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偽りの住人  作者: momo
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その10(遥)



 外の世界は名残惜しかったけど日が沈むころに城に戻った。悲しいことにわたしが帰る場所はこのお城しかなく、一緒に戻ってきた王子様はわたしの変化を感じたのか終始不安そうに瞳を揺らして戸惑っていた。クリソプレーズには定期的に外に連れ出してもらえるように頼めば快諾してくれ、一日の礼を言って別れた。するとサードに聞いたのだろうアイオライトが、待ち構えていたように目の前に立ちはだかり膝を付く。


 「どうか言い訳をさせて下さい。」

 「アイオライトさん、わたしはあなた方にほんの少しも怒ったりしていません。オブシディアンを存続させる方法の一つとしてあなた方も被害にあわれたんです。」


 妻子を伴った人までがわたしの機嫌を取るために準備されていたなんて。当て馬よりも酷いと思っても顔には出さない。わたしを靡かせ、この世界を愛して幸せに生涯を終えるために必要なら何でもやるという信念の結果なのだろうから、根本的な考え方が違うような気がして言い合ってもどうにもならないと思ったのだ。


 彼らにとっては世界の存亡がかかっている。愛する家族の為に、不誠実な夫や父となってもやり遂げなければならない仕事。わたしだって命が惜しくて王様に逆らえなかったのに、忠誠を誓っている彼らが逆らえる訳がない。王様だってこの世界を救うのに必死なのだろう。


 「本当に大丈夫、少しも怒っていないから他の方にもそう伝えて下さい。あなた方に与えられた役目が何なのか、ちゃんとわかっていましたから。ただ家族のある方までがあてがわれているとは思わなかっただけです。」


 追いすがるアイオライトを振り払うように寝室に籠った。その後クリソプレーズにお願いして過去の召喚者に関する詳細な記録を見せてもらうと、過去に召喚された人たちについて学んだことは上辺だけだったのだと分かる記録で溜息が漏れる。


 過去に召喚されたのは決まって黒い髪にこげ茶色の目をした人たち。国は様々だけどわたしの知るアジア圏から召喚された人たちばかりだ。その数は百人を超えていて、千年に一度召喚されるこの世界はいったいどれほど長い歴史を刻んでいるのか。


 召喚された人たちはどうやらわたしと同じ時代の男女のようであることが記録された内容から察せられる。必ず同じ時代から召喚される理由は召喚する側からも解っていないとクリソプレーズが教えてくれた。わたし達が暮らす世界は文明の発達が著しいけれど、与えられた知識を活用してもそれを利用してオブシディアンが一定水準以上に発展することはなかった。召喚された人の中には技術者もいて発展を望んで力を尽くした人もいたようだけど、それが後に引き継がれた痕跡はない。文明が発展しすぎると様々な問題が出てきてしまうのをオブシディアンという世界が知っていて、だからこそわたし達からすると電気もない原始的な生活を送り続けているのかも知れない。魔法で便利な部分もあるけれど、わたしの生きた世界と比べたら生活の利便性に関しては雲泥の差だ。こんな場所で異世界の女が一人で生きていくとなるとかなりの苦労が予想された。


 この世界に落とされた女性は、見目麗しい騎士と恋に落ちて家庭を築くことが多かった。外に出ることもあったけど、魔法がない庶民の生活は近代的で衛生的な時代に生まれ育った、わたしと同じ国から召喚された者たちには耐え難かったらしい。特に女性は裕福な騎士らと伴侶となって生涯を終えている。中には妻子のいる美しい騎士を選んだ女性もいたけれど、彼女はその騎士に妻や子供がいる事実を知らないままだ。騎士の妻と子がその後どうなったのかは記されていない。


 必要な召喚を行った場合も彼らは彼らなりに生贄を差し出していた。オブシディアンに望まれた黒い染みを幸せにするために彼らも必死だったのだ。だからわたしは与えられた騎士たちを責めない。過去の例を参考にして平穏な生活が失われるのを避けるために、彼らは大切な人たちを守るために家族や恋人を捨てる覚悟をしたのだ。だからわたしは謝る必要はないと何度もアイオライトに告げる。


