第三章:海の向こうから3
真っ青な空の下、時々初夏の風が吹く、そんな爽やかな日に婚約式は、執り行なわれた。
近隣の領地に住む貴族やはるばる都からやって来た貴族達が、集まった港町は、ちょっとしたお祭りムードであった。
屋敷の敷地内にある教会には、身分の高い紳士や着飾った貴婦人が、溢れんばかりに詰めかけ、若き二人の登場を待ちわびていた。
純白のドレスに身を包み、緊張のせいで落ち着きのないのエミリーは、私を相手に控え室で何度も何度も婚約の誓いを暗誦した。
繰り返されるエミリーの熱のこもった誓いの言葉を聞いていて、一つ分かったことは、私には、神職は、向いていないということである。
エミリーの「誠実な愛」についての誓いを二十回聞かされただけで、うんざりしてしまう私では、絶対無理な職業だろう。
実は、城を出た時、修道院に入らないかと勧められたのだけれど、断ってよかったと思う。
エミリーとは、対照的に隣では、ゴージャスなエメラルドグリーンのドレスに身を包んですっかりご機嫌なポーラが、鼻歌交じりで頭に花を挿している。
使用人であるポーラと私は、本来なら、式に参列出来ないのだが、今回は、エミリーの「一生のお願い」により、特別に参加できることになっている。
もちろん、末席から覗き込む程度だが、エミリーの晴れ舞台を見たい反面、都の貴族を顔を合わせたくない私には、むしろ好都合であった。
「キティももう少しおしゃれすればいいのに。せっかくのエミリー様の晴れ舞台なんだから、もっと華やかにしなくちゃ。」
エミリーの支度も自分の支度も、終わって暇になったのか、ポーラは、今度は、私の髪をいじり始めた。
私は、ずっとここにいていいのだろうか。
自分で望んでここにいるのだけれど、こんな時、ふと考えてしまう。
イデルの前で泣いてしまったあの日から、私の中で何かが、くすぶっている。
気が付いてみれば、王女でもなんでもない私は、誰にも気兼ねすることなく、どこへでも行けるわけで。
でも、突然、目の前に広がった世界は、あまりにも広くて、ポーラやエミリーがいるこの町は、居心地が良すぎて、どうしても足がすくんでしまう。
「はい、完成。どう?気に入った?」
ポーラの声に私は、弾かれたように瞬きした。
「わあ。すごく素敵よ、キティ。シャンリ様が、あなたに恋してしまうか心配だわ。」
エミリーのクルリとカールした長い睫毛で縁取られた瞳をパチパチとさせながら、感心したように私を見た。
二人に勧められるがままに、鏡を覗き込んだ。
指の先が、冷たくなっていく気がした。
鏡の中には、「王女」だった頃の私の姿が、あった。
気取ったように尖った顎にキツイ目元。
シンプルなデザインだけれど、庶民は、決して着れないような上等な生地のドレスは、エミリーが、用意してくれた。
ポーラが、施してくれた髪型は、下の髪を残し、細い三つ編みをカチューシャのように頭の上でクロスさせて、真珠の髪飾りで耳元に留めてある。
固まったまま、鏡を覗き込む私の姿に、ポーラとエミリーは、ドレスアップした自分に感動しているのだと勘違いしたようで、満足気に私を見ている。
「あ、ありがとう。ポーラ。エミリー様もご配慮いただき、ありがとうございます。」
二人の厚意に何か言わなくてはと思い、慌ててお礼を言った時だった。
控え室のドアを軽くノックする音がした。
一瞬、世界が凍りついたように思った。
コルセットでぎゅうぎゅうに締め付けられた体に、つま先が痛い位細身に作られたヒールの高い靴。
呼びに来るのは、いつも母だった。
ー常に微笑みなさいー
ー国王の娘としての自覚を持ちなさいー
ー皆の前で、お母様に恥ずかしい思いをさせることだけは、決してやめて頂戴。特に『あの女』前では−
身分の低い母と私に与えられていた北の小さな離宮から、外に出る時の母は、いつも同じ事を私に言って聞かせた。
「用意は、出来たかい?入るよ、エミリー。」
私の無意識で習慣的な動揺を取り払うかのように、小憎たらしい気取った声が、聞こえたと思うと、正装姿のイデルが、入ってきた。
「綺麗だよ、エミリー。愛らしいおまえの前では、シャンリ殿もあの整った顔を崩すに違いない。」
イデルは、緊張気味の妹の肩に手を乗せると、一緒に鏡を覗き込むと、微笑んだ。
「ええ、もちろんです。今日のエミリー様の美しさといったら、式場に飾られた『花々』なんて、枯れ葉同然です。まったく、どなたが、主役だと思っているのでしょうか。節度のない。」
ポーラも自慢の毒舌を交えて、微笑む。
「中々言うじゃないか、ポーラ。俺もあの『花々』は、好きじゃない。やたらに高い『花瓶』に入った高慢ちきばかりだからな。」
イデルも人の悪い笑みを浮かべた。
「褒めすぎよ、ポーラ。会場のお花は、皆とっても綺麗よ。キティが、選んでくれたんでしょう?」
二人の言葉にこもった皮肉に気が付かないエミリーは、気遣わしげに私に声をかけた。
「ええ、『花』は、私が、選びましたが。」
私は、そう答えると、肩を震わせるイデルとポーラを思いっきり睨みつけた。
「まったく、不謹慎な。」
思わず、呟くと、エミリーが、不思議そうにこちらを見た。
「・・・とにかく、今日のエミリー様は、完璧にお美しいです。シャンリ様もさぞかしお喜びになることでしょう。」
私は、話を終わらせるように大きな声できっぱりと言い切った。
「おやおや、我らがミレーナは、相変わらず、お堅いね。」
イデルは、今、私の存在に気が付いたかというように振り向くと、おどけた調子で言った。
「そうよ、誰かに似ていると思ったら、知性の女神ミレーナだわ。色素の薄い金髪に青いドレス。今日のキティったら、まさしく知性の女神ね。私ったら、自分で見立てておきながら、気が付かなかったわ。」
ポーラも私を上から下まで眺めると、感心したように言った。
「大したセンスだよ、ポーラ。今度は、俺の服も見立ててくれるかい?」
「ご理解いただけるなら、喜んで。」
二人は、気が合うらしい。
「それにしても、キティ。あまり顔色が、良くないようだが、気分でも悪いのか?」
耳元で、イデルが、囁いた。
「いえ、少し寒いだけです。」
心中を見透かされたのかと思って、ぎくりとしたと同時に少し意外だと思った。
エミリーに配慮して、小声で聞いてくるところも、イデルは、思ったより気が回るのかもしれない。
「そんなに肩を出しているからだ。上からショールを羽織れ。」
イデルに言葉に私は、珍しく、素直に頷いてみた。
「・・・さて、そろそろ時間だ。愛しのシャンリ様にご対面といこうか。」
懐中時計を取り出して時間を確認したイデルは、妹にうやうやしく手を差し出した。