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第一章:始まりの足音3

イデルが、港町にやって来て、一週間が経とうとしていた。


案内する所もろくない小さな町なので、早くも案内役としての任を終えようとしていた私は、最後の挨拶にイデルの屋敷を訪れていた。


通された中庭の大きな木に吊るされたハンモックで、イデルは、昼寝をしていた。


いい身分だと思いながら、木のそばの椅子に座って本を読み出した私は、午後の暖かい日差しについついうとうととし始めた。


「昨日、商人とマハナ語を話していたな。文章も書けるのか?」


「は?」


いきなり話しかけられた私は、素っ頓狂な声を上げて、本を取り落とした。


寝ているのかと思った。


イデルは、ハンモックの上で寝返りをうって、私の方を向くと、繰り返した。


「マハナ語を書けるのか?」


「ええ、一通りは。」


私は、頷いた。


マハナ語とは、東方の国々のほとんどで使われていて、東方と貿易をする商人は、マハナ語を喋れなければやっていけないといわれるほど、広く流通した言語である。


幼い頃から東方の同盟国への輿入れが決まっていた私は、当然の如くマハナ語を叩き込まれた。


低位の妃の姫は、こうした政治的策略に利用されるための駒でしかない。


父である国王は、私に会う時は、いつも微笑んでいたが、その微笑みは、私をかえって遠ざけているように感じた。


別に温かい愛情など、胡散臭くてほしくもなかったけれど。


そういえば、カイは、どうなっただろうか。


幼い頃、一度だけ会った婚約者の王子が、頭に浮かんだ。


エキゾチックな頭にターバンを巻きつけた少年の瞳は、神秘的な緑色だった。


さぞかし、美しい青年になっているだろう。


もうどこかの姫君と結婚したのだろうか。


私の姿を見て、うれしそうに笑ってくれた小さな王子の幸せをなんとなく願った。


もう二度と会うことのないであろう彼のことをこんな風に思うのは、王宮中から疎まれていた私の存在を笑って認めてくれた初めての人だからだろう。


「おい。聞いているか?」


すっかり物思いにふけってしまった私は、イデルの苛立った声に顔を上げた。


「申し訳ありません。」


「さっきから二度も言わせるな。お前に私の妹の家庭教師をやってもらいたい。」


「お断りします。」


間髪いれずに答えると、イデルは、苦笑した。


「相変わらずだな。礼金は、弾む。居候している先のレストランの看板修復の費用の足しになるぞ。」


「・・・・。」


「三日後にこの町に着く。マハナ語を教えてやってほしい。そうだな・・・来週の頭から頼む。」


恨めしそうに顔を上げると、不敵に微笑むイデルの顔があった。





「言語とは、いかに抵抗なくその言語を受け入れられるかによって、習得の効率が、格段に違ってきます。そこで、まずは、「マハナ語」とは、何かということからお話します。「マハナ語」とは、元々は、私達の住む西方の国々の言語でした。」


「ええ?本当なの?」


エミリーは、兄と同じ空色の瞳を大きく見開き、私を見つめた。


私が、家庭教師を務めることになったエミリーは、兄のイデルと違って、素直で可愛らしい少女だった。


同時に貴族でも誰かに愛されていれば、こんな風に育つのだと、どこか羨ましく思った。


少なくとも、目の前にいる少女は、私よりずっと自分自身を愛すことが、出来るのだろう。


「本当のことです。昔私達の住む西方は、一つの大きな国だったことを知っていますか?」


「ええと、古代エリファナ帝国ね。」


「その通りです。しかし、一千年前エリファナ帝国は、突然の国内クーデタで消滅してしまいます。その後、長い戦乱時代に突入し、今のように幾つもの国に分裂することとなりました。これは、エミリー様もご存知だと思います。」


「知っているわ。」


「さて、エリファナ帝国には、二つの言語がありました。一つは、貴族が使用した優美な響きを持つケラス語。もう一つは、庶民の使用した、より簡略的で口語的なマヘイネ語です。エリファナ帝国消滅後に出来た西方のほとんどの国は、貴族的なケラス語を公用語として採用しました。これが、今私達が、こうして話している言語です。一方、戦乱を避け、東方に安住を求めた人々もいました。彼らの中には、ケラス語を話す者もマヘイネ語を話す者もいました。当時、東方では、まだきちんとした言語が成り立っておらず、東方の人々は、新しくやってきた西方の人々が、非常に完成された言語を扱うことに驚き、次第に彼らの言語を取り入れるようになりました。ここで、東方の人々は、面白い選択をします。合理的な商人気質を持つ彼らは、庶民の使うマヘイネ語を選びます。」