 「ハルカ様―――」


 この数日、謝罪ばかりしていたアイオライトがわたしの名前を口にしたきり押し黙った様子から、彼も自分に求められる役目を十分に理解していた様が窺えた。苦しそうに眉を寄せているのは、美しすぎる彼にもちゃんと人の心があって騙す役目に躊躇していたからなのかも知れない。


 わたしだって彼らを騙しただとか酷いだとか罵るつもりはなかった。それでも初めから分かっていたから、知っていたからと自分に言い聞かせているということは、少なからずわたしは彼らの思惑に嵌りかけていたということだろうか。見知らぬ世界での孤独というものは恐ろしいものだと自虐的に笑ってしまう。


 「この世界をよくは知らないけど、少なくともお城の中は危険じゃないですよね。わたしの存在が知られないために見張りが必要なら仕方ないですけど、あなた方にとってわたしの護衛は役不足でしょう。危害を加えられるという意味で本当に危険があるなら、見た目の美しさではなく実力で選んでください。だけどそうでないなら、あなた方に相応しい働き場所に戻ってもらいたいです。」


 安全な城の中で実力のある騎士に守られているということは、本当に彼らを必要としている場所に穴をあけているということだ。アイオライトを始めとして彼らには本来の実力に見合った場所に戻って欲しかった。わたしを不幸にしたのは王子様だけど、その弊害まで起こしてしまう必要なんてない。わたしが彼らを不幸にする役目を持たされるのはどうしても嫌だったのだ。


 「私が望む場所はハルカ様の側です。ハルカ様はたった一人の尊いお方。己の実力を過大評価するつもりはありませんが、与えられた立場を役不足などと思うはずがありません。何が起こるか解らない故に、不測の事態に対応できるよう私はハルカ様に与えられた騎士なのです。」


 膝を突いたアイオライトが下から見上げてくる。その瞳はとても真剣な物で、この視線に弱いわたしは瞬きついでに視線を外して逃れる。


 「確かに初めは与えられた役目を全うする為にハルカ様の護衛にあたっていました。けれど今は違います。命令だからではなく、私自身がハルカ様の側に侍る喜びを感じ、その栄誉に誇りを持っているのです。」


 腰に下げた剣を傍らに置いたアイオライトは、わたしの纏う衣服の裾を両手に握りしめると唇を寄せた。土下座にも近い行為に驚いていると、持ち上げられた裾から冷気が入り込んで素足を撫ではっとした。必要以上に足が見えるのを気にしたわたしは、裾の長い衣を身に着けることに慣れてしまったのだと気付かされる。少し前は休日にミニスカートをはいて足を出すことだってできたのに、たかが少し裾がめくれただけで気にしてしまうなんて。この世界に浸食されていると知って心が暗くなる。


 「だったら職務を貫いてください。護衛対象に特別な感情を持つなんて護衛として失格ですよね?」

 

 はっとしたように顔を上げたアイオライトはとても傷ついた表情をしていた。怯みそうになるけど、ここで怯んではいけないと奥歯を噛みしめる。


 「王様の命令で惑わすのではなく、純粋に危険から守ってくれるのならそれを貫いてください。誇りを持っているならこんな風に膝を突くんじゃなくて護衛としての仕事を続けて下さい。あなた方の目的は初めから気付いていましたから本当に恨んでなんかいません。だからそんな目でわたしを見ないで。お願いだから自分を偽らずに職務を全うしてください。」

 「膝を突かずに、職務を全うするのですか?」

 「跪いていたらいざって時に出遅れませんか?」


 不安そうに揺れた瞳にわたしまで不安を感じた。わたしを誑かすために膝を突く行動は乙女向けとして理解できるけど、本来の護衛としての仕事をするなら無駄な所作ではないのか。けれど考えようとして視線を合わせていると、きらきらし過ぎた美貌を前に目が眩む。


 誰の目にもアイオライトは美しいものとして映る。まるで夢の世界に現れるような美貌を持った魅力溢れる男性で、そんな人に熱のこもった視線を向けれるのはいつまでたっても慣れなかった。まして跪かれて懇願されると思惑を知っていてもあっさり落ちてしまいそうになり、惑わされるのが怖くて浮足立ち不安でたまらない。

 

