千夜一夜の物語を紡ぐ
百合といいはりたい
千夜一夜の物語を紡ぐ
彼女はずっと、物語を紡いでいた。
白を基調とした殺風景な部屋に、ベッドが一つ。
点滴につながれて、ひとりの少女が眠っていた。
年の頃は20前後だろうか。
青白い顔をしているが、穏やかな顔をしている。
病院の一室だった。
佐紀はベッドの脇の丸椅子に座って、彼女を眺めていた。
静かに、言葉を紡ぐ。
「それから、王子は決意を込めて言いました」
ぽつりと響く言葉に、少女が反応することはない。
ただ眠っていた。
側から見れば彼女は、ただ眠っているようにしか見えなかった。
もう半年、彼女はこうして眠っている。
「魔女は王子に呪いをかけようと、その手をかざしました」
ぽつり。
ぽつり。
どこか遠い世界、知らない国の王子の冒険。
そんな物語が、病室を埋める。
「……今日はここまで。続きは、また明日」
しばらくそうして、王子の冒険譚を語ると、佐紀は椅子から立ちあがる。
「学校、行ってくる」
そう言い残し、病室を出た。
またね、なんて。
見送りの言葉はない。
ナースステーションの看護師に声をかけて、佐紀は大学へと向かった。
少女ーー蒼子が事故で昏睡状態となってから、すでに半年が経っていた。
同じ学部で、サークルも同じだった佐紀と蒼子は、大学からの付き合いながらも親友と呼べる関係だった。
明るく、輪の中心にいつもいた蒼子。
佐紀は、目立つことはない性格だったが、2人は何故だか気があった。
よく互いの家に泊まりに行ったものだ。
事故にあった時も、蒼子は佐紀の家に泊まった帰りのことだった。
突然の事故に、周りは驚き騒いだ。
けれど、半年も経って見れば、見舞いに来る者も少なくなっていた。
それを、佐紀は薄情とは思わない。
自分とて、大学で講義を受けたり、サークルをしたり、遊びに行ったりしている。
今の生活を、送っていかなければならない。
誰もがそうなのだ。
「今日も寄ってきたのか?」
「うん」
講義室で、見知った顔に会う。
サークル仲間だ。建人はよく、蒼子のことを気にしてくれる。
「どうだった」
「相変わらず」
「そうか」
短いやり取りを、いつものように行う。
2人の中での日課となりつつあった。
「そういえば」
そう、佐紀が口にしたところで、教授が入ってきた。
口を噤む。
「なんだよ」
建人が袖を引いてきた。
「先生きたから」
「言いかけで、気になるだろ」
言いかけたことは、くだらないことだ。
試験が近いだとか、サークルのミーティングがどうとか。
講義中に話すには長い内容で、佐紀は後でね、と言って前を向いた。
「船に乗りこむと、魔女は嵐の中、王子を迎えに行きます」
病室の風景はさして変わりがない。
いつものように、物語を紡ぐ。
ただ気ままに、話を作る。
いつのまにか敵であった筈の魔女が仲間になっているのには、自分でも驚いた。
割といい展開ではないか、などと自画自賛する。
話をつくるなんてしたこともなかった。
慣れていないのだ。
「胸が熱くなる展開ね」
ふと、声をかけられた。
若い看護師が経っていた。
半年前から、たまに見かける看護師だった。
「ごめんね、点滴を変えにきたんだけど」
聞こえちゃって、と笑いかけられる。
「いつも話を聞かせているの?」
「えぇ、まぁ」
恥ずかしくなって、目をそらす。
「話すネタがなくなりそうで、っていうのもあるんですけど」
ーー続き、気になるでしょ。
蒼子は笑った。
だから。
「願掛け、みたいな」
彼女は生きることに前向きで。
だから、佐紀は物語を紡ぎ続けていた。
その行為に、祈りを込めて。
死にたいと泣いた。
赤い血が床を汚した。
夜のことだった。
佐紀はどうしようもなくて、蒼子に助けを求めた。
半年前のことだ。
生きることがどうしても辛くて。
手首に包丁を押し当てて、うまく切れなくて、ただただ泣いた。
そうして半ば呆然とした頭で蒼子に電話をかけたのだ。
蒼子はすぐにきた。
何も言わなかった。
電話口で散々泣き喚いたからかもしれない。
傷の手当てをして、後はただ、黙って佐紀を抱きしめた。
慰めの言葉はなかった。
佐紀も、そんなものは望んでいない。
蒼子は子守唄のように、話を始める。
魔法使いの少年の話だった。
少年は仲間とドラゴンを倒すために冒険をしていた。
聞いたこともない。本や映画のあらすじではなかった。
蒼子の即興の物語だ。
泣きながら、何故と尋ねた。
なんでこんな時にそんな話をするのかと。
蒼子は答えず、物語を続ける。
やがて、嗚咽も収まって、落ち着いてきたころ。
もう、夜も明けようかという頃合いで、蒼子は言った。
ーー今日はここまで。
いつのまにか聞き入っていた佐紀は、思わず聞き返した。
ーー今日はここまで。
そう言って、蒼子は笑う。
佐紀はまた何故かと、訊いた。
続きは、と。
ーー今日はダメです。
蒼子はそう言って、いたずらっぽく笑った。
ーー続き、気になるでしょ。
その言葉に頷く。
ーー次を聞くまでは死ねないって、思うでしょ。
ーーだから、今日は続きは無し。
そのまま続きはお預けのまま、2人で朝ごはんを食べた。
昼近くに蒼子は帰路につき、その途中で事故にあった。
だから、魔法使いの少年が、その後どうなったか佐紀は知らない。
ベッドで眠る蒼子の口から、物語の続きが紡がれるまでは。
「王子は……えーと、村の長と対峙します」
相変わらず病室は殺風景だった。
窓の外の桜は蕾すら無い。
なんて事のない、普通の光景だった。
ネタが、切れてきた。
内心そう思いながら、新しい冒険へ王子を送り出す。
このパターンも何度か繰り返している。
ワンパターンだな……
苦笑しつつ、物語を続ける。
蒼子は少し痩せてきた。
点滴だけでは栄養にも限界がある。そういう話を訊いた。
「村の長は……」
そこまで言って、言葉を詰まらせる。
もう、蒼子は一生起きないのではないかと、不安に潰されそうになる。
「蒼子……」
痩せてきた手を握る。
「続き、教えてよ」
白い布団にシミを作る。
涙が溢れてきた。
「起きてよ」
笑って。
話を聞かせて。
抱きしめて。
止まらない涙を、無駄だとわかりながら袖で拭う。
「村長からの依頼が罠だと知った王子と魔女は、打開策を模索します。怪物に囲まれて、2人は窮地に陥りました」
少し涙声で、そこまで話す。
「今日は、ここまで……」
荷物をまとめて、ドアに手をかける。
「……」
何か、言われたような気がした。
「蒼子!?」
慌てて駆け寄る。
「……つづ……き……は?」
掠れた声で、なんとか言葉を発する蒼子。
すぐにナースコールを押す。
蒼子の手を握り、薄く開いた目を覗き込む。
目を合わせるのも半年ぶりだ。
「明日!ううん、今日来るから……今日続きを話すわ!」
蒼子がうっすらと微笑んだ。
すぐに看護師がくるだろう。
「私も」
佐紀がいう。
「私も、続き……待ってるんだからね」
「うん」
お互いが、お互いのために、物語を紡ぐ。
生きるために。
物語は紡がれる。
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