その13(遥)
石の加工費用は想像したよりも高額だったけど、出来上がって来た保存庫の具合に支払って良かったと大満足だ。
冷蔵庫がないせいで生物の保存ができなかった。なので肉料理をするとなると町まで往復二時間をかけるか、近くの集落に住まう猟師さんがたまに差し入れしてくれる分だけ。他は燻製か硬い干し肉だ。育ち盛りの王子様を預かっている身としては栄養満点で大きく太らせないと安心できない。過剰に太らせて不健康に仕上げたいわけではなく、健康的な十六歳を実現してやりたかったのだ。何より硬い肉に慣れない自分の為に、必要経費と思って財布の紐を緩めて支払いをした。
王子様開発の魔法を刻んだ石造りの箱は、冷蔵庫のように食品を冷やしたり凍らせたりはしてはくれない。だけど物の時間を止める効力があって、人が口に入れても害がない状態が半永久的に保たれるという大層な品物だ。だからといって人間が入っても若さが保たれるものではなく、あくまでも命を刈られたもの限定。生きたものが入れば生命活動を止めてしまうという恐ろしい代物でもある。間違って人が入らないように大きさも腕に囲える程度なので大量保存は無理だけど、小型の動物なら捌いて丸ごと保存できる大きさだ。当たり前だけどわたしは動物を捌いたり出来ないし、王子様も当然できないのでお肉は買うのが主だ。また出来立ての料理を入れてもそのままの温かい状態が保たれたりもする。
「悪用されたりしないの?」
「その心配はない。陣の効力は私の魔力限定だ。」
複製されてもただの石の箱。同じものを作って持ってきても魔力を入れてやるつもりはないという。半永久的と言っても王子様が魔力を込めるのを止めたらただの石の箱に戻るのだ。他の魔法使いでは代わりが出来ないのなら、王子様を城に帰したら使えなくなってしまうのか。
食材の保存用と調理済みの保存用の二つ欲しかったけど、使用している御影石が立派な物らしくてかなり高額だ。生活費は支給されている分で足りなければ連絡するように言われているけど、王子様とわたしの生活は税金で賄われている。快適に過ごすために必要なら使えるけど、少しくらいは我慢しないとと思ってしまうのは小心者だからかもしれない。
今朝から珍しく雨が降っていた。この世界に来て雨に出会うのは本当に珍しい。薄青の空からしとしとと落ちてくる雨のお陰で洗濯は中止だ。乾燥機があれば便利だけど、お日様の下で乾いた洗濯物の匂いはこの世界も同じでとても良いものだった。
娯楽の少ないこの世界ですることがないと暇になる。こんな時の為に買っておいた紙と鉛筆を持って椅子に座った。視線の先では木製の長椅子で本を読んでいた王子様が座ったまま居眠りをしている。昨夜も遅くまで起きていたようだし、特にすることもないので起こさなくてもいいだろう。
わたしは居眠りする王子様をじっと観察する。目を閉じていても整った容姿をして、髪と同じ白金の長い睫毛が瞼を縁取っていた。顔の彫りが深くて大人びて見えるけど、眠る姿はいつもと違って幼い印象を残している。
「こうしてると十六歳に見えるわね。」
紙に鉛筆を走らせた。久し振りのお絵かきだけど腕はなまっていないようで、風景画や日本人の顔を書くよりも簡単に描くことができる。綺麗な瞳が見えないのが残念だなと思いながら、服装を変えて男子高校生風にブレザーを着せてみた。手にした本は科学の教科書で、眠った王子様の隣にはわたしが出会った中で一番の美形であるアイオライトも同じ制服で並べてみる。彼の制服は少し着崩して、ネクタイも半分ゆるめた感じ。後ろには教師風のクリソプレーズ。シャツの腕をまくって筋肉質の男性らしさを強調した。男性の腕に浮き上がる血管って魅力的だよなと思いながら鉛筆を滑らせていると扉を叩く音がしたので手を止める。
紙と鉛筆を置いてのぞき窓から窺うと、雨具用のマントを着た若い女性が立っていた。
「こんな雨の中にご苦労なことだわ。」
最近になって若い女性の訪問が増えたのだ。頻繁にやって来る彼女たちは十代の女の子がほとんどで、たまに二十を過ぎた女性もいるが、誰も彼もが王子様目当てにやって来る女の子たち。見目の良い王子様は町に出る度に若い女性の心を掴んでいたようで、保存庫を配達した石工から家がばれてしまったようだ。以来頻繁に王子様目当てで若い女性がやって来る。雨の日にまでやって来るなんて積極的だと思いつつ、一時間もかけて歩いて来た彼女を無視できないわたしは仕方なく扉を開いた。
