第四章:戸惑いの行方
鳩が、豆鉄砲を食らったと言ったら、失礼だろうか。
私を見た瞬間のシャンリ様だ。
切れ長の目は、驚きでこれ以外ないほど大きく開かれ、露になった瞳は、エメラルドの宝石だった。
笑みを含むように柔らかに結ばれた口は、ポカンと大きく開かれていた。
『ティルカ?』
シャンリ様は、お化けに話し掛けるように恐る恐る私に声をかけた。
『何をおっしゃるの。彼女は、キティですわ。』
エミリーは、婚約者の不可解な反応に眉をひそめた。
『初めてお目にかかります、シャンリ様。キティと申します。それと、私は、「妖精」では、ございません。』
私の言葉にシャンリ様は、はっとして、赤くなった。
『いや、すまない。あなたは、本当に似ていたから。しかし、聞きしに勝る博識な女性だ。古代語まで分かるとは。』
『少しだけです。話せるほどではありません。』
微笑むと、シャンリ様は、少し落ち着いた様子で、椅子に座り直した。
『あら、ひどいわ。二人して分かった顔をして。ティルカって誰です?』
エミリーは、少し不満げにシャンリ様と私を見比べた。
『ティルカとは、東方の古代伝説に登場する妖精のことだ。気まぐれだが、気に入った国に繁栄をもたらすといわれる。東方では、一種の神のような存在だな。シャーレン国の王宮には、妖精を描いた絵が、たくさんあるんだ。その中の一枚にあるティルカに彼女が、そっくりだったから、つい驚いてしまったんだよ。』
『まあ、何だか素敵な偶然ね。』
エミリーとシャンリ様は、微笑みあったのを見て、心が温かくなった私は、クスリと笑った。
『どうかしたのか?』
シャンリ様が、不思議そうに私を見たので私は、小さく首を振ると答えた。
『申し訳ありません。お二人が、とてもお似合いですので、ついうれしくなってしまって。失礼致しました。』
『いやだ、キティったら。あなたのおかげよ。私が、こんなにシャンリ様とお話しできるのは、あなたにマハナ語を教えてもらったからだわ。』
エミリーは、本当にうれしそうに言うと、私の手を強く握った。
『私からも感謝する。正直言って、西方の婚約者に少し不安もあったのだが、エミリーのマハナ語を聞いたら、とても安心したんだ。』
『不安なんて、シャンリ様が、一目エミリー様をご覧になった瞬間に吹き飛んだようでしたけれど?』
からかってみると、シャンリ様は、顔を赤くした。
『言語も大切ですが、お二人が、目と目を合わせた時に感じたものが、一番の真理だと思います。この度のご婚約、心からお喜び申し上げます。』
心からの言葉は、二人の胸を打ったようで、しばらく優しい沈黙が、流れた。
『優美で、賢く、慈愛に満ちている。本当に魅力だな。正直言うと、エミリーが、あまりにも「キティが、キティが、」と話すものだから、少々焼きもちを焼いていたのだが、これなら頷ける。』
『だから、申し上げましたでしょう。キティなら、適任だって。』
『ああ。』
シャンリ様は、満足気に頷いた。
『あなたに一度会っておきたかったこともあるが、実は、頼みがあって呼んだんだ。』
シャンリ様は、顔を引き締めると、私に向き直って、切り出した。
『知っての通り私とエミリーは、婚約したわけだが、まだ父つまりシャーレン国への挨拶が、済んでいない。長旅になるだろうし、絶対安全とも言い切れないのが、事実だ。しかし、イデル殿が、東方視察を兼ねて付き添うと提案してくれたので、今年の秋には、シャーレン国への訪問を実現できることになった。イデル殿も話しておられたことだが、長期の訪問を予想するので、シャーレン国の社交界にもエミリーには、参加してもらうことになる。すると、やはりマハナ語を話せない侍女を連れていても心もとない。そこで、どうだろうか。キティ、あなたにエミリーのお供として、シャーレン国へ来てもらい、彼女をサポートしてもらえないだろうか?』
これまでの流れから充分に予想できた要望だった。
イデルの家でエミリーの家庭教師として働くようになり、エミリーが、シャーレン国の王子と婚約し、どんどんと昔の影が、濃くなっていくのも感じていた。
エミリー達と共にいるのは、苦しくなる一方救われたこともあって、結局ここを離れることが、できなかった。
足踏みしている内にとうとう未来にまで立ち込めてしまった。
『・・・申し訳ありません。お断りします。既にエミリー様からお聞きになられていらっしゃるかと思いますが、私は、元貴族です。革命で家族と地位を失くしました。辛いこともありましたが、今では、この平和な港町に住む一町娘のつもりです。私は、今の生活を失いたくありません。どうか、お供には、別の方をお願い致します。』
私の言葉を聞くエミリーの顔が、どんどん曇っていくのを感じた。
エミリーは、きっと私が、付いて来てくれるに違いないと信じていたのだろう。
傷つけている。
私を信じて慕ってくれた人を私は、傷つけている。
『そうか。残念だが、無理強いもできない。危険な旅になるだろうし、若いあなたの人生を振り回すようなことまでは、できない。』
シャンリ様は、少し残念そうに言うと、慰めるように傍らのエミリーの肩に手を回した。
当のエミリーは、俯いたきり何も言わなかった。
『ご期待に添えず、本当に申し訳ありません。』
私は、小さく頭を下げると、部屋を出た。
部屋を出ると、日が落ち薄暗くなった廊下に明かりが灯されていた。
ゆらゆらと揺れるランプの下に立っていた背の高い人物が、目に入った時、何かが終わるような予感がした。