 わたしは自分がここにいてはいけない存在なのだと改めて実感する。初めから必要のない人間だった。恨みはあるけど、小さな子供を抱いたサードを目の当たりにしてからは、自分の不幸ばかりを嘆いて八つ当たりしている場合ではなかったのだと実感させられたのだ。子供の小さな手がわたしの指を握った時の感覚は何とも言えない物で、懐かしくて切なくて、そしてこれまでの自分というものが何だったのかを一気に思い知らせてきた。


 サードが抱いていた子供は一歳になる少し前だろう。そうするとサードは、生まれて可愛い盛りの我が子を捨てる覚悟をしていたことになる。役目から逃げる様に、早々にわたしの視界から消えたのは家族を失いたくなかった心のあらわれに違いない。ここに来た当初のわたしは、与えられた美しい生贄たちに思惑を感じて怒鳴り散らして完全に拒絶していた。世界を守るためとはいえ、発狂したに近い成人した女を相手にするのも大変だっただろう。婚約者を捨てて恨まれても最後まで残って相手を続けているアイオライトには感服する。


 王子様の代わりに王位を継ぐ存在として呼び戻されたクリソプレーズ。彼とは顔を合わせる機会は少ないけど、会う時はわたしから王子様に頼んで顔を合わせている。それを知った王様はどう動くだろうか。長く側に置いている騎士達よりもクリソプレーズを重宝していると知ったら、今度はクリソプレーズにわたしを誑かすように指示するかもしれない。この世界の理をわたしに教えたのはクリソプレーズなので、もしそんな命令を受けても彼なら教えてくれると思う。それでもアイオライトやクリソプレーズを被害者にしてはいけないと、わたしは諸悪の根源である王子様の姿を脳裏に描いた。


 「わたしが幸せにならないといけないなら、その役目は王子様に負ってもらうつもりです。」


 膝を突くアイオライトの腕を掴んで立たせると、信じられないといった表情でわたしを凝視していた。世界の存亡を握っている存在ということまで知られているとは思っていなかったのだろう。


 責任を負うべきはアイオライトでもクリソプレーズでもなく王子様だと思う。それにわたしはもうこの世界の崩壊なんて望んでいなかった。小さな手に指を握られて、この世界にも命が溢れる様に存在することを実感してしまったから。わたしが保育士という仕事に就いたのはなんとなくで、それほど情熱を持っていたわけじゃない。だけど手を離したら死んでしまうような幼い命を預かっていた身としての誇り位は持っていたようだ。


 この世界の王位継承問題はわたしの知る必要のないことで、王様が王子様ではいけないと判断するのならそれが一番だ。わたしのせいで王子様の立場を貶めるなんてと、指南書通りの乙女な考えは生涯もつ必要はない。それよりも彼の愚行を許さず、けれど寛容になるのが今のわたしにとって最良であろうと考えた。


 世界一の魔法使いを独占するくらいの権利は頂戴しても恨まれたりしないだろう。実際にお城を出て自分の力だけで生活していくには、この世界とわたしの生きた時代は生活水準があまりにも違い過ぎて無理だ。召喚された人たちが与えた便利な知識がこの世界に馴染まないのは過去が語っているけど、わたしが生きる時間くらいなら存在し続けてくれるのも過去が証明していた。


 誰も来ないような安全な場所で生活をしたいと王様にお願いした。まったく誰もいないのは不安なので長閑な村の隅にでも居を構えたい、姿を隠すために魔法使いが必要なので王子様を連れて行きたいと願い出た。これに関しては王子様が誰よりも驚いていたが、嫌がる素振りはなかったので一先ず安心する。今回の件で何が一番不安かといえば、今はわたしを恐れている王子様が精神を操るような魔法を使ってわたしを支配してしまうことなのだ。それに気付かれないようにしなければならないので、これまでのように王子様の精神を抉るようなことは控えなければならない。


 なぜ王子様なのかと言えば彼が加害者だからだ。本来ならこの世界にいる筈のない存在であるわたしの人生に、関係のない人たちを巻き込むのは良くないことだと痛感した。被害者と加害者が一緒に暮らすことがいったいどういう結果を招くのかは分からない。途中で投げ出してしまう結果になるかもしれないけれど、出来るなら少しでも心地よい生活を送りたい。けして王子様のしたことを許したわけではないけれど、責め続けても悪化する未来しか望めないのだ。