「あの……」
わたしを認めた女の子たちは必ず言葉を詰まらせるのだ。若い女が出てきて驚いているのと同時に、王子様が一緒に暮らす女がいったい何者なのかと見定めようとしている視線。当然だけど全く似ていないので、初見で姉かと訊ねる人はまずいない。
「何か御用ですか?」
「えっと……魔法使い様にお願いがあって。」
「うちは魔法を生業にしていないんですけど。町の魔法使いでは解決できないようなことですか?」
王子様の名前は公表していないし、わたしも外で名前を呼んだことはないので誰も知らないはずだ。だから女の子達は決まって魔法使いに用があると言って訪問してきた。大抵は胸が苦しいとか体の不調を訴えるが、魔法で病を癒すのは王子様でも困難なことらしく、王子様は大した話も聞かずに彼女たちをすげなく追い返してしまっている。
もてている自覚がないのか興味がないのか。この世界の十六歳はこんなものなのだろうかと思いながら口出しはしないけど、本当に病気や怪我で手に負えない症状を抱えているなら見過ごせない。念のために話を聞こうとしたが、魔法使いに直接話したいという彼女の様子に告白しに来ただけだというのが分かった。
「少しお待ちくださいね。」
雨の中で待たせるのは忍びないけど、見知らぬ人間を家に入れたくない気持ちが勝る。もし万一にも王子様が彼女を気に入ってずけずけと家の中に入られるようになるのも嫌だ。男の人もだけど若い女の子も何をするか解らないので、扉を閉めると同時に念のため閂もかけて王子様を起こしに居間へ戻ろうとしたところで、少し伸びすぎた前髪をかき上げながら王子様がやって来た。
「魔法使い様に用があるって女の子が来てる。」
「煩わせてすまない。」
冷たい視線を扉に向けている様子から王子様も迷惑に思っている様だ。王子様が扉を開くと雨に打たれる女の子の表情がぱっと明るくなる。若いなぁと思いながら居間に戻って絵の続きを描いていると、暫く王子様を口説く女の子の必死な声が聞こえていた。その声もやがて治まり扉が閉じらると王子様だけが戻って来た。王子様は何事もなかったかのように、今度は長椅子ではなくテーブルを挟んでわたしの目の前に腰を下ろして本を開く。
「十三人目だね。」
絵を描く手を止めずに話しかけると、ぱたんと本を閉じる音がしたので顔を上げた。
「居を変えた方がよいか?」
「困ったことにもなっていないし、王子様は煩わしいかも知れないけどわたしは何ともないわよ。」
王子様にとっては女の子にもてるより、わたしの怒りを買う方が気になって仕方ない様だ。多感な時期の少年だろうにそんな風には見えなくて、わたしが原因の一部ではあるのだろうけどなんだか可笑しくなる。
「その衣装だが。」
「衣装?」
話しかけられて再び顔を上げると、王子様の視線はわたしの手元にある紙に注がれていた。
「其方の世界の物だな。」
「王子様と同じ年頃の男の子が学校で着る制服よ。こっちは教師風ね。」
「教師は叔父上だな。そしてこちらはアイオライトであろう?」
「年齢的にはアイオライトさんも教師なんだけど、あれだけ良い顔しているから似合うかなって着せてみたの。アイオライトさんはわたしの世界にいたら大騒ぎになるくらいの美形なのよ。」
俳優だったりしたらあらゆるドラマや映画に引っ張りだこだ。そうでなくても二度見三度見してしまうほどの見た目をしている。ああでもこの国の人たちは北欧風の見た目なので日本のドラマは変だな。
「其方はアイオライトが好きなのか?」
「好きとか嫌いとかないけど、正直言うと綺麗すぎてちょっと苦手だったかも。」
もしわたしがアイオライトを好きになっていたとしても、召喚された厄介な存在でなければ王子様が女の子を追い払ったようにすげなく扱われるに決まっているのだ。クリソプレーズなら話しを聞くくらいして大人な対応しそうだけど、アイオライトは興味のない者には冷たい態度を取るような気がする。
「あれは姉の婚約者だった。」
「姉って……え、王女様ってこと?!」
「姉は私達がここへ来る前に公爵家へ降嫁させられている。」
驚くわたしに王子様が更に追い打ちをかけた。それでは何か、アイオライトの婚約者は王子様の姉である王女様で……王様は娘の婚約者を取り上げてわたしに差し出したということなのか。しかも王女様は他の男に嫁いだ後とは。