「それが、「マハナ語」になるのね?」


「はい、お察しの通りです。東方の人々が、「マヘイネ」さらにアクセントを簡略化したようですね。」


「あの・・キティ。」


エミリーが、少し躊躇いがちに手を上げた。


「なんでしょう?」


「時々、マハナ語を野蛮だとおっしゃる方々がいます。それは・・。」


「確かにマヘイネ語は、庶民の使用する言語だったので、荒々しい発音になりがちです。しかし、それ以上に東方の人々によって、繊細な意味を持つ近代的な言語に作り変えられています。また文字においても、複雑でやたら装飾的なケラス語に比べて、マヘイナ語は、シンプルで、しかし美しい文字を使用します。こちらでも、野蛮だと言うのは、伝統を重んじる少数の貴族に限られていて、ある程度知識のある貴族は、便利なマハナ語を学ぶことが、当然になってきています。あなたのお兄様もその博識な貴族のお一人だと思います。」


「ありがとう。」


エミリーは、自分の無知と兄を褒められた喜びで頬を赤く染めながら、小声でお礼を言った。


「さて、マハナ語のルーツは、分かりましたね。次に学習の手順を説明します。まずは、エリファナ帝国時代のケラス語の古典を何作品か流し読みをして頂きます。先ほどお話したように二つの言語は、元々同じ国で作られたのですから、基本的には、とても似ています。まずは、慣れ親しんだ私達の言語からマハナ語に近づいていきましょう。古典を読むことによって、マハナ語は、まったく知らない言語ではないということを再認識することが出来ます。次に、実際に私の後についてマハナ語の本を音読していただきます。文法や単語は、そのつど説明します。心配することは、ありません。先にケラス語の古典を読むと分かると思いますが、文法や単語は、実はほとんど同じです。まずは、とにかく何度も音読していく内になんとなく分かってきます。最後に文字を書くことですが、これは、詩を書きながら、学びましょう。マハナ語は、東方風のとても美しい文字を使用します。東方にもある短い詩を私達も実際に書きながら、学んでいきましょう。」


「はい!」


エミリーの元気のいい返事に少しほっとして、話を続けようとすると、ドアが開いて、イデルが、入ってきた。


「君は、想像以上に良い教師になってくれそうだ。」


イデルは、満足そうな笑みを浮かべながら、柱に寄りかかった。


「私のお話できる事実を申し上げているだけです。」


「そうだな。続けてくれ。」


「エミリー様の気が散ります。私も気になるので、お引取り下さい。」


「冷たいな。」


「いいじゃない、キティ。少し休憩して、お兄様も一緒にお茶にしましょうよ。」


エミリーも同意したので、私は、手に持っていた本を閉じた。イデルなんかと美味しいお茶が、飲めるわけない。


「それでは、本日は失礼させていただきます。帰りに港にも寄る用事がありますので。」


少し驚いているエミリーと不満げなイデルを置いて、屋敷を出ると、外は、うっすらオレンジがかっていた。


背後から、伸びた長い影に気が付いた私は、少しげんなりした。


「港にいくなら、俺も用事があるから、一緒に行こう。」


「じきに暗くなります。物騒です。」


「この町には、悪人などいないじゃないか。」


「物取り位は、いますよ。」


「では、なおさらだ。」


イデルは、鼻歌交じりに呟いた。


「?」


「紳士には、女性を守るという義務がある。」


イデルは、少し得意げに言い放った。


「はあ。」


あまりにくだらなくて、つい、ため息交じりの返事をしてしまった。


イデルは、少し怒ったような口調で言い返してきた。


「何だ、その反応は。」


「『まあ、うれしい。感激です。』とでも言って欲しかったですか?」


なるべく冷たく言い放つと、足を速めた。


「どうして、そう頑ななんだ?」


イデルの一言に足を止める。


後ろを振り向くと、イデルの真剣な顔があった。


「どうして、あなたはそんなに無神経なんですか?」


言った後、鼻がツーンとして、目の奥に熱いものがこみ上げた。


馬鹿なこと言ってしまった恥ずかしさで胸が一杯になった私は、イデルの呼び止める声を無視して、その場から走り去った。

 


私という人間を見ないでほしい。


過去の足枷にいつまでも捕らわれた、情けない私を晒すのは、たとえどんな相手であれ、今の私には、許しがたいことだった。



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