 そうして数か月に渡って準備をして、一年と少し世話になったお城に別れを告げる日がやって来る。アイオライトは美しい顔を歪めてわたしを見下ろしていた。


 初めは無表情に近かったように思う。けれどわたしが城を離れると決めてからのアイオライトはいつも苦しそうにしていた。わたしを誑かすことができなかったせいで誇りが傷つけられたとか言うのでもなさそうだけど、ちゃんとした理由はわからない。わたしは美しすぎる彼に惹かれてしまうのが怖くて冷たい態度を取っていたけど、アイオライトは最後まで王様の命令に忠実でわたしの側に寄り添い続けていた。どんな仕事でも忠実にこなしていく性格なのだろう。わたしが城を離れるのはわたしだけでなく、アイオライトの為にもなりそうだ。最後の最後までわたしに拘ろうとする彼も解放されるべきだ。


 「どうか私もお連れ下さい。」

 「心配してくれてありがとうございます。でもアイオライトさんは自分の人生を歩いてください。わたしの未来は王子様に背負ってもらいます。必要なことはクリソプレーズさんが教えてくれたから本当に大丈夫ですよ。」

 「恐れながら度々申し上げますが、ハイアンシス王子は世間を知らず、ハルカ様も同じです。そのような状態であるのに見知らぬ土地へ行かせることがどれほど辛いか。」

 

 美人は三日で慣れるという言葉があるけど、アイオライトの美貌には最後まで気後れしてしまう。本当に心の底から心配してくれているのかも知れないけど、絆されて行かない選択肢は取りたくなかった。

 切実に訴え続けるアイオライトを避けていたわたしのせいもある。感極まったのか涙を浮かべる姿に困り果てクリソプレーズに視線を送ったけど、面白そうに口角を上げるだけで助けてはくれないようだ。

 

 「アイオライトさん、わたしに囚われずどうか自分を取り戻して。これまで守ってくださってありがとうございました。もしまた会うことがあればお互いに元気な姿でありたいですね。さようなら、お世話になりました。」


 王様の命令だったとしても彼がわたしに尽くしてくれたのは間違いない。これからは役目に囚われず自分の人生を生きて欲しいと願いながら、最後まで一緒に行きたいとごねるアイオライトを突き放すようにして別れを告げる。


 贅沢に慣れて普通の生活なんてできない王子様と何も知らないわたしに、クリソプレーズが手を尽くして色々なことを整えてくれたのだからきっと大丈夫だ。それでも足りない所は頑張ってやって行くしかないし、どうしても駄目なら尻尾を巻いて戻ってこよう。


 クリソプレーズが動くと、魔法をかけていないせいで義足が動きに合わせて金属音を響かせる。滑らかだった動きも少しばかりぎこちないけれど、彼自身が望んだ今だからと特に文句はないらしい。彼はこの世界で唯一わたしに偽りを述べなかった人だ。最初から彼にお世話されていたら心を奪われて王様の思惑通りになっていたかも知れない。召喚した人間が綺麗な人ばかりを好きになると思い込んでいた彼らの判断ミスに感謝するべきなのか、それとも残念に思うべきか。これまで、そしてこれからの苦労を思うと騙されていた方が確実に楽だっただろう。けど嘘は必ず露見するのだ。


 「ハイアンシスを頼む。」

 「お任せ下さいとは言えないけど、一緒になんとかやって行きます。」


 正直に言うと、この世界でわたしが城を出て生活をしていくには王子様が不可欠だ。ガスも電気も便利な機械もない世界は、現代の生活に慣れたわたしには厳しすぎる。同時に王子様も、何もかもを整えられた生活から落とされて不自由を強いられるだろう。それは彼に対する罰として受け入れてもらうしかない。その代わり、わたしは自分の為にも王子様を責めることを極力しないようにすると決めていた。


 城を出るために馬車に乗り込むと、先に乗り込んでいた王子様が不安そうにわたしを見ていた。わたしのように異世界ではないにしろ、王子様も見知らぬ世界に飛び込むのだ。これに関して王子様はわたしに巻き込まれて無理矢理となるのかも知れない。


 「王子様、嫌なら降りてもいいですよ?」


 降りられて困るのはわたしだ。王子様が行きたくないと馬車を降りたらわたしも降りる結果になる。解っていて敢えて訊ねたのだけど、「責任は果たす」と即答した王子様にわたしは頷いた。彼もわたし同様に少しばかり成長したようだ。


 




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