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偽りの住人  作者: momo
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その1(遥)



 磨き上げられた大理石の床を染めるのは天井の隙間から差し込む青い光。天に向かって真っ直ぐに伸びる柱は神秘的な輝きを受け、うねる大気の流れを垣間見せてくれる。自然光なのにいったいどんな原理で色が変化しているのかなんて解らないが、誰の目をも惹きつける魅力溢れる空間であることは確かだ。

 

 そもそも生まれた世界が違うのだから、光の色が変わる理由を探しても見つけられないに決まっている。わたしには理解できない不思議で彩られた、異国で片付けるのには困難な理解しがたい世界。


 空を見上げると昼間にだけ姿を現す一つの太陽に三つの白い月がある。夜は煌めく星々が夜空を彩るが荒んだわたしの心には何一つ響かなかった。

 太陽と共に散らばる三つの月。東から太陽が昇って西に沈むのに、一緒に月も浮かんで沈んでいくのだ。重力はいったいどうなっているのだろうと不思議に感じても答えは出なかったし、そんなことよりも重要なことがわたしにはあった。


 わたしは差し込んだ太陽の光が青く変化する空間に両足でしっかりと立っている。わたしがこの世界にさらわれた時に初めて足を置いたこの場所に足をついて、わたしを攫った主犯である男をこれでもかと目を見開いて凝視し見下ろしていた。


 「あなたが、犯人?」


 両膝を突き、白金に輝く美しい髪を垂らして項垂れる男の頭が更に下を向く。大理石の床に額を擦りつけた男はわたしよりずっと年下の、まだ少年と呼べるような姿をしていた。


 「悪かった。本当に、私は取り返しのつかないことを―――」


 男が、少年が言葉を詰まらせると、ぽたぽたと透明な雫が床に零れる。成人男性と比べて少し高めの声色が脳裏に蘇った。この声は間違いなくわたしがこの世界で初めて耳にした声だ。驕り高ぶった、高慢な、相手を見下したあの言葉は、時間が流れてもはっきりと耳にこびりついている。


 ―――見てみろ、やったぞ。お前ら屑と私は違うのだ!


 この声を耳にしたのは一月前。声を聞いた後に強烈な眩暈に襲われてそのまま意識を失って倒れて以来、わたしはこの少年の声を今日この時まで一度も耳にしていない。見知らぬ世界に落とされて混乱していたわたしの害になるからと周囲が彼を遠ざけたのだ。


 あれから一月。ようやく元凶から謝罪したいとの申し入れがあり、わたしは受け入れ彼を見下ろす権利を得る。それなのにわたしは彼の謝罪を受けて唖然と立ち尽くしてしまっていた。


 「ハルカ様、息をなさって下さい。」


 わたしをこの世界に呼んだ元凶が謝罪するというのでやって来てみれば、まさか本当に子供だったとは。聞いてはいたけれど、こうして目の前にするとやっぱり信じられない思いが強いのは、仕事で小さな子供を相手にしていたせいもあるかもしれない。


 驚き過ぎて息をするのを忘れたわたしの背に、護衛としてついてくれている騎士のアイオライトがそっと触れた。彼のお陰でようやく息を吐き出したが、わたしをこの世界に呼んだ少年を前に自分でも思った以上に緊張していたようだ。


 全身が冷たく痺れるような感覚に襲われ、両足に力を入れて倒れないようしっかりと踏みしめる。ここで倒れてしまう訳にはいかない。わたしはどうしても聞きたかったことを、元凶である彼に、この世界で最も優れていると自他共に認める目の前の少年にどうしても聞きたかったのだ。わたしは今、わたしを攫った主犯である彼に希望を抱いてこの場所に立っている。


 「わたしは、帰れるのよね?」


 この世界に連れて来られて、混乱して、落ち着いて。その間に何回も何百回も聞いたけど、誰も望む答えをくれなかった。だから敢えてわたしを攫った彼に問うのだ。望む答えをくれるなら何もかもを許すからと、何が何でも頷いてと必死で願いながら。

