来なくて、死んだらどうしようと怖くてならなかった。


 夜が明けると王子様は目を覚ました。瞼が震えて深い海の底を思わせる瞳が覗いて視線が彷徨う。


 「王子様、わたしがわかる?」 

 「其方か……私は失敗したらしいな。」

 「失敗?」


 むくりと起き上がった王子様の布団が肌蹴て裸の上半身が曝された。慌てて用意していたシャツを肩にかけてやると、傅かれることに慣れた王子様は無造作に袖を通す。心配でたまらないわたしは合わせの釦も閉じてやった。


 「何故私はこの部屋にいるのだろう?」

 「王子様はわたしの部屋に突然現れたの。空中にぱっと現れて落ちてきたのよ。傷だらけで血を吐いたわ。町にいる魔法使いに来てもらって治療してもらったの。」

 「成程、そうか。妙に不快な感覚がすると思ったら他人の魔力が入ったからだな。」


 そのまま黙り込んだ王子様は何かを考えている様だ。視線を少し下に向けて眉間に皺を寄せている。自分自身を治療しているのかと思い黙って様子を窺っていると、宝石のように綺麗な瞳が不意にわたしを捕らえた。


 「其方の絵だ。」

 「絵って、昨日描いた?」


 そうだと頷いた王子様は起きているのが辛そうに息を吐き出した。横になるように促したけどこのままでいいと首を振る。


 「其方がいた世界を垣間見た気がした。あの絵があれば成功するように思ったのだが、体が引き裂かれる痛みを経験して其方に迷惑をかけて終わっただけのようだ。」


 よく意味がわからないけど、昨日わたしが描いた絵を欲しがったのはただ珍しかった訳ではなく、王子様なりに意味のあることだったらしい。

 

 「召喚者である私が其方を召喚した時、体を引き裂かれる感覚に襲われたが其方は無傷だった。異界という誰知れぬ世界より召喚して其方は無事であったのに、私はたったこれだけの距離を移動しただけでこの様だ。どうしても違いが分からないが、其方の絵を使えば出来るような気がしたのだが失敗だ。勿論あきらめるつもりはない。オブシディアンが起こす奇跡ではなく、現実に人が空間を移動できることだけは証明できた。すぐには無理だが必ず成功させる、だから落胆しないでくれ。」


 恐れのない、真っ直ぐな瞳を向けられて迷いなく告げられると何を言われているのか理解出来なくなる。


 「落胆って……」


 人が瞬間的に異動する魔法はなかったらしい。けど王子様は可能にした。その結果がこの酷い状態なのに、わたしを落胆させることばかりを考えて、まるでそれしかないように話を続けている。


 体中が傷だらけで、胃には今回の実験が原因で穴まで開いたのだ。一部屋挟んだだけの距離、空間を突き破って人が移動するのに重傷を負う。実験台になった経験者である王子様は自分の怪我なんてまるで気にしていない。王子様をこんな風にしてしまったのはわたしだ。もし術の成功が成したとして王子様はどうなっているのだろう。怖くて寝台に顔を埋めた。


 「私が至らぬばかりにすまない。」


 落胆したと思ったのだろう、王子様の謝罪する声がわたしの胸を抉った。老齢の魔法使いがいうには、魔法使いはなかなか死なないというけどそんなことがあるものか。苦しんでも簡単には死なないということは、普通よりも酷く苦しんで死ぬということじゃないのか。わたしが帰る為に誰かが肉体的な意味で傷つくなんて思っていなかった。それこそ命を落とすようなことになるなんて、ほんの一欠けらも考えたことがなかったのだ。


 「ちょっと待って王子様。ちょっと……今は、帰る研究は中止。実験は絶対にしないで。」

 「ハルカ?」


 もとの世界に帰ることはあきらめられない。だけど胃に穴が開いて吐血するようなことは嫌だ。次に魔法を験して取り返しのつかないことになったら責任が取れないし、王子様に限らず、わたしのせいで誰かが死んだらどうしたらいいのか分からなくて、とにかく怖くて制止をかけた。


 「私は其方を帰す。それが約束であり、私が果たすべき償いだ。」

 「解ってる。解ってるけど、ちょっと待って。とにかく今回みたいに実験はしないで。これは絶対、約束して。」

 「机上の空論などあってない物だ。」


 何故止めるのかと不思議そうに眉を寄せる王子様の不満は最もかも知れない。だってわたしは初めからもとの世界に帰せと訴えて、泣いて額を地面に押し付ける王子様を責め続けたのだから。王子様はわたしの願い通りに、王様が無理だと言った帰還の方法を探し続けている。ここまでなら何とも思ったりしない。だけど根本的に何かが違うと感じて怖かった。だって王子様はこんなに酷い怪我をしたことをまるので気にしていないのだ。無事だったからよかったけど、魔法使いは簡単に死ねないのかも知れないけど、たった一つの部屋を超えただけでこれでは、もっと遠くにまで移動していたら王子様は今頃死んでしまっていたのではないだろうか。


 「約束して。お願いだから約束!」

 「……分かった、約束しよう。」


 王子様は納得できないながらもしぶしぶと言った感じで返事をする。帰ることはあきらめられないけど、どうしたらいいのか分からないわたしはすぐに決断なんて出せなかった。少し前のわたしなら死んでも帰せと怒鳴れただろう。だけど今は、どうしてもその言葉を吐き出すことができなかったのだ。


 死ぬなんてことをまるで考えていないような様子の王子様。それをちゃんと解っているのかと聞くことができない。だって死んでも仕方がないと答えが返ってきそうで、そこまでさせる資格があるのか、して欲しいのかがわたし自身が分からなくなっていたから。


 



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