わたしはアイオライトとした会話はいったい何だったかと記憶を呼び起こした。確か自分を取り戻せとか、また会うことがあれば元気でとか並べたはずだ。あの時は既に王女様はお嫁に行っていたなんて。その前にも縋るアイオライトを拒絶して職務を全うして欲しいとかなんとか言った記憶がある。
婚約者と別れさせられ、その婚約者が他の男の所に嫁に出されると決まっていたアイオライトに、自分の立場を理解しろと言ったも同じだ。アイオライトがわたしに執着しているように思えたのは、もしかしたら婚約者と別れさせられて、与えられた仕事をやり遂げるしかないと思い詰めていたのかも知れない。
わたしはなんて言葉を並べたのだろう。誑かす存在として怒ってないと言いながら責めていなかっただろうか。アイオライトと打ち解けて話をしていたら、彼のおかれた状況を把握することだってできたかもしれないのに。わたしの機嫌を損ねたくない王様に意見して、二人を元通りに戻すこともできたかもしれないのに、わたしは最後までわたしを案じていたアイオライトの話を聞かなかった。
あまりの状況に混乱して言葉が出なかった。様子がおかしくなったわたしを王子様が心配そうに見つめる。
「ハルカ?」
「あの……王女様はわたしのことを知ってる?」
「其方個人を知っているかは私には分からぬが、召喚の事実はごく一部にしか知られていない。知っていたとしても異界の女とは思っておらぬだろう。」
それじゃあわたしは王女様にとって、恋しい婚約者を奪った嫌な女になっているのか。王子様と一緒に田舎に引き籠ったけど、王女様はとっくに他の男の花嫁になっていたなんて。アイオライトはどんな思いでわたしに向き合っていたのだろう。苦しいように見えたのは本物だったのだと知って、どうしようもない不安を抱えて落ち込んだ。
「ハルカ、この絵だが。もし許されるなら貰っても良いだろうか?」
「あ、ええ、どうぞ。」
暇つぶしに描いていた物だ、特に思い入れなんてない。それよりもアイオライトとその婚約者であった王女様のことばかりが頭の中に渦巻く。そんなわたしの側で王子様はとても硬い表情でじっと絵を見つめていた。
この後のわたしは一日中アイオライトのことを考えていた。サードの家庭を壊すようなことにならなくてほっとして、加害者である王子様に責任を取ってもらうつもりで一緒に田舎に引っ込んだ。王様の命令で与えられていたアイオライトもこれで元の生活に戻るのだろうと思っていたのだ。それなのにまさか取り返しの出来ない状況になっていたなんて。王様の命令でこうなったのだと思いたかったけど、王子様以外は巻き込むべきでないと決めてそれが出来たつもりでいた分、アイオライトの背景を知ってとても胸が痛くなった。
料理を作っても失敗作で、なのに味を感じずお腹に詰め込んだ。お風呂に入ってもお湯が冷えるまで浸かったままで、寒いと感じてようやく冷えた湯船から出る。体を拭って寝間着を着て部屋に戻っても睡魔が訪れることはなく、寝台に寝ころんだまま小さく落とした灯りの中で天井を見上げていた。
心の中がもやもやしていつまでたっても眠れない。ただ天井を見上げていると黒い物体が突然目の前に現れる。目の前だから空中だ。驚くより早く人影と気付いて、落ちてくると身構えた瞬間にはそれがわたしに向かって落下していた。
空中に突然現れた何かが伸し掛かったのだ。大した高さはなかったけど、突然現れた大きなそれに押し潰されたわたしは衝撃を受ける。伸し掛かる重さと痛み、恐怖を感じて身を捻って寝台から転げ落ち、落としていた灯りを全開にして部屋を煌々と照らした。
「誰?!」
震える声で叱責しながら眩しさを堪えて睨み付けると、空中に突然現れて寝台に転がっているそれが蠢いた。思わず身を竦めて、寝台の上にあるものが何かわかって二度目の驚きを覚える。
「王子様?!」
白金の髪が明かりに照らされ輝きを放っている。驚きを抱えたまま這い寄って、うつ伏せの王子様を揺するとぬるりとした感覚に思わず手を離した。掌を確認すると真っ赤な血がべっとりと付いている。
「え……王子様?」
何が起きたのか解らず唖然とした。すると苦しそうに小さく唸った王子様が青い瞳を覗かせ、すぐにまた瞼を閉じてしまう。
「お……王子様、王子様っ!」
空から突然降って来た王子様は体中傷だらけで意識を失っていた。