 

 「あなたは屑とは違うんでしょ、だったらわたしを元の世界に帰してくれるんだよね?」

 「―――すまない。」


 少年は振り絞るように声を出して謝罪した。とても苦しそうに大理石の床を傷一つない指先で掻いた少年。彼の項垂れた頭部を見下ろしていたわたしは、あまりにもあっさりと吐かれた謝罪の言葉に怒りが湧く。

 

 子供じみた優越感の為に彼が行使したのは禁じられた魔法だ。わたしの世界にはなかったけど、この世界には魔法が存在する。その魔法を使うのが魔法使いだけれど、わたしをこの世界に攫った魔法は魔法使いたちが束になっても易々と出来る術ではない。人道的な理由からも千年に一度だけ許された魔法は、この世界を救うためには必要だというが、今この時期においては全く不要な代物だった。


 それを額を床に擦り付け謝罪する少年は、禁止された魔法を行使してわたしをこの世界に引きずり込んだ。自分がこの世界で誰よりも力のある魔法使いだと主張するためだけに、ただそれだけの為に後先考えずにわたしを誘拐してこの世界に連れてきたのだ。


 帰還の方法がないと知りながら、呼んだ後にどうなるかなんてまるで考えもせず、浅はかで馬鹿で愚かな少年はわたしを全てから引き離して見知らぬ世界に呼び寄せた。それも周囲を卑下するための、ただの自己満足の為だけに。


 本来なら千年に一度、多くの魔法使いたちが力を出し合い成功させる異世界召喚の術。それを彼はたった一人で、己の力がどれほど素晴らしいかを主張する為だけにやってのけたのだ。


 「謝る前にすることがあるでしょう? 謝罪なんてどうでもいい、そんなのいらないの。親に叱られて自分のやったことがどれほど非道かやっと解ったんでしょ、それならやることをやって。何の解決策もなく、取りあえず謝って自分の心を軽くしたくて、許してもらえないと解ってても仕方なく自分の為に謝りに来たの?」

 「違う、それは……本当にすまないと思っているから―――」

 「だったら帰す方法を考えなさいよ。わたしをあの時と同じ時間に、同じ状態で帰しなさいよ!」


 飛びかかる勢いのまま少年に掴みかかった。白金の髪が乱れ、涙に濡れた深い海の底の色をした瞳が目の前に曝される。とても美しい容姿をした少年の顔は息を呑むほどの美貌だがそんなものに捕らわれる余裕はない。


 金や銀の色をした髪に宝石のように輝く瞳と真っ白な肌。誰も彼も美しすぎるこの世界特有の容姿や色は神がかりで恐ろしさを覚えるばかりだけれど、わたしは少年に掴みかかって、唾が飛ぶ距離で七つも年下の子供を罵倒した。


 「親に頼らなきゃどうしようもないくせに、ただの餓鬼のくせにっ。人を嘲笑あざわらって屑扱いするような御仁様なんだから、最後まで責任もってわたしを元の世界に帰す方法を考えなさいよ。簡単にすまない(・・・・)なんて言わないでっ!」


 少年はこの世界の王子様だ。その彼の薄い胸を力任せに殴る。わたしの護衛として立つアイオライトは何も言わずにただ見守り、王子様も悲痛な表情を浮かべて涙を流しながら拒絶せずに暴挙を受け入れていた。


 王様に叱られて改心した王子は、殴られて済むならと暴力を受け入れているに違いないのだ。時折すまないと囁くように吐き出す声は苦しそうで、けれど身勝手な彼の行動がわたしをこの世界に誘拐したのだと思うと腸が煮えくり返る。


 召喚という魔法の儀式を教えてくれたのは少年の父親である王様だ。千年に一度行われるという秘密の儀式は王家に伝わる秘儀で、今年は前回より五百年目の節目にあたる。千年に一度の、次の儀式までにはあと五百年あるのに行われた儀式は、傲慢な王子様が己の力を学友たちに見せつけるためにたった一人で行ったものだ。本来なら数人の力のある魔法使いでやっとのこと行えるような召喚魔法。それをたった一人でやり遂げる実力を見せたいだけの為に、後先考えず掟を破り、何の意味もなくわたしはこの世界に引き込まれた。帰す方法のない一方的な召喚に。


 この国の王様は、愚かな罪を犯した傲慢な王子様と違ってまともな話の出来る王様だった。息子である王子様のしでかした罪を詫びて丁寧に扱ってくれる。この世界を知らないわたしの身に何かあってはいけないと護衛までつけて。


 王様ははっきりと帰還の方法はないと、それはそれはとても残酷なことを教えてくれた。だからってはいそうですかとあきらめられる訳がない。王様はこの世界で暮らすのに必要な物はすべて与えると約束してくれたけど、だからって素直に了承できる事柄ではないのだ。だけど現実的に王様の言葉を拒絶してもどうしようもないということも解っていた。

 

 わたしは王様の言葉に従う代わりに、わたしを元の世界に帰す努力を惜しまないで欲しいと懇願した。それ以外は何も望まないから、どうか帰れないと決めつけないで欲しいとだけ、たった一つの願いだからとお願いしたのだ。


 王制の国で最高権力者に逆らっては何もいいことがないと身を案じたから、たった一つだけをお願いしてあとは仕方なく全てを受け入れて大人しく従っている。優しく見えてもそれが真実とは限らない、権力者の恐ろしさは歴史が語っているのだ。わたしは人権が保障されるかどうかも解らない見知らぬ国で、権力者の視線と思惑を感じながら、妙に美しすぎる護衛達も言葉通りにただの護衛と受け入れて側に置いていた。

 

 『酷なこととはわかっているがはっきり告げておく、帰れる方法はない。この世界が異界の者である其方を逃がさないのだ。其方の意を優先し帰還の方法を探す努力はするが、それはとても難しいと心に留めておいて欲しい。召喚された人間はこの世界にいるだけで均衡を保ってくれる。異界という異質な世界から人を一人招くことにより、この世界は崩壊から救われるのだ。確かにこの度は召喚の時期ではなかったが、我らは其方を大切に扱うと約束いたす。安心して世界に馴染み過ごして欲しい。』 


 時を違える召喚は混乱を招かないために秘密にされた。けして王子様の失態を隠すためではないというが、結果的にはそうなのだろう。この世界にない色をしたわたしは人目を引き、危険に巻き込まれる可能性があるからとの理由で護衛が付けられたけれど、紹介された剣を持つ騎士達をわたしは見張りと判断した。


 それはそれは見目麗しい、わたしを守ってくれる頼れる騎士様。可哀想に、アイオライトを始め幾人かの見目麗しい騎士たちは、異世界より召喚されたわたしを大人しくさせるために与えられた生贄なのだろう。わたしが彼らに心を奪われて波風立てず穏やかに過ごすよう、この世界を許すよう、そのために準備された。そのくらいの思惑に気付けない程わたしは世間知らずな愚か者ではない。


 「簡単に謝って自分だけ楽になろうなんて卑怯だわ!」

 「すまない、本当に。何でもする、だからどうか―――」

 「だったらわたしを帰してっ!!」


 なんでもすると言いながら、たった一つ望むことすら叶えてくれない。馬乗りになり王子の薄い胸を叩きつづけるが、感情が爆発して息ができなくなった。


 「はっ、はぁっ……」


 二十二年生きてきてこれまで一度もこんなことにはならなかったのに、感情が高ぶると呼吸が深く速くなって苦しく体が痺れて動けなくなる。この世界に攫われて一月、いったい何度この発作を繰り返しているだろうか。最近は少しばかり減ったように感じていたけれど、さすがにわたしを召喚した犯人を前にして冷静ではいられなかった。


 「ハルカ様、ゆっくりと息を吸って下さい。」


 混濁しかけた意識の中でアイオライトの声に呼び戻される。


 「大丈夫ですよ、ハルカ様。私がお守りいたします故、大丈夫です。さぁゆっくりと息を。」


 青緑の瞳に醜いわたしの姿が映し出される。怒りのあまり鬼のようになったわたし。汗にまみれ髪を振り乱して目を見開いたわたしが、青緑の輝く瞳に映し出されていた。


 「お願い、連れて行って。彼を殺しそう。」

 「お望みのままに。」


 痺れた体では腕を持ち上げることもできないけれど、このままでは王子様の首を絞めてしまいそうだった。側に有る逞しい胸に顔を埋めれば、それが合図であるかにアイオライトはわたしを抱き上げ連れ出してくれる。


 「会うべきではなかった。」


 わたしを抱いて運びながらアイオライトが呟く。今日ここに来たのは王様から王子様に会って欲しいと願われたのと同時に、わたし自身が偉大な魔法使いに会って希望を繋ぎたかったのだ。

 

 会って罵倒しない自信はなかったけれど、わたしを召喚した王子様にわたしはどうしても会いたかった。会って王様が宣言した『出来ない』を『出来る』に変化させたかったのだ。けれど結果は変わらず、加害者である少年に謝罪をさせて終わってしまった。僅かな希望も与えてくれない現実に心がついて行けなくなってしまう。


 こうしてアイオライトに抱きかかえられるのは幾度目になるだろうか。他の見目麗しい騎士様たちも距離の取り方が絶妙で、女性心をくすぐるような傅き方をする。初めの頃は帰れないと考えるだけで息ができなくなって動けなくなり、こうして抱きかかえられベットに下ろされることが多かった。最近は無くなっていたのに。呼吸が落ち着いて横になったわたしの背をアイオライトが撫でてくれる。


 「ごめんなさい、もういいです。」


 優しく尽くされて寂しさから縋りそうになる。恋人でも医者でもない。ここはお城で働く女性も沢山いるのに、弱ったわたしの世話をしてくれるのはアイオライトを始めとした、護衛として側にいる見目麗しい騎士たちだ。思惑が透けて見えて心が闇に染まりそうになる。思い通りになりたくなくてアイオライトを避ける様に掛布を頭まで引き上げた。


 「見られたくないのならすぐに去りますが、そのように頭まで覆っては息が辛くなります。どうか顔はお出し下さい。」

 「分かりました。呼ぶまで誰も来ないで、一人になりたいんです。」

 「承知いたしました。扉の前に控えておりますので、何かあればすぐに声をかけて下さい。」


 献身的な扱いを受ける度、王様の世界に馴染めといった言葉が脳裏に浮かぶ。こんな我儘で手間のかかる存在を好き勝手させているのはどうしてなのか。王様も、わたしをこの世界に全く必要がないのに引き込んだ王子様の態度も気になって仕方がない。


 最高権力者の王様は必要以上に優しい。高慢で手が付けられなかったという王子様は膝を突いて泣きながら謝罪した。綺麗な騎士たちはわたしに傅くために側にいる。そして綺麗な女性たちは冷たく、最低限の関わりしか持ってくれないのだ。


 まるで腫れ物に触るように気を使われているのは明白だ。時期外れの召喚を知られたくないなら殺すことだってできるだろうにと、騎士たちが腰に下げる剣を見ていると思ってしまう。


 異世界から人を召喚するのはこの世界を崩壊から救うため。けれどそれは千年に一度でいい。中途半端な時期に召喚されたわたしを大切にするのは、そうしなければならない理由が彼らにあるのだろう。


 扉の閉まる音を聞いて掛布をずらし、アイオライトが消えた扉をぼんやりと見つめた。美しい彼らの優しさは偽りだ、信じてはいけないと自分自身に何度も何度も言い聞かせる。一瞬目を奪われるのではなく、永遠に目を奪われ惹きつけられる絶世の美貌を持った騎士たち。何のためにわたしは大切に扱われているのかが解らなくて恐ろしい。

 

